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決戦1

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 見渡す限り荒野だった。


 どこか、違う世界に来たのではと思わせるような光景だった。
 ペイルは、東の国のユーザに入っていた。

 クロス、ユーザ間の国境は、ホワイトの息がかかっている者達が管轄している場所を通過するように薦められていたので、その通りにして、難なく通過することができた。
 カーマインは、クロスに残って、今後のホワイトとの繋がりの仲立ちをすることになった。ユーザでの外交は、自分が一人で行わなければならないということで緊張はしていたが、クロスに比べると、必ずしも成功しなければならない事柄ではないので、少しは気が楽だと思いたい。
 とにかく、自分の身の安全を最優先にしろとカーマインからは言われている。

 ユーザ国に入ったペイルは、まずユーザの元首に会談の申し入れの使者を送った。しかし、まったく反応がなかった。その後しばらく、ユーザ政府の要人で会える人間がいないか探したが、これも徒労に終わった。
 現地の協力者と話したところ、今現在ユーザ自体が不安定な状態なので、政府がある首都に行くのは危険が高いということだった。
 何日か考えて、ユーザの首都に行くのは諦めることになった。

 そして、次にペイルは、ホワイトに言われたとおりに、ユーザ国の西の地域一帯を治めている、バンダイクという男に会いに行くことにした。
 道中、バンダイクという男のことを、いろいろと調べた。
 前の戦争の頃は、この男は領主でも何でもなかった。戦争が終わって、少し経った頃から、急激に頭角を現したらしい。
 今では、ユーザ国の中央も無視できないほど、影響力を持っているというのだ。
 何をしたかといえば、きわめて単純だった。財政再建だ。
 クロス、スクレイ、ユーザ、そして東の砂漠の先。これらを繋ぐ道を整備して、物流を活発にさせた。他にもいろいろあったが、これが一番大きかったと言われている。
 それと、彼に知恵を貸していた男の存在も大きかったらしい。しかも、その男というのが、スクレイ人だという噂があった。
 本当にそうなのだとしたら、その男にも会いたいところだ。

 やがて、バンダイクが治めている領地に入った。
 クロスの時と同じように、人を先行して送った。何日か待つことになるのかと思っていたが、すぐに返答の使者が来た。
 すぐにでも会えるのだという。
 さっそく、使者に連れられて町に向かった。広い荒野に、ぽつりとある町で、建物は全部低かった。すぐに、バンダイクが政務をこなしているという建物へと案内された。
 それほど大きな建物ではなかった。
 大きな部屋に通された。といっても、クロスの時とは比べものにならない規模だが。
 辺りを見回すと、部屋の隅に、少し俯き加減で椅子に座っている男がいるのが見えた。あれは、何なのだろうか。
 横目で何度か確認していたが、まったく動いていないようだ。眠っているのではないのかと思った。

 しばらくして、通路の方から、話し声が聞こえた。
 数人の男が入ってくる。
 先頭で入ってきた男は、恰幅のいい丸顔の男で、歳は五十ほどか。髪には、白いものが混じっていて、口の周りに蓄えた髭にも、白いものが見えた。
「おう、あんたらが、スクレイのお姫様の家来か」
 その先頭の男が言った。
「わしがバンダイクだ。よろしくな」
「宜しくお願いします」
 立ち上がり、出迎えた。
 バンダイクは対面の椅子に、どかりと腰を落とした。
「丁度いい時に来てくれた」
 すぐに言う。
 丁度いい?
「和平交渉だろ? 願ったり叶ったりだね」
 バンダイクが、にやりと笑う。
「わしが、ここの領主である限り、スクレイに対して軍を出さねえ。それに、東のやつらが、スクレイに矛を向けようとしやがったら、できうる限り妨害するつもりだ」
 早口で話した。
「そんなもんでいいか?」
 ペイルは、呆然としてしまっていた。
「そ、そうですね」
 心の中で反芻しながら、頷く。
「あの……見返りは、そちらの条件は何なのでしょうか?」
 普通ならば、こちらから訊くものではないが、あまりにも一方的な話だったので、訊くしかないと思った。
「ああ、頼みが一つあるんだ」
 ペイルは、身構える。
「先生が、スクレイに帰りたいと言っているんでな。おめえさんが、連れて行ってもらえねえか?」
「先生?」
「先生は、目が見えねえからよ。誰かの手助けがないと、さすがに長旅はできねえからな」
 ペイルは、ふと思い出した。
「あ、もしかすると、スクレイの人だという」
「ああ。先生は、わしの恩人だよ」

