第二十四話 『反転』
九つの陽玉が、“念力”によって指向性を与えられ飛来する工事道具や機材を次々熔解させていく。
「相手が人間であろうとこの一件は見逃せない。退魔師である以前に、人として君は許すわけにはいかない!」
「そのわりには動きが鈍いな。抵抗を覚えているだろう退魔師、それだけ強大な力を保持しておきながら今尚俺が生き延びているのがその証拠だ」
工場内を、距離を保ちながら瀬戸が鉄骨に乗り飛び回る。陽玉の追撃を避ける為でもあり、“倍加”を持つ退魔師との接近戦を避ける為でもあった。
単純な性能では、異能を宿すだけの人間である瀬戸と人外と戦う為の訓練と鍛錬を積み重ねてきた旭とでは雲泥の差がある。それを理解しているから、瀬戸は唯一の勝機に賭けていた。
すなわち陽向旭という人間の、退魔を担う者としては致命的なまでの甘さ。
そこを突き、短期の内に仕留める。
旭が人間の殺害を躊躇い生まれる隙を、今か今かと待ち侘びている瀬戸。明らかなる格上である敵との戦闘に、瀬戸の全神経はその退魔師にのみ集中していた。
だから、いきなり真横から飛び出してきた妖精の急襲への対処など、考えているはずもなく。
「っ…ぬぁあっ!?」
両刃の剣を手に突撃してきたアルに、苛立たしげに反応した瀬戸が今まさに射出しようとしていた鉄骨を束ねて盾とする。
まるで獣のように後先考えていない体当たり気味の剣撃に、束ねた鉄骨が纏めて歪む。
「邪魔だ妖精!お前の相手などしてる暇は…、?」
叫び、歪みに歪んだ鉄骨の形を“念力”で強引に整え直して、バットのように振るいアルの体を打ち飛ばす。
何故か防御することをしなかったアルの額は割れ、落下した先で流血に染まる朱色の頭。
「……、なに?」
自身の両目が過労か何かで錯覚を見せているのかと、瀬戸は思った。
鮮やかな朱色の髪が、パチパチと薪が燃えるような音と共に黒ずんでいく。それこそ、焼け焦げるような。
「…ぅ、ォぉ、アアぁァああア」
「アル…アル!?」
その異変に、旭も攻撃の手を止めて名を呼ぶ。しかしアルは応じず、意味を成さない呻き声を上げながら視線をただ一点、瀬戸にのみ定める。
変色していく頭部は髪にのみ留まらず、その妖精種独特の病的なまでに白い肌をも侵す。
髪は朱から煤けた赤茶色へ。白い肌は濁る汚泥のような、紺とも藍とも紫とも灰とも見える不気味な寒色へ。
見開く瞳に正気の色は既に無く。何より背中から生えた薄羽のなんと奇怪なことか。
綺麗な半透明の蜻蛉羽を思わせるそれは黒色に染まり、変ずる形は蝙蝠を思わせる。
お世辞にも妖精だとは言えない外見。むしろこれが初見であった者は迷わずこれをこう呼ぶのだろう。
『悪魔』。
「おお、おおァ…アアああああああああああア亜ああ阿啞ああァがアアああああああ!!!」
アルを中心に不快な肌触りの風が渦巻き、その醜悪さをより強調させる。右手に握る両刃剣に再び熱波が集約されていき、発火点を超えて炎を生み出す。
発現した炎すら薄気味悪い紫炎となり、ガパリと開いた口からは地の獄から響くような怖気を走らせる魔の咆哮。
その吼える先にいる瀬戸へ、この局面でまで甘さを捨てきれなかった愚かな退魔師の悲痛な声が届く。
「はや、く……早く逃げろ!!死ぬぞ!?」
間に合うわけがなくとも、そう喉が張り裂けるほどに声を上げることをやめられなかった。
そうして。ついに。
意味すら、発音すら聞き取れない悪魔の文言が解放される。
「“れ意ヴぁtE以n”」
片腕で振り下ろした北欧の魔剣は贋作故の脆さに耐え切れず自壊し、それでも折れた剣身から放たれた紫炎の暴虐は工場一つを消し飛ばすに充分過ぎた。
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「…っく、げほっ!」
瓦礫の山からどうにか這い出て、旭は痛む喉から塵やら埃やらを吐き出しながら立ち上がる。
紫炎が瀬戸を飲み込んで、尚も衰えぬ火力で工場を跡形もなく倒壊させたところまでは確認したが、そこから先は情けないことに自身の命と小さな白馬を守ることで精一杯だった。
首を巡らせ瓦礫の敷き詰められた空間を見回す。無人の街で、電灯の明かりだけを頼りにして旭は見つけた。
「―――…」
