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第十九話 交戦Ⅲ

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「…、っか…!?」
 前に出した右脚に力が入らず、先手を叩き込もうと意気込んだ第一歩目からアルはがくりとその場に膝を着く羽目となった。
 何が起きているのかわからず眉根を寄せるアルの眼前に、高速で振り上げられる革靴の爪先が見えた。慌てて跪いた姿勢から上体を反らし後退、ぐらつく頭で反撃の回路を繋ごうとするも散らかった思考ではそれすら朧となって霞んでしまう。
「ヒヒ、おとなしく七歩で死んどけってのに。これじゃオレの面目が潰れっちまうぜ」
 距離を詰められたことに気付けなかったのは相手の俊敏性故か、はたまた体の異常に対し判断が遅れた自らの過失か。
 ともあれわかったことは一つ。この身体を蝕む何かを仕掛けた正体。
「テメエか。俺に、何をしやがった」
 汗が頬を伝う。とうとう眩暈までしてくる始末、これでは相手の実力云々の問題ですらなくなってくる。剣を杖代わりに謎の微痙攣を繰り返す四肢に力を込めて頽れるのをどうにか堪える。
「調子こいたパンチが仇になったなぁ。手の甲、見てみろよ」
 ぐらつく視界でせせら笑う男に注意を割きながら、アルは先程少女を救出する際に男を殴った右手の甲をちらと見る。
 妖精種特有の、性別を問わないきめ細やかな白い肌。その一点に、肌の純白を侵す小さな擦過傷が僅かな出血と共に見て取れた。どうやら顔面を殴打した時、相手の歯でも当たって掠り傷となったようだ。
「このオレの牙、爪、血液から唾液に至るまで。触れるべきじゃなかったんだよなぁ、ヒヒッヒ!そいつは最大の悪手なんだわ」
 肉体内部を襲う激しい異常の数々、露骨に原因と示す手の甲の擦過傷。接触すべきではなかったという言葉の意味。
 確信に近い予想が口を突いて零れ出る。
「毒か」
「ご名答」
 蛇のような奇怪な動きで跳ね回る四肢。防御に徹しても全てを防ぎ切ることは出来ず数発の打撃を受ける。
 毒の巡りを受けてますます悪化していく肉体の状態。脳が不快な痺れに浸食されていく。呼吸が乱れ、剣を握る手に力が入らない。
「そらそらァ!!ぼけっとしてねぇで、もちっと気張れや!」
 力の抜けた手から剣を打ち飛ばされ、新たに生み出す間も与えられずアルの胴を靴裏が蹴り抜く。
「チッ…!」
 蹴りの衝撃に耐え、僅かに浮いた体が数メートル後方まで下がる。両足を地面に押し当てて擦りながら少女の眼前まで来てようやく止まった。
 とうとう平衡感覚すら危うくなり、ぐらつく視界で思わず再び片膝を着けてしまう。
「……アル」
 泣きそうな表情で、アル以上に体を傷つけている少女が駆け寄って来るのを気配で察し、嫌らしい笑みでこちらへ疾駆する男を視界に入れたまま叫ぶ。
「来るな!」
 相手の狙いはこの白銀の少女だ。ならば真っ先にこの子を逃がさねばならない。猛毒の回るこの身体では勝つことはおろか足止めすら難しいが、それでもやらなければ。
 続けて『逃げろ』の三文字を口にしかけた時、不意に何かが大きく破壊されるような異音が轟いた。さらに頭上からは工場の屋根を形成していた大小様々な無数の金属パーツやら鉄骨やらが降り注いでくる。
「「!?」」
 共に驚愕を露わにするも、両者の判断は迅速に行動へと移されていた。
 男は苛立ち紛れに降って来る鉄の塊を迎撃し回避を繰り返し、アルは剣を失ったことで空いた両腕で少女を抱えて全力疾走。肩で工場のドアを蝶番ごと破壊して突破し、毒に意識が持っていかれそうになる中で必至に逃走する。
「テんメ、また逃げやがっ…」
 逃げ出したアルを指差して叫ぶ男の真上から空気を裂く重量物の飛来音。慌ててバックステップで避けると、直後まで立っていた場所に巨大な鉄骨が垂直に突き刺さった。
 どうやら今ので最後だったらしい。破壊された屋根天井の瓦礫が鉄クズの山を作り、その頂に墓標のように突き立った鉄骨。その先端に、ふわりと黒髪と余った袖を揺らして小さな人影が降り立つ。
 工場の屋根を破壊した張本人らしき、朱色の着物姿の童女。履いている草履が鉄骨の錆を擦るざりっという音が轟音のあとの静寂に妙に響いた。
「…屋根、壊しちゃった。旭兄ぃに怒られる、かも」
 気の抜けるほど呑気な声音で、少女はゆっくりと周囲を見回して、それから男を見下ろす。
「人外。『仙薬』知ってる?」
「クソガキ。どこの回しモンだ。人間のクセに、まさかあの赤髪野郎のお仲間か?」
 赤髪?とよくわからないことを言う人外に首を傾げるが、どうにも何か物知り顔の様子からしておそらく『仙薬』に関わる者の一人だろうと予想する。
「知ってること、全部話せば殺さないであげる。言わないなら拷問しなくちゃいけない」
「おっかねぇこった。何者か知らねぇがガキでも殺すぞオレぁ」
「無理だと思う。陽向の中でも、私強い方だから」
「『陽向』…ヒヒッ、なるほど。退魔師連中は人材不足かぁ?ガキまで連れてこねぇと仕事がままならねぇとはなあ!!」
 地面に深く突き刺さる鉄骨を真横に蹴ってへし折ると、乗っていた小柄な少女がとすんと軽い音を立てて瓦礫の上に着地した。互いに視線を交わし、先に動いたのは人外の側。五指を揃えて鋭い爪の切っ先を幼い退魔師に向ける。
「悪いがこっちも急ぎでな!さくっと死んでくれや!」
「私も急いでる。だから、うん、さくっと」
 幼い退魔師、陽向日和は初陣の戦闘においてもやはり、そのマイペースっぷりを崩すことはなかった。



