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オリーブ編

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 賑やかな声が飛び交っていた。


 シエラ達三人は、オリーブの街の通りを歩いていた。

 両脇には、飲食店らしき店が、多く立ち並んでいて、人通りも多い。女の客引きの声がよく聞こえ、酔っている男が多いようだ。
 いつものごとく、ボルドーの先導で道を進んだ。
 なにやら、周りの人が不思議そうな目でこちらを見ている気がする。セピアは、居心地が悪そうに歩いていた。
 少し歩いて、通りに面している、建物の前に着いた。他の建物より、少し大きい。
「あの、ボルドー殿。そういうことでしたら、我々は、別の所で待っていますが……」
 セピアが、少し話しにくそうに言う。
「いやいや。ここは、知り合いの店だ。一階が食堂になっていてな。わしが知り合いに会っている間、そこで、食事でもしておいてほしい。ちょっと待っていてくれ」
 言うと、ボルドーは建物に入った。

 少しして、出てくる。
「まいったな。いるか、いないか分からない」
 セピアが、少し首を傾けた。
「では、すぐに移動しましょう」
「仕方あるまいな」





 道に人集りができていた。
 その中からは、人が怒鳴っているような声が聞こえる。
「何か、騒ぎでしょうか」
 セピアが言う。

 三人は人集りに近寄って、人々の間から、その中心を見た。
 中年の男が三人、怒気を含んだ声を上げている。対しているのは、女が五人。負けじと声を荒げて何かを言い合っていた。
 どうやら、店客の問題のようだ。
「男達が今にも、手を出しそうです。止めに入ったほうが良くありませんか?」
 セピアが言うと、ボルドーが何かに気が付いたような顔をした。
「いや、少し様子を見よう」

 言い争いが続いている。少しすると、人集りが、ざわめいた。
 シエラ達と反対側の人集りが割れると、そこから四人の人間が中に入ってくる。
 こちらも、全員女のようだ。
 言い争いが止まる。男達は、何事かという風に、四人を見た。
「何を騒いでいる、こんな所で」
 四人の先頭に立っている人が言った。女性にしては長身で、腕が立ちそうに見える。
「何だ、てめえら」
「我々は、この妓楼街に雇われている衛視だ。このような所で騒がれると通行人の迷惑になる。双方の言い分を聞くから、場所を移動したいのだが」
「悪いのは、この男達です!」
 五人の女達の方から、声が上がった。
 そのまま、騒ぎの原因を話始めた。
 男達も、反論を挟みながら、話が続く。
 どうやら、前金を払う店だったが、内容が予想と反していたため、代金を返せと、男達は言っているようだった。
「話を聞く限り、悪いのは男達だな……」
 セピアが、呟くように言った。
 話が終わっても、どちらも引きそうではなかった。また、言い争いが始まりそうだと、シエラは思った。

「よし」
 すると、声が割って入った。今まで、一言も発していなかった、衛視と名乗った四人の中の一番後ろにいた、女性が言ったようだ。
 薄い栗色の長い髪が流れている。豪華な刺繍が施された、前開きの上着を、腕を通さずに肩に掛けるという着方をしていた。歳は、二十五から三十ぐらいだろうか。
「では、こういうのはどうだろうか? お金は、お返ししよう。ただ、それだけでは、こちらが損をするだけになってしまうので、半分で勘弁してもらえないだろうか? そのかわり、四人方を私の店にご招待しよう。これでどうだい?」
 薄茶色の髪の女が、男達を見て、軽く微笑む。
 男達が、それぞれを戸惑いながら見てから口を開く。
「まあ、それでもいいが」
「よし、じゃあ決まりだ。お前等、お客をお連れしな」
 言うと、四人の中の残りの二人が、男達を先導して人集りを抜けていった。
「ちょっと待って下さい!」
 口論していた女性が声を上げる。
「何故です? 衛視なら、私達の味方ではないのですか?」
「衛視だからこそ、中立的な見地が必要だ。それがないと客が来なくなってしまうからね。客が来なくなると、君達も困るだろう」
「中立ですか!? 今のが」
「不満があるなら、後で聞いてやるよ。今は、お客の目があるし、通りの邪魔になっているからね。間違っているかい?」
 言われると、女は黙った。
「よし、じゃあ、ちゃっちゃと商売に戻りな」
 しぶしぶといった風に女達が動き始める。それで、人集りも散り始めた。
「うぅん……」
 セピアが、難しそうな顔をして唸る。
「これでは、達の悪い客が、増長してしまいかねないと思うのですが」
 ボルドーに言ったようだ。
「そうかもな」
 答えは素っ気なかった。

 人集りは散ったが、豪華な刺繍の上着の女だけが、こちらの方にゆっくりと近づいているのを見つけた。
「そこの御仁。どうだい、うちの店に来ないかい? 特別に安くしてやるよ」
 女が言った。一瞬、誰に言っているのか分からなかった。
「年寄りを、からかうんじゃない」
 ボルドーが、苦笑気味に言う。
「えっ?」
 セピアが、声を上げる。
 女が、笑みを浮かべた。
「久しぶりだね、ボルドーさん」










