その9
Ⅸ
僕の目の前には、何とか部屋から出てきた楓さんがいた。pちゃんはそんな楓さんのあどけない手を引いて、少し強引に歩いていく。僕が楓さんの部屋に導かれた時と同じように、pちゃんは手を引いて、楓さんをあっという間に家の外に連れ出してしまう。
どうしてそんなに強引に外に連れ出したのか、とpちゃんに聞いてみた。するとpちゃんは、どうやら今日が楓さんの三者面談の日で、だからどうしても家から連れ出して学校に来させてやりたかったのだと答えてくれた。そうか、今日は楓さんの三者面談の日だったのだ。だから楓さんは部屋の中でひきこもりながらも制服を着ていたのかもしれない。
……いや、その話はちょっとおかしい。……制服を着ていながら、部屋の中にひきこもっていたということは、今日が三者面談の日だということはわかっていたに違いない。だけど行く勇気はなかったから、実のところは誰かに家から連れ出してもらえることを、心のどこかでは期待していたのかもしれない。……いや、本当のところはわからないけれど。やっぱり、女子の考えていることはわからない。
今日は三者面談に行かなくてはならない日なのだ、ということについては、楓さんは驚くほどあっさりと快諾した。まるで、最初から誰かに家から連れ出してもらえるのを、心の片隅では期待していたようだった。
三者面談には行ってもいい、だけど怖いからお兄ちゃんには学校までついてきて欲しい。そんな楓さんの要望を、まるでそう話すのを初めからわかっていたかのように、pちゃんはあっさりと快諾する。
だけど、せっかくsaitoさんにも家まで来てもらったのだから、saitoさんにもついてきてもらってはどうか、とpちゃんが提案する。楓さんはpちゃんの提案を、少し擦れたように笑いながら、快諾する。
だから、僕とpちゃんと楓さんは、一緒に楓さんの通う学校に行くことになった。楓さんの通う学校は家から七駅離れた駅から、徒歩で十分のところにあるらしい。
僕とpちゃんと楓さんは、最寄の駅までとぼとぼと歩いていく。一番左に楓さん、真ん中にpちゃん、右端に僕。自転車や車が来ない時は、そうやって三人で並んで歩いた。pちゃんと楓さんは思春期男子で思春期男子だったから、僕まで思春期男子に戻った気になってしまっていた。……こんな風に女子と駅まで歩くことなんて、僕の思春期にはなかったのだけれど。
不思議だ。本当は、僕の思春期なんて、青春なんて、当の昔に過ぎ去ってしまっているのだけれど。 だけど、こうして歩く姿は青春の1ページそのものだ。そんな気がしていた。
僕たちは灰色の道路の上を黙々と歩いていく。
空を見上げながら歩いてみる。ゆっくりと、本当にゆっくりだけど、青空に浮かぶ雲が、風の流れに身をまかせて、ゆっくりと流れていくのがわかる。しばらく歩いていると、沈黙を破って、楓さんの重い口が、ゆっくりと開いた。楓さんが今まで心の内に秘めてきた、親や兄、学校への不満が、ゆっくりと語られる。
「お兄ちゃんだけ、勉強ができるのはずるい。ずるいよって、ずっと思ってた」
「ずるい……かぁ? 俺なんて中退する前の学校、成績は学年でかなり下の方だったんだけど」
「……お兄ちゃんの学校は県下一の進学校だったから、お兄ちゃんの下の方の成績は、私の学校だとトップクラスに相当するの。だから、ずるい。ずるいと思う。どうして? なんでいっつもお兄ちゃんだけ……お兄ちゃんだけ……。お兄ちゃんが中退する前の学校だって、私がチャレンジしようと思わないくらいのレベルの高い進学校だったじゃない。ずるい、ずるいよ……。それに高校受験の時だって、お兄ちゃんより絶対私の方がたくさん勉強してたのに……」
「そ、それは…」
pちゃんは言葉を詰まらせる。やはりpちゃんは、頭がすこぶる良くて、頭脳明晰な青年だったのだ。第一印象で抱いた知的な印象は本物だったのだ。
