涼宮ハルヒの憂鬱以降世間がオタクに対して寛容というか、世間の人らも一般的な趣味として
ごく当たり前に好きなアニメや漫画が数個あるどころか一杯ある、というのが当たり前になってきた気がする。
いとうのいぢの蠱惑的なデザインに引かれ何かオタクになりたいとぼんやり思った時点で最早オタクである。
何か「新しいデザイン」だと多くの人が思ったような感じがあった。シャナは釘宮でなんか萌えであった。
「萌え」草木の芽が出る。
現代の萌えと全く関係が無さそうな感じもあれば無いとも言い切れない感じが悪くない。
萌え、萌える、説明しにくいが説明される以上にこの言葉の意味が貴彦に分かるようになったのはいつからか。
貴彦の家庭はそこそこありふれてるが一応若干特殊だった。
浮気性で暴力的な父「敏弘」と、優しく寛容的な母「佳恵」がいた。
母である佳恵は敏弘が浮気するたびに何も言わなかった、何も言わなかったと何も思わなかったは全く別である。
佳恵の友人である女達は「佳恵は静御前」と言って苦笑していた、静御前とは浮気されたり酷い事をされても
そこそこ耐えてたっぽい歴史上の人物であるらしい。
佳恵は基本的に耐えていた、酒乱でもある敏弘は毎晩のように酒を飲み暴力を振った。
毎晩のようにといっても、浮気性なもんだから基本的に女を見つけると家には帰らなかった。
佳恵はそんなアホを心底では愛していた。息子である貴彦はそんな母を可哀想だと思っていたし心のそこから愛していた。
愛の輪を乱すのは敏弘というバカただ一人だけであった。
敏弘は大体泥酔で当時幼稚園に通っていた小さい貴彦を一方的に可愛がっていた。
「男に産まれたからには男らしく生きな駄目やぞ。」としつこい程言った。
休日にはこれまた泥酔し小さい貴彦に筋トレやシャドーなんかをやらせた、糞みたいな愛である。
敏弘は貴彦に何とかしてボクサーになって欲しかったようなのである。最近ボクシング漫画を読んだ影響である。
これに対して貴彦は語彙が揃ってないので基本的に頭の中には文字が流れなかったが
「なんでこんなに仕事のような事を小さいうちからやらなければならないんだろう」みたいな事を感じていた。
「しかも家で。」「しかし怖い」「やらねば愛されぬ」貴彦は最低の父を心のどこかで愛していたのかもしれない。
貴彦は内向的だった。絵を描くことが好きだった、それも誰にも褒められなくていいと思ってコソコソ描いていた。
普通餓鬼ならおおっぴろげに描いて先生なり友人なりに見てもらい「うまい」「よく描けてる」世辞を貰って
そうかなぁって喜んでもっと好きになりそうなもんだがあえて誰にも見つからない時間を見つけて描いた。
何故か。貴彦の頭の中には「男らしく生きな駄目やぞ」が常にあったからである。
この時「絵を描く行為は何か男らしさが無いなぁ」漠然と恥の行為として幼い貴彦は捉えていた。
俺の人生を楽にしてあげようと父敏弘は思ってるのかもしれない、でもそんなものは結構なんだけどなぁと貴彦。
しかしどういうわけかその「男らしく生きな駄目やぞ」は根強く、いつまでも貴彦を苦しめるようになるのである。
貴彦が小学3年生の頃敏弘が本気の浮気をし、本気で家を出ていった。
佳恵は貴彦に「離婚してもうてね…」とか何も言わなかったので貴彦は中学1年に上がるまで
「お父さんはまだ家に帰ってこないのか、今度は長いな。」と馬鹿みたいに思っていた。
しかし佳恵に「お父さん最近帰ってこないね」と言うのは何となく駄目な事なんじゃないかなぁと貴彦は思っていた。
それは両親が離婚をしたという事実に薄々勘付いていたからである、何故か。友人の両親らから「お父さんは?」と聞かれる度に
「数年家に帰ってこない」と返していたが、その時に作られた相手の顔から出る同情を無意識の内に摘んでいたからである。
「しまった、面倒な事を聞いてしまった」「可哀想に」「苦労してんなぁ」別に貴彦はどうでも良かったのだが。
しかし最近父がいないし母親は優しいし「何かやりたい放題だな、何かをやりたい。」と小学5年生になった貴彦は思っていた。
貴彦はどこか遠くで女といる父が不愉快になるような事をわざわざするつもりが無かったが、思いつくやりたい事は偶然か反発かで
父の言う男らしさ全てに反対する物であった。
「俺は何故か長い髪でいる方が落ち着くので伸ばそう。クラスメイトが漫画を描いてる、久しぶりに描きたい」。