第四十一話 憑百由璃
集落までの道中は平和なものだった。珀理と琥庵を最北端と最南端へそれぞれ転移させ体勢を大きく崩したことで、憑百家全体の動きにも影響が出ているのかもしれない。
異変に気付いたのは集落へ一歩踏み入れた時だった。
「おい」
「わかってる。なんだこれは…」
ベルトに挟んだマチェットナイフを後ろ手に掴み警戒する晶納に頷き、到着によって弛緩していた心身に力を巡らせる。
立ち込める不穏の気配、この地がこれほど殺気に満ちたことが今まであったか。
ピリピリとした空気を肌で感じ、ひとまずは長のもとへと足を運んだ二人が最初に見たのは。
「旭兄様!晶納様も!」
集落での普段着としている桜模様の着物姿で走る昊が、髪留めに括られた鈴を鳴らしてやって来た。
「昊。危険な任務を受けたと聞いたけど無事で良かった。そういうのは事前に僕にも言っておいてほしかったよほんと、帰り途中で聞いて倒れるかと思ったんだからさ」
「あ…も、申し訳ありません。でもあの、日昏様と日和ちゃんも一緒だったので、そんな危ないことは、なかったです!」
眼前まで来て、少し乱れた息を戻しつつ応じた昊へ晶納が問う。
「なんだこのピリつく感じは。どいつもこいつも殺気立ってやがるのはどういうことだよ」
第六感とも言うべき彼ら特異家系者特有の感覚は、指向性をもって一ヶ所に集約されている殺意の根源を見抜いていた。
負念の集うそこ、集落内でもっとも大きな屋敷を指して昊が沈痛な面持ちを覗かせる。
「わたしたちが保護した人を、連れて来たのですが……えっと。怪我していたのと、あと安易に自由にさせるわけにはいかないと長老様が仰いまして、今は屋敷の地下牢に…」
いまひとつ要領を得ない説明ではあったが、おおよそ理解には至った。
昊達三人はとある人物の回収と輸送を任務として出ていた。それは目下最大案件でもある件の家から離反したと思しき女。
名を憑百|由璃《ゆうり》。
最悪の敵となった特異家系の一味である可能性を捨て切れない以上、保護したとはいえ普通の客人と同じ扱いには出来ないのだろう。陽向の人間達が抱く敵意も頷ける話だ。
「今は牢の内側に結界を敷いて力も封じてあるそうです…。日昏様と日和ちゃん、それに長老様が見張りに立って何か話をしていました」
「わかった。僕らも行こう」
相手が相手だけに気を緩ませるのはまだ早い。これからの為に、何としても彼女から憑百家の情報を引き出さなければならない。
とはいえ、必要以上の警戒は必要ないようにも思う。というのも、袖を摘まんで付いて来る昊がこんなことを言ったからだ。
「旭兄様、あの方に敵対意思はありません。だからお願いします、乱暴なことはしないでください…」
この言葉に嘘はない、不確定な同情の弁でもない。昊がそう言うのであればそうなのであろう。敵対意思を持たないことは確かなことだ。
生物の心情を読み取り虚偽を許さない疎通を可能とする、それが陽向昊が異能として所有する〝感応〟の力なのだから。
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「懐かしい場所だろう」
紫煙を燻らせ、椅子に腰掛けて足を組む日昏が背を向けたままで開口一番そう言った。
座敷牢というものが、どうして集落内で最高権威を持つ者の屋敷に置いてあるのか常々不思議ではあったが、何かあった際に収拾をつけるのに適任であったからというのが有力だと旭は勝手に思っている。
こうしてまともに座敷牢が座敷牢として使用されているのは旭以外の誰にとっても初めて見るものだ。何せ陽向家には投獄されるほどの重罪人は出たことがなかったから。
ただし、お仕置きの名目で週に一度は入れられていた悪童なら知っている。というか隣にいる。
「ここって牢屋だったのかよ……」
(知らなかったんかい)