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「う、ごぇ…」
 びしゃびしゃと、吐瀉物が地面に広がっていく。
 全力疾走が祟ったか、毒がより全身に巡ってしまったようだ。顔は妖精種の特徴の色白さを越えて蒼白にまで。びっしょりと汗をかき、既に胃液しか出ないにも関わらず吐き気は収まるところを知らない。
(ま、じぃな。こりゃあ…死ぬかもしれん)
 あの人外の持つ毒性が予想を遥かに超えている。たかが掠った程度でここまでの効果を出すとは思っていなかった。この症状の深さ、おそらく致死に達する。
「……アル…」
 さっきまで抱えていた白銀の少女が、口元を覆うアルを見上げて裾を握る。それに力ない笑みを返し、アルは建物の壁に背中を預けてどっかりと座り込む。さっきまであれほど荒かった呼吸が、今や浅く細いものになっている。
「…おい。お前は、どっかに、逃げろ。隠れるでも、いい…とにかく連中には、捕まるな」
「……アル、は?」
 ひゅーひゅーと不自然な呼吸を繰り返し、脱力しきったアルが少女の問いに虚ろな瞳を向け答える。
「俺か。……俺は、そうだな…。せめて、一人…あのクソ野郎くらいとは、刺し違えて、おき…」
 言葉半ばに、アルは俯けた頭を上げることはなくなった。かろうじて呼吸は継続しているが、それも時間の問題で止まることだろう。
「……アル。アル」
 呼び掛けにはもう応じない。どんどんと肉体を侵す猛毒はアルムエルドという妖精の命を削り取っていく。
「…………」
 少女は、そんなアルを前にして見捨てて逃げるでも、泣き出して縋りつくこともなく。
 ただ、その手を取り、小さなおでこをこつんと当てた。



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「見つけた」
 散々探し回って、ようやく目的の人物を見つけた音々がゆっくりと近寄る。
 その途中で、白銀の少女が祈るように手を握っていた相手の醜態も見つけた。先程交戦したばかりの、威勢の良い妖精種だ。
 外見に目立った傷は無い。深手はおそらくその内部。戦った相手のことを考えて、すぐに音々はその原因に思い当った。
「ジャドの毒にやられたわね。だから言ったのにこの馬鹿」
 はんと鼻で笑い、けれどその嘲笑も長くは続かなかった。
 僅かに上下するその身。あの人外の猛毒を受けて尚、かろうじて生き長らえているのがわかったからだ。
 それと共に、少女のぎゅっと瞑った顔に滲む汗。
「…『使った』の?そいつに」
 主語の抜けた質問に、少女は無言を肯定として返す。やれやれと肩を竦め、音々は呆れた風に少女の背に触れる。
「やめときなさいな、ただでさえ『仙薬』の絡みで体力を使ってるっていうのに。それ以上力を使ったら、今度はあなたの方がダウンするわよ?」
 ゆっくりと、少女の背をさする。こんなことで良くなるわけではないが、そうせずにはいられなかった。
 少女は握っていたアルの手を地面にそっと垂らす。幾分血色の戻った顔色を見て、ようやく音々の顔を見る。
「……アルは、だめ」
「…手を出すな、ってことかしら。それは」
 こくんと首を縦に振る。
「……もどるから。だから、アルは」
 せっかく逃げ出せたというのに、少女はそれをふいにしてまでこの妖精を見逃してくれと言う。
 正直、この条件を呑む必要はまったく無い。
 この場で妖精を殺し、そのまま少女を連れ戻すだけで事は足りる。衰弱した少女を拘束するのは容易いことだし、わざわざこの憎き妖精種を生かしておく理由もまた無い。
 ただ、
「……おねがい、ネネ」
 音々は少女の敵であるつもりもなければ、味方にもなりきれない。それがこの二人の間にある複雑な関係性となっている。
 『仙薬』を生み出す過程で、この少女にどれだけの苦痛と疲労を課しているのかを音々はよくわかっていた。それを止められず、またどうにもできないそれを罪と感じてもいる。
 これが、少女に対するほんの少しの贖罪にでもなれば。
「行きましょう。他の連中も連絡して撤退させるわ。これ以上暴れると本格的にヤバそうだし」
 少女の手を取り、起き上がらせる。ぱぁっと表情を明るくさせた少女に、音々は再度自らの無力さを痛感せざるを得なかった。
 この子の笑顔を、こんなことでしか見ることが出来ないなんて、と。