「あァあ…あアアああ!!死、ね。シネ、殺ス…!!」
半分以上が炭化した、人のような何かの首を掴んで持ち上げた、妖魔。
死ねと殺すと|譫言《うわごと》のように繰り返すアルムエルドは、果たして首を鷲掴みにした相手が既に息絶えていることに気付いているのかいないのか。
絶命の間際の抵抗だったのか、アルの体を貫いている数本の鉄パイプがひとりでに蠢き、砕け散った両刃剣の代わりに右手へ集う。
新たな形を与えられ、手の内で鉄パイプは錆びた灰色の鎖へと変わる。ガチガチと牙を打ち鳴らすような気色の悪い音を響かせ、黒色の悪魔が鎖の巻き付く右手をかざす。
「“俱lEイぷ弐る”…!!!」
直後、唐突に膨張した鎖が焼け爛れ頭蓋骨まで露出した屍の頭部を食い千切った。やがて枝分かれした鎖は生物のようにそれぞれが動きを見せ、掴む死骸をさらに蹂躙し穿ち貫き破壊していく。
一度の死では許さないとでも言わんばかりの慈悲なき猛攻に、唖然としていた旭もようやく気を取り戻した。
「やめろアル!もう死んでる、これ以上君が手を汚すことはないだろう!」
言葉が届かないことは知っていた。この外見からして、既に妖精アルムエルドは確かに死んでいたのだ。
この現象に、旭は一つの現象を思い起こしていた。
人外には、それぞれに人間から伝え語られて来た起源が存在する。
様々な伝承から由来・出自を派生させてきた人ならざる者には、必ずしもたった一つの起源しか存在しないということはあり得ない。
例えば人に懐き人間と友好的な共生をしてきたとされる人外も、地方や国によっては悪しき存在、人を害し喰らう忌み嫌われるモノと蔑まれていることだってある。
善なる者が、揺るぎない単一の善性を確立させているということは滅多に無い。
そういった性質を持つ人外が、稀にとある条件下、とある状況下によって地の性質を真逆の由来に引っ繰り返してしまう事態が起こり得る。
コインの裏表のように、善が悪に、悪が善に。
人外特有のこの現象は『反転』と呼ばれ、人間と人外との間でも厄介なものという認識を共有してきた。
実際に見るのは初めてだ。何せ、集落での座学の中でしか聞くことのなかった現象だったし、この四年間の退魔家業でもこんな稀有なケースに出会うことは無かった。
だが分かる。これだけの異様。おぞましき瘴気漂う魔性の気配。
ついさっきまで共闘していた者と、もはや同じ存在ではない。
「アル…」
再度呼んだ名は、酷く弱々しく萎んだ声音となって吐息に混じる。
『反転』は通常一度起きてしまえば元に戻ることは無い、不可逆であるとまでされている現象だ。
こうなった人外は、同じ性質には決して帰れない。
正気は狂気に成り代わり、義心は悪逆へ変転する。
救いはおそらく―――死のみ。
「アル。………辛いだろうが、堪えてくれると助かる」
分かっている。分かっていて、
|そ《・》|れ《・》|で《・》|も《・》。
「死ぬほど痛いと思う。でも堪えてくれ。せっかくここまで来ただろう?あの子を救い出す為に。その君が、こんなところで終わるなよ」
九つの陽玉を従え、どこまでも甘えを捨てきれない、本当にどうしようもない退魔師が微かに笑んで見せる。
人としての形すら失った屍を放り投げ、アルは浅黒い肌から蒸気のように不気味な黒を揺らめかせる。
広がる、ボロボロに朽ち果てた蝙蝠のような羽。右手に怪物のような鎖、左手には瓦礫の中から鉄材が掻き集められ武器が創造されていく。
焼け焦げたような煤けた赤茶色の頭髪。その隙間から光る眼光に、あの少女を一心に想っていた妖精の気配はやはり、欠片も感じられない。
でも、
「死ね、死ネ…!あの、子ヲ……害すル人げン共がァ……!!」
眼前の悪魔は正気を見失い狂気に身を任せても、まだそんなことを言うから。自分自身で正しく意味すら理解出来ていないだろうに、そんなことを口走り続けるものだから。
陽向旭は安堵する。
虐殺の行動原理に、きちんとした意味を見出せたから。
この『反転』に、まだ救いはあると信じられたから。
「魔を退けるは我らが使命。久しぶりに、きちんと『退魔師』としての役目を全う出来そうだよ、アル」
魔性に浸かる妖精を救出する。何が何でも。
そうでなければ、あの幻獣種の幼子があまりにも救われない。