幼い頃から、ずっと同じ夢を見ていた。
同じ風景。同じ結末。
僕は赤子で、母親に抱かれていた。
母が僕に微笑む。何かを喋りかける。
母の後ろで桜の花びらがひらひらと舞っていた。
僕も笑っていた、と思う。
キキキィィという音がする。
母が音のした方を振り向き、目を見開く。
全ては手遅れだった。
突っ込んでくるトラック。
僕を再度強く抱きしめ、走りだす母。
どちらが早いかは明白で、トラックをかわせるか否かも明白だった。
そして――そして――
そこでいつも目が覚める。
「おはよう。ひぃくん」
「……おはよう、沙那」
目がさめると、いつもの風景がそこにあった。
僕の手を握り、僕の頭を撫でている幼馴染、沙那。
「今日もあの夢、見たの?」
「……うん」
「そう、辛かったね、ひぃくん。でも大丈夫。私が傍にいるよ、ひぃくん」
そう言って僕を抱きしめる沙那。
女の子の温もりと、髪の毛から漂ういい匂い。
クラクラする。脳味噌が溶けそうだ。
「……ありがとう沙那。もう大丈夫だよ」
「そっか。じゃあ、朝ごはんできてるから、食べよっか。今日は和食だよ。ひぃくんの好きな、油揚げ入りのお味噌汁も出来てます♪」
「……ありがとう沙那」
「いいえー♪」
沙那は嬉しそうに微笑むと、僕の制服をクローゼットから取り出した。
「はい、じゃあお着替えしようね、ひぃくん」
「……沙那、着替えくらいは一人で出来るよ。ていうか、僕も高校生なんだからいい加減、着替えくらい一人でしないとさ……」
「いいからいいから♪ はいばんざーい」
「……」
軽ーく流され、結局僕は沙那に着替えさせられた。
そして、食事も、ぜーんぶあーんだった。
お味噌汁も茶碗を口元まで持ってきてもらった。
「ひぃくん、忘れ物ない?」
「うん。大丈夫だよ」
「ほんと? 大丈夫?」
「うん、今日は数学と、国語と、歴史、英語で、残りは体育なはず」
「……ひぃくん。化学が抜けてるよ」
「……あっ」
「もう、ひぃくんはドジっ子さんだなぁ」
そう言って、沙那が化学の教科書を持ってきて、俺のスクールバッグに入れてくれた。
「……ありがとう、沙那……いつもごめんね、沙那。僕、何回もおんなじようなミスを……」
「いいよひぃくん。だって、それも含めてひぃくんだもん。それもひぃくんの個性って事。ひぃくんはな~んにも気にしなくていいよ。ひぃくんはひぃくんのままでいいんだから」
そう言って優しく微笑む沙那。
……沙那は本当に優しい。僕は昔っからどうも抜けていて、こういった教科書忘れやうっかりミスは日常茶飯事だった。
だから、それをいつもサポートしてくれる沙那には頭が上がらない。
「……うん、ありがとう。沙那。今日も朝ごはんも美味しかった……ごめん、甘えてばっかりで」
「いいんだよ、私はひぃくんのお母さんに生前、お父さんには出張に行く前に、ひぃくんのお世話を頼まれてるんだから、当たり前の事をしてるだけ。むしろひぃくんはもっと私に頼って、甘えていいんだよ?」
そう、僕は沙那の言うとおり。
母さんは僕が物心付く前に亡くなったし、父さんは長期の海外出張中。めったに家に帰ってくる事はない。毎月ちゃんとお金は振り込まれているけどもう3年くらい顔を合わせてないし……一体どこで何をしているやら。
「……流石にそういう訳にはいかないけど……沙那に愛想尽かされないように、がんばるよ、僕」
「あはは。大丈夫。私がひぃくんに愛想尽かすなんて、天地がひっくり返ろうともあり得ないから」
……沙那は、こう言う発言が非常に多い。
