第十三話 作戦始動
「悪い!寝てたっ!!」
ドバァンと何度目になるかも知れない大扉の豪快な開閉音と共に、少女二人を侍らせた由音が開口一番そんな謝罪を叫ぶ。
「早いな。まだ寝ててよかったんだが」
今現在は結界の展開から二時間ほどが経過し、もう一時間ほどで動き出すという頃合い。昏睡していた由音にはギリギリまで休息を取らせておくつもりだったが、その様子を見るにもう快復したらしい。
「いや二時間て!大遅刻にもほどがあるだろ!?守羽俺のことぶん殴っていいぞマジで!」
「魔神押さえ込んだ功労者が何言ってんだ。いいからこっち来い」
作戦会議に参加していなかった別室の三人を呼び、四人で円陣を作りそれぞれに座る。
ちなみに他の面子は各々必要な作業や準備に取り掛かっていて不在。特にもう数十分で王城周辺域にまで浸食してくる毒の対処の為にファルスフィスを含むルーン術式保有者は念入りな防毒結界の構築に勤しんでいる。
「諸々端折って手短に状況を話す。…先に言うが、シェリア」
「うん?」
「悪いが少しでも戦力として数えられる者は前線に出てもらう。お前もそれでいいか?」
正直この話は少しだけ揉めた。主には、何よりもシェリアのことを過保護に思いやるレイスの猛反発によって。
だがシェリアの実力は折り紙付きだ。|真名《ケット・シー》由来の俊敏かつ豪胆な身のこなしに加え、風の加護とやらを一身に受けるその性能は過去鬼性種と対峙した時でさえ傷の一つも受けなかったほどに強力だ。
対人、対軍の両面においてこの少女は非常に重宝されるべき戦力として(レイス以外の)見解は一致した。
妖精界侵攻からこっち、彼女には辛く選びようのない選択ばかり迫ってしまっているが、当の本人はといえばどこ吹く風。にぱっと微笑んで、
「いいよ!皆を守るためだもん!」
即答だった。
「わかった。助かる」
「……守羽。私、は」
おずおずと、これまで黙していた静音さんが半歩体を前に出す。
戦闘能力という面で言えば静音さんはこの国に住まう並の妖精すら下回る。戦場に出すなど論外だ。
―――と、俺は先の会議で進言した。だからこそ俺はレイスの抗議に関し強く言えないでいる。
大切な人を危険な場所に行かせたくないという気持ちは痛いほどわかるから。
だが。
「…〝復元〟の異能は極めて有用です。だから、出来れば静音さんにも力を貸してほしい」
この異能における傷の治療というのは、厳密には回復などといった安易な話ではない。
拒絶だ。発生した事象を拒み、無かったことにする。〝復元〟とは、『壊れた(傷付いた)事実を壊れていなかった段階まで逆行・上書きする』性質に他ならない。
四肢が捥げようが猛毒に苛まれようが、術者が対象の『万全の状態』さえ把握していれば、精神力の続く限り異能の力は真価を発揮し続ける。
これを瞬時、触れた一瞬で行えてしまうことからも、単純な治療行為としては妖精種の持つ治癒の光よりも優れていると言わざるを得ない。
だからこそ出し惜しみしておくべきではない。
それに関しても、俺を含む総員の同意を得た。ただし、本人の判断に委ねるという条件を足して。
けれど、俺はその時から確信していた。
きっと、この人は。
「うん、わかった。…ありがとう、守羽」
「……はい」
こうするのだろうと。
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状況。
現在魔神の吐き出す毒霧の侵攻を受け、残り一時間程度の経過を以て本領域内部に到達。これをルーン術式を用いた防毒結界により緩和させ国民の生命維持を行う。結界の展開起動の軸を担う老翁ファルスフィスに曰く、抑えられて半日。
四体の魔神を一挙に相手取るのは愚策。各個撃破にて、当初毒の権能を持つ北の魔神を最優先にして撃破に臨む。
