こんにちは、飯島望と申します。これを小説と言って良いのか、随筆と言うべきなのか、ただのメモ書きにも近いのですが、広い意味での創作物となっていることを願います。まず、これの意義なのですが、私の頭に起きた危険な症状について書きます。そしてこの先また、私の頭に危険な症状が起きた時の、回復の助けにするためのものです。また、これを読んでいる人の中で、私と似たような症状が起きている人がいたら、その人の助けにするためにも、この創作物を終わりまで書き切りたいと思います。
まず私について書きます。私が生まれたのは1990年の10月22日の月曜日です。月曜日といえば器量の良い子供が生まれると良く言われますが、いえ、細かいことを書いていても仕方ありません。私の幼かった頃について、簡潔に分かるように書きます。どうにも、孤独な子供だったように思います。一人でいることが多いという意味でも、また、精神的な意味でもです。どこか毎日息苦しく感じていて、まるでその場にいないように静かなときもあれば、他の人があっと驚くような、ちょっと危ないような剣幕でまくし立てたりすることもある子供でした。前後関係は覚えていないのですが、驚いたような顔で私を宥める大人の人が、私の周りには常にいたような気がします。
ですが、孤独と言っても、これもまた今でも不思議なのですが、私には千尋ちゃんという友達がいたのです。その友達は、真面目で、大人の言うことを良く聞き分ける普通の子です。その友達をCちゃんとします。Cちゃんとは、いつ仲良くなったのかはっきり覚えてはいません。幼稚園に入る前から既に仲が良かったことは確かです。Cちゃんについて、覚えていることをいくつか書いていきます。まずCちゃんは、幼稚園にいる頃から、漢字というものが何なのか知っていました。普通は、私のように頭の良くない子供だった人には共感をいただけると思いますが、漢字というのは、ひらがなの間に入ってる、あるだけで何かイヤな、霧のような、意地悪な何かでしかなかったと思います。ですが千尋ちゃんは、まずはじめに「大」「中」「小」という漢字を覚え、更に、わからない漢字についても、大体の予想をつけて文章の意味を悟ることができていました。あと、Cちゃんは人を笑わせることも得意で、皆が周りにいる時も、私しかいない時も、いつも面白いことを言ってくれていました。特に覚えている面白いことですが、幼稚園の砂場で遊んでいた時のことです。砂場の遊び道具の中に、何と言ったらいいか、泥団子を作るためのような、卵のパックのような形をした、ピンク色の遊具があったのです。千尋ちゃんはそれをお腹にあてて、「見てみて、内蔵」と言ったのです。千尋ちゃんの言うことはいつも面白いのですが、その時については私も、目の前に火花が散ったように笑い転げてしまったものです。
なぜ、千尋ちゃんについてこうも詳しく、私自身のことよりも長く書くのかというと、千尋ちゃんが私の頭の危険な症状に関して、というかこの創作物に関して、重要な役割を持っていると思うからです。というよりまず、なぜ私が、頭の危険な症状などと言って、まるで勿体つけるような感じで、その症状そのものについて書かないのかというと、私の頭にそのようなことがどうして起きるのかイマイチ分からないからです。なぜ一度治ったものが、またこう、不親切な人に手を引かれるように、再発というか出戻りというか、してしまうのか、よくわかりません。ですが、これを読めば分かるように、その症状が再発した私でも読めるように、簡潔に、そしてまた他の人にも分かるように、書いていきたいと思います。
話を戻します。まず、私は生まれつき絵を描くのが好きで、千尋ちゃんはさっきも言ったように、人を笑わせることが得意でした。人を笑わせることが得意だということはすなわち、人の気持が分かる、人の立場になって考える力がある、ということです。なので、私が絵を描いて、千尋ちゃんが話を考えるという役割分担を、千尋ちゃんが思いついたのです。ですので、いえ、これだけ書いても、初めて読む人には、なんのことやらちょっとわからないと思うので、詳しく書きます。
皆さんは、小学校の頃の給食についてくる飲み物は何だったでしょうか。私や千尋ちゃんの学校では、牛乳の、それもビンに入っている牛乳でした。ビンに入っているということがこの話では重要で、見たことがない人にはちょっとイメージしにくいかもしれませんが、牛乳が入っているビンには、紙でできた円形の、コインのような形をしたキャップがついていて、それを覆うように、小さな紫色のビニールがついていました。
話が飛び飛びになって申し訳ないのですが、私や千尋ちゃんのクラスで、給食の時間に、とても面白い話をする二人組がいたのです。面白いと言っても、その二人はただの日常的な会話をしていただけだったのですが、その二人の会話の間のとり方というか、言葉の選び方というか、何やらテレビに出て喋っている人達のように軽快で楽しく、いつしか、クラスメイト達も給食の時間は、その二人の話に耳を傾けるようになっていたのです。
そこで、先ほどの牛乳ビンの話ですが、牛乳ビンのフタと、紫色のビニールを思い浮かべてください。コインのような牛乳ビンのフタを、紫色のビニールでつつみ、キュっと口を絞るのです。すると、まるでそれが、歌舞伎や落語の演者に投げ入れるような、おひねりのように見えるのです。つまりはどういうことかというと、その面白い話をする二人組に、話が面白かったよという合図に、そのおひねりを渡す、という流れが、その二人組がいる班から始まり、徐々にクラス中の流行りのようになっていったのです。そして、その後なにが起こったかというと、遊びの範疇ではあるのですが、その牛乳ビンのフタがまるで通貨のような役目をクラスで果たし始め、そこで私と千尋ちゃんは、いや、今回はここまでにしましょう。
今、ここに書いていることは、全て意味のあることで、ひとつに繋がっていることはいるのですが、ちょっと話が横道にそれてきていますね。こういう、これに限らず、創作物全てに関することだとは思うのですが、立て続けに書いてはいけないのだと思います。これは私の経験によるものでもあります。なので、一旦ここで区切りたいと思います。皆さんも、私に対して何か思うことや指摘したいことがあれば、書いていただければ改善できると思います。よろしくお願いします。