僕に対する好意を全く隠さないというか、あけっぴろげにしてるというか。
……まぁ多分、できの悪い弟を持った姉、みたいな感じなんだろうけど。
沙那と僕は同い年だが、身長差は結構ある。僕より沙那は20cmほど高い。
実際、外見だけ見ると――顔は別として――そう見えなくもない。僕が男にしてはかなりのチビという事を抜きにしても、沙那はかなり背が高い。モデル並だ。
顔も綺麗だし、スタイルもかなりいい。足は長いし、全体的にスラっとしている。その癖、胸はそんじょそこらのグラビアアイドルが裸足が逃げ出すくらい大きいから、僕としてはちょくちょく目のやり場に困っている。
「それじゃあ、ひぃくん行くよ。はい、手。車とか危ないから、ね?」
「……沙那、僕もう高校生だよ? 流石に大丈夫だって……過保護だよ」
「いーいーの。ひぃくんはドジっ子なんだから。私が手を繋いでないとすぐ車に轢かれちゃうんだから。大事な大事なひぃくんを守る為なの。じゃあ学校行くよー」
「……」
毎朝、学校に行く度に繰り広げられるこの会話。
そして毎回、半場強制的に手を繋げられる僕。
……これはもう姉と弟、じゃなくて、母親と赤ちゃんなんじゃないかな、と思った。
「……はい、下駄箱到着。ひぃくん、大丈夫? 自分でお靴脱げる? 疲れてない? 脱がしてあげようか?」
「流石に大丈夫だよ、沙那」
このやり取りも毎回だ。学校という不特定多数の人間が集まる場所で、そういう発言は辞めてくれと思っていたが、もう慣れた。
恥ずかしいとは思うが、沙那は他人にどう思われようが全く興味がないようで、回りの反応とかを全く気にしていないのだ。
「あ……また下駄箱に変な手紙が……もう、ゴミを入れられる私の立場にもなって欲しいな」
そして沙那が自分の下駄箱を開けると、それはそれは丁寧に作られたであろう手紙を無造作に掴んだ。くしゃくしゃっと乱暴に丸めて、下駄箱の隅においてあるゴミ箱に、ぽいっと捨てた。
「あー……沙那。今のはその……ラブレターって奴では……」
「え? ゴミだよ。ゴミ」
「……いや、でもなんか、沙那の名前とか書いてあったし」
「ゴミだよ?」
「……」
「名前とかは多分ひぃくんの見間違えじゃないかな? もう、ひぃくんったらうっかりさん♪ それじゃあ教室行こうか。ひぃくん、階段気をつけてね」
「……う、うん」
まぁ、こんな感じの事も、一ヶ月に2~3回あるので、慣れてるけど……
やっぱり沙那は僕の身内びいきじゃなくて、すごく綺麗なんだな、と思う。
だから僕ごときが、沙那の隣に居てもいいのかな、とも思う。
僕はチビだし、顔だって平均以下、それに頭も普通だし、ドジでどこか抜けてるし……
……でも。
一度だけ言ったことがある。僕は沙那の隣に居ていいの? 僕の事、邪魔じゃない? 僕のせいで、他の人と関わる機会を失ってないって?
そしたら沙那は、急に表情を失って、全く感情を感じさせない声で喋り出した。
「どうしてそんな事言うの」
「なんで私がひぃくんの事を邪魔だって思うの」
「それとも誰かにそういう事を言われたの」
「誰かに言われたらその人の事教えて、私その人と話があるの」
「ひぃくんは私の隣にいるべきなの。私はひぃくんの隣にいないとダメなの」
「ひぃくん以外の人なんか私どうでもいいよ。ひぃくんの事しか興味がないの」
「もう二度とそんな事言わないで。もう一回言ったら私どうなるかわからないよ」
と。ハイライトの消えた死んだ目で言われ、それ以来僕は二度と沙那にその話題を振るのを辞めた。
だから、僕は今日も、沙那の隣に居続ける。