「それに……大学だって、ずるい、ずるいよ」
楓さんが結ったツインテールの先をくるくると指にまくりつけながら、少し怒ったような口調で反論する。
「……本当は、大学だってお兄ちゃんが志望しているような難しい大学を私は志望したかったの。学部は理学部。だけどうちのお父さんは……お母さんは……特にお父さんは……本当に……あの人は…本当に……」
そう言いながら楓さんは肩を落とす。歩くスピードがすとんと落ちる。さっきまで饒舌に不満を口にしていた楓さんが、その場で立ち尽くしてしまった。楓さんの頬には、涙が少し伝っていた。
「うちのお父さんったら……本当に本当に本当に、どうしようもないと思う……。何よ、女は大学に行かなくてもいい、ましてや理学部なんかに行かなくっていい、って。何それ。何なのそれ……。でも私はお父さんに逆らうことができなかった。これは小さい頃からずっとそうなの。だから、私の志望校は、薬学部になっちゃった。お兄ちゃんが滑り止めにすらしないようなレベルの大学の、それも理学部じゃなくって薬学部。それが私の志望校。はは……」
作り笑いをする楓さんだったけれど、僕はその作り笑いに愛想笑いもできなかった。女は大学に行かなくてもいいだなんて、まったくいつの時代の話なんだろう。時代錯誤も甚だしい。
「だけど私……、本当はお父さんから勧められている以外のところの大学に行きたかったの。それは私にとってはそんなに偏差値も高くない大学で、そこに行けばきっと私のしたかったこともできる気はしているの。もちろん理学部。私がお兄ちゃんと比べて頭に頭があまり良くないってことはもう十分身に沁みてわかってるつもりだし、その部分については今更とやかく言うつもりはないんだけれど……」
そう言った後、楓さんは肩を落としてゆっくりと息を吐いた。
「だけどその大学、県外の大学なの。だからその大学に行きたいって、何度もお父さんに相談しても、県外だから駄目だーって、一点張り。嫌になっちゃう。……ねぇお兄ちゃん、私、前世で何かとんでもなく悪いことでもしたのかなぁ。だから私、好きなところに行かせてもらえないのかなぁ。……どうして人生って、こんなにも上手くいかないのかなぁ。どうしてなのかなぁ。ね? お兄ちゃん」
「……そうか、楓にはそんなことがあったのか。知らなかった。それで楓は嫌気が差して、ひきこもるようになったのか」
pちゃんが楓さんの話に心底から納得したように、相槌を打つ。
僕は立ち尽くすだけだった。知らなかった。ただのひきこもりでちょっぴりメンヘラな、今時の思春期少女かなと思っていたけれど、楓さんはそんな頭がスカスカな思春期少女ではなかったのだ。
pちゃんの相槌を見た楓さんは、深く息を吸い込んでから、再び重い口を開いた。
「それは違うよ、お兄ちゃん。私がひきこもっているのは、そんな理由じゃないよ」
ひきこもりの理由。それは、ひきこもり当事者たる僕が一番知っている。きっと楓さんがひきこもる理由も、そう簡単ではないのだ。
僕がひきこもる理由は、何となくの無気力感であったり、励ましてくれる人がいないせいだったり、何となく将来が希望が持てなかったり、なんていうぼんやりした理由だと思う。何せ僕には、何もないのだ。だから僕は頑張れないし、頑張れないから散らかった部屋にひきこもり続けるのだ。
楓さんがひきこもる理由は何だろう。
「お兄ちゃん、私がひきこもる理由はね、お兄ちゃんの後ろ姿を見て学んだからなの。お兄ちゃん、ひきこもるようになってから、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんに対して好きなことをやってもいいよ、ってよく言うようになったでしょ? それで、現にお兄ちゃんは好きなことを好きなようにできるようになったでしょう? 私、それがすっごく羨ましかったの。何でも好きなことしていいよって言われて、好きなことをさせてもらえてるお兄ちゃんが羨ましかったし、だから私も、そうしようと思ったの。お兄ちゃんのようにひきこもれば、お父さんとお母さんにもちゃんと心配されて、気にかけてもらえて、そして好きなことをさせてもらえる。県外の大学にも行ける。理学部にも行ける。だから私はひきこもるの。これが、私のひきこもる理由。私にとってのひきこもりは、自己実現の手段の一つなの」