 街に入って、始めに行った建物に戻った。

 シエラとセピアとは、一階で別れた。
 そして、薄栗色の髪の女に連れられ、細い幅の階段などを昇って、建物の三階に当たるだろう小部屋に入った。
 小さい窓がある。置物など、小さいが値が張りそうな物ばかりだ。なかなか小洒落た部屋だと、ボルドーは思った。
 女が、どっしりと胡座をかいて座る。
「ここなら、人の耳を気にしなくても大丈夫だよ」
 ボルドーも、女の正面で胡座をかいた。
「さて……じゃあまず、何か飲む?」
「では、茶でも貰おうか」
「そいつは、いい案配だ。ちょうど、新しい茶を仕入れたところでさ」
 言うと、女は腰を上げ、部屋の角にある小さい棚のところに行った。
 湯飲みを二つ手に持ち、元の場所に戻る。
 用意してあった湯を中に注ぎ、差し出してきた。
「すまないな」
 女が、にやりと笑った。
 ボルドーは、一口、茶に口をつけた。
 なるほど、確かにうまい。芳醇な味が口に広がってくる。
 茶など、久しぶりだと、ふと思った。
「ちょっと失礼」
 女が言うと、煙管に火を点けて、それをくわえた。
「随分珍しい物を持っているな」
「新しいもの好きは、相変わらずでね」
 思わず、ボルドーも、少し微笑む。
「グレイから、手紙か何か来なかったか? グラシア」
「ちょっと前に来た。要点がいまいち掴めない内容で意味が分からなかったけど、直にボルドーさんが来るだろうみたいな事も書いてたから、待ってたんだよ」
「ふむ」
「何か、あったんだろうっていうのは分かった」
 グラシアの目に、少し力がこもる。
 ボルドーは、居住まいを正して、話始めた。
 内容は、グレイに話した事と同じだ。フーカーズの時とは違い、シエラの事も話した。グラシアは、じっとして何も喋らなかった。

 一通り話し終わって、ボルドーは、茶を飲んだ。
 グラシアは、少し伏し目がちで、何か考えているようだ。
「どう思う?」
「そうね……グレイは、何て言ってた?」
「カラトが死んだとは信じられないと」
「まあ、そうだろうね」
 言って、皮肉っぽく笑う。
「残念だけど、役に立ちそうな情報は何もない」
「そうか……」

 沈黙。

「グラシア」
「何かな?」
「十傑の、残りの連中の在所を教えてほしい」
 ボルドーが言うと、グラシアは眉を上げた。
「多分、ボルドーさんが知ってる以上のことは知らないと思うよ、私」
「お前でもか」
「そんな、言うほどの情報網を持ってるわけじゃないんだし」
「ダークの在所を知りたかったのだが」
 グラシアは、首を横に振った。
「分からない。軍には残らなかったと思うけど。あいつが、本気で姿をくらませたら、もう見つけようはないでしょうね」
 ボルドーは、腕を組んだ。
「デルフトは、東の国境だったな?」
「そう」
 言ってから、グラシアは、目を見開いてボルドーを見た。
「不思議だよね。何の噂話も聞かないって事は、ある程度ちゃんとやってるってことだよ、あのデルフトが。信じられないんだけど」
 ボルドーは、思わず少し苦笑する。
「あとの二人は?」
「軍には残ったんだと思う。でも、その後の話は、ぱったり……これも不思議な話だよ」
 ボルドーは、頷いた。
 再び少しの間、沈黙が流れる。

「ボルドーさん、さっきの話で、言いたいことが一つだけ」
 グラシアが言う。
「ん?」
「カラトを倒せる人間は、真っ先に十傑の誰かだろうって考るのは、ボルドーさんらしいと言えばらしいんだけど……カラトと、ある程度戦える人間だけが犯人とは限らないよ」
「どういうことだ?」
 グラシアは、煙管を口につけて、息を吐いた。
「倒すことだけを考えるなら、例えばボルドーさん一人にだって、それこそグレイにだって一人ででも容易にできると、私は思う」
「何故?」
「相手が、カラトだってことを考えてよ。あいつが、知己の人間に対して本気で殺しに掛かれると思う? 自分の命が狙われてるって分かっても、絶対、剣が鈍る。そういう男だよ、あいつは」
 言われて、ボルドーは、ハッとした。
 確かに、そうかもしれない。
「……失念していたな」
「まあ、それだけなんだけど。特に、進展するような情報は何もないんだけどね……」
「いや、改めさせられた。昔から、お前と話すと毎回、何かしら為になるなぁ」
「大袈裟な人だ」
 二人で軽く笑った。
「まあ、私もできる限りの協力はするよ。噂話なら、すぐに集まるし。少しの間ぐらい、ゆっくりしていきなよ。いい宿空けてあげる」
「そうだな」
「あっと!」
 突然、グラシアが声を上げた。

「さっきの女の子二人、是非とも紹介してほしいなぁ」




 活気のある所だった。


 料理の味は、今までの街と比べると、格段に良い。
 店員は、確認しているところ、皆女性で、威勢が良かった。

 シエラが、そういう雰囲気を眺めていると、さっきの女と、ボルドーが食堂に姿を見せた。
 セピアと、シエラが食事をしている食卓の横に女は立った。
「やあ」
 にこりと笑って、女が言った。
「どうも」
 セピアが言う。
 ふうん、と言って、女は顎に手をやり、二人を交互に見比べる。
「あの……?」
「やっぱり、二人とも、器量がいいね。そんな、くたびれた服を着させておくのは勿体ないなあ」
「はあ?」
「ああ、ごめんごめん、自己紹介がまだだったね。私は、グラシア。ここの店を仕切ってる。ボルドーさんの、昔の女だよ」
「え?」
「おい」
 すぐに、グラシアの後ろに立っていた、ボルドーの声が割って入った。
「ははは、冗談だよ。まあ、旧知ってところかな。で、二人は?」
「セピアです」
 セピアが、こちらを見る。
「シエラです」
 シエラは、グラシアを見て言った。
「そうかそうか。で、さっきの話なんだけど、ちょっと場所を変えて話をしない?」
「え、と……」
 セピアが、困った風に、ボルドーを見た。
「好きにすればいい」
 ボルドーが言った。










