第一話 陽を背負う者達
「オイ、そっち行ったぞ!」
「わかっている。迎撃するぞ、|旭《あきら》」
「ああ。…|昊《そら》、少し下がってて」
「は、はいっ」
人気の無い真夜中に、四人の少年少女の尖った声音が飛び交う。
そこは横幅のある大きな川がすぐ傍に流れる土手の上。彼らは互いに連携し合って、あるものと対峙していた。
それは、
「クルラァッ!!」
「おわ、危なっ」
奇声を発しながら小さな影が土手の下で蠢く。小さな子供のような背丈だが、妙に頭髪が薄い。頭頂部は円形に毛が生えておらず、夜空の月光を反射して光っていた。
まるで小皿を乗せたような奇怪な影が、土手を並走する少年目掛けて川に手を突っ込んで飛沫を飛ばす。
水飛沫は空中で三日月の形に変わり、そのまま土手の四人へ襲い掛かる。水だったはずのそれらは、鋭い切れ味を持って土手の地面を抉り斬り飛ばした。
「うわ、うわっ。なんか僕ばっか狙われてない!?」
チェック柄の上着の端を水の飛刃に斬られながらも器用に避け続ける少年が叫ぶと、隣の少年が呆れたように、
「前に出過ぎだ。それに回避も良くない。背後の昊に当たったらどうする」
言いつつ、柔らかそうな黒髪を目に掛かるかどうかの辺りで整えてある少年が冷静に前に出る。
「河童は水の使い手だ。『|土行《どぎょう》』の術式を中心に対応すればさして苦戦する相手じゃない」
土手を下りながら、ジャリリと靴底で強く地面を踏み、眉一つ動かさず少年は川に膝まで使って次の水刃を構えていた小人の影を見据えて、一言唱える。
「“|壌土《じょうど》|弐式《にしき》・|庇甲壁《ひこうへき》”」
下り切ったタイミングを計って放たれた水刃が少年に当たるより先に、唱えられた言葉に応じるようにして少年の足元から競り上がってきた土の壁が水の刃を全て受け止める。
「…ほら、今だ。旭」
「あいよっ」
難なく攻撃を防ぎ切った二メートルはある土の壁を一息で跳び越えて、ざく切りのような短い短髪の少年が裾を翻しながら疾走する。
「クァカッ!」
何事か吠えた小さな影が次の挙動に移る前に、駆ける少年が速度を落とさぬままに勢いよく右の正拳を突き出した。
「グゲ…ッ」
かなり深く入った拳に苦悶の表情を浮かべる小人が、しばらく唸った後に力なく川辺に倒れる。
「……ふう。討伐完了っと」
気を失った小人を抱えてジャバジャバ川から上がった少年が、土の壁を展開した同輩の仲間に人懐っこい笑顔を向ける。
「どうも、|日昏《ひぐれ》。助かったよ。相変わらず冷静だなーお前は」
日昏と呼ばれた少年も微かに笑みを返し、すぐまた真顔に戻る。
「この程度は誰でも出来ることだ。旭、お前は……相手のことを気遣い過ぎだ」
そんな言葉に人懐っこい笑みを苦笑に変えて、抱えた小人を地に降ろす。
「だってな、別にこの河童そこまで悪いことしてないだろ?あんま傷付けるのも気が引けるっていうか…」
白目を剥いて横倒しになっている小人は、衣類を一切着ていなかった。全身は薄緑色に染まっていて、ぬめぬめと粘液のようなもので覆われている。頭頂部には小皿を裏返しにしたような円形が光沢を放つ。手足はヒレが付いていて、背中には甲羅を背負っていた。
誰がどう見ても、十人が十人とも口を揃えて断言できてしまう特徴。
日本で伝えられている妖怪、『|河童《かっぱ》』だった。
「…そう言うわりに、かなりお前の打撃、効いているようだが…」
「えっ、マジ?」
痙攣しながら気絶している河童のタラコ唇の端からは泡が漏れ出ていた。苦笑がさらに引き攣る。
「あっれ、おかしいな……二十倍程度の強化しかしてないのに。……河童ってこんなに弱かったっけ?」
「まだ体も成熟しきっていないようだし、まだ生まれて間もないんだろ。そもそも成熟した河童ならある程度の知性も身に付くだろうし、無差別に人間を襲うような愚行はしない」
「ふうん。じゃあ結局悪いことしたな、僕が……」
「旭兄様っ」
申し訳なさそうに頭を掻く旭を、土手から降りて来た少女が呼ぶ。旭や日昏が昊と呼んでいた小柄な女子が、危なっかしい足取りでやってくる。後頭部の黒髪を結わえた青い紐に括り付けられているビー玉大の鈴が、少女の歩調に合わせて控えめに鳴る。
「ご無事でしたか、兄様?」