絶句した。こんなにも計算高くひきこもる人間が、果たして世の中にはいるのだろうか。
……いや、きっといないだろう。それに、これはpちゃんからのskypeでの伝聞だけど、計算高くひきこもるような人間が、リスカをするしないと兄と口論になりながら、包丁を握るのだろうか。
きっと包丁は握らないだろう。リスカなんてしないだろう。リスカ後のことも考えて、なるだけ省エネで生きようとするのなら、傷が一生残るリストカットなんて、しない方が良いのだから。だから楓さんがひきこもるのも、きっと自己実現のためだけじゃないのだ。
それに、理由はどうあれ、リストカットをするしないで揉めながら、家にひきこもるのをよしするわけにはいかない。それは、ひきこもりの当事者たる僕が一番よく知っている。一度ひきこもるのを自分の中で正当化してしまえば、ずっとひきこもるはめになってしまうからだ。そうしている内に、人がどうしようもなく怖くなる。気付いた頃には、人が怖くて、家から、いや部屋から一歩出ることすらままならなくなってしまう。
楓さんがそこまでひきこもってしまうかどうかはわからない。だけど、そんなリスクを負ってまでひきこもる必要なんて、どこにもないのだ。だとすれば、僕が今、楓さんに今言ってあげられることは、いや、言わなくてはいけないことは一つだけだった。
どういう理由であれ、ひきこもるのはやめようよ、と。それと、とても怖いかもしれないけれど、お父さんと進路についてもう一度よく話し合ってみるべきだよ、と。そして、今しかない高校生という青春の時代を、ひきこもりの魔力によって無駄にしてしまうのは、あまりに勿体ないよ、と。せめて然るべき人にはちゃんとさよならしてから、高校生活は終えるべきだよ、と。卒業式にはちゃんと出ようよ、と。
だけど、僕にはそんなことを言う勇気はなかった。言葉にならない嗚咽をもらしながら、楓さんはその場で泣き崩れてしまったのだ。
僕にはどうすることもできなかった。説教くさい言葉を吐くことも、ありていの慰めの言葉を吐くことも、できなかった。きっとそんな説教くさい言葉もありていの慰めも、所詮は一般論で、楓さんに本当に必要なのは、そんな一般論じみた薄い言葉じゃなくって、なんていうか楓さんの人生に寄り添った上でのアドバイスや、慰めだと思う。
だけど僕は、楓さんのことを何も知らない。どんな人生を歩んできたのか、どこの小学校を卒業して、どこの中学に行き、どんな高校に進学したのか。どの部活に入っているのか。好きな男子はいるのか。友達はどれくらいいるのか。どんなことを考えながら毎日ひきこもっているのか。……そう、僕は楓さんの人生はおろか、楓さんについて何も知らなかったのだ。だから、楓さんの人生に寄り添った上での言葉なんて、言えるわけがない。
僕は立ち尽くした。隣にいたpちゃんは、楓さんの震える背中をさすっていた。僕もpちゃんも、楓さんには何も言うことはできなかった。何も言えなかった。嗚咽をもらしながら、震えた声で泣く楓さんを、見ていられなかった。見ていられなかったけれど、どうすることもできなかった。
少しだけ日が暮れる。むせび泣く楓さんの周りの木々を照らす光は、少しだけ夕焼け色を帯びていた。言葉にならない嗚咽をもらしながら、楓さんはその場で泣き崩れるままだった。
それからしばらくした後、楓さんは立ち上がって、何かを決心したようにぶつぶつと独り言を吐きながら、最寄りの駅まで歩いていく。