「間者、ですか?」
「そう。二人に頼みたいんだ」
 グラシアが言った。

 一階の奥にあった扉の中には厨房があり、その、さらに奥の扉の中には椅子が数脚と机がある、小部屋だった。
 グラシアと机を挟んだ対面にシエラとセピアが座っている。ボルドーは、入り口の近くの壁にもたれて、腕を組んで軽く俯いていた。
「街の外れに大きな屋敷があるんだけど、そこの主がモウブっていう男なんだ。いろんな所での仕事の斡旋を生業にしている。こいつが、この妓楼街に来るはずだった子を、密かに横取りしてるんじゃないかって疑惑があってね」
「横取り?」
 セピアが言う。
「この妓楼街が、遠くからでも女を受け入れるのは広く知られてる。モウブは、勝手に妓楼街の仲介を名乗って、自分の所に女の子が来るよう仕向けているんじゃないかっていう疑いがあるんだ」
「……」
「ただ、こいつが周到な男みたいでね。なかなか尻尾を掴ませてくれないから、疑惑の域を出ないんだ。証拠さえあれば、手が出せるんだけどねえ」
「……役人か軍に訴えても駄目ですか」
 弱い口調で、セピアが言う。
「この街の、この妓楼街っていわれている界隈はね、治外法権、ってほどでもないけど、独自の規則で成り立っている。この街の人が、この街で商売するための暗黙の規則だ。できれば、役人とか軍とかに立ち入れさせたくないんだ。だからこその衛視さ」
 話は続く。
「無理矢理、館に突入して、中を調べるっていう手もあるけど、それだと、この妓楼街の規則に反する。悪事の証拠を見つけるためとはいえ、私たちが破っちゃ、元も子もないからね。おまけに、何の証拠も見つからなかったとなると、目も当てられないことになる」
 グラシアは、苦々しいといった顔をする。

「そこでだ、遊女に扮した二人に、屋敷に入って調査をしてほしい」
 改めて向き直り、グラシアが言った。
「間者は、規則に反しないのですか?」
「そこは当然、内緒で」
 グラシアは、人差し指を立てて、口に当てた。
「あっ、実際に客をとれって言ってるんじゃないからね。そこは安心して」
「あの……一応の話は分かりましたが、何故、私達なのですか?」
 セピアが言う。
「ああ、モウブが少女趣味だからさ」

 一瞬、沈黙。
「グラシア」
 ボルドーが、低い声で言った。
「あれ? 何か、言い方間違えた?」
 ボルドーが溜息をつく。
「まあ、ともあれ、そういうことだ。戦闘力があって美人な女の子なんて、そうそういない。この時期に、この街に二人が来てくれたのは、もう僥倖としか言えない。二人にしか、できないことだと思うんだ。でも勿論、危険は少なからずあるわけだから断ってくれても構わない。ただ、二人の実力なら、ほぼ問題ないと思うんだけどな」
 セピアが、少し目を伏せて黙った。

 今までのセピアなら、すぐに受けそうな話だとシエラは思った。しかし、最近のことで、自分の判断基準に自信がなくなってしまっているのだろうと思う。
 シエラは、今までのセピアの姿勢が嫌いではなかった。ペイルが言っていたように、人としての美徳だ。あまり、卑屈になってほしくなかった。
 自分に、言い聞かせているのかもしれない。

「やろうよ」
 シエラが言う。
 セピアが、こちらを向いた。










「うん! いいねえ。やっぱり、二人とも器量がいいから、似合うなあ」
 グラシアが声を上げる。

 シエラは、店の従業員に手伝ってもらい、服を着替えていた。
 長い薄金色の髪は、頭の後ろで二つに纏め、髪留めをつけて流している。
 着たことのない上等そうな絹の、細かい刺繍が入った服。
 感触は確かにいいが、何とも着心地が悪かった。
 シエラは、隣にいるセピアを見た。
 長い赤い髪を、頭の後ろで纏めているのは、いつも通りだが、こちらも上等そうな服に着替えている。
 自分は分からないが、セピアは確かに似合っていると思った。

「ああ、かわいい。たまんない」
 グラシアは嬉しそうだ。
「この格好では、武器を持ち込めないのでは?」
 セピアが言う。
「こっちで、仕込み剣を用意するよ。多少、小さいけど、まあ問題ないでしょ」
 着替えが終わり、更衣の部屋から出る。
「馬車の用意ができています」
 先ほど見た、長身の女性が現れて言った。
「馬車?」
「一応、二人は高者ってことにしたからね。馬車で送り迎えするのは当たり前だよ。二人とも、お淑やかに、色っぽくね」
「色っぽく……と言われても」
「言葉使いの練習もやっとくか。掴みだけでいいから」

 少し話をしてから、店を出る。
 外には、二頭の馬が繋がれた馬車が止まっていた。
 何事か、というふうに、少し人集りができている。

「じゃ、よろしくね」
 グラシアが言った。

 頷いて、二人は馬車に乗り込んだ。




28, 27

  

 景色が流れていた。


 馬の蹄と、馬車の車輪の音が聞こえる。そして、規則的な振動を体が受ける。
 ゆっくりと進む馬車の中に、シエラとセピアがいた。
 初めて、馬車に乗った。
 外から見ていた想像よりも、よく揺れるなと、シエラは思っていた。

「あのグラシアという人、どう思う?」
 隣に座っているセピアが言った。
「どう?」
 シエラは聞き返す。
「今更言うのも何だと思うけど、あまりいい印象を持てないんだ、私は。その……例えば、道での騒ぎの時の対応とか、やっぱりおかしいと思う」
 セピアは、前を見ながら話している。
「それに、妓楼を仕切っているとか、女を売り買いするとか、平気で話しているのを見ると、どうも……いい気がしない」
 言葉を続ける。
「あの人を、本当に信頼していいのだろうか……」
 セピアの表情が、少し険しくなった。

「あの」
 突如、前方から声がする。
 どうやら、馬車を操っている人が言ったようだ。
 先ほど見た、長身の女性がいるようだ。
「すいません。聞き耳を立てるつもりはなかったんですが、聞こえてしまった以上、看過できない話だったもので」
「あ……その」
 セピアが、口ごもる。
「確かに、女性からしたら、妓楼の話とか嫌悪感しかないですよね。だけど、絶対にどこにでもあるんですよ。妓楼や、それに類するものは」
 女が言う。
「もともと、オリーブの街には妓楼街なんてものはありませんでした。少し大きめの妓楼があっただけで。グラシアさんは、それを大きくした人なんです」
「……何故?」
「妓楼っていう所は、無茶苦茶な所が多いんですよ。人を人と思わないような。雇われの身ではあるにはあるんですけど、やはり、酷い対応の所は多いんです」
 一度、言葉を区切る。
「だから、ちゃんとした戒律がある所があってもいいだろうと、グラシアさんが作ったのが、ここなんです。本当は、妓楼なんか全部なくせられれば、そっちの方がいいんですが、残念ながら、それは不可能ですので。そして、噂を聞きつけて、どんどん人が集まってきて、あっという間に大きくなって、この妓楼街ができたというわけなんです」
「……」
「私は、あの人は凄い人だと思います。きっと、信頼にたる人だと思いますよ」
「そう……ですか」
 セピアが言う。
「あの人は、私の恩人なので、さっきのような話を聞いてしまうと黙っていられなくて。差し出がましいことを言って、すいません」
「あ……いや、私の方こそ」

 そして、少しの間、馬車の音だけが続いた。
「シエラ……私は駄目だな」
 セピアが、消え入りそうな声で言った。
「イエローの町での事も含めて、思い知らされるよ。本当に、何も知らない世間知らずのようだ、私は。自分が正しいと思っていたものの自信が、分からなくなってしまいそうだよ……」
 両手を、膝の前で握る。
「いや……元々、正しさなんて分かっていなかったのかもしれないな」
 呟くような声で言った。
「セピア」
 シエラが言う。セピアの目だけが、こちらを見た。
「私は、セピアのこと好きだよ」
 セピアが、上体を勢いよく上げて、こちらに顔を向けた。
「えっ?」
「セピアが持っている正義感は、綺麗なんだよ。だから、小さな傷なんかが付いてしまうと、そればっかりに目がいってしまう」
「綺麗?」
「ペイルさんも言っていたけど、人としての美徳、なんだよ。私もそう思うし、自分で否定してほしくない」
 セピアは、驚いた顔をしていたが、少しして息を吐いた。
「役に立たない美徳に意味はあるのかな……」
「分からない。でも、私は好きだ」
 セピアの顔が、ほんのりと紅潮する。そして、目線を逸した。
 少しして、小さく笑い出した。
「はは……それは、いいかもしれないな。シエラに、好きでいてもらうためだけに、自分を貫くのか」
 一通り笑った後、セピアはこちらに向き直った。
「難しいな、いろいろと」
 セピアが言う。
「ありがとう、シエラ。やっぱり、まだ、できるだけ自分を通してみたいようだ、私は」
 シエラは頷いた。
 セピアも、微笑んで頷く。

「そういえば、シエラは、どうなのだ? 自分の考えと相容れないことと遭遇した場合」
「私は……」
 少しの間。
「私は、結構ひねくれているから」
「うそっ!?」

 その後も、少しだけ二人での話が続いた。
 セピアも、いつもの調子を取り戻し始めた。
「しかし、ボルドー殿が何故、今回の事を黙認したかが分からないな」
 それは同感だった。
「それにしても、その服、似合っているなシエラ。どこかの貴族か何かと言われても疑わないぞ」
「私は、セピアの方が似合っていると思う。なんていうか、着慣れている感じがする」
「ああ……それはそうかもしれない。昔、よく着てたから」
「え?」
「まもなく到着します」
 前方で声がした。










 街という固まりよりも、少し外れた所に、その屋敷はあった。
 背後には森がある、小高い丘の上。外から見て、二階建てだろう。パウダーの屋敷よりは小さいが、この街では別格だろう。

 辺りは、薄暗くなり始めていた。
 馬車は、屋敷の正面に止まった。
 また、門番だろうか、男が二人立っているのが見えた。

「どうぞ、お手を」
 馬車を操っていた長身の女性が、先に下車をして、手を差し出してくる。セピアは、それに掴まった。
「あの、お名前を聞いてもいいですか?」
 セピアが、下車しながら聞く。
「私の、ですか?」
「はい。ぜひ」
「マゼンタと申します」
「マゼンタさん。いろいろ教えてくれて、ありがとうございます」
「いえいえ、そんな」

 二人が馬車から降りた頃に、屋敷の扉が開いて、身なりがきちんとしている、初老の男が出てくるのが見えた。
 男は、二人の門番と共に近づいてくる。
「もしかすると、グラシアさんの所の?」
 初老の男が言った。
「あ、はい、そうです」
 マゼンタが、答える。
「ああ、もうお越しになったのですか。すいません、今晩の話とばかり思っていまして」
「いえ、こちらこそ、急な話で。しかし、モウブ様とは、今後もよしなにしてもらいたいとの、グラシアさんからのお気持ちですので」
「とにかく、客間にご案内いたします」
 男が言うと、マゼンタは振り返って二人を見た。
 二人は、無言で頷く。
 男に案内されて、二人は屋敷に入った。