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 連絡用にと持たされていた小型無線機からブーブーと無機質な呼び出し音が鳴る。
 取り出し、応じる。二言三言で用件を済ませ、すぐに無線を切った。懐に戻し、踵を返す。
「待てよ」
 それを呼び止める声と、飛来する刃。
 危うく自慢の長っ鼻が斬り落とされるところを、顔を逸らして回避するは妖怪種の上位に属する大天狗。対峙するは血気に逸る退魔師・陽向晶納。
「失せんならその首置いて行け。じゃなきゃ死体丸ごと晒して死んでけ」
「…その殺意、異常の一言に、尽きる。退魔師、お前は、異常だ」
 大天狗の軽微な損傷に比べて、晶納の負傷はより目立つ。それでも五体満足で大天狗と競っていた事実は驚愕に値した。
「我が名、|鉄平《てつひら》。決着を望むならば、出直せ。こちらの用件は、もう済んだ」
 一方的にそう言って、羽団扇を強く扇ぐ。目も開けられぬほどの突風が渦を巻いて晶納を囲う。二振りの天秤刀で風を引き裂いた時にはもう、あの赤ら顔は陰も形も無く消えていた。
「…クソッ!!」



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「日和!」
「…ん、旭兄ぃ」
 旭と戦闘していた巨漢の能力者は、何事か無線で連絡を受け取るとすぐさま引き上げてしまった。一応追跡を試みたものの、豪雨の如く降り注ぐ大量の工事器財や大型の凶器の前に阻まれ、やむなく日和との接触を優先した。
 合流した時、旭は不審な点をいくつか見つけた。日和の無事を確認し、まず真っ先に気になったそれを訊ねる。
「…あの、日和。それ何?」
 別れた際、日和は手ぶらだったはず。だというのに、今はその両手が塞がっていた。ひとまず右手に握っているそれを指すと、彼女はなんでもないようにそれを持ち上げる。
「腕」
 腕だった。
 二の腕の半ば辺りまでの、肉体の欠片。切断面は何やら切れ味の悪い包丁で強引に切り分けたように雑な切り口となっていた。
「それ誰の?」
「人外の。闘って、捥いだ。でも逃げられちゃった」
 鼠を殺して咥えてきた猫のように、ややドヤ顔でぷらんぷらんと戦果を披露し終えた日和が、用済みとばかりにその腕をぽいと捨てた。
「……はぁ~…」
 片手で顔を覆い、嘆きの溜息を吐き出す。あれほど交戦はやめろと言ったのに、どうやらやってしまったらしい。
 しかし済んだことはもうどうしようもない。幸いなことに日和は無事…まさしく何事も無かったように傷一つなく、その戦いは圧勝の一言に尽きることがよくわかった。
 だからそれはもういい。いや良くはないのだが。
 顔を覆った手の隙間から、それを見る。空いた右手の逆、左手で襟首を掴んで引き摺っている何者か。
「…で、それ誰?」
 気を失っているのかぐったりとしたその顔は見えないが、頭髪は天然のものらしき明るい赤。
 一部の例外を除き決して毛髪に黒の有り得ぬ種族。その色白の肌。予想を違えず日和は言う。
「追い掛けて仕留めようとした途中で見つけた、妖精。たぶん、晶兄ぃが襲い掛かったっていう、被害者」
「ああうん、そうなんだろうね」
 曖昧に頷いて、旭は思う。
 この妖精の彼が目を覚ましたら、まず謝ろう。
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