 すると、部屋の隅に座っていた男が、すっと立ち上がった。それから、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
 歳は、三十ぐらいか。茶色の髪に、ほっそりとした体型だ。
 両目共に、閉ざされていた。
 ペイルは、はたと気がついた。
「あ、この人が」
「よろしくお願いします」
 男が涼やかな声で言った。

 その後、会談を少しして終わりとなった。その日は、その建物で宿泊することになり、夜に催された宴に参加することになった。

 翌朝、建物の前で、数人が集まった。
 バンダイクが、盲目の男の前で頭を下げていた。
「先生、本当にお世話になりました。いつか機会があれば、またいらして下さい」
「バンダイク殿も、どうかご健勝で。貴方に拾っていただいたご恩は、一生忘れません」
 二人は、しばらく手を握っていた。それから、盲目の男だけが、こちらに歩いてくる。

「それでは、宜しくお願いします、ペイル殿」
「我々は、王女側の人間ですが、具体的にスクレイのどこに、お送りすればよいのでしょうか?」
「望むものならば、王女殿下のもとへ連れて行っていただきたいのです。私は、殿下にスクレイの王になっていただきたい。微力ながら、お力になれればと思っています」
 男は、そう言った。
「目は見えませんが、政務に関しては精通しているつもりです。その分野で、多少は貢献できるのではと思っていますので」
「分かりました。殿下に会えるかは分かりませんが、我々の陣営に、ご案内すればいいんですね」
「はい、宜しくお願いします」
 そう言って、笑った。














 新しい情報が、いくつか入っていた。
 グラシアは、さっそくシエラの幕舎に向かう。
 幕舎の前には、すでに、グレイとコバルト、ルモグラフが立っていた。ここで話をするのが、もう習慣になっている。
「もう、皆知っているみたいだね」
 四人はそのまま、幕舎に入った。
 大きな机の上には、この一帯の地図が広げられていた。それを囲むようにして、四人が立つ。

 少しして、シエラが奥から現れた。
「報告が三つあります」
「聞こう」
 シエラが、上座の椅子に座った。

「まず一つ目は、北に展開していた、クロスの軍が撤収を始めました」
 グラシアは、地図の上を指さしながら言う。
「すでに、ペイルからの書簡も届いております。とりあえずの交渉は、うまくいったとのことです。後で、お読みになられますか?」
「うん」
 シエラが頷く。
「これで、懸念が一つ解消されました」
 そう言って、間を一つとった。

「二つ目ですが、大きく展開していた国軍が一つに纏まり、移動を始めました。おそらく、目的地は大河のすぐ西、起伏が少ない平原が広がっている場所です」
 シエラが、地図をのぞき込む。
「何故、こんな所に?」
「それは、三つ目の報告と関係があるのかと」
 シエラと目が合う。
「二人の王子が、ついに前線の総指揮を指名したようです」
 間。
「情勢が動き始め、ついに決断したというところでしょうか」
「ということは……」
「はい……フーカーズです」
 シエラが、少し緊張をした面もちになる。

「それで、どうしてフーカーズは、ここに移動をしたのだ?」
「おそらく、決戦を誘っているのかと思います」
 ルモグラフが、代わりに言った。
「この大河の西には、国軍の砦が近くにはありません。こちらが拠ることができる地形も何もありません。もし、ここで戦うことになれば、そのまま決戦ということになる公算が高いと思われます」
 シエラが、再び地図に目を移した。
「敵軍が、およそ八千。こちらは、およそ五千。戦力差は、それほどないと、私は思います」
 ルモグラフは、そう言った。

 グラシアも、戦うべきか否かを思考する。
 ダークとデルフトの一騎打ちの後、再び入隊希望者が増えた。それだけ、あの戦いは注目されていたということだろう。時間をかければ、人はまだ増える可能性がある。
 だが、そろそろグラシアが持参した資金が、底を突きそうだった。人員が増えて、一気に必要経費が膨れ上がった。まさか、これほど軍の維持というものが、お金がかかるとは思っていなかったのだ。ドーブ達が資金集めをしてくれてはいるが、どう考えても追いつかない。
 それだけではなく、これ以上内戦を続けることも、スクレイのことを考えても望ましくはない。
 はっきり言って、決戦というのは、こちらも望むところだった。
 いや。
 もしかすると、フーカーズは、そのことも見通して、今決戦を誘っているのかもしれないと思った。
 考え過ぎだろうか。