障害となる北の大軍勢を突破し、同時に結界近傍に座す転移の魔神及び南より出現した魔神の足止めに戦力を割く必要あり。
北の魔神を全力で撃破し、転移・南の魔神両名を引き離しこれを打倒。最後に依然として動く気配を見せない東方の魔神を総戦力を以て打破。
「最悪の綱渡りだ」
不確定要素があまりにも多過ぎる、おざなり極まりない作戦方針に溜息が漏れる。
そも、ここまで上手く事が運ぶわけがない。各状況に対しそれぞれに用意した手札はあるにせよ、必ずどこかしらで不測の事態は訪れる。
何より被害や損耗がどれほど出るか想像もつかない。初手、北の魔神で全てが蹴躓く展開すらありえる。
「けどやるしかねんだもんな!」
一通り話を聞き終えても、なんら変わらぬ態度で右拳を左手に叩きつけた由音は不敵に笑って見せた。
そう。やるしかない。これだけの少ない手勢で、あれだけの強大な敵を打ち倒すには多少以上の無茶をせねばとても達成できない。此度の戦はそれほどに劣勢を強要されたものなのだから。
「もう少ししたら計画を開始する。一度始まればあとは終わりまで全力で走り続けることになる。各自、調整と覚悟を済ませておいてくれ」
かくいう俺も、玉座の間で三人を待っている間に自分自身の力と向かい合っている最中だった。
『神門』はもとより、退魔師の力についても。
本来退魔の家系『陽向』はあらゆる人外を退治する為に数々の術式を創り上げてきた。俺にもその才が僅かながらにでも残っているのなら、創れるはずなんだ。
神を討つ術を。
「シュウ?」
「…守羽…」
俺の表情を見てシェリアは不思議そうに、静音さんは不安そうに名を呼んだ。どうやら情けないことに気持ちが顔に出ていたようだ。
「ああ、いや」
「大丈夫だ。なんも問題ねぇ」
なんとか安心させたくて言葉を探した俺の前で、由音が勢いよく立ち上がる。
「これまでだってどうしようもないくらい強い連中来たってどうにかしてきたろ!今回だっておんなじだ。なんにも変わらねぇ!いつだって俺らは超えてきたし、これからだって超えてくんだよ。なっ守羽!」
士気の高揚だの、発破をかけるだの、そういったことを由音はしない。知らない。
だからいつも、コイツの言葉は妙に刺さる。演技でも空元気でもなく、いつもいつでも心からの本音しか口に出さない男だからこそ。
「お前がいりゃ俺はどこまででも戦えるぞ!静音さんだっている、シェリアだっている!妖精も妖魔とか魔獣?とかもいるし!こんだけいりゃなんでも出来んだろ、負ける気がしねえ!!」
「…そうだな。負けないよ、俺達は」
笑えない状況でも自然と笑えてくる。
それもこれも全部、お前がいるからこそだよ。相棒。
「ほんと不甲斐ないリーダーだ。まったく」
ゆるく首を振り、弱気を追い払う。
初めっから二択だ。
やれるかやれないか。勝つか負けるか。生きるか死ぬか。
いつも話を深刻ぶって暗く考えがちなのが俺の悪いところ。その対極の位置でいつも当たり前のように結論付けてくれるのが由音。ある意味で俺達はバランスがいいのかもしれない。
「飛矢はまだ生きてる。俺達はまだ折れてない。目的を射貫くまで『アーバレスター』は終われない。そうだったな!」
考えてみればそうだ。余分なんだ、この一件は。
元々父さんを取り戻す為にこの世界に来たのに。なんだってこんな面倒なことになったのやら。
「こっちだって必死なんだ。|た《・》|か《・》|が《・》|魔《・》|神《・》|な《・》|ん《・》|ぞ《・》に使ってやる時間なんてないってのに」
「そーだそーだ!」
「本当にね」
便乗してシェリアが抗議の声を上げ、それを見て微笑む静音さんも同調する。
ああ、ああ、問題ない。ようやくいつもの調子を取り戻す。
「さっさと終わらせるぞ。こんなことに時間も手間も掛けてられるか」
