なんで死にたいの? っていう話になって、「人が死んで悲しくなりたくないからだよ」って答えたら、「優しいんだね」って馬鹿にするような目で言われた記憶がある。
そいつソイツの細くなった目の奥に私の笑った顔が二つ見える。他の奴らも……そうだった。
一人は憐れんだ目でジッと私の中を見透かそうとしながら「死なないで」と言っていた。もう一人は眉間に皺を寄せながら腕を組みながら「そういう話をするな」と突っぱねられた。
目ん玉に無理に笑ってて死にそうな私の顔が映ってんのに、なんで揃いも揃って生きろっていうのかが分からない。
そいつらは生きるのがきっとすっごく楽しくて私に押し付けようとしてんだろう。自己陶酔に浸った答えを私が欲しがっているように見えないのか。それを聞いて、私が嬉しがると思うのか。……とか思いながらそいつらから目を逸らしてみると、視界の隅で心配そうな顔が行儀よく見えた。綺麗に整頓された顔は目の裏にくっきり残ってしまう。見たくないから見ないようにしてるのにそういう顔だけよく見えるのは……、よく出来た皮肉だと感じる。
どうやら、普通の人は死のうと思わないらしい。普通の人が言ってた。
なんで普通の人が死を考えないのかが分からなくて、普通の人の友達に聞いてみた。「死のうって思ったことある?」って。友達は少し笑って「あるわけないじゃんそりゃぁ、死んだら何も残らないからだよ」と言って笑ってた。どうやら普通の人は何も残らないのが怖いらしい。「そういうアンタは考えたことあんの?」と聞かれたので、「ううん」と答えた。これで建前上は普通の人の仲間入りだ。普通の人はツイッターで飛び込み自殺のことが書かれた呟きを見ても電車を止めるなと文句を垂れ、普通の人は人の死を思い出話として話す。
――ある人の話をさせて下さい。
「俺の周りの人間がさぁ、死ぬんだよ」安いリトルシガーに火をつけながらそいつは言っていた。口端から鈍い煙が立ち込める。
「なんで?」
「初めて出来た彼女は自殺してさ」煙を吐く。その時にそいつの顔は煙で隠れてよく見えなかったが、私の肺に吐かれた煙がどんどん立ち込めていく気がした。
「うん」立ち込めて、息がしにくくなった。
「大学の頃の女友達は、事故で死んだんだよね」
覚えてる記憶のど真ん中でそいつは確かに笑っていた。
嫌に叩いてくる心臓。
ドン、ドン、ドン、ドン。
「死んだんだあ……」
嫌に脈打ってくる心臓。
ドン、ドン、ドン、ドン。
「……へぇー」コイツ、煙草臭いな。顔を逸らして大きく息を吐いた。奥歯をギッと食いしばる。食いしばりすぎて、親知らずすらもすり減ったことは私しか気づいていない。
そいつが言うには、その連なる死のせいで私の書く文章は嫌いらしい。私の文章はあまりにも露骨に死を書くので。でもその連なる死を思い出話として美化して話す。普通の人はきっと揃いも揃って他人の死を楽しそうに話す。でもそいつの気持ちを組む可哀想だとすれば、同情をしてほしかったん言って話すんだろうなー、と思いました。
――周りの人が死ぬんですよ。
可哀想に! 大丈夫だった? って答えればよかったんでしょうね。
でもそれは無理。一度も死のうと思ったことや死のうとしたことがないやつの同情なんて死んでもするか。……と今でもふと思うことがあった。数週間前あったことを永遠と頭の中をグルグルしてて、書き留めたくて書きました。
長い前置きは、ここで終わります。私も普通の人として、人の死を思い出話として話させてください。
葬式はとにかく、臭かった。
陰気臭い煙が燻んで、全員血の気が薄い顔をした黒で、淡々とした念仏が聞こえる。隣の母すらも煙たかった。それに反して棺桶はいい香りだった。花の香り。死体のツンとした香り。とても爽やかな気分になって意気揚々と線香を上げましたかもしれない。その時、私は七歳だったからあんまり覚えてはいないが、私にとっての人の死は祖父だった。
棺桶は火の中に入れられた。
祖母は骨壷へと手際良く入れていき、父親は喉仏を別の箱に詰めた。骨になったらこんなに小さく収納されるんだな、と思った。火の中で全て溶けるんだな、と思い、怖くなった。
死んだら自分は溶けるんだよ。火の中で。一畳以下の箱に入れられて溶けるんだよ。火の中で。祖父はもう溶けていたし、小さい箱に閉じ込められて、窮屈そうだった。
祖父の、生前の記憶は薄い。欲しい本をねだったら買ってくれたとか、お見舞いに行ったらジュースを買ってくれたという記憶しかなかった。最低な孫だなと今思う。
数年前に祖父の写真を祖母に見せてもらった。白黒写真で、ジージャンを着てセブンスターの煙をのんでいた。「昔、おじいちゃんはイケメンやってね」と祖母は言っていた。この話をされるのが何回目かを覚えてないくらい、ずっと頭に残っている。