 しばらくして、シエラが顔を上げた。
「いいだろう。その誘いに応じよう」
 澄み渡った声が響いた。

 それから、シエラは立ち上がった。
「その場には、私も行く。それが決戦というのならば、私も戦う」
 その言葉に、グラシアは戸惑った。
「いや、しかし殿下……それは」
「止めても無駄だぞ、グラシア。国の行く末を決める戦いだ。それに加われずして、何が殿下だ。違うか?」
 グラシアは、他の者を見たが、全員、止めようとはしてくれない。
 それで、決定になった。















 やはり、どこか居心地がよかった。草木の一本までもが知っているのではないかと思うようだった。
 ペイルは、スクレイに戻ってきていた。
 ユーザの、バンダイクとの対談を済ませた後、北から大きく周り、再びクロス経由で国境を越えた。
 遠回りの大急ぎの移動だったが、やはりウッド以外の国境は危険だという判断だった。
 任務の出来としては、上々だろうと思う。クロス軍を撤退させ、ユーザの西の領主とは不戦の約束をしたのだ。
 そう考えると、ちょっとは鼻高々だった。これで、堂々とシエラやセピアに会えるというものだ。
 バンダイクから任された、盲目の男は、荷を積んでいた馬の一頭に乗せていた。体力を心配していたが、思っていたよりも元気そうだった。
「大丈夫ですか?」
 馬上の男に言った。
「お心遣い感謝します」
 男は、そう言った。

 本隊の方は今、連絡によれば、敵と正面からぶつかろうとしているらしい。つまり、そのまま決戦になるのかもしれない。
 自分がいても、それほど役にはたたないかもしれないが、その戦いには加わりたいと思う。
 ウッドから、南東に向かって進む。この道は少し前、南に行ったシエラを追っていた時に通った道だった。
 道を進みながら、ふと思い出す。
 そういえば、あの男は、今もこの辺りにいるのだろうか。
 あの男なら、戦力になるかもしれない。
 今、シエラ軍には、少しでも戦力が必要なのだ。

「すいません、ちょっと寄り道をしてもいいですか? この近くの町に、知り合いがいるんですけど」
 盲目の男に言った。
「ええ、もちろん構いませんよ」
「ありがとうごさいます」

 ペイルはそう言って、駆け足で一団を離れた。








 特に何も考えてはいなかった。


 目を開くと、幕舎の中だった。
 フーカーズは、簡易の椅子に座って、腕を組んでいた。
 自分の為に設けられた幕舎だが、特に何も持ち込んではいない。殺風景な幕舎内が見えるだけだ。それでも、これが一番心が落ち着くと、フーカーズは思っていた。

「フーカーズ、入るぞ」
 声がかけられ、パステルが入ってくる。
「ようやく王子も決断してくれたな。あと、数日遅ければ、もう取り返しのつかない状態になっていたかもしれない。ぎりぎりだったが、何とか間に合った。今なら、十分勝てる」
 高揚した声だった。
「そして、これでやっと君の指揮の下で戦えるな」
 フーカーズは、しばらく黙ってパステルを見ていた。

「パステル」
 少しして言う。
「何だ?」
「王子の下での戦に、なんの正当性もないのだと思っているのなら、王女の方へ行ったほうがいい」
 パステルの目が見開かれた。
「何だと? 何を言っている」
「お前は、王子に何の忠節心も持っていない。それで、命がけで戦えというのは酷だろうと思うのだ」
 パステルの鋭い視線と向き合う。
「君はどうなのだ、フーカーズ」
「私は、ここで戦うだけだ」
 言うと、パステルの口元が緩んだ。
「ならば、私も戦おう。君は、一代の英傑だよフーカーズ。君の下で戦えるということは、軍人の誉れだ。それだけで、戦う理由としては十分だと私は思っている」
「……そうか」
 フーカーズは、目を閉じた。
 余計なことを言ってしまったのかもしれないと、一瞬後悔した。
 しかし、すぐに思考を切り替える。

「軍議を開く、諸将を集めてくれ」
「分かりました」
 パステルが敬礼をして、幕舎を出て行った。

 フーカーズは、しばらく一人で沈思していた。
 デルフトが死んだ。スカーレットも先日、都の地下で遺体が発見された。コバルトと名乗っていた男も、数日前から行方不明という。
 彼らは、自らの命を全うできたのか。
 そもそも、全うとは何だろうか。
 そして、自分はどうなのだろう。
 それは分かるはずのないことだ。自分の死に方など、自分で選べる方が稀なのだ。ましてや、自らの死を客観視することなどできない。
 結局、自分は生き続けるという前提で、人は生きるしかないのか。
 フーカーズは、再び思考を止めた。