「よっしゃあ!今度こそあの瞬間移動マンぶっ飛ばしてやっからな!頭洗って待っとけよ!」
洗うのは首だ。
……しかし。
本当に、どういうことなのか。ずっと気にはなっている。|妖精王《イクスエキナ》も|妖精女王《ルルさん》も同じだろう。
何故このタイミングで。何を目的に。
魔神四体の思惑は何もわからない。何もわからないままに物量に押されこの惨状まで蹂躙されたが、まだ魔神達は侵攻をやめない。
たとえば妖精の絶滅。たとえば具現界域の破壊。
そのどれもが、『何故、今』に繋がる。
…………。
あるいは目的が『その先』にあるのだとしたら。
この世界を壊し、妖精達を殺し尽くした先にあるものとは一体なんなのか。
それを明らかにするだけの情報も余裕も、今の俺達にはありもしないが。
廃墟と化した妖精界の瓦礫を踏み砕いて、巨馬に跨った魔神マルティムはひたすらに王城を囲う岩壁の結界に視線を固定していた。
もう間もなく彼らが同胞、魔神ブエルの放つ瘴気と紫霧が押し寄せる。同じ魔神にはむしろ心地良さすら覚えるそれも、他の種族にしてみれば猛毒も同然。脆弱な妖精種などひとたまりもあるまい。
だから、そろそろのはずだ。
何かしらアクションを起こさねば、奴等は自らが造り上げた檻の中で死を待つだけになる。
「……来たか」
顔を上げる。その姿を認めるまでもなく、相手は哄笑と共に降って来た。
「ハハッハァ!お望み通りか?相手してやるよ転移野郎!!」
褐色の肌、口元から覗く牙。およそ妖精とは思えない風貌の男が両手に持つ短剣を二つ、落下途中から魔神へ投げつける。
「くだらないな」
散々引き籠った挙句、どんな一手を打って出るのかと思えば。形振り構わぬ特攻とは拍子抜けにもほどがある。だが、それもあの戦闘狂らしき妖魔の男であれば無理からぬことか。
ハルバードを持ち上げ、切っ先を向ける。
転移で回り込んでもいいが、それにしてはあまりにも馬鹿らしいと魔神は判断した。
途端。ニィ、と。
こちら側をとことんまで見下した、いかにも神格種らしい行動にアルの方こそ馬鹿馬鹿しくなって、笑みをさらに深くする。
投げつけた短剣二つが、ハルバードに払われるより前に罅割れた。
「ああまったく!くだらねェなクソ魔神!〝|燐光輝剣《クラウソラス》!〟」
そうして光り輝くその|銘《な》を叫び、自壊した短剣は内より瞳を焼く莫大な光量をばら撒いた。
「ッ…」
目視で座標を定める転移の使い手は、その数秒呆けたように馬上で留まるしかなかった。
『結界出てからは初っ端から勝負だ』
王城での作戦会議。戦力も人員も何から何まで足りない中でこそ、決められた作戦は至極単純なものとなった。
『速さが全てになる。この二重に張られた結界だってそう便利なモンじゃねえ。カーテンみてえにほいほい開けたり閉めたり出来るわけじゃねえんだ。ましてや数人程度が出入りするだけの小さな口を開くってんなら尚更に精神を使う』
妖精王の説明もむべなるかな。結界術とは本来発動時点で完成しているものだ。そこから手を加えていけばそれだけ余計な労力を使うし、何より維持や強度を損なう可能性も出て来る。
結界を出る一瞬だけ穴を作りすぐさま通り抜ける。転移の魔神に間隙を突かれることもないほどの瞬間で。それを成し得るのが『聖殿』にて妖精界の掌握を担う妖精女王ルルナテューリの御業となる。
『やれて数度が限界だ。一度出たらもう事が済むまで戻れることはないと思え。この|妖精界《せかい》は既にガタガタで、おまけに守羽の扱う全力はさらに具現界域の寿命を削る。極力ルルへの負担は軽く済ませたい。この先も何が起きるかわからんからな』
それは王として伴侶を慮る考えではなく、あくまでもこの戦争での展開を有利に進めたいが為のもの。その意味合いでイクスエキナは話を進める。
