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正しい街

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椎名
 
 教会へ通い始めて何度目の週末だろうか。
 いつもより、重い荷物を背負って改札を抜ける。
 地上へ続く階段を昇るにつれ、冷たい風が身を刺していく。
 朝日を浴びて、筥崎宮の鳥居を横目で見送り足を進める。
 この道を往復するのも、これで最後なのだろう。そんな事を考えていると、「椎名さん」と名前を呼ばれた。
 声の主は、間違えようもない佐藤さんである。
 振り返り、頭を下げる。
「最後なのに、教会まで行かせてくれないんですね」
 私の掴みにくい発言に対して、彼は眉をひそめ首をかしげる。
 そして、私の明らかに多すぎる荷物をみて、察したような顔をする。
「どこへ行くつもりなんだい?」
「すぐに分かるなんて、流石ですね」
「そんな事は良い、どうするつもりなんだ」
「察しの通りです。旅に出るんですよ」
「そんな機会が訪れたのかい?」
「私は囚われた魔女だから、どこへも行けなかったんです。だから、いつ街を出ても構わないじゃないですか」
「その抽象的な言い回しは既に聞いた。君の言う魔女っていうのはよく分からないけどね。言葉こそ魔法みたいなものだ。繰り返し使う程、効果は薄くなる。つまり、言葉の重みは無くなってしまうんだよ。そんな言葉で誤魔化して、本当は、ただ逃げ出したいだけだろう」
 何なんだ。
「何でそんな事を言うんですか?佐藤さんこそ、前に言ったじゃないですか。自分の為に生きた方が良いって」
「確かに言った。だけど今、街を出ても草野君と同じ結果になるだけだよ。未練を残して逃げるように街を離れても、気持ちはこの街に囚われたままだ。何も真犯人を見つけろとは言わない。だけど、草野君と話も着けず、有耶無耶な状態でいいのかい?」
「それは」
「ただ街を離れるのも、未練があるかどうかで、全く違うんだ」
 でも。
 ならば。
「どうすればいいんですか?今更、草野にどんな顔をして会えばいいのか」
「心配しなくても、草野君なら助けてくれるんじゃないかな?真一君と椎名さん二人の為に、ウチの会社に侵入した時みたいに」
 彼の言葉で、10年前からの思い出がよみがえる。草野が起こした行動の数々。
佐藤さんの言う通りかもしれない。草野が少し取り乱した位で、私は。
「分かりました。もう少し待ってみます」
「そうか」
「だけど、この道を通うのは最後にします。最後に、教会にも行かせてください」
 佐藤さんは、微笑を浮かべ、頷く。
 しばし見つめ合い、交わった視線を離した後、教会へ足を運ぶ。
 最後に、祈らせてほしい事がある。
 そして教会へ着く前、携帯電話に着信が入る。
 佐藤さんの言葉がなければ、この着信に応じることもなかったかもしれない。

