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ベリアル 研究所 その④

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 「楽しかったよ」
 「え?」
 あまりにも予想外の言葉に、達也が固まる。
 その隙に、アリスは畳みかける。


 「楽しいよ、人を殺すの」
 「え?」
 「光弾で吹き飛ばしたり、剣で切り裂いたり、最高だよ」
 「……そんなのおかしい」
 「…………」
 達也が正気に戻ったのか反論してくる。


 アリスとしては予想通りの反応だったので、一瞬たりとも足を止めることなく廊下を進み続ける。
 達也も後を追いながら、言葉を続ける。
 「あのさアリス、人は殺しちゃいけないと思うんだけど。 それが誰であれ、殺すのはいけないと思う」
 「殺さなくちゃいけない相手でも?」
 「当たり前だろ!! というかこの世に殺していい人間なんているはずないじゃないか!! 何を言ってるんだ君は!!」
 「…………」


 正論だった。
 正論だが、アリスからするとチャンチャラおかしい言葉だった。


 何となく腹が立ってきたので、アリスは言い返してやることにした。
 「……あなたは……」
 「何?」
 「あなたは、生きるべき人間ってこの世にどれだけいると思う?」
 「……え?」
 「人が生き続ける理由って何?」
 「……それは……」


 即答できない達也
 脳裏にはいろいろな言葉が渦巻いている。 この世に生を受けたからだとか、子孫を残すためだとか、現実的な答えから偽善者が口走るような答えまで。 びっくりするぐらい思いつくけど、口には出せない。
 どういうわけか、どうしても生き続ける理由と言われてはパンチが弱く感じるのだ。


 その隙をつき、アリスは言った。
 「だから別にいいじゃん」
 「え?」
 「生き続ける理由がないなら殺してもいいじゃん」
 「……意味が分からない」
 「…………」


 「そんなバカみたいな理由で人を殺していいわけないじゃないか!!」
 「……話聞いてた?」
 「え?」
 「私は理由なんて言ってない」
 「……どういう意味?」
 「殺してもいいじゃない、って言ったの」
 「あ……」


 ここまで話したところで、エレベータのあるところまでたどり着いた。
 案内はこれで十分だった。 アリスはエレベーターの扉を開くと、中に滑り込み記憶に残っていた地下駐車場のある地下三階を押すと、扉を閉める。 扉が閉まり切るその瞬間まで達也はこちらを見ていた。
 その視線に殺意を覚えるアリスだが、我慢することにした。





 研究所を出たアリスは、大通りから少し離れたところまでリムジンで運んでもらい、そこから歩いて帰っていた。 アリスは考えたいことがあったので、少し離れたところで降ろしてもらったのだ。
 道を歩き家に向かいつつ、アリスはクライシスに尋ねた。
 「クライシス、いいかい?」
 「何でも聞き給え、今日の僕はテンション高いぞー」
 「私が死ぬと、あなたも死ぬ。 それでいいの?」
 「そうだね」
 「そのメカニズムを詳しく教えて」
 「いいとも、今君と僕の魂は強いつながりで結ばれている。 僕は君に生命エネルギーを供給して、君はそれを魔力として戦闘を行っている。 もし君が死ぬと、生命エネルギーが全て流れ出ていく。 生命エネルギーの生成と流出だと、流出の方が割合が多い。 つまり、生命エネルギーが追い付かず、僕も死んでしまう」
 「なるほど」
 アリスは納得した。
 話がひと段落したのを確認すると、クライシスが話しかけてきた。
 「一ついいかい」
 「何?」
 「いや、何でもない」
 クライシスは口を閉ざすと、そっぽを向いた。
 アリスはその後、まっすぐ家に帰ると久しぶりