示し合わせた日がきた。
対決の段取りは、滞りなく決まっていた。
場所は、両軍の本陣として構えている場所の、ほぼ中間。小高い丘が一つある場所だった。
その丘の周りに、ゆっくりと両軍が近づいてきたのは、つい先刻だ。今は、丘の東を国軍が、西を王女軍が構えていた。
グラシアは、国軍の陣容に目をやっていた。
両軍が、この場に来ることができる兵数を、事前に取り決めておきたかったが、妥結できなかったのだ。というより、どこの誰と交渉をすればいいのか、よく分からなかった。王子と繋がりなどは、あるわけがないし、軍の方は、総指揮がいないのだ。
なので、こちらは前線に投入できる、ほぼ全ての兵を連れてこざるをえなかった。総数で約三千ほどだ。コバルトや、ルモグラフも加わっている。
敵の数は、五千といったところか。
突如、敵軍が攻撃を掛けてきた場合のことも、考えるのが自分の役目だろうと思う。
しばらくして、敵軍の中からざわめきが起こった。
敵軍の中央が割れると、そこから別の軍が入ってきていた。
先頭にいるのは、フーカーズだ。
フーカーズは、軍を停止させると、馬上で腕を組んでいた。
懸念材料が増えてしまった。
もしも、フーカーズに介入をされれば、どうなるのだろうか。仮に、ダークが勝ったとしても、助け出すことができるのだろうか。
あれやこれやと考えなければならない。
少しして、再び敵軍からざわめきが起きる。
デルフトが、国軍の間から、姿を現した。
そのまま進み、ゆっくりと丘に上がっていくのが見えた。
いつもの大斧が見えなかった。大きめの剣を手に持っている。
場が静まる。
「余計なことはするなよ」
いきなり声がした。いつの間にか、ダークが近くにいた。いつもの装備ではなく、軽装の具足だ。手に持っているのは、いつもと同じ、長い太刀だった。
「あいつは、お前の弓を警戒している」
「あいつ? デルフト?」
「細目だ」
フーカーズか。
「お前が、余計な茶々を入れないように、見張るつもりなんだろうよ。もしも、お前が手を出しでもしたら、即座に介入すると、暗に言っているんだろう」
そう言って、横を通る。
「もう、今更どうこう言うつもりはないわ」
ダークの目線だけが、こちらを見る。
「勝てよ」
言うと、ダークは鼻で笑った。
それから、ゆっくりと丘に上がっていった。
場が、完全に沈黙していた。
おそらく、今ここにいる人間のほとんどが、こう思っていることだろう。
この戦いに勝った者が、この国で最強の者であろうと。
丘を登りきると、男が一人立っていた。
「よお、髭」
ダークが言った。
「って、おい。髭がなくなってるじゃねえか。どうすんだよ、てめえの唯一の特徴だろ」
男は無表情に、こちらを見ている。
「だったら、根暗だな。おい、根暗」
「お前に言われたくはない」
デルフトは言った。
ダークは、鼻で笑った。
「そいつは何だ? まさか、負けた時の言い訳にするつもりか?」
デルフトの持っている、大剣に言う。
「接近戦ならば、こちらの方がいい」
そう言って、少し持ち上げた。
「そうかい」
ダークは、剣を横にぶら下げるように持っていた。
「じゃあ、やるか」
一歩進む。
心気が満ちる。
目の前の男以外のものは、見えなくなった。
デルフトが、少し前に体重をかけた。
ダークは、前方に飛んだ。
全力で、剣を振るった。
剣同士が、衝突した。
激突の瞬間、光が飛び散った。
両者の剣が、ぶつかって砕け散ったのだ。
グラシアは、それを微かに目に捕らえていた。ただ、速すぎて、ここにいる人間のどれだけが見えていたのか。
この場合、どうなるのだろうと一瞬考えた。仕切り直すのか。
しかし、二人は止まらなかった。
両者ともに、剣の柄を手放すと、接近して殴りかかった。
両者の頬に、両者の拳が当たる。
地響き。
風圧のようなものを感じた。
それが、連続した。
二人は、激烈な殴り合いを始めた。
とんでもない、轟音が響く。
何だ、あれは。
自分が、あの中の一撃でも食らって生きていられるとは思えなかった。
異様な、衝撃音だけが、断続的に響いていた。
「グラシア」
いきなり背後から声がした。
振り返ると、グレイが馬に乗っていた。
「あんた」
グレイが、左手の人差し指を、自分の口に当てた。静かに話せという合図か。
「何でここに? ていうか、動いて大丈夫なの?」
小声で言う。
グレイは、口に当てた指を、横に向けた。
「ここの指揮官は、あんただから、報告はしておこうと思って。万が一のことが起こった場合、対応してもらうしかないからね」
グレイが言った。意味が分からなかった。
「何のことよ」
「殿下が来てる」
「はっ?」
グラシアは、グレイの指す先を見た。
部隊の集団の中に、予定にない集団が固まっているのが分かった。その中央付近には、布を被っているシエラがいるのを確認できた。
「な、なんで……」
グレイを見る。
「見たいって言っていたから、連れてきた。私も見たかったし」
「あんた」
「文句があるなら、殿下に言ってね。私は、主の命令に従っただけだから」
そう言って、離れていく。
「ちょっ……」
グラシアは、シエラの方を見た。
戦いの方を見ている。
その目は、真剣だった。