 やがて、諸将が集まった。
 整列した諸将の前に立った。
「私が此度の戦での総指揮権を委ねられたフーカーズだ。各々方には、まずは、それを認知していただきたい。何か、異論がある者は、今の内に言っておいてほしい」
 場を見渡す。何人かが頷いていた。
「インディゴ将軍も宜しいか?」
「当然。私などより、よっぽど適任だと思いますよ、司令官殿」
「異論がある者はいないか」
 再び全員を見回した。居並ぶ諸将の一番後ろには、少し俯いているゴールデンがいるのが見えた。
「では、私が全ての指示をさせてもらう」
 そう言って、一つ間を置く。
「我々は、敵軍をここで迎え撃つ」
 言わなくとも、全員分かっているだろう。
「作戦としては、まずは歩兵を二つに分ける。そしてパステル将軍とインディゴ将軍に、二つ歩兵の中核をそれぞれ指揮していただく。これは、全軍の重しになる」
 二人が、頷いた。
「その他の方々には、細かい部隊の指揮になる。これらの選別は、先ほどのお二人にお任せしたい」
 そう言った。
「そして、私は麾下の騎馬隊を率いて遊軍になる」
「ちょっと待て、フーカーズ」
 パステルが、慌てて声を上げる。
「君は総大将だぞ。後方で、全軍に目を配るべきだろう」
「此度の戦での、我が軍の戦術は極めて単純だ。後ろから、細かい指示を送る必要などない。何か指示が必要な時は、移動中の馬上でも可能だ。私は今までも、そうして戦ってきたのだ」
 パステルは、まだ何かを言いたそうだったが、渋々といった表情で引いた。
「そして、もう一つ騎馬の遊軍を作る」
 続けて言う。
「指揮するのはお前だ、ゴールデン」
 下座にいたゴールデンが、弾けるように顔を上げた。
「全体の戦術は以上だ。それでは、各々指揮をする部隊に行ってくれ」
 それで、軍議は解散となった。パステルとインディゴ、そしてゴールデンを、その場に残した。

「何か、言いたいことがあるか?」
 ゴールデンに言った。
 少し、考えるような顔をしてから口を開く。
「いえ……意外でしたので。てっきり、俺は閑職に回されるのかと思っていましたからね」
「はっきり言っておこう。私は、お前にいい印象を持ってはいない。だが、お前の指揮能力は買っている。ボルドーさんに、いいようにやられた後、お前の用兵は慎重さを持つようになった。それは、十分役に立つ」
 ゴールデンが、真っ直ぐこちらを見据える。
「お前は、私が指揮官だと認められるのか?」
「認めていますよ」
 言う。
「……いつか、言う機会があれば言おうと思っていましたが」
 そう前置き。

「あなたの言うとおりでしたよ、フーカーズ殿。俺は、まだまだ井の中の蛙だったということでしょう。十傑の人達の戦いを直接見て、自分がいかに未熟かを思い知らされましたよ。まったく……自分が嫌になる。こんな俺が、遊軍の指揮というのは、荷が重いと思いますが」
「それが分かっているのならば、十分だ」
 フーカーズは言った。
「自信を持っていい、ゴールデン。お前には才能というものがある。十傑の者共は、少々異常なのだ。比べるものではない」
「それは、フーカーズ殿もですか?」
「そうだ」
 フーカーズが言うと、場に笑いが起きた。

「できるな?」
 改めて、ゴールデンに問うた。
「分かりました。やります」
 少し笑んだ後、表情を引き締めて言った。
「よし。では、騎馬隊の動きを、この四人で打ち合わせしておく」










 軍が、ゆっくりと移動をしていた。
 斥候の報告を何度か聞いた。国軍は、まったく動いていないようだ。一応、伏兵がいないか探らせてはいるが、いる気配がなかった。
 あと、一時間も前進を続ければ、敵が見える所まで行く。このままいけば、敵とぶつかるのは日が真上に来るころだろう。そして、それはそのまま決戦になる公算が高い。
 ここにきて、実に単純で分かりやすい構図だった。
 それだけに、グラシアは不安だった。
 まともなぶつかり合いの最中であろうと、それ以外のことを考えていられる人間が必要なのだと思う。それが自分の役目なのだろう。
 不安材料の一つとしては、ダークが、まだ全快ではなかった。通常の人間ならば、立つこともできないほどの手負いなのだが、本人が軍指揮ができると言っているのだ。確かに、馬には乗れるようだが、個人の戦闘能力は、ほとんどないと言ってもいいだろう。
 他にも、考え始めると、きりがない。
 もし、負けることにでもなった場合、どうすればいいだろうか。
 負けた場合のことなどを考えていれば、不安が起きるのは当たり前だ。だから、自分の不安は、あまり当てにはならない。そう思うことにした。