『出てすぐ、決めた面子で北方の魔神をやれ。と同時に転移の魔神を押さえろ。野郎に結界出る瞬間を見られたら最悪内部に侵入されかねん』
『いいぜ。両方俺がやる』
剣呑な雰囲気が満ちる中でも、飢える獣のように眼光を奔らせる妖魔の青年が片手を挙げて敬礼の真似事をしてみせた。
「今だオラぁ!畳み掛けろ!!」
妖魔の威勢に応えるように複数の声。未だ視界を強烈な光に奪われたままだが、転移を抜きにしても魔神たる力の発揮は問題ない。
どこから仕掛けてこようが無傷で|反撃《カウンター》を見舞えるようハルバードを両手で握り愛馬共々に構える。
だが。
「……、…?」
身構えた数秒も徒労に、いつまで経ってもただの一撃すら振るわれることはなく。魔神の視界を奪った貴重な時間を過ぎマルティムは塗り潰された白光の先に崩れた妖精界の姿を取り戻す。
そこにはこちらを見つめる二対の瞳があった。
「…何を。している?」
一人は少年。何かの具合を確かめるように空いた両手を握り開きを繰り返し、絶えず警戒の眼差しを向け続ける。
一人は少女。風に乗り地面から僅かに浮いた状態で少年のやや後方に控えていた。
「下手に仕掛けるよりも、これが一番時間を稼げると思っていた」
少年―――余裕のない表情で振り絞るように挑発じみた声色を捻り出す神門守羽は強張った笑みを作る。
「優先順位が違う。お前は後回し……手駒二つで充分ってことだ」
「って、ことっ!」
いつもの活発さを僅かに控えたシェリアも、猫の耳をほんの少し倒したまま強気に守羽の言葉に乗って言い放った。
とうに二人以外の姿は影も形もない。真っ先に飛び込んでくると思っていた妖魔の男すらもが、この場から消えていた。
「そうか。ブエルを先に…」
人間と妖精、種族の混成した連中はその敗北条件のひとつに妖精界の壊滅がある。この世界この国に住まう妖精達も、魔神の毒に侵されれば全滅は火を見るより明らか。
だからまず毒の元凶を断つ。転移による脅威は結界により緩和されたと、だから相手取るのは今でなくてもよいと。
そう、言外に伝えて来る行動内容だった。
おまけに、転移の追撃を避ける為に残された戦力は混じり物の人間に、妖精の小娘の二人。
「そうか。なるほど」
状況を理解した魔神がぽつりと呟くと、その全身から悪寒を誘う濃密な殺意が噴出するのを二人は確かに感じた。
「「……!!」」
「どう捉えたものか。その眼は腐り落ち、今や彼我の差すらも見比べられなくなったと考えてよさそうだ。だろう?そうでなければ」
憤怒に滾る激情は愛馬にも伝わり、その嘶きは大地を震わせ膨張した馬脚が深い亀裂を生み出す。
「|神格《わたし》を前にしてそこまでの暴挙は罷り通らない」
狂っている。壊れている。
大いなる魔神の一角にたった二つの脆弱極まりない生命が僅かでも時を奪えると本気で思っているのなら。心に大きな歪曲ないし損傷がなければ到底行き着かない発想だ。
まあ。どうでもいい。
「問題ない。精神と肉体、壊れる順序が入れ替わっただけの話なのだからね。安心していい。君達の身体はそれより遥かに細切れに、丁寧に丁寧に刻んでやろう」
「……やって、みろ」
震えの止まらない手足を叩いて黙らせ、怯えるシェリアに言い聞かせるように。
「テメエらの好きになんてさせない。ここは神聖にして理想を体現した妖精達の国土。間違っても魔神だの魔性だのが足を踏み入れていい場所じゃねえんだ。シェリア!!」
「っ!…うん!」
「足止めだなんて回りくどいことしてられっか!倒すぞ!魔神の一体を、今、ここで!!」
その口調語調はあえて守羽本来のものより外して、彼の相棒にして頼れる親友の意気を真似たもの。一番シェリアに響くであろう言葉。
狙い違わず打算は直撃し、
「わかった、うん…だいじょぶ!やろう!!」
属性出力を跳ね上げ、暴風を纏うシェリアの闘志を再燃させる。
かくして始動した作戦の開幕一戦。