まさか子供のお仕置きに本物の牢屋を使われていたとは思わなかったのか、一番慣れ親しんでいるはずの晶納が愕然としていた。
「おかえり、旭兄ぃ」
「大変だったようだの、旭」
椅子に腰掛ける日昏の少し前、小柄な童女と禿頭の老人が並んで立っていたが、童女の方はすぐさま踵を返して旭に抱き着いてきた。表情には出づらいが、これで案外甘えたがりな娘であることを旭は知っている。
「ただいま日和。お疲れだったね」
「ちょっと強くて、うん。撤退戦は難しいことを学んだ」
話に聞けば追手の数は八。動けない女を守り逃げながらの戦闘だったという。さらに八人の内の一人はかなりのやり手らしかったが、日和にとっては『ちょっと強い』で済む程度なのだからまったく笑えて来る。
「ちょっとどころで済むものか、まったく。アレらはやはり憑百家の中でも別格らしいな」
短くなった煙草を携帯灰皿へ押し込み、日昏が椅子から立ち上がる。
「『|慟衡畏極《どうこういきょく》・金の|討手《うちて》』…交戦したのは憑百|鏖釼《おうけん》なる男だ。足手纏いを抱えていなくとも勝てたかは怪しい」
日昏すらもが苦い表情で言ってのけ、それが一層に過酷な撤退だったことを伝えて来る。
「大丈夫。次はちゃんと勝つから」
落とした視線の先では頼もしく断言してくれる日和。虚言と思えないのが本当に恐ろしい。
そして旭は聞き逃さなかった。日昏がその鏖釼という人物をして別格の『アレら』と呼んだことを。
「まさかとは思うけど、その男は」
「ご明察です若き当主。憑百鏖釼は琥庵と同じく七宝が一角」
言葉半ばで割り入ってきたのは陽向の誰でもなく、結界に閉じ込められた異物の女。
「初めまして陽向旭殿。この度は我が亡命に助力頂き感謝します。見返りのほどは、今しがた提供させていただいた『七宝衆』の情報でひとまず」
至極丁寧な口調に物言い。確かに敵意は微塵も感じない。
染色らしからぬ青紫のショートカットは視界を広く保つ為か中央から左右にヘアピンで留められ、只者ではないと感じさせる鋭い双眸を曝け出している。その両目も、不思議なことに左右で薄っすら蒼と紺の色を交えているオッドアイ。
「そういうことだ。ヤツは名乗らなかったが、闘い方からして憑百由璃の明かした情報と一致する。少なくとも鏖釼について嘘は無さそうだ」
つまり日昏達は交戦時には相手が『七宝衆』だということを知らずにいたことになる。こちらも同じ状況だったが、事前に彼らの異質さを知っていればもっと違った結果になったかもしれない。
日昏の声を聞き取ったのか、由璃は封印と結界で手も足も出せない中でそれでも微笑んで見せた。後ろめたいことなど何一つないと言わんばかりに、
「無論、無意味な嘘で自分の身を危うくさせるつもりは毛頭にも。必要なことは全て吐きましょう、憑百家を討つのであれば必須な情報もありましょう」
畳に正座で座り、さあどうぞと両手を広げるジェスチャー。一切に不審な挙動は見られないが、ここで一つ疑問が生まれた。長老陽向|隷曦《れいき》の隣に回り耳打ちする。
「長老、まだ彼女からは何も訊いていないのですか?」
「二度手間になるかと思うてな、お前達の到着を待った。この一戦、新たに当主として座に就くお前が主導すべきと自負せよ」
長く空席だった当主の座が確定した今、代行していた自分はお役御免だと言いたいらしい。いきなり全てを任せられたところで無理があるのだがそこはそれ、まずは手始めに聴取から執り行うとしよう。深く考えればキリがない為多少強引にでも自身に言い聞かせる。
「…じゃあ、確認も含めて聞いていくよ、憑百由璃」
「ええどうぞ、いくらでも」
まずは敵を知ること。その真意、その目的を結界を隔てて問い詰める。
「憑百家の狙いは?」
「人外の皆殺し。滅魔の異名通りにね」
「不可能だ」