 やがて軍は、丘をゆっくりと越えた。
 前方に、国軍が整然と並んでいるのが遠目に見えた。
 約千歩ほどの距離をあけて、自軍が止まる。
 そのまま待機になった。

 しばらくして、どよめきが起こった。
 シエラが、白馬に跨がって自軍の前に出てきたのだ。
 それから、馬首を回した。ゆっくりと、全軍を見渡してから、大きく息を吸った。
「皆、これまでよく戦ってくれた。いよいよ、正念場である」
 大声を上げる。
「この戦いに勝った後に、我らの悲願だった、真っ当なる国家ができると私は確信している。今こそ、最後の力を振り絞り、全身全霊をもって戦う時だ。皆、鬨の声を上げろ」
 そう言って、シエラは剣を抜いた。
 そして、それを高々と天に向かって掲げる。
 大きな鬨が上がった。
「正義は我らにあり」
 それで、終わった。シエラは、近衛の中に戻っていった。
 鬨の後のどよめきは、しばらく続いていた。

 セピアが見えたので、グラシアは馬を寄せた。
「あれって、殿下が考えたの?」
 セピアが、少し笑む。
「昨晩、二人で考えました」
「へえ。ちょっと心配だったけど、なかなか上出来だったと思うよ」
「ありがとうございます……と、この場合、私が言ってもいいのでしょうか」
「そうだね」
 グラシアは笑った。
「戦の最中、殿下のことは、任せるよ」
「はい、任せてください」





「全軍、進め!」
 後方にいるシエラが、声とともに剣を前に振った。
 攻撃開始の合図である。同時に、自軍が進み始めた。
 部隊の配置としては、まず前衛に騎馬隊が四つ並んでいる。指揮しているのは、コバルト、グラシア、ダーク。そして、グレイの騎馬隊はブライトが指揮することになった。
 これらの部隊は、戦闘の場面によって、ある程度自由に動くことができる。
 前衛の後ろには、ルモグラフが率いる中核の歩兵である。ここには、補佐としてウォームがいる。
 さらにその後方には、シエラのいる近衛部隊が纏まっている。実質的に指揮をとるのはグレイだ。ここが、本陣になるので、よっぽどのことがない限り動くことはない。

 国軍との距離が、五百歩ほどになる。敵の陣形が、少し動いているのが見えた。
 やがて、前衛の騎馬隊が、敵の矢が届くほどの距離まで進んだ。当然、敵が矢を放ってくる。
 騎馬隊は、横に動いた。
 まずこの戦は、歩兵同士のぶつかり合いから始まる。それから、それぞれの騎馬隊が臨機応変に動く手筈になっていた。

 横に移動しながら、敵の歩兵を見る。するとその歩兵が、間を開けるように動いていた。
 次の瞬間、その中から、騎馬隊が飛び出してきた。
 一瞬で分かった。フーカーズ軍だ。
「回避!」
 グラシアは、声を張り上げた。
 フーカーズ軍と、まともに戦うのは愚策だ。それは、一致した意見だった。
 大急ぎで横に動いたが、側面を削り取られるように攻撃された。
 やはり速い。そして、統率に隙がない。
 コバルトが、対応しようと駆けつけてくる。しかし、フーカーズは、すぐに反転をして、再び歩兵の中に駆け込んでいった。
 始めから分かっていたことだが、まずフーカーズの軍を、どうにかしないとならない。

 今度は、別のところから、フーカーズ軍が飛び出してくるのが見えた。狙いは、ブライトの部隊だろう。
 ブライトの部隊も、まともにぶつかるのは避けて動いた。しかし、フーカーズ軍も、絡みつくように動く。
 ダークの部隊が、急行していた。今度は、先ほどよりもフーカーズの離脱が遅い。ダークとぶつかる。そう思っていたが、いきなりフーカーズ軍は、小さな集団に分裂した。
 それが散開して、あっさりダーク軍をかわす。
 と思いきや、少し大きな纏まりが、いくつかでき、それがダーク軍を攻撃し始めた。
 ダークが、対応しようと部隊を動かす。
 しかし、その時には、すでにフーカーズ軍は、歩兵の中に戻っていた。

