ウコバク
城崎朱音の人生は怒りに満ちたものだった。
彼女の父親は自衛隊の一員で、母親は警察官だった。 職業柄もあり朱音は主に祖父に育てられた。 祖父は優しかったものの、決して甘やかすことなく正しく育てられた。 少し寂しい思いこそあったものの、彼女は祖父のある言葉を胸に、それを耐えた。
君のお父さんもお母さんも正義のために頑張ってるんだ。 朱音も二人と同じように頑張るんだ。
幼いながらに分かっていた。
自分の両親は世間一般で正しいことのために働いている。 そのために、多少寂しい思いをしても、それは仕方のないことなのだと。
それに、朱音は両親のことが大好きだったし、それと同じぐらい彼らの仕事を尊敬していた。 二人に強い憧れを抱いていた。
そのため、両親を困らせぬようわがまま一つ言わず、両親を目指して育っていった。 彼女も何か正義にかかわる仕事をしようと決めていた。 具体的にはさっぱりだったが、朱音はそう心に決めていた。
ところがある日、全てががらりと変わるような出来事が起きる。
父親が覚醒剤を持っていたのだ。 自衛隊内で抜き打ちの荷物検査があり、そこで父親の荷物の中からそれが見つかった。 他にも数人同じものを持っていることが分かったらしいが詳しいことは分からない。
朱音が知っているのはそこまでだ。
このことは世間一般に公開され、連日ニュースで騒がれた。
父親は警察に連行されて以来帰ってこない。 母親は警察を解雇された、解雇された日、実家で首を吊った。 後の処理は全て祖父がやってくれた。 諸事情あって葬式と言えるほど立派なものはなかった。 父親はどうなったのか知らない、祖父はそれについて話さなかった。
するとどうなるかというと答えは単純、マスコミが連日朱音の祖父の家に押し寄せてきたのだ。
毎日毎日電話が鳴り響き、家のピンポンが壊れるまで鳴らされた。 無視していると扉が叩かれるようになり、「開けてくださいよー!!」という底意地の悪い声がしょっちゅう聞こえてきた。 窓にカーテンを掛けなければいつ撮影されるかわからない、ちょっと隙間からカメラがのぞいていたこともあった。
開けてくださいよという声は次第に「開けろよゴルァ!!」という脅迫じみたものになっていき、扉の叩き方も乱暴なものになっていった。 朝も昼も休まることはなかった。 夜中の二時や三時になっても電話は鳴り止まなかった。
家から一歩も出ることができない生活が何日も続いた。 テレビを見ると両親のニュースが流れるので、祖父が嫌がった。 電話もうるさいと言って電話線を切った。 警察が家にやってきたがマスコミまではどうしようもなかった。
朱音は息苦しかった。 まるでプールで溺れた時のように、息できる場所を必死に探しても見つからない。 肺に水が溜まっていく、意識が遠ざかっていくような感じがする。 いったいここはどこなのだろうか
夜が眠れなくなった。 人が信じられなくなった。
そして何より、正しいことが何のかさっぱり分からなくなった。
それが決定的なものになったのは、祖父の死が原因だった。
朱音が珍しくぐっすりと眠り、すっきりした状態で目が覚めた。 その後、リビングに行くとそこで祖父が倒れているのを見つけた。 心労がたたったのか、後で聞いたところ心臓発作だったらしい。 多少苦しんだのか、恐ろしい形相をしていた。
白目をむき、口の端からよだれを流し、じっと虚空を見つめ続けていた。 朱音は悲しかったが、無表情のまま祖父の死体を見下し続けた。 涙は流れない、流れるほど気力は残っていなかった。 感情がびっくりするぐらい希薄になっていた。
朱音はコップを一つ手に取ると、水を入れて一口飲んだ。
その後、祖父の死体の前に座るとじっと顔を合わせ続ける。 そしてそのまま顔を突き合わせ続ける。 いろいろな感情が脳裏で渦巻き消えていく。 今までにないぐらい怒りに満ちていたが、それをどうすればいいのかさっぱり分からなかった。
誰にこの怒りをぶつければいい
父親?
母親?
世間?
マスコミ?
それとも……?
三日後、朱音は保護された。 定期的に家にやってきていて警官が誰も応対に出ないことを不審に思い、預かっていた合鍵を使い家に入ってきたのだ。
すると腐敗が始まった死体を前に座り込む朱音を見つけた。 目の下にはクマができていて、すっかり憔悴しきっていた。 それでも祖父から目を離さず、じっと座り続けていた。 何かぶつぶつ呟いていたが何を言っているのかはさっぱりだった。
その警官は救急車を呼び祖父の死体を病院に運び込んだ。 朱音はそのまま警察に保護されることとなった。
朱音は怒っていた。
ひたすら怒りに満ちていた。 それでもその怒りをどこにもぶつけることができず、そのせいで怒りがより一層募っていった。 困り果てた朱音は怒りをぶつける先を見つけることに成功した。
良くある話だが、それは自分だ。
手首を切ってみた。
ところが傷が浅かったのか、ほとんど血は出なかった。 手首を切るのは案外難しいのだと聞いたことがある、誰に聞いたのかまで思い出せない。 一応傷をつけた右手首をお湯につけておく。
そしてそのままの格好でボーッと風呂場の天井を眺め続ける。
こんなことをしても自分の怒りはさっぱり晴れない。
どうすればいいんだろうか
「うあああああああああああああああ!!!!!」
何の意味もなく叫んでみた。
しかし何の意味もなかった。
怒りが募るばかりだった。
そのとき、あいつに出会った。
「どうだい? この僕と契約して魔法少女になってみないかい?」
「………うるさい」
「僕と契約さえして、見事的に打ち勝つことができれば君の願いを一つだけ叶えてあげるよ」
「……願いを?」
「そーさ、何でもいいよ」
「…………」
この怒りを晴らすことができるというのだろうか
だったら契約してもいいだろう。 朱音はそう判断し、契約した。
「おめでとさん、君は激昂の名を持つウコバクを背負った魔法少女だ」
自分にぴったりだ。
朱音はうっかり笑い出してしまった。 自分にぴったりだぴったり過ぎて笑いが止まらない。
どうしたらいい
朱音はさっぱりだった。
目の前にいる怪物を相手に何をしたらいいのか、どんな手段が有能なのか、この破壊魔にどう対処すればいいのか。 誰かに助けてほしい気分だったが、自分を助けてくれる人はこの世にいないと知っていたので即座に諦めた。
何とか一矢報いようとしたが
それもかなわず
一瞬のスキを突かれて少女に大鎌が襲い掛かった。
首を切られる一瞬前、敏感に死を感じ取った少女は思った。
果たして、自分は何のために生まれてきたのだろうか
そう思った次の瞬間、朱音の首は落とされ
すべては終わった。