楓さんは、言葉にならない嗚咽をあげながらでも、泣きながら、今にも倒れてしまいそうな、かよわい体を必死に動かしながら、よろよろと歩いていく。路傍の小さな石にさえ、躓いてしまいそうなくらい、今の楓さんはかよわくて脆い。人生とは、こんなにも辛いものだったのだろうかと思ってしまう。こんなにも辛い人生であるならば、歩みを止めてもいいのではないか。そう思ってしまうほどなのだけれど、楓さんは歩くのを止めない。一歩一歩、学校へと進んでいく。
一時は本当にどうなることかと思っていたけれど、どうにかなりそうだった。相変わらず三人の間に会話はないけれど、でも一歩一歩、牛歩ながらも僕たちは確実に前に進んでいた。
ついに電車に乗り込んだ。たくさんの人が乗っていたせいで、三人分の席は空いていなかったけれど、目の前の一席が空いていたから、僕とpちゃんは泣きじゃくる楓さんを席に座らせた。
最寄りの駅から学校の最寄の駅には、七駅分の距離があった。窓の外の景色は目まぐるしく切り替わっていく。どれもこれも、知らない景色ばかりだ。がたんごとんと車両は揺れていく。見たことも聞いたこともない駅に、電車は各駅停車していく。
車両が揺れるのに身を委ねながら、僕もがたんごとんと揺れてみる。いつもの僕なら、こうやって揺られていると悲しくなるものだけど、今日の僕は不思議と悲しくならなかった。
しばらく揺られていると、学校の最寄りの駅に着いた。僕たちは電車から降りた後、徒歩で学校を目指した。歩くこと十分、僕たちは楓さんが通う高校に着いた。少し寂れていた校舎だったけれど、オレンジ色の校舎だった。夕焼け色に染まっているのだ。
学校に来るのも随分久しぶりだったし、校舎を見るのも久しぶりだった。少し胸が高鳴った。
流石に部外者たる僕が、学校の中に入るのはまずかったようで、校門から数歩歩いたところで、それに気付いたpちゃんに、僕は制止させられてしまった。そう、そうだったのだ。自分もすっかり高校生のつもりだったし、学校の中に入ろうとしていたけれど、僕はもうとっくに高校生じゃないのだ。僕の思春期は、高校生活は、もうとっくに終わっていたのだ。そのことにまざまざと気付かされると、もうどうしようもなく物悲しかった。全てをがなぐり捨てて、羞恥心も捨ててこの場で泣いてやろうかと思った。だけど泣けなかった。健全な男の子たる教育を施されていた僕は、やっぱりこんな見知らぬ土地では涙を浮かべることすらままならかったのだ。
僕は学校の外で、pちゃんと楓さんの帰りを待つことになった。
楓さんとpちゃんがオレンジ色の校舎の中に消えてていくのを見送ってから、僕はふと我に返った。随分と遠いところに来てしまったのだ。僕の目の前には、見たこともない学び舎と、幾度となく僕を虚しい気分にさせてきたオレンジ色の空が広がっていた。
pちゃんには不審者がられるといけないから、という理由で早く学校の周りから立ち去るように言われていたけれど、そう簡単に食い下がることはできなかった。別に学校の中に入らなくたっていい。久々の学校だ、せめてもう少しだけ目に焼き付けておきたいのだ。そう思いながら学校のフェンス越しに、学校の様子を見る。
男子高校生と女子高校生のカップルが、仲睦まじく手をつなぎながら、校舎に入っていくのがみえた。そう……彼女……彼女……彼には彼女がいるのだ。それは、僕がずっと喉から手が出るほど欲しかったもの。
三年前に喉から手が出るほど欲しかったものを、三年後の自分はまだ何一つ手に入れられないでいる。
青春の残滓も、高校生の時に抱いていた未来への淡い期待も、その面影も、全て捨て去ってしまったのだ。僕にはもう、何もない。僕は、何も成し遂げられなかったのだ。僕にはもう、希望がない。
彼女が欲しい。居場所が欲しい。気のおける友達が欲しい。だけど、僕には何一つ手に入れることはできなかった。