 変幻自在だった。あの五百ほどの騎馬隊に、いいように翻弄されている。
 歩兵の中を駆けると、歩兵をひいてしまいそうだが、あらかじめ騎馬隊が通る道を作った陣形を組み立てているのだと分かった。
 あれを止めるには、ダークとコバルトの騎馬隊に張り付かせるしかない。
 思ったとき、本隊の方から合図があった。ルモグラフも、同じことを考えていたようだ。
 二部隊が、フーカーズを追いかけることになる。

 歩兵の先頭同士のぶつかり合いが始まる。グラシアは、味方歩兵の援護と、敵の左側面の牽制を始めた。
 再びフーカーズ軍が出てきた。今度は、ダークとコバルトが、すぐに急行する。
 しかし、追いつけなかった。フーカーズの騎馬のほうが、遥かに馬の質がいいのだ。そして結局、また歩兵の中に逃げ込まれる。

 歩兵同士の押し合いは、ある程度進んで止まっていた。互角の押し合いということだろう。
 敵歩兵の、右側面を牽制しようとしていたブライトの部隊に、いきなりフーカーズ軍が突っ込んでいったのが見えた。
 まともに食らってしまっていた。騎馬隊が、部隊の体を成せなくなったのか、離散し始めている。
 ブライトが、どうなったのかは分からない。
 今度は、ダークの軍が早かった。フーカーズと歩兵の間に、割って入った。その隙に、コバルトの軍も到着する。
 少しの間、複雑な騎馬戦が展開していた。しかし最終的には、これでもかと言わんばかりに、変形を繰り返すフーカーズ軍を、捕まえることができずに、歩兵の中に取り逃がしてしまう。
 グラシアは、歩兵の中を直進する、フーカーズ軍を見ていた。
 今度は、こっちか。
 敵の左側面に、フーカーズ軍が飛び出してくる。出てきたと同時に、グラシアは先頭に矢を射た。
 先頭の者が、落馬した。しかし、軍は当然止まらない。グラシアは、少し離れて様子を伺うことにした。
 二部隊が来るまで、時間稼ぎをすれば十分だ。
 すると、フーカーズは、歩兵から離れる方向に走った。
 罠だ。
 迂闊に追いでもすれば、孤立したところを叩かれるだろう。グラシアは、そのままその場に待機した。

 ある程度進んだフーカーズ軍は、突然西に向き、そのまま直進を始めた。
 グラシアは、はっとした。
 まさか、本陣を狙っているのか。
 フーカーズは、逡巡なく進み続ける。
 ルモグラフが、歩兵の一部を裂いて、そちらの対応に回すのが見えた。
 重装備の歩兵だ。いくら、フーカーズと言えど、容易には突破できないだろう。足止めができれば、その間に、二部隊が駆けつけるはずだ。

「隊長! 反対の方にも騎馬隊が」
 部下の声で、グラシアは、敵の右側面の方に目を向けた。
 ブライトが対応していた方面だ。別の敵騎馬隊が、猛烈な勢いで、西に向かって駆けているのが見えた。
 先頭には、金色の髪の男。手には方天戟。ゴールデンか。
 どの騎馬隊も、対応できる位置にいない。ルモグラフも、フーカーズの方に寄っていた。

 シエラの部隊まで、何も妨害できるものがない。
 汗が、一気に吹き出した。




92, 91

  

 馬蹄が迫ってきた。


 グレイは、焦っていた。
 敵の騎馬隊が、一直線にこちらに向かってくる。完全に、本陣を強襲するための部隊だ。
 今までのフーカーズの動きは、全て、この時の為のものだったのだと、今ならば分かる。
 迎撃するべきか、退避するべきか。
 兵数は、こちらの方が多い。しかし、敵は攻撃の軍で勢いがある。普通の軍同士の戦いならば、考えるような場面ではないのだが、ここにはシエラがいるのだ。万が一でも、シエラが危なくなる可能性があるのならば、避けるべきだろう。
 しかし、今は退避するにも難しい。下手に背を向けて逃げれば、追い打ちをまともに受けてしまうことになる。前にいる、ルモグラフの部隊と合流したいが、位置的に難しい。
 早く判断しなければいけない。しかし、分からない。

「迷うな、グレイ」
 シエラの声がした。見ると、強い視線を前方に向けていた。
「ここは本陣だ。ここが退くと、全軍に影響が出てしまう。だから、逃げない」
「しかし」
「もしも、敵が来るなら、私も戦う」
 そう言って、剣を抜いていた。