殴り合いが止まった。
ダークは、少し下がって相手の顔を見る。顔面が痣と血だらけだった。
「男前が台無しだな」
デルフトが言ったようだ。
ダークは鼻で笑った。
「てめえが、やったんだろうが」
呼吸音。
間ができていた。
「……カラトと、今のお前では、どちらが強いのだ?」
ふいに、デルフトが言った。
ダークは、デルフトを見る。
「……カラトだな」
痣だらけなので、分かりにくくはあったが、デルフトの眉が動いたのが分かった。
「残念だが、てめえなんかじゃ、カラトと勝負にもなんねえぜ」
「戯れ言か」
デルフトが言った。
「戯れ言?」
「私は、三年前よりも格段に強化している。そして、お前もだ。三年前からいなくなった人間と比べて、そうはっきり断言できるのは、おかしい」
「じゃあ、訊くなよ」
言う。
「何故、断言できるのだ?」
聞いた。
ダークは、もう一度デルフトを見た。
それから、少し息を吐いた。
「俺は、あいつには勝てない」
デルフトの目が、少し細くなる。
「初めて会った時から、こいつは俺より強いということが分かった。あの時は、衝撃だったぜ。強い奴に会いたいと思っていながらも、いざ会っちまうと、想像もしていなかったくらいの衝撃を受けた。その時、わき起こった感情は、嬉しいとかじゃあなかった。混乱だ」
言う。
「奴の近くにいることで、奴の強さの秘密を探って、奴の力をいつか越えてやろうと、始めは思っていたんだ。戦いたいから協力してやっていると、自分に言い訳をしてな」
続ける。
「だが、いくら経っても、まったく追いつける気がしなかった。むしろ、知れば知るほど、あいつには絶対に勝てないということを思い知らされるだけだったぜ」
デルフトが眉を顰めていた。
「俺では一生を賭けても、あいつには勝てないと理解することに、それほど時間はかからなかった……」
言ってから、ダークは再び鼻で笑う。
「分からん」
デルフトの声。
「あ、そう」
「ならば何故、お前は最後までカラトに協力していたのだ。そして、今王女側についている動機が分からない」
「だろうな」
そう言った。
沈黙になる。
「出会ったんだ」
ダークは言った。
「俺は、もうスクレイを離れるつもりだった。そして、もう戻ってこないつもりだった。だが、何の気なしに北に向かったところで、小娘に……カラトの首飾りに出会った。こんな、偶然があるのか、と思ったんだよ」
その場面を思い出す。
「それで?」
「それだけだ」
言った。デルフトが、怪訝な表情をする。
「……なあ、おい。お前は、カラトの強さに興味を持ったから、カラトに協力したんだろ」
デルフトに言った。
「何故、カラトは強かったんだと、お前は考えている?」
「それは、守るべきものがあったからだ」
すぐに言った。
「国のため、人のために戦おうとした。それが奴を強くしたのだ」
ダークは、口から息が漏れた。
「俺の考えとは、まったく違うな」
「何?」
「それも、多少はあったんだろうよ。だが、あいつの心根はそんなところにはなかった。そもそも、あいつはスクレイ人じゃあ、ないしな」
「スクレイ人じゃ、ない?」
「あいつは、自分の為に戦っていたんだよ。世直しも改革も、全部自分がやりたかったから目指していたんだ。それが、自分のためだと、あいつ自身が一番よく分かっていた。そういう大義とか志とかを、人の為なんかじゃあなく、全部自分のものだと、納得して理解できる心を、あいつは持っていたんだ」
だから、と。
「だから、あいつは強かったんだ」
そう言った。
間が一つ。
「それは、あくまでも、お前の想像だろう」
デルフトの言。
「ああ、そうだ」
「私には、納得ができん」
ダークは、思わず口角が上がった。
「今言ったお前の話、それほど特別なこととは思えん。そのような思考なら、誰にでもできそうなものだ。なのに、カラトだけが強い理由にはならない」
「それが簡単だと思っているから、てめえじゃ無理なんだよ」
「さっきから、理解しているような口振りをしているお前は、どうなのだ?」
「分かった上で、できねえって言ってんだよ」
少しの沈黙。
「やはり、納得はできない」
「そうかい」
ダークは言った。
「じゃあ、どっちの考えが正しいか、決めておくか」
そう言って、拳を上げる。
「勝った方が正しい。分かりやすいだろ」
再び、口角が上がる。
デルフトの心気が、再び膨れ上がるのが分かった。
いい具合だ。
それから、両者共に前に進んだ。
心気がぶつかる。気炎が上がる。もう二度と、これほどの使い手と、戦うことなどないだろうと思った。
そうなるのが、嫌なのだろう、お前は。
両者の間合いに入った。
やることは、一つしかなかった。
拳を振り上げる。
両者共に、最初と同じ頬に、拳を叩き込んだ。
目玉が揺れる。視界が霞む。
間。
「……目指すところが無いというのは、恐怖しかない」
デルフトの声。
「少なくとも……私には、な」
「そうか」
そう言った。
「……やはり……目指す先があるというのは……いいものだな……」
そう言う声が聞こえた。
デルフトの体から、生気が抜けていくのを感じた。
それからデルフトは、ゆっくりと、前のめりに倒れた。