悔しくて、虚しくて、たまらなかった。
僕には何一つとして青春がなかったのだ。そして僕は大学中退。僕は学歴もない。おまけに、ひきこもりで童貞で、ニート。
それに、ようやくひきこもりから脱出できたと思っていても、気が付く頃には中年になってしまっていて、恋人も出来たことすらないという。重労働が主な肉体労働者になって、休みも返上してあくせく働いて、少ない給料をもらう……。恋人もいなければ家族もいない。かといって友達がいるわけでもなく、たまの休みの日はテレビを見ながら述懐しながら、狭い部屋で一人寂しく安い酒をかっ食らうだけ。
そうして重労働がたたって体が悪くなったら、病院に入るのだ。だけど退院したとて当然仕事は何もない。コネもない。金もない。かといってホームレスになるほどの勇気はないから、何時間も役所で粘って、なんとか生活保護を獲得する。
たとえひきこもりから脱出しようにも、その先の未来は案外こんなもんなのだ。そんな現実を、未来を、受け入れろと言われても無理な話じゃないか。
不器用な生き方しかできなくて、勉強もできない頭の悪さで、それでいてコミュ力がない人間は、そんな風に寂しく生きていくしかないのだろうか。
……こんな考え方も、想像した将来も、全て2chやネットの受け売りだった。そんなことはわかっていた。だけど、僕は将来というか、社会というものが全くわからないのだ。社会に出たことがないから、当然のことかもしれないけれど。
だから僕が考えることは専ら2chやネットの受け売りなのだ。二十歳も過ぎて、こんな感じではきっと情けないのだろうと思う。だけど、僕は、何も知らない。何が正しくて、何が悪くて、何が真実で、どんな生き方があるのか、社会とは何たるものなのか、それら全てを、僕はまだ何も知らない。インターネットだけは長く続けてきたと思うけれど、どんなサイトのどんな情報が嘘かどうかすら、僕にはわからないのだ。吟味することさえままならないのだ。
そうやって、2chやネットの受け売りの情報をもとにして、将来を考えるととてつもない不安に襲われる。どうにかしなくてはならない気がする。だけど、何となくだけどもう頑張れない気がするのだ。頑張る気力が、体の奥底からわいてこない気がするのだ。だから僕は頑張れない。
でも、このまま何もせず、学校の前で立ち尽くしていると、余計に不安に呑まれそうだったから、僕はとりあえず歩いてみることにした。
ゆっくりと足を一歩ずつ踏み出してみた。右足と左足を一歩ずつ進めると、前に進む。前に進めば僕を囲む景色も変わっていく。景色は過ぎ去っていく。一歩進むごとに景色は変わるけれど、でも、一歩進めばもう二度と同じ景色を見ることはできないのだ。
本当はこの場で立ち止まりたかった。歩きたくなんかなかった。でも、何もしないでいるのは、一番不安だった。だから僕は歩みを進めるしかないのだ。
だけど、歩みを進めると、後ろに戻らないともう二度とは同じ景色は見れないといっても、そんなに悪い景色が広がっているわけでもなかったのだ。夕陽色に照らされた木々だって、歩みを進めるごとに移ろいをみせるのだ。空の色だってそうだ。同じような夕焼け色の空でも、僕が歩みを進めれば、背にするマンションや電柱の位置だって変わってくる。つまり、僕が歩く度に空の形は変わる。
灰色の道路を伝った先のコンビニの中で、大して読みもしないジャンプSQをぱらぱらとめくりながら、pちゃんと楓さんが戻ってくるのを待つ。隣の黒いジャージを着たおじさんは、僕と同じようにジャンプSQを立ち読みしている。だけど、僕と同じくページをぱらぱらめくっているだけで、漫画を読んでいるようには思えない。このおじさんは、一体何をしているのだろうか。
平日の夕刻。少し閑散としたコンビニの中で、僕とおじさんは、互いに素性を気にしながら、でも詮索することはせず、しばらくの間ずっと立ち読みをしていた。