草野

 受付の事務員に案内され、廊下を進む。
 診察室へ入ると、先生はこちらをみずに「座って」と言う。
 後、キャスター付きの椅子ごと振り返る。
「今日は、どうしたんだい?」
 そういえば、昔から不思議だった。患者の相談や悩みを受けるのは、また別の職業なのではないか。
 まあ、熱心な医者なんだろうと思っていたのだが。
「そうですね。いつもと同じ、相談みたいなものなんですけど」
「うん」
「田原を殺した犯人は、先生ではないですか?」
 先生は片眉を吊り上げる。
「ふざけたことをいうね」
 そう嘲ながらも、何かを窺っているのか口元に手を当て、こちらをじっと見つめている。
「何もふざけてはいませんよ」
「それでは話にならないじゃないか」
「話を聞いてもらえませんか?患者のおかしな言動を正す治療行為だと思って」
「患者がそんな事を言うもんじゃないよ。だけど、そこまで言うのを、拒否するのも悪いよね。少しだけ聞いてみるよ」
 そうだ。そっちの方が先生にも都合がいいだろう。
「奥の部屋、大きな出窓がありましたね」
 俺は先生の背後の扉を指差す。
「事件の日、その出窓から出入りをして、アリバイ工作を図ったのではないですか?病院に居る事を証明するために」
「何を言うかと思えば。そんなの何の証拠にもならない。それに、そんな事は10年前、既に警察へ指摘されたさ。結局、他の証拠はなく、私も捜査から外されたんだ。分かったら、刑事や探偵の真似事は辞めた方が良い」
「勿論、これだけじゃありませんよ。次に、見てほしい物があります」
 そう言って、俺は鞄からビニール袋を取り出す。
「これ、何だか分かりますよね」
 俺は袋の中の、筒。田原が愛用していた色鉛筆入れをみせつける。
 そして、先生の表情は明らかに変わった。
「田原はいつも、七色の色鉛筆をこれに入れて持ち歩いていました。虹の七色です。彼はこの七色を満遍なく使って絵を描いていました。しかし、この筒の中には、緑の色鉛筆が足りないんです。その代わりに、黒の色鉛筆が入っていました。聞いた話では、田原が死んだ日、最後に自宅で描かれていた絵は赤と黒の色鉛筆が使われていたそうです」
「それで?」
 先生は言葉数が減り、目に見えて余裕がなくなっているように感じる。
「この中に入っている色鉛筆、特に黒色の色鉛筆に先生の指紋が着いていた場合、先生が犯人である証拠に十分なりえると思うんですよ。そして、黒色の鉛筆に田原の指紋が付いていなければ尚更」
「だとしても、田原君が描いた絵に使われたという証拠はないじゃないか」
「紙に着いた、鉛筆の成分を調べれば、どの鉛筆が使われたかまで分かるそうです。幸い、田原が描いた絵を全て預かっている人が居るんですよ。事件現場に残された絵まで、保管されてます」
 絵の所在は先日、椎名が確認したから間違いない。
「そうか。私が犯人だと信じてやまないんだね」
「俺の推理を言います。先生は何らかの用件で田原の家を訪問しました。しかし、当初は田原を殺すつもりはなく、成行きで田原を刺した。田原の身体には防御創がほとんどなかったみたいで、それは相手が親しい先生だから油断していたんでしょう。そして、成行きで刺した為に、一から証拠隠滅をしなければならない。自殺に見せかける為に凄惨な絵を描く。その後、先生は指紋を拭いていたんでしょう。例えば包丁だったり。勿論、訪問診療を定期的に行っていたので、必要な所のみだと思いますが。しかし、その途中。想定外の出来事があった」
「草野君が現れたって事かい?」
「そうです。しかし、現場を見た俺は、混乱し意識混濁を起こして、細かい経緯や理由は未だに自分でも分かりませんが、机の周辺にあった色鉛筆を持って帰ったんでしょう。色鉛筆を仕舞っていないとすれば、指紋を拭く前のはずです。そしてその後、先生と遭遇して何らかのやり取りがあったのかもしれませんが、それも分かりません。つまり、証拠は色鉛筆に残されている筈の指紋と絵です。いかがですか?」
「そうだな」
 そう言って先生は顎をさする。
「ほとんどが仮定で話を進めているじゃないか」
「仰る通り、仮定だけです。証拠自体も不完全な物です。だけど、比較的可能性の高い仮定だけで話を組み立てたつもりです」
「分かった」
 先生は再び思案する様子を見せる。
「こっちへ来てくれないか」
 前回の来院時に覗いた奥の部屋へ案内される。
 先生は部屋の片隅にある机の引き出しを漁り始める。
 もしや凶器でも取り出して襲われるのではないかと身構えていたが、出てきたのは一本の細い棒であった。
「そこに足りない、緑の色鉛筆だ」
 自白。そう受け取っていいのだろうか。
「普通なら、さっさと処分するだろうが、この日が来たときの為に取っておいたんだ」
「言っている意味が分かりません。それより、どうして、田原を殺したんですか?」
 先生は出窓の外を眺める。
「ある日、田原君に俺は本当に病気なのかと遠回しに尋ねられたんだ。それから数日して、訪問診療に出た日、改めて詰め寄られたんだよ。本当は病気なんて嘘なんじゃないかってね」
「病気が嘘?」
「どこで聞いたのか、自分の病気の診断について疑っていた。否、薄々勘付いていたのかもしれない。事実、彼の躁鬱病は誤診だったんだ。私もその事実にはすぐ気づいたが、薬の処方で田原君の状態を調整して誤魔化していたんだ」
 薬で精神状態が調整できるというのか?確かに、認知症高齢者の処方箋次第で、精神症状を改善させる話はよく耳にするが。
「どうして、誤診を認めなかったんですか」
「私は、ここの仕事以外にも大学の講師や、研究発表もしている。そんな立場に居たからさ。それに精神科というのはね、保健所の監視も特に厳しいんだ。どんな小さなミスも許されないんだ。だから、先に気がついた田原君の父親を殺し、後から気づいた田原君も殺すことになった」
 正直、少しも理解できないし、納得することはできない。
「だけど、もうここまでにしようと思う」
「一つ疑問なんですが。さっき言った通り、俺の話は殆ど憶測で出来た仮定でした。なのに何故、そこまで誤魔化しもせずに答えるんですか?」
「夢を見るんだ。毎日のように同じ夢を。田原君を殺した日に描いた、あの凄惨な絵を何度も何度も描いている自分を、繰り返し夢に見るんだ。田原君からの報復かもしれないな。だから、もう誤魔化すのは辞めようと思ったんだ。もし誰かに真実を少しでも暴かれたら、認めてしまおうと思っていた」
「そうですか」
「私が言うのもおかしいが、否、私はとっくにおかしくなっているから聞くが。草野君は私の話を聞いて激昂すると思っていたのだが、何故そう落ち着いているんだ?」
「それが、分からなくなってしまったんです。最初は田原の仇討ちとか、弔いの為だったんですが、少しずつぼやけてしまって」
「結局、記憶が欠けているせいかもしれないな。記憶が戻れば、多少は解決するかもしれない」
 それは、そうかもしれない。
 俺はこれまで、記憶を失くしているせいで、自分を疑い、その他の事柄も信じることが出来なくなり、判断力が低下していた。
 記憶が戻れば、視界も広がるかもしれない。
 何故、俺はずっと、犯人探しをしてきたのか。その答えも分かるかもしれない。
「まあ、ヤブ医者の助言だ。信じなくてもいい。あと、これは荒療治かもしれないがね」
 そう言って先生は机の筆立てからカッターナイフを手に取る。10cm程、刃を伸ばし手を振りかざすと、勢いよく自らの腹へ突き刺した。
 俺は何をするでもなく、その様子をじっと眺めていた。
 先生はよろけながら椅子に腰かける。白衣はゆっくりと赤く染まっていく。