転じ移るは地獄の大公、魔の神格を有する屈強な体躯。
鼻より上を覆う火の意匠をあしらった仮面の内に滾る炎熱の殺気。大蛇の頭を先に持つ太い尻尾が威嚇するように短く鳴き、蒼白の巨馬も主と意志を共にする。
瞬きすら許されぬ|転移使い《マルティム》の暴威が振るわれる。
「…………」
「んだ?やる気のねえ面しやがって」
マルティムの脅威を越え、さらに進軍した一団はその中途で二手に分かれた。
すなわち二つ目の障害。銀鎧の魔神。
魔神サレオスは横目で眺める。妖精と人間が魔霧と大軍勢に向かって突き進む様を他人事のように見送り、再度の溜息。
まず間違いなく動き出すと判断していた妖精王イクスエキナとしては、良い意味で拍子抜けだったがそれよりも疑念の方が勝った。
対サレオスの為に北の大軍勢前で留まった戦力は三名。イクスエキナに同行した『イルダーナ』所属、横に幅のある背丈の低い中年然。それとは対照的に幼さすら思わせる、赤いベレー帽を目深に被る少年風。
靴を編む者。長い茶髭を靡かせる|職人妖精《レプラコーン》のラバー。
ベレー帽のつばを持ち上げその内の金髪を掻き上げる小さな妖精、ティト。
両名を側方に配置し、大剣を担ぐ巨漢の王が再度言葉を投げつける。
「手応えの無さそうな面子でガッカリか?だとしたら悪かったな。テメエ如きに必要な手勢としては十分のつもりだったんだが」
奇しくもこの場にいない守羽の発言と酷似した挑発に対し、三度目の溜息で返したサレオスの態度はマルティムとはまるで違った。
自身を軽んじられたことにも、分配された戦力が北軍へ進んだことにも大きな興味が向けられていないような。
ゆらりと木製の椅子から立ち上がる。
「悪手に次ぐ悪手、だ」
「…」
ガシャリと銀鎧を擦らせ、籠手の調子を確かめるように手首を動かす魔神は妖精三名を視界にも収めない。
「マルティムに二つ。このオレ、魔神サレオスに三。そしてブエルに四。いくらなんでも舐め過ぎだ。てっきりオレは総掛かりでひとつひとつ潰しに来るだろうと思ってたんだがな」
「そんな余裕はありゃしねえんだよ。残念ながらなー」
魔神マルティム。魔神サレオス。
この二体に関しては今叩く必要は無かった。最優先は毒の権能、北の最奥に座す魔神の撃破。
こちらはその為の時間稼ぎ。だから全力で挑むことはしない。無理に突っ込むことはしない。
それこそ。本来であれば魔神一体に対し持ち得る全戦力で立ち向かわなければ勝てないことを承知しているから。
「そか。なら残念ついでにもうひとつ―――」
突き立つ両刃剣を引き抜き、サレオスは兜の奥から気だるげな視線をようやく向けて、
「オレは他の|魔神《やつら》ほど、|神格種《じぶん》ってもんに矜持がない。だからまあ、あれだ」
「…!散れ!!」
先んじて察知したイクスエキナの怒声に弾き飛ばされるように、構えていたラバーとティトがそれぞれ左右に跳んだ。同時に妖精王は真正面、魔神へ駆ける。
妖精三名が数秒前まで立っていた地面を突き破り巨大な一対の顎が垂直に伸び、次いでその身体が轟音を引き連れ地中から現れる。
鰐の姿をさらに異形化させたような魔性の獣が、潰された片目の怒りを咆哮に変えて全方位へと放つ。
怪物の空けた地面の大穴から空へ飛び出る無数の砲弾。否、そう見えたモノらは中空で自身を包んでいた翼を広げ眼下の敵を見定める。
瞬く間に空を有翼の魔物が覆い尽くした。
「普通に潰すぞ劣等種。ただの|物量《おもさ》と|力量《ちから》でな」
妖精王は一度の交戦で理解していた。
そう。|挑《・》|む《・》|こ《・》|と《・》に全力は使わない。
だが、凌ぐことに全力を注がねば時を稼ぐことは不可能。
(さあて。この化物を相手に、次の段階までにどれだけ力を残しておけるか。惜しめば死ぬが、残せなけりゃ次で死ぬ!!)