一つ目の質問から早くも拗れ始める。割り込んだのは意外にも普段黙して耳を傾けるはずの日昏だった。
「人外は不滅の存在、殲滅など土台無理な話。それくらい、知らないお前達でもあるまいに」
人ならざるものは完全な消滅というものをしない。不滅といえば語弊が生まれるが、ようするに人外は転生するのだ。
いくら死のうが滅されようが、人外の種は人間の思念に在る。記憶は継承されず、経験も蓄積されない。だが人外は消滅しても期間を置けば再びその姿形を復元させ、由来のある地にて復活を遂げる。古くから伝わる極東の妖怪種なども、今や何代重ねてきているのか知れないほどだ。
これを防ぐ手立ては無い。科学等で証明できる現代の時点でも、幻想や奇怪な現象を人ではない何かの仕業であると信じて疑わない者は数多く、その限りでは人外の存在は信じる限り存続すると言っていい。
もし、仮に、これを完全に防ぎ人外の転生復活を止める手段を行使するというのであれば、
「人間を皆殺しにでもするつもりか、お前達」
「まさか」
よぎった最悪の予想は、幸いにも否定された。
「憑百は人間に手出しはしませんよ、邪魔さえされなければね。そうは思われないでしょうが、アレらは本気で人間の為に人外を殺し尽くすつもりなんです。それが人間を皆殺しにしてしまっては本末転倒というもの」
「ではどうやって殲滅を?」
「わかりません」
ゆるやかに首を振るう由璃を見て、斜め後ろで控えていた昊に確認を取る。〝感応〟の領域を敷いている昊は彼女の心理を読み取った上で頷いた。嘘は、ついていない。
「案外何も考えずに殺し続けているのかもしれない。見てて分かる話ですが、憑百はもう狂い始めてるんですよ。他家の干渉を気にも留めず、往々と人外滅殺を続ける。殺し過ぎて、殺す技術のみを突き詰めすぎて肝心なことがすっぽ抜けてる。いつか底を尽くと考えてる。具体案も無いままにただ殺し続ける。それが今の憑百です」
「だから、抜けた?」
「ええ。そうです」
酷く無関心に、由璃は生まれ育った家を客観的に狂っていると評価した。その理性こそが、彼女から憑百への離反を決意させたのだろうか。
本意については分かった。まだ、調べる余地はあるように感じるがそれは後々で構わない。
「次だ。君は滅魔精鋭の一人だね?」
「その通り。私らは宝石を由来に真名を形作る。その中でより素質のある者を選定し、その代で七つに振り分けられる。それが『七宝衆』」
仏教において七種の宝物として挙げられる七宝。その七つとは、
「えっと、金・銀・瑠璃と珊瑚と……あとなんだっけ」
「玻璃と硨磲、それに瑪瑙だ」
「そうですね、その中では鏖釼は金、私なんかは瑠璃の宝物を名に組み入れられています」
「オイ待て、琥庵はどうした。あの野郎も七宝とやらじゃねえのかよ」
噛み付くように前に出た晶納が指摘する。琥庵、その名にあるは琥珀。
「七宝は経典によって違いが出ますので、我々も宝物を一律で揃えているわけではありません。世代によっては違う七宝が出たり、あるいは数が揃わないなんてこともあるくらいですから」
「そうだの、ものによっては水晶や玫瑰、…琥珀も、七宝の一つとしては挙がることもある宝石じゃて」
(……あれ。でも琥珀は…)
旭の表情から読んだのか、虚空を仰ぎながら由璃も難しい顔をした。
「憑百家当主と琥庵の関係性は、ちょっとよくわからないというか。でも当主自身が七宝に加わっている例も過去にはあったので、真名被り自体はさほど妙ではないかと」
手早く情報を開示し、むしろ促すように由璃が話の流れを戻す。
「私が知る限りでは、『七宝衆』は私を含め五人。…ただし、残念ながら憑百家と陽向家とでは七宝でなくとも戦闘力の開きがあり過ぎる。陽向三人で、ようやく一般の憑百一人を相手取れるかどうかというのが私の見立てです」