 久しく見る、現実味の無い光景だった。そうだ、懐かしく感じるのだ。この光景は。

 そうか。

 
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 砂利道を進むとすぐに緑の庭が広がっていた。殺風景だったコンクリの景色とギャップが大きく、異界から空間を切り取り持ってきたかのような違和感だ。
 庭の中央にある池を眺める。大濠公園の巨大池も感動したが、こんな自宅の敷地内で見る池は、また違った感動をする。
 池の先に、大きな出窓があり、そこへ歩み寄る。
 部屋の中は日当たりが悪い為に薄暗い。机と家具、そして、床には何かが落ちている。
 改めて目を凝らす。
 違う。
 落ちている、のではなく。倒れているのだと分かった。
 出窓に触れ、鍵が開いているのを確認し、危険を承知で上がり込んだ。そして赤い絨毯を踏み、田原の元へ進む。
 腹部に沈み、刃先の見えない包丁。それを抱える様に屈曲する身体。
 顔を覗くと、虚ろな目をして、少しむくんだ顔貌をしていた。
 ああ、死んでいる。
 しかし、不思議な感覚だ。
 いまいち現実味がなく、落ち着いていられるのは持病のおかげだろうか。いや、こんな場面、誰しも非現実的である。
 異常事態に遭遇して、過剰に取り乱すのは、ドラマの世界だけなのだろうか。
 分からない。分かるはずもない。
 恐怖の感情も、悲哀の感情も浮かんでこない。
 ただ平静でもないというのは確かで、思考がまとまらない。というよりうまく思考が働かなくなっており、妙にぼんやりとしてしまう。
 ふと部屋の中央にある机に、視線を移すと散乱した色鉛筆と一枚の絵が置かれていた。
 地獄の業火でも描いたかのような、不気味な絵だ。田原らしくもない。
 いや、おかしいな。田原が使う色ではない。では、何故なんだろうか。