 グレイは、余計に焦った。しかし、もう軍を退かす余裕はない。敵は、あと五百歩ほどの所まで迫ってきている。
 腹を括るしかなかった。
「迎撃するぞ! 全員、武器を正面に構えろ!」
 グレイは声を上げた。
 それから、手綱を右腕に巻き付けて、左手で剣を抜いた。
 クロスの軍と戦った時と同じような展開のような気がする。ただ、以前よりは希望がある。そう思うことにした。

 敵騎馬隊の、先頭の者の顔が判別できるほど近づいてきた。金色の髪をしていて、手に持っている方天戟を、横に構えていた。
 停止したままの騎馬隊では、まともに敵の攻撃を食らうことになる。敵の勢いを挫くためには、こちらも、前進することだ。
「前進!」
 グレイは、剣を頭上で振った。
 部隊が、ゆっくりと駆け始める。
「ここは任せた」
 言って、グレイは部隊の先頭まで駆けた。
 そして、そのまま敵の先頭に向かって相対する。
 来る。
 敵の斬撃。グレイは、方天戟をかい潜って、横から剣で攻撃。しかし、当たらなかった。
 そのまま馳せ違う。グレイは、後続の騎馬との交戦になった。





 敵騎馬隊が、縦列の形になって突撃してきた。
「殿下、後ろに」
 セピアは言って、シエラの前に出た。
 いざという時は、自分が盾にならなくてはならない。
 がむしゃらに、こちらの軍をかき分けるように進んでくる敵軍の先頭の男には、見覚えがあった。
 こちらに来る。
 セピアは、槍を構えた。
 敵が、戟を横に払う。
 セピアは、槍でそれを弾いた。
 それで、馳せ違った。
 次々と、後続の敵騎馬が来る。セピアは、できるだけ正面で戦った。
 数人を負傷させたか、二人は落馬をさせた。こちらは、かすり傷がいくつかあるだけだ。
 次の敵が、乗っている馬の頭を狙ってきた。それで、馬が横に倒れる。セピアは、飛び降りて着地した。
 後続の敵が見えなかった。全員通り過ぎたのだろうか。
 振り返ると、シエラの馬が、膝を折っているところだった。
「殿下!」
 セピアと共に、周りの者も寄る。
 部隊の後方に、土煙が見えた。通過した敵が、反転してきている。
「誰か、殿下に馬を」
 一人の者が、馬を下りた。その馬に、シエラを下から押し上げた。
「走れ!」
 それで、馬が走り出した。騎馬の者が、追従していく。
 その後ろから、すぐに敵騎馬が追ってきていた。
 セピアは、槍を構えた。
 自分ができることは、ここで足止めすることだ。
 疾駆する馬の正面に立つことは無謀すぎる。少し横にずれて、先頭の者を、槍で攻撃する。
 手に衝撃。勢いが違いすぎた。槍が、手から離れてしまう。同時に体勢も崩してしまい、後ろに仰け反る。
 しまった。
 無防備、武器もない。敵の後続の騎馬が、目の前まで来ていた。
 もう駄目か。
 思ったとき、前方に影が現れた。
 それが、敵騎馬の攻撃を次々と弾いた。
 やがて、敵騎馬が通り過ぎる。馬蹄の音が、後方に遠ざかっていく。
 前にいた人間が、後ろに傾いた。セピアは、思わず後ろから抱き留めた。
「ペイル殿」
 ペイルが、虚ろな目を向けてきた。
「なあ、俺生きてる?」
「どこか、怪我をされたのですか?」
「それが、分からねえんだ。無我夢中だったからさ……でも、無傷なわけないよな。だって、あんな騎馬隊の前に出たんだぜ」
 セピアは、慌ててペイルの全身を見た。一見して、掠り傷以上の傷は見あたらなかった。
「なんて無茶を」
「お互い様だろ」
 そう言って、ペイルは笑った。