これはそういう手合いだと。大剣を振り被るイクスエキナは正しく理解していた。
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初手一撃。妖魔アルによる〝|投鏃棘鑓《ゲイボルグ》〟が大軍勢の一角を引き裂いて戦端を開く。
「次だ行けオラァ!」
「貴様が命令するな…!」
二本目の鍛造の為に走る速度をやや緩めたアルを追い越し、水の鞭を左右に展開したレイスが切り開いた軍勢の幅を維持しつつさらなる水弾の砲撃によって直線上に道を拡張する。
「思ったより層が厚い。東雲由音、出力を上げて撃て!」
「言われなくたっていつでも全力なんだよこっちはなー!」
水飛沫舞う中を低姿勢から跳び出す由音が確保された進路を継ぐ。
魔神討滅戦線。その第一段階として対北方、毒の魔神を討つ主力として選ばれたのは四名。近付くにつれ濃度の増していく魔毒に対抗できる力を持った妖精、妖魔、魔獣、そして人間。
ルーン術式によって無毒化を施しているアルとレイス。唄の補強によって耐性を引き上げている音々。〝再生〟によって毒の効力を打ち消している由音が適任とされた。また音々には常時メイン火力を担当する他三名の能力向上の唄も併用してもらっている。
「おおおおお!!」
身を染め上げる邪気。昏く淀んだ瞳が深淵の底から燃え上がる闘志を覗かせる。
他の者達とは違い、由音には技量も技術も存在しない。ただ〝憑依〟に蝕まれる肉体から引き摺り出す悪霊の力を押し固めて纏い、解き放つだけ。
妖精界全体が異端の力に悲鳴を上げる。守羽やアルと同様、妖精女王の権限によって本来この世界にあるはずのない、あってはならない性質の発現を許された東雲由音の性能は事ここに至ってようやく人間界と同等の出力を取り戻した。
振り抜いた拳から圧縮された邪気の奔流が尾を引いて視線の先で着弾する。同質のものでありながら、悪魔の軍勢は邪念の爆撃にその身を四散させた。
王城内で取り決めた通りだ。この途方もない大軍勢を全て相手にしていては永遠に魔神へは到達できない。突破力のある三名が先頭を入れ替えながら絶えず高威力の一撃を叩き込みつつ吶喊する。
「ねえ全然先が見えないんだけどこれいつまで続けてれば一番奥まで辿り着けるわけ!?」
「知るかよあと五回くらいローテすれば行けんじゃねぇか!?」
最後尾から絶えず支援の唄を歌い続ける音々が同時に会話の為の声帯も使用しつつ確認を取るが、不敵に笑う戦闘狂からは適当な返事しか得られなかった。思わず片手でこめかみを押さえる。
既に背後は抉じ開けた道も悪魔に埋め尽くされ、後退を許されない状況。分かってはいたが始まった以上前に進むことしか出来ない。
「次だ!もっと唄え音々!なるだけ少ない回数で突破しねェと魔神まで保たねーだろ!」
「こっちだって後先考えず強化してやってるの自覚してないでしょクソ妖魔!出力比平時の三倍くらいよ今!!」
「確かにめっちゃ調子いい!ありがとな音々これなら俺もなんとかなりそうだ!」
「由音の素直さがこの面子だとすんごい沁みるわね!アンタも見習ってなんとか言ったらどうなのレイス!」
「…ふん」
三つに分かれたグループの中でもっとも過酷な状況に身を投じているにも係わらず、やけに危機感の薄い会話を繰り広げる四名の苛烈な突撃進軍。それは何故か思いの外好調に進んでいた。
その事実自体が魔神ブエルの慢心とも無関心とも取れるものではあったが、どうあれ全てがこちらにとっては好都合。
魔神の首を獲るまでひと時の休みもなく彼らは黒い軍勢を切り崩し突き進む。