 周りに気を配りながら、屋敷を進んだ。
 思ったよりも、中は飾りたててなかった。特に怪しそうな物もないと思う。
 隙をみて、屋敷を調べるようにと言われていたが、具体的な作戦は何もなかった。パウダーの屋敷の時とは違い、強行手段は最後の最後だけだ。 通路の途中で、先導していた初老の男が突然、立ち止まり、頭を下げた。
 通路の前方から、恰幅のいい男が、こちらに歩いてくるのが見えた。
「やあやあ、来たようだね」
「はい、旦那様」
 この男がモウブだろう。
 歳は、五十は越えているか。温和そうな顔をしていて、腹が出ているのが特徴的だった。
 セピアが、少し顔をしかめたのが分かった。
「ほう、こりゃまた」
 モウブが、顎に手をやって言う。
 二人は、教えられた通り、会釈をした。
「ああ、しなくてもいいよ、そんなことは。ここにいる間は、気楽にしていてくれたまえ」
「旦那様。お二人を、どちらにお通ししましょうか?」
「まずは、夕食をごちそうしようかな」
 モウブが言うと、さらに近づいてきて、にこりと笑った。
「ちなみに、君たちは苦手な食べ物とかあるのかな?」
 セピアが、少し固まった。
「た、食べ物……で、しょうか?」
「そうそう」
「ええ……と、特には」
「ありません」
 シエラが言う。
「それはよかった。では、着いてきたまえ」





 その後、大きな食堂に二人は通された。長い食卓に、多数の椅子がある。終始モウブは、他愛もない話しを二人にしてきた。
 料理は、贅沢なものなのだろう。しかしシエラは、街の食堂で食べた料理の方が好きだと思った。
 しかし、不思議なことだと思った。招いた遊女に、ごちそうなどするものだろうか。

「どうだい? 旨いかい」
「た、大変よろしゅうございます……」
 セピアは、話し方を意識するあまり、逆におかしな話し方になっていた。
 自分は、無愛想な対応だろうと我ながら思う。
 愛想など無理だ。

 しかしそれでも、モウブは上機嫌そうに、ずっと話し掛けてきていた。
「旦那様、あちらの部屋の食事ですが……」
 先ほどの初老の男が、モウブに小声で耳打ちするのが聞こえた。
「そうだね。一緒に作っておやりなさい」
「はい」
 気になる会話だ。

 セピアを見ると、セピアもこちらを見ていた。




 燭台の灯りを頼りに進んだ。


 思ったよりも、あっさりと事が運んだ。

 初老の男が食堂から出て行って、少ししてから二人で、厠に行きたいと、モウブに告げた。
 あっさりと許可がおり、初めて見る女性の使用人が、案内役を指示されていた。
 食堂を出てから、場所をある程度聞きながら進み、女性の使用人に、あとは自分達で行けると言うと、すんなりと引き下がっていった。
 それにも首を傾げたくなったが、二人はすぐに動いた。

 離れすぎるのは、まずいと考えたので、二人は、ある程度の距離を維持したまま、初老の男の姿を探した。
 すぐに、ある通路の途中で、台車を押している男を見つけた。
 ゆっくりと歩いている。おそらく、台車に乗っているのは食事だろう。
 後ろなどにも、気を配りながら、慎重に後をつけた。

 ある通路の角を、男が曲がった。
 二人は、慎重に角から顔を覗かせた。
 幅の広い通路が、三十歩ほどの距離まで続いていて、左手の壁には扉が続いている。右手の壁には、透明な硝子が等間隔にはめ込まれているようだ。突き当たりに大きめの扉があり、その手前で男が三人いる。
 何やら話している声が聞こえるが、内容は分からない。
 シエラは、驚いた。
 一人は、初老の男だが、あとの二人は見知った顔だったからだ。
 セピアも、小さく声を漏らしていた。
 初老の男が、扉の中に入っていくと、セピアが通路に飛び出していった。
 シエラも後に続く。
 向こうも、こちらに気付いたようで、目を見開いて、口を開けた。

「ええっ」
「何をしている、こんな所で」
 セピアが、二人の前で立ち止まって言う。
「お前等、何してんだ?」
 男の一人、ペイルが言った。
「それは、こっちの台詞だ」
 ペイルは、ずっと驚いた顔をしているが、隣のコバルトは、少し笑みを浮かべていた。
「へえ、こりゃまた、随分とめかし込んじゃって」
 コバルトが言うと、セピアの表情が厳しくなる。
「どういうつもりかと聞いている!」
「どうって……」
 ペイルは、不安そうな顔で、コバルトを見た。
 コバルトは、笑みを浮かべたまま、考えるような仕草をしている。
「まさか、お前達、ここの主人の手下に成り下がったのか。ここの主人が何をしているのかわかっているのか!?」
 二人とも、変わらない表情で黙っている。
「その扉の先には何があるのだ?」
 セピアが言うと、ペイルが焦って、扉の前に立った。
「待て待て、ここは駄目だ」
「何故だ」
「そ、それは……」
 再び、ペイルはコバルトを見た。
 セピアは、二人を睨みつける。
「お前達、やはり片棒を担いでいるのか! 見損なったぞ! いろいろあったが、肝心な所は、筋が通っている男だと思っていたのに」
「いやいや、待てって。落ち着け」
「話しにならない」
 セピアは、背中に隠していた、仕込み剣を引っ張り出した。
「おい、止めろって」
「いいぜ、相手になってやるよ」
 コバルトが言った。
「コバルト」
 ペイルが、驚いて言う。
「おめえらとは、一度やってみたいと思ってたんだよね。それにな……」
 コバルトが、持っていた棒を前に出す。
「男には、絶対に引けない時があるんだよ!」
 高らかと言い切った。
「ああ、くそ! しょうがねえ」
 ペイルも、棒を構える。
 シエラも、仕込み剣を取り出した。

「シエラ、すまないが、あちらを相手してくれないか」
 セピアは、コバルトの方を指さして言う。
「私とシエラでは、シエラの方が実力は上だ。向こうは、あちらの方が上だろう。こちらは、すぐに終わらせて加勢に行くから、それまで耐えていてくれ」
「おい、聞き捨てならねえぞ」
 ペイルが言った。
「俺だって、ずっと鍛えてんだよ。そう簡単にいかせてたまるか」
「ふん。私に負けて、べそをかいていたのに、よく言う」
「かいてねえよっ!」
 二人の打ち合いが始まった。