 グレイは、敵騎馬隊が通り過ぎた後、馬の速度を落として、振り返って後ろを見ていた。
 やがて、シエラを囲んだ小集団が駆けてくる。その、すぐ後ろに敵騎馬隊が迫ってきていた。
 グレイは、馬を反転させた。
「そのまま駆けて、本隊に飛び込め!」
 小集団にそう言って、すれ違う。
 再び、金髪の男と、相対した。
 剣が二本あれば、問題なく片づけることができるのに。
 グレイは、剣を構えた。
 金髪の男の方天戟とぶつかる。しかし、またもや馳せ違った。
 この男は、シエラの首しか眼中にないのだ。
 グレイは、すぐに馬首を横にした。それから、大回りに反転する。
 金髪の男が、シエラに追いつきそうだった。
 シエラの周りの者が数人、男に掛かっていくが、簡単に受け流される。やがて、男の攻撃が、シエラの乗っている馬の尻に当たった。
 馬が倒れ、シエラが投げ出される。
 着地をしたシエラは、すぐに剣を両手で持って、横に構えた。
 男が、初めて馬の速度を緩めた。
 そのまま、シエラに向かって進む。
 誰か、そいつを止めてくれ。
 叫ぼうとしたが、止まった。
 いつの間にか、シエラの前に、シエラに背を向けた男が立っていた。片目にしているのは、眼帯だろうか。
 グレイは、絶句した。





 戦況を見渡していた。
 作戦通り、ゴールデンが、敵本陣に強襲をかけていた。
 ゴールデンが、敵本陣に攻撃をすれば、当然敵部隊は、本陣を救援するために動く。すると、敵の陣形が崩れる。
 予定通りだった。後は、パステルとインディゴに、総攻撃の合図を送るだけだ。
 それで、この戦は勝てる。
 フーカーズは、部隊を移動させながら、遠目に敵陣に切り込んでいるゴールデンを確認していた。
 すると、そのゴールデンの前方に、一人の人間が現れるのが見えた。混戦の中でも、その人間だけは、すぐに識別できた。
 フーカーズは、言葉を失った。
 ゴールデンが、そのまま直進を続ける。前方にいる者を、まったく気にはしていない。
「よせ」
 言ったが、当然聞こえはしなかった。ゴールデンが方天戟を振った後、ゴールデンの首が飛ぶのが見えた。
 フーカーズは、少し目を閉じた。

「全軍、一旦引く。本隊に指示を出せ」
 部下に言ってから、フーカーズは馬を疾駆させた。






 グラシアは、何が起こったのかが一瞬分からなかった。
 こちらの本陣に突進していたゴールデンの騎馬隊が、突然ばらけ始めたのだ。策か何かかと思ったが、敵の総大将を前にしてのあの動きは、明らかにおかしい。
 何が起こったのかは分からないが、とにかく好機だ。今ならば、ルモグラフの兵と、自分の部隊とで、ゴールデンの部隊を一掃できる。
 そう思い駆けていると、いきなりルモグラフの歩兵を突っ切って、フーカーズ軍が飛び出してきた。
 シエラに攻撃するのではと、一瞬焦ったが、横にずれた。フーカーズは、散らばったゴールデンの部隊を纏め始めたのだ。
 そして、そのまま大回りで東に向かって駆け始めた。

「グラシア殿、敵軍が」
 部下の声がしたので、振り返り敵の本隊の方を見ると、緩やかに下がっていくのが見えた。
 どういうことなんだ。
 分からないが、自軍の誰もが、追撃を行わなかった。先ほどの、敵騎馬の強襲で、自軍は混乱しているのだ。
 とにかく、仕切り直すしかないということなのだろう。
 グラシアは、本隊に馬を走らせた。
 ルモグラフがいた。

「殿下は?」
「ご無事です。今は、本隊の中におられます」
 一つ、安堵する。
「何があったか分かりますか?」
 グラシアは聞いた。
「いえ、私も視認できませんでした。ただ、どうやら誰かがゴールデンを討ったようです。それでゴールデン軍が、勢いを無くしたのです」
「討った? 誰が?」
「それが、分かりません。部下が何人か見ていたようですが、片目に黒い眼帯をしている男だったようです」
「眼帯……」
 そのような男がいただろうか。
「我々も、一旦下がり、体勢を立て直します。それで、宜しいですか?」
「はい、お願いします」
 ルモグラフが指示を出し、全軍が、緩やかに移動を始める。
 グラシアは、ふと思い出した。
「あの、ブライトは……」
 言うと、ルモグラフが視線を横に向けた。それを追うと、全身の具足がぼろぼろのブライトが、馬上で威勢よく指揮をとっていた。










 ゴールデンが討たれた後、少しその場の時間が止まったような感覚に、グレイは陥っていた。
 呆然としていたシエラは、すぐに周りの部下に馬に押し上げられて、本隊の方に駆けていった。
 眼帯の男は、その場に立ったままだった。
 少し、俯いている。
 グレイは、馬から下りて、ゆっくり男に近づいた。
 五歩ほどの距離まで来て、ようやく男が、こちらに視線を向けた。

「やあ」

 心臓が高鳴ったのが分かった。




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