 俺が今取るべき行動は、何だろう。
 さっさと逃げる事だろうか。いつもなら、田原が先導役だったのにな。
 再び田原に目を向けると、小さくなった彼の背中があった。
 昨日の俺は、椎名と並んで歩く彼の背中を見て何を思ったんだったか。あの時は分からなかったのに、今では、分かる。
 普段、頭の中を充満している余計な思考がなくなって、本当の事が見える様になったのだろう。
 俺は、田原に嫉妬していたんだ。
 女の取り合いという青春らしいこともさせずに、死にやがって。
 明らかに場違いな事を考えていると、初めて悲しい気持ちになり、目頭が熱くなった。
「草野君?」
 突然、名前を呼ばれた。何故、名前を呼ばれるのだ?
 声の方へ目を向けると、清潔感のあるシャツを着た男性が立っていた。
「先生」
「どうしたものかな」
 先生はタオルを握ったままの手で、白髪交じりの頭を掻きむしる。
 そうか。この絵は先生が描いたのか。そして、田原を刺殺したのも、勿論。
 この短時間で、二度目の衝撃だった。
 脳へのストレスが許容量を超えたのか、急に眩暈がする。
 先生は、何をしているのだ。手に持ったタオルで、証拠隠滅でも図っているのか。
 俺は咄嗟に後ろ手で色鉛筆を回収すると、直ぐに外へ向かう。足元がおぼつかなくなったことに気づき、家具を伝いながら外へ出る。
 先生は追ってきているだろうか。それとも、作業を続けているだろうか。
 敷地を出て、角を曲がった途端に膝が崩れた。
 息が切れ、視界が霞む。まるで酸欠に陥ったような気分だ。
「草野君」
 再び、先生に呼びかけられた。追いかけてきたのか。それとも、作業が済んでここまできたのか。
 しかし。先生と椎名は鉢合わせなかっただろうか。
 椎名の安否が気掛かりだった。

 夢のように消えていた記憶は夢の中で蘇った。
 病院のベッドで目を覚ました後、悲しみや、安堵感、そして十年、絶え間なく続いた閉塞感から解放された気持ちが一度に溢れ、ひとしきり涙を流した。
 わずか、数分間の出来事に十年間以上も翻弄され、身の振り方を制限され続けてきたとは皮肉な話である。
 病室のテレビを点けると、日付が変わっている事を知った。
 ニュースを見る度に、世の中で起きている不幸な出来事ばかりに目を引かれていたが。何だか、今は喜劇的な出来事も目に映るようになった気がする。
 これは心境の変化や、気持ちに余裕が出来た事の現れなんじゃないか。
 そう考えるのは、流石に性急である。
 のんびりしている内に、医者と警察が交代でやって来て、これまでの経緯を説明された後、一通り事情聴取を受けた。
 そして、自由になったのは数日後だった。
 気持ちに余裕が出来ただなんて考えるのはやはり、性急である。
 これまで抱えてきた、大きな心の翳りが一先ず晴れたとはいえ。信頼してきた先生に裏切られた事実も残る。
 ただ、翳りは晴れた。
 記憶が戻る直前には、もう生きる意味などない。そこまで考えていたのに、今では何とか生きていけそうな気さえする。
 とにかく今は、早急に解決するべき事がある。
 椎名には記憶が戻った日に真実を伝えたのだが、「わかった」という簡素な返事のみだった。
 そして、自由の身になった今日。信じられない連絡が入った。
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椎名
 雑踏を押しのけて、空港内にアナウンスが鳴り響く。
 柱の時計を確認して、横の席に置いたリュックを背負う。
「まだ時間もあるだろうに、もう行くのか。草野君を待たなくていいのかい?」
「いいんです。それに、草野には連絡しないでと言ったじゃないですか」
「そうは言ってもね」
 確かに佐藤さんの言う通り、草野に何も告げず街を出るのは無礼であるだろう。
 一応、昨晩にこれまでの御礼は伝えたのだが、真実を伝えない私を見て居たたまれなくなった佐藤さんが、私が旅立つ事を連絡してしまったらしい。
 正直な所、草野に旅立つ事は伝えたいのだが、散々迷惑をかけた立場でそれを伝えるのはどうかと思うのだ。