「もーまんたい、ってやつ?な、日昏」
「ああ」
息を乱して旭の全身をくまなく見渡す昊が、平然と肩を竦めて視線を交差させた二人を見てからほっと胸を撫で下ろす。
「良かったです、日昏様も…」
「今回は相手の河童も幼体であるのを見越した上で与えられた仕事だったからな」
「まあ、そうだね。ともかく怪我人が出なくてなによりなにより」
「怪我なんざするわきゃねーだろ、んなクソザコ相手によぉ」
三人の会話に割り込んで、苛立った険のある口調で最後の一人が追い付く。
ワックスで固めた茶髪のオールバック、左耳のピアス、全てを見下したかのように細まった瞳。
明らかにこの三人に比べて|性質《タチ》の悪そうな輩が、がに股で三人に合流する。
「お、|晶納《しょうな》」
片手を挙げて名を呼んだ旭を無視して晶納は倒れた河童のもとまで来ると、呼吸しているのを確認して不思議そうに靴の爪先で河童の皿を小突いた。
「なんで生かしてんだコイツ。さっさと|殺《や》れよ」
「いや待てよ、なんで殺す方向に決まってんの。殺さないよ」
「はァ!?」
顔を歪めて、晶納は旭の前に出る。
「…旭、テメェ馬鹿か?オレらがなんの為にここに来たかわかってんの?」
「お家の命令だろ?この近辺で、土手の通行人を襲ってる『何か』をなんとかしてくれっていう近隣住民の依頼で。ちょっ近い」
鼻先が触れ合うのではないかというほどの距離でメンチを切る晶納を押し返しながら、旭は同意を求めるように他二人へ視線を向ける。
「その通りだ。そして、その依頼に『何か』の生死に関しては触れられていなかった」
「そ、そうです!だから…」
「だから殺しゃいいじゃねぇかって言ってんだ。生かして得することなんざ一つもねぇし、逆にここで殺しときゃもう被害が出る可能性はゼロだ」
旭から離れ、河童の横でしゃがみ込んだ晶納が嗜虐的な笑みを見せて着ているジャケットの内側から片刃のマチェットナイフを引き抜く。
「テメェらが出来ねぇってんならオレがやっといてやるよ。首をストンと落とすか?それとも頭の皿割ってみっか」
「だ、駄目です、晶納様っ!」
昊の制止も聞く耳持たず、晶納が気絶したままの河童の皿へ逆手に握ったナイフを向けて落とす。
「おい」
「待てって」
刃の切っ先が触れる前に、旭と日昏の両名が止めに入った。旭が二の腕を、日昏がナイフを握る手をそれぞれ押さえる。
「無駄な殺生は無しだ、晶納」
ギロリと向けた鋭い眼光にも臆することなく、日昏が晶納の手をがっちり押さえ込んだまま言う。その言葉に同意するように、旭も無言のままに視線を送る。
「……チッ」
小さく、それでいてはっきりと聞こえるように舌打ちした晶納が二人を振り払ってマチェットナイフをジャケットの内側の鞘へ納める。
「…あ、あの…」
「いいよ、苛立ってるからそっとしといて。今話し掛けるとまた何か難癖付けられるし」
背中を向けて土手を上がって行ってしまう晶納をおろおろした様子で見ていた昊を、旭が片手で招き寄せる。
「その河童、目が覚めたら言い聞かせておかないとね。人間に手を出したら駄目なんだよって。昊、お願い出来るかい?」
「…はい、えっと、…やってみます」
安心させるようにもう一度微笑みを向けると、胸の前で両手を組んだ昊もこくんと力強く頷きを返した。
この世界には人智や常識を超えた人ならざる存在がいる。同様に、そういった力を宿した人間もまた、ひっそりと人の世に紛れている。
超能力者やエスパーと呼ばれる、近年出現してお茶の間を賑わている者達の中にも、ごく一部ではあれど『本物』はいる。
古くを遡れば祈祷師や預言者。多くの人間達の中で、ほんの一握りだけ存在した特異な力を宿した者。
陰陽師もその内の一つ。
人に害成す魔性の者、あるいはそれに連なる人外。それらを祓い、退治し、浄化する一族は大昔からその力を脈々と受け継いできている。
この四人も、そんな一族に出自を持つ新たな世代のルーキー達。
|旭《あきら》、|日昏《ひぐれ》、|晶納《しょうな》、|昊《そら》。
暗い深淵の闇を照らすは陽なる光。古来より相場は決まっている。
故に『|陽向《ひなた》』の姓を持つこの者達こそ、今代の一族当主を担うに相応しき退魔の継承者。
新進気鋭の若者達が、宵闇の中で一際輝く光を宿す。