父親は長男だった。スピーチで何か話していた。内容は覚えてなかったが、父親は一つも泣かなかった。祖母は泣いていた。私も泣いていた。今も棺桶に入った祖父の顔を思い出せる。目を瞑っていて冷たくて周りに白い花が飾られていて、棺桶の中は真っ白だった。葬式の時私はずっと泣いていた気が、する。何回忌か忘れたが母親に「あんた絶対葬式の時あんなに泣いてたん、周りに影響されたからやろ」と言われた。本当にこの人は茶化すなぁと思いながら無視した。これだから昔から母親は苦手だった。
祖父が死んでから祖母は精神科通いになっていたことを十六歳になってようやく知った。「おじいちゃん死んでからねー、眠れんなってね、お薬貰ってたの」そういう祖母の顔は朗らかであった。祖母は月命日になると祖父の墓へと向かう。五年前以上に建てられた墓だが、未だに綺麗だった。左右に花が飾られていて、祖父はまだ祖母に思われてるんだなと思うと心がキュッと締め付けられた。
祖母はもうそろそろ七十五歳になる。一人で祖父と住んでいた部屋に住んでいる。時々実家に帰った時に行くが、冬場はツンとした冷気が部屋にしている。仏壇はいつも果物とお菓子がそえられていて「持って帰りたいもの、持って帰りよ」と祖母はくしゃりと笑う。やっぱり昔に比べると痩せたなぁ。染めきれてない白髪が所々光る。
あと背が丸まって私の方が、身長が高くなった。視界の下に祖母がいるのがいつに経っても不思議な気分になる。上を見るといつも両親と祖母がいたのに、下を見ないと祖母を見れなくなった。祖母を見る度に隙間まみれの心にツンとした冷気が通る。
祖母の家は懐かしい香りがする。畳のぼんやりとした香りと、祖母の使っている安物の洗剤の香りと、線香の古臭い香りが鼻に染み付く。仏壇の前でバリバリと煎餅を食べる。祖父の遺影は私の記憶にない若い頃の写真。写真の中で無理矢理笑っている。今思い出せるのは祖父の死んだ顔だけだった。棺桶の中で目を瞑って血色も心音もない祖父の顔。
とんだ皮肉だな、と思いながら線香をあげる。
おじいちゃんへ。
今生きていたら八十歳くらいでしょうか。おじいちゃんが死んでからもう十四年くらい経ちました。おばあちゃんはすっかり痩せてしまい笑った時に骨が浮き出ています。早く連れて行ってあげてください。おばあちゃんはずっと口癖のように「おじいちゃんがそろそろ迎えに来るねん」と言っています。……そろそろって、いつですかね。
ついでにお父さんもやつれました。前まで出ていた腹はひっこんであばら骨が出てきました。日に日にやつれていくお父さんを見て寂しくなります。お父さんは私のことが心配らしく、私が痩せるとすぐ気付いてくれました。痩せた理由は服薬のせいなんですが、嘘をついてお金無くてさーと言うと、シワが小刻みに刻まれている目を伏せます。本当のことを言えなくてごめんなさい。こんな娘に育ってしまって、早く死にます。すみません。
お母さんはついこの間タバコを辞めました。太りました。でも太ったことを言ったらお母さんは機嫌が悪くなります。あ、三十九歳になっても母は毎日ビールを沢山飲んでいます。二十一歳になり、お母さんの扱い方をわかるようになりました。私が折れたら済む話だったんです。簡単な話でした。でも、もしもお母さんのように十九歳で子供を産むのは私には無理です。そこまで私は大人にはなれてなかったから、こんな過去に縋ることしか出来ないんですよ。ハハハ。すみません。早く死にます。
おじちゃんは十年以上会ってないんで知らないです。忙しいらしいです。おじいちゃんの.孫は未だに私のみです。
そんな私は二十一歳になりました。成人式も無事終えて、残るは結婚式のみ、といったところでしょうか。でも、結婚する気はないです。おばあちゃんに曾孫を見せてあげたいなって思うけど私は自分の子供を持ちたくないです。エゴですね。ごめんなさい。
あ。天国に最近親戚が沢山行ってると聞きました。そっちは楽しいかもしれないですね。
楽しかったらなによりです。
でも、今生きてる人の中で私が一番乗りだったらどうしようね。
その時は、一緒にビールでも飲みましょう。
乾杯して、飲み明かしましょう。多分、楽しいと思いますよ。多分。
そして、いつしか私の死が誰かによって思い出話として話されることを、望みます。
私の死に顔を見て泣いてる人を見ながら笑うのが夢なので、私の死を思い出話として話しているやつらを見ながら笑うのが夢なので、もう少しで死ねますように。死んだら次は普通の人になれますように。普通の人になって普通に生きられますように。普通に普通に生きられますように。
そしてこんな陰気臭い文章しか書けなくなった私にどうか救いを!
薬無しで生きられなくなってしまった私にどうか救いを!
死にたがりになってしまった私にどうか救いを!
何事においても出来なくなってしまった私にどうか救いを!
どうか、神様。叶えてください!
なんでもいいから神様、救いをください!
本当に、お願いですから、救いをください、神様。