『明日の空港に最後でも来てなんてとても云えない』
 昔、田原がよく聴いていた曲の一節を思い出す。

「気持ちは分からないでもないけどね。結局、その絵は持っていくのか」
 佐藤さんはファイルに入れた絵を指して、咎めるように言う。
「はい。だけど、未練がある訳じゃなくて。いや、少しは未練もありますが。これはお守りとして、持っていきたいんです」
「なるほどね。良い話じゃないか」
「ありがとうございます。最後にもう一つだけ、お願いがあるんですけど、これを草野に渡していただけませんか」
 そう言って白い封筒を渡す。
「手紙?」

草野
 何もこんな直前に連絡しなくてもいいだろうに。そう繰り返し愚痴を吐く。
 しかし、間に合うのかどうか。煩わしく思う時間は短かった。市街地から地下鉄でわずか10分という福岡空港の利便性の良さに初めて感謝する。
 地下鉄を降りて、すぐに国内線のターミナルへ向かう。
 空港内は国土交通省に混雑空港と指定されただけあり、夥しい人の数だ。しばらく徘徊した後、搭乗ゲートの傍に立つ佐藤さんをみつけ、一礼し近づく。
「先日は、ありがとうございました。田原の絵を保管してくださったおかげで、真実を知ることが出来ました」
「君の執念のおかげだよ。いや、仲間を思い遣る気持ちのおかげというべきなのかな」
「どうでしょうか。とにかく、これまでの非礼を詫びさせてください」
「そんな事はいいよ」
「そういう訳には」俺が言うと、彼は言葉を遮るように目の前へ封筒を差し出した。
「もう、彼女は行ってしまった。せめて君が来るまで待つように言ったんだけどね。どうやら、君に会う訳にはいかないようだ」
 俺は、言葉の真意を汲み取れず、無言で封筒を受け取る。
「いまどき紙の便りなんて、珍しいね」
「多分、当てつけみたいなものだと思います」
 封筒を眺めて呟く。
「じゃあ、僕はこの辺で失礼するよ。またいつか、どこかで会おう」
 そう言って佐藤さんは、この場を後にした。結局、お詫びできず終いだった。
 一人になった俺は搭乗待ちのシートまで歩き、そこへ腰掛けた。
 わざとらしく深呼吸をして、封筒を開けると二つに折られた花柄の便箋が入っていた。便箋を開くと『草野へ』という出だしで始まっている。
 文章を読むでもなく全体を眺めた時、思わず笑みがこぼれたのは、椎名が不得手としていた平仮名が、綺麗な丸みを帯びていたからだ。
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 草野へ
 最初に、何も伝えず街を飛び出した非礼をお詫びさせてください。
 ごめんなさい。
 あらためて、田原の件はありがとう。この街に私を縛る魔法を解いてくれたのは、草野です。本当にありがとうございました。
 大学を卒業して、草野が東京へ行った時。私は本当に貴方の事を恨めしく思いました。高校時代、初めて草野と会って間もなく、私の書いた文字を馬鹿にされたとき以上に。
 だから、五年ぶりに同窓会へ現れた草野を見た時、恨めしく思いました。だけど、それ以上に安心していた自分も居ました。
 草野は昔から頼りなくて、もしかしたら何処かで野垂れ死にしているのではないかと思った時もあります。だから、同窓会で再会した時、私は安心したんだと思います。
 とはいえ、草野を許すことは出来ないので同窓会の席では、冷たく当たったり、不必要に目を細め、睨み付けたりしましたが、気がついたでしょうか。この件については私に非が無いので、お詫びしません。ただ、私の気持ちが少しでも分かるなら、少しだけでも反省してください。
 上から目線の偉そうな内容で、草野も少し気を悪くしていると思うので、この辺りで最後にします。
 先日、同窓会で草野を魔女裁判にかけたら、有罪。火炙りの刑だと話したのを覚えているでしょうか。
 あらためて草野を裁判にかけるなら、無罪放免といったところです。おめでとう。
 字を書くのが苦手なので、まともに手紙を書くのは、初めてです。
 ずいぶん字が綺麗になったと思わないかな?考え方を変えてみれば、草野のおかげかもしれないね。
 ありがとう。

追伸
 学生時代、田原に嫉妬していませんでしたか?
 今度、会った時に答えを聞かせてください。

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若樹 ひろし 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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