それほどまでに強い憑百とは一体…そう口に出し掛けて、やめた。理由は分かり切っている。
あれは並大抵の修練などで手に入る力ではない。明らかに大きな代償を必要としている。寿命は確実に削れているだろう。それに彼らは死地を恐れない。だから死傷者も多く出るが、生還すれば得られる経験は莫大だ。
憑百は陽向より少数だが、それだけ質が高いという結論は容易に出せる。
「知り得る限りで個々に情報と対策は講じます。特に金と琥珀の七宝は真正面からの戦闘は大きく不利になるので」
「わかった、ありがとう」
危機的状況だという現況再確認は済んだ。細かい話も聞いていきたいところだが、彼女はまだ万全ではない。とりあえず横になってもらい、休息を取った後に改めて訊くことにする。
「しばらく療養してもらって構わないよ。昊、彼女を看てあげて。それと日和、一応何かあってもいいように昊の傍にいてあげてくれるかな」
「うん、言われずとも昊姉ぇは守るよ」
「ありがとう日和ちゃん。でも大丈夫ですよ、由璃さんは危害を加えてきませんから」
〝感応〟が成す信用か、人柄からくるものか。…いや後者で間違いない。
ともかく自分としては質問は一段落ついたわけだが。
「何か、訊きたい人はいる?今の内に」
そう訊いてみれば、驚くことに長老と日昏を除く全員が挙手したものだから苦笑いが浮かんでしまう。
「……それじゃ、順番にどうぞ」
「俺からだ」
我先にと晶納がさらに一歩、結界のギリギリまで近づく。顔まで寄せて威圧し、
「『七宝衆』、いや憑百家で一番強ぇのは誰だ、琥庵のクソ野郎か!?」
「?、いえ最強は間違いなく当主ですが、七宝であれば琥庵でしょうね」
「チィッやっぱそうか!!」
素直に答えたというのに何故か怒り心頭の様子で奥歯を噛み締めた晶納がドスドスと足音高く地下から出て階上に昇って行った。
「なんなんだ…、ああ次どうぞ?」
すると次は申し訳なさそうに昊が前に出る。
「あの…由璃さん」
「はい」
「本当に、いいんですか?生まれ育った家で、一緒に闘って来た仲間とか友達とか、いたんじゃ…?」
訊いていいのかどうかをおっかなびっくり訊ねる昊へと、由璃は不快な様子を見せずにきっぱりこう答えた。
少しの躊躇いも逡巡も見せずに。
「いいんですよ。さっきも言った通りもう狂っているんで。……手遅れだったんですよ、大体全部が」
「…………」
何が、とは誰も訊かなかった。
「では、儂は見張りの人員を選定して時間ごと割り振るでな。外す」
用は済んだと隷曦も座敷牢から出て行く。自分もここから当主として動かねばならないのでやることは多く、長老に続いて出ようとした時、手を挙げていたはずの日和が退屈そうに小さな欠伸をしていたのが目についた。
「日和は、質問しなくていいのかい?」
「いい。もう晶兄ぃが訊いたから」
誰が一番強いのか。晶納はともかく、日和までそんなことに興味を示したのは珍しい。
「参考になった。|鏖釼《アレ》より強いのが二人、うん」
「…?えーと、それで何が参考に?」
「殺す順番。琥庵ってのと、当主。なるべく優先して殺すね、兄ぃ」
なんの緊張もなく、雑事と片付けるかの如くあっけらかんと大業を宣言した童女がどこまで本気なのか、兄である自分にも分からない。きっと一から十まで本気なのだろうけど。
「く、くれぐれも無茶だけは避けてね、日和。ほんとに」
「平気。やってみないとわからないけど、私強いから」
神童、退魔の神子。いくつかの世代を跨ぎ、時折現れる非凡の才覚者。
感覚の違いなのか、計り知れない思考の末に吐き出される言葉の一つ一つには奇妙な重みがある。
日和は嘘をつかない。意地を張らない。無理をしない。
出来なければ素直に出来ないと言うし、厳しいと判断すれば率直に難しいと進言する。
だから怖いのだ。
日和が殺せるというならば、きっとそれは事実に違いないから。