 シエラも剣を構えて、相手を見た。
 コバルトが、悠然と立っている。
「殺す気で掛かってこいよ、嬢ちゃん。でないと俺が、勢い余って嬢ちゃんを殺しかねないぜ」
 言って、にやりと笑う。
 相変わらず、得体が知れない。
 しかし、試してみたい相手でもあった。強いだろうが、手も足も出ないほどではないはずだ。
 シエラは、飛び込んだ。





 コバルトは、一歩、片足を前に出し、少し上体を低くして構えた。
 そして、長い腕と棒を巧みに利用して、シエラの攻撃を悉くはねのけた。
 右、左と、工夫しているつもりだが、まったく効果がない。
 何十合か、打ったあと、一旦下がった。
 コバルトは、元いた場所から、まったく動いていない。

「どうしたよ? もう終わりか?」
 コバルトは、まだ笑みを浮かべている。
 強い。想像していたよりも遙かに強い。
 シエラは、ボルドーとの稽古が、頭を過ぎった。
 それぐらいの力の差がある。

「来ないんなら、こっちから行くぜ。……集中しろよ」
 コバルトが、一歩踏み出す。
 と思った瞬間、もう近くにいた。
 シエラは、横に飛んだ。
 しかし、コバルトが目の前にいたままだった。
 なぎ払いが来る。
 シエラは、咄嗟に剣で受けたが、体が吹き飛ばされる。
 壁に、横からぶつかる。
 痛みが体を走ったが、すぐに、コバルトの方を見た。
 すぐ目の前に、黒点が飛んできていた。
 必死にかわす。
 棒の勢いが余っている。壁に刺さるかと思ったが、壁と接する直前で、方向転換して、こちらに向かってきた。
 咄嗟に、先端を片手で掴んだ。
 セピアとの戦いが、頭を過ぎる。これなら、棒を封じたのではと思ったが、視界が下に動いた。
 片手で、持ち上げられた。コバルトが、下に見える。手を離す機会を失った。今離せば、空中に放り出されて、格好の的だ。
 シエラは、横の壁を蹴りながら手を離した。しかし、それも読んでいたのか、コバルトが棒を振りかぶる。
 空中で、棒撃を受け止めた。
 一気に、視界が飛んでいく。
 床に、ぶつかり転がった。
 痛い……。
 ……。

 シエラは、顔を上げた。
 扉から、二十歩ほどの距離に自分がいる。
 コバルトは、ゆっくりと、こちらに歩いてきていた。
 体を起こさないと……。
 体が、思うように動かない。全身が痛い。
 コバルトの顔は、もう笑っていない。
 シエラは、恐怖が湧いてきた。
 自分は、コバルトは自分を殺す気など本当はないと思っていたのだろうか。先ほどの発言は冗談だと思っていた。
 しかし、今、あの男には殺気があった。
 冗談などではないのか。

 シエラは、力を振り絞り、ようやく立ち上がった。
 足下が覚束ない。落ちていた剣を拾い正面に構えるが、腕の力が頼りない。
 コバルトが、近づくにつれて、シエラも後退りする。

 不意に、コバルトの口から息が漏れた。
「なさけねえ」
 頭に血が昇るのを感じた。
 シエラは飛び込んだ。
 コバルト目がけて、渾身の力で剣を振るう。
 コバルトが、少し笑って、棒を構えていた。
 突如、コバルトが、顔を左に向けた。
 何かが、音と同時にコバルトにぶつかった。
 コバルトが、完全に体勢を崩している。
 シエラの攻撃が、そのままコバルトの頬に直撃した。
 シエラは勢い余って、コバルトを飛び越えて、床に落ちた。
 振り返って、コバルトを見る。

 コバルトは仰向けに倒れていた。全く動かない。辺りには、硝子片が散乱しているのに気が付いた。
 落ちていた棒を見ると、矢らしき物が刺さっている。
 ……何があった?

 さっきの音は、硝子が割れる音だったような気がする。
 外に視線を移しても、真っ暗で何も見えない。遠くの方に、街の灯りらしき光りが、ぽつぽつと見えるだけだ。
 少しして、シエラは気が付いた。
 剣で斬った。
 殺してしまった……。
 しかし、剣を見ると、血が付いていない。コバルトを見ても、斬痕らしきものはなかった。顔の半分に痣があるだけだ。
 夢中だったので、剣の側面で叩いていたのが気が付かなかったということなのか。

 シエラは、振り向いて、扉の方を見た。
 扉が壊されて、奥の方に倒れている。二人の姿は見えない。

 シエラは、そちらに向かった。




30, 29

  

 人の声が聞こえた。


 部屋の中が、ざわついているようだ。
 シエラは、部屋に入った。

 入り際に、倒れている扉を見ると、外から、何かをぶつけた後があった。セピアが、強行して入ったのか。
 中に入ると、すぐに十数人の女と、初老の男、セピアとペイルが目に入った。
 大きめの部屋で、さらに奥に扉がいくつもあった。大きな窓があり、内装は華やかと言っていいのだろう。敷物や、飾りがいくつもある。
 部屋の真ん中には、大きめの机があり、料理が並んでいるようだ。
 女達は、皆若く、質の良さそうな服を着ていた。
 部屋にいる全員が、困惑そうな顔をしている。

「さらわれたのだろう?」
 セピアが言っている。
 女達に言っているようだが、女達は、何も言わない。数人が固まって、身を寄せ合っていた。
「いや……だからな」
 歯切れが悪そうにペイルが言う。

「おやおや、どうしたのかな、これは」
 一瞬、ぎょっとした。
 声がしたので、入り口の方を見ると、モウブが立っていた。
 相変わらず、穏やかそうな顔をしている。

「あ、えっと」
 ペイルが焦って言う。
「モウブ殿! あなたが、少女達をさらっている証拠を確認したぞ。もう、言い逃れはできない。大人しく、牢に入るんだな」
 セピアが、猛々しく言った。
 モウブは、少し驚いた顔をした後、考えるような顔になった。
「ふむ……ということは君達は、グラシアさんの差し金だったということか」
 モウブは、あまり表情を変えず、淡々と話している。
「認めるということだな」
 セピアが言うと、モウブは少し俯き、息を吐いた。
「致し方ありませんな……」
「待って下さい!」
 モウブが言い終わる前に、女の声が割って入る。
 部屋にいた女性だ。

「私たちは、モウブ様に助けてもらったのです。さらわれたのではありません!」
 セピアが、目を見開いて、しゃべった女性を見た。
「助けてもらった?」
 意を決したように、しゃべっていた女性が一歩前に出た。

「私たちは、遠くの村や町から、家が貧しくて売りに出されて来た者ばかりです。幼くて右も左も分からない。不安で怖くてどうしようもない。そんな時に、モウブ様に助けてもらえたのです」
「どういうことだ?」
 セピアが、呟くように言う。
「旦那様は、年端も行かない少女が、身を売らざるを得ない状況を哀れんで、匿う事をしていたのです。幼い少女が働いている、あるいは売りに出されていることを聞くと、すぐにお金を出し、身柄を買い取り匿っておりました。故郷に戻りたい者は、ほとぼりが冷めたら送り届けるということをおやりになろうとしていたのです」
 初老の男が言った。
 セピアが、唖然としている。シエラも驚いた。
 セピアが、ペイルの方を向く。
「そういうことなんだ……」
 ペイルが頷いて言った。
「ですので、なにとぞ、衛視や街にはご内密にしてはいただけないでしょうか……?」
 初老の男が続けて言った。
 セピアは、考え込むように黙った。

「そういうわけにもいかない」
 突然、新しい声が加わる。
 全員が、再び入り口の方に注目した。
 モウブの後ろから、グラシアとボルドーが現れた。
「あっ」
 誰ともなく声がする。

「どうも、申し訳ありません。勝手にお邪魔してしまって。それに、不躾ながら、間者のようなことをしたことも先に謝っておきましょう」
 グラシアがモウブに言った。
 モウブは、グラシアを見て、驚いた顔をしている。
 グラシアの表情は、険しいといったほどではない。
「あなたの志には、正直に敬意を覚えます。幼い少女を助けようと言う気持ちは分からなくはない。だけど、この街でそれをやるのということは、今いる遊女達への侮辱でしかないのですよ。この街には、覚悟を持って来る子も大勢いるのです」
「いや、私は……」
 モウブが言う。
「今すぐ、止めていただこうか」
 モウブと、女達の顔色が変わった。
 グラシアの後ろから、衛視と名乗っていた女達が数人現れる。マゼンタもいた。
 彼女達は、部屋にいた女達を部屋の外へと誘導する。
「しかし、覚悟を持てない子もいるのも事実でしょう?」
 モウブが、焦るように言う。
 グラシアは反応しない。

 青い顔をしていた女達は、衛視達と共に、部屋からいなくなった。
 それから、グラシアがモウブを見た。
「覚悟は、持たなくてはならない」
「だから、それは」
 モウブが言うと、グラシアが、少し口角を上げた。
「前提の話ですよ。どうしても、覚悟が持てない子がいるということは、私も重々承知しているつもりです」
 グラシアの口調が、少し緩くなる。モウブが意外そうな顔をした。
「そういう子への対応も、一応作ってはいるんですけどね」
 言葉を続ける。
「だけど、それは最後の手段でね。最初から、それがあると分かってしまっては、持てる覚悟も持てなくなる。故に、彼女たちに聞かせたくなかったので、外に連れ出しただけです」
 モウブは、同じ顔のままだ。
「あの子達には、無理強いはしません。ただ、ここの規則に従って働いてもらいます。そうですね、とりあえず飲食店で働いてもらいましょうかね」
 モウブが息を吐いた。
「なんてことだ。私が思っていたよりも、いろいろ考えていた人だったんですね、あなたは」
 グラシアの口角が、少し上がる。
「失礼な言葉にもとれますよ、それは」
「あ、いや。すいません。……そうですか、私がやっていたことは無意味だったということなんですね」
 モウブが、再び息を吐く。
「しかし、グラシアさん。故郷に戻りたいと言ってた子もいるのです。そういう子は、どうにかなりませんか?」
「故郷に戻れれば、全員が全員幸せかと聞かれれば、そうではないのです」
 グラシアが言う。
「売りに出せれるぐらい貧しい家なら、再び売りに出される可能性が高い。あるいは、養う力がないから出す家もある。そういう所に戻っても、今まで通りの生活に戻れるはずがないのです」
「しかし……それでも、家族に会いたいという子もいるはずです」
「確かに。ただ、そこからは、我々の範疇を越えるというものです。そこからの軽はずみな干渉は、無責任というものでしょう」
 モウブが、少し俯いた。
「……確かに、そうなのかもしれません」
 モウブが言うと、グラシアが、にこりと笑った。
「というわけで、あなたに是非協力していただきたい。まだまだ、この街は未完成です。あたなのような、志がある御仁に協力してもらえるなら、軽はずみなどではない干渉ができるようになるかもしれない。私は、そうでありたいと思っています」
 モウブの目を見開く。
「実は、これを言いたいが為に、一芝居打ったのですよ」
 グラシアが言うと、モウブが、低く笑った。
「なるほど。その歳で、妓楼街を仕切れるわけだ」
 言って、真顔になる。
「私で良ければ、是非協力させて下さい」
 再び、グラシアが、にこりと笑った。





「いやあ、ごめんごめん」
 グラシアが、前で手を合わせて言った。
 セピアは、複雑な表情をしている。

「初めから、おおかたの見当はついていたということですか。だったら、私達に間者をやらせる意味はなかったんじゃないんですか?」
「いやいや、そんなことはない。確信を持っていたわけではないからね、実際に確かめる必要はあったんだ」
「入ってくるのが、やけに早かったのは?」
「外から、窓越しに中を見ててね。ちょうど、見える所で良かったよ」
「……」
 セピアは、怒りきれないといった様子だった。

 騙された思いはあるものの、その後の話を聞くと、この人が悪人でもないことがわかる。複雑なのは、シエラも同じだった。
「お前の場合、ただ単に、二人のその格好を見たかっただけだろう」
 ボルドーが、グラシアに言った。
「えっ? そんなわけないじゃん。やだなあ、ボルドーさん。ははは」

 ペイルが、居場所がなさそうに立っている。
「そういえば、あなた達は、何故ここにいたのだ?」
 セピアが、ペイルに言った。
「あ、ええと、コバルトに連れられてだな……。義侠の厚い人が護衛を捜してるらしいって。実際、話を聞いた時は、いいことをしてるなって思ったんだよ。そりゃ協力するよ」
「見返りは、なしでかい?」
 グラシアが言う。
「え? ええと、何も聞いてなかったな。あっ、そういえばコバルトは?」
「ああ、さっき廊下で死んでたな」
「へっ?」

 一同で廊下に出ると、コバルトが胡座をかいて座っていた。片方の手は、頬をさすっている。
「グラシア! てめえ、殺す気か!?」
 こちらを見るなり、コバルトが言った。
「あ、うん」
「えぇっ」
「調子乗りすぎなのよ、あんたは。シエラちゃん虐めて、そんなに楽しかった?」
「だからって……」
 言って、コバルトの顔が青くなる。
「あ、旦那。冗談ですよ冗談。虐めてたなんて、はは」
「謝んな」
「悪かった」
 コバルトが、頭を下げて言った。

 話を聞く限り、あの矢はグラシアの仕業だということだろうか。
「あの、どこからか見てたのですか? それに、あの矢……」
 シエラが聞く。
「こんなことできるの、そこの姉ちゃんしかいねえよ」
 コバルトが、持っていた棒に刺さった矢を、指さして言った。
 思わず、シエラは窓から外を見た。相変わらず、真っ暗で何も見えない。
 どこからか、狙ったのか。

「そういえばコバルト。見返りも求めないで、護衛を引き受けたそうじゃない。随分と偉いわねえ」
 コバルトの顔の動きが止まる。
「まあな」
「何もいらないんだよね」
「……うん」
「だそうだよ、モウブ殿」
 グラシアが言うと、モウブが一同の後ろから顔を出した。
「え? しかしコバルト殿。報酬は妓楼を一店貸し切りという約束だったのでは……」
 言い終わらないうちに、コバルトが立ち上がり走っていった。

 一同が見送る。
「シエラ。あいつに今度会ったら、もう一発殴ってやんな」
 グラシアが言った。











 二日後。六人は、オリーブの街の北側にいた。

 グラシアとマゼンタ以外の四人は、いつもの服装に、一枚上着を着込んでいるという格好だった。
「もっと、ゆっくりしていけばいいのに」
 グラシアが言う。
「そういうわけにもいかん。お前も、何かと忙しそうだしな」
「人に気を使うなんて、らしくないなあ」
「お前の中で、わしは一体どういう印象なのだ?」

 シエラは、辺りを見回した。
「あの、コバルトさんは?」
「ああ、あいつは、ここまでだ」
 ボルドーが言う。
「えっ、それって、あの一件のせいでってことですか?」
 ペイルが言った。
「いやいや、違う違う。元々、そういう話だったのだ」
「そういえば、この二日、見かけませんでしたね」
 セピアが言った。
「逃げ回っているんでしょ、きっと。見つけたら懲らしめといてやるわ」
 言った後グラシアは、マゼンタから、小包を受け取り、差し出してくる。
「これ餞別ね。道中で食べて」
 シエラが受け取った。
「もし、旅が終わって、働き先が欲しくなったら、ここにおいでね。二人だったら大歓迎するから」
 言って、グラシアが笑う。
 セピアが、微妙な表情をしていた。

「では、行こうか」
 ボルドーが言って、四人が歩き始めた。
 グラシアは、見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

「ボルドーさん。もしかして、このまま北に行くんですか?」
 ペイルが、怖ず怖ずといった様子で聞く。
「そうだ」
「ということは、ウッドに行くってことですか?」
「ああ。どうした? 何か心配事でもあるのか?」
「あ、いや。その……ウッドっていったら、あの有名なルモグラフ将軍がいる所じゃないですか。かなり厳格で、小さな不正も許さない将軍だって聞いたことがあります。その、俺大丈夫かなって……」
「お前が小悪党していた場所から、どれだけ離れていると思っている。手配など回っておらんし、そんなことに気を回せるほど暇でもあるまい」
「はあ。まあ、そりゃそうですけど」
「いざとなったら、わしが庇ってやるさ」
「えっ! 本当ですか!? そりゃ、すげえ心強いですよ!」
「まあ、今のわしが庇った所で、影響があるかどうかは分からんがな」
「いやあ、ありますって」
「あの、もう街はないって言っていませんでした?」
 シエラは、疑問を口にする。
「ああ、街ではなく軍事要塞だ。国境の防衛施設だな」
 ボルドーが言う。
「スクレイの、北の要の一つだよ。前の戦争で、北の国境で唯一破られなかった所ですよね」
 ペイルが言った。
「そうだったな」

 シエラは、前方に目をやった。
 相変わらず、頂上付近が白い山々が並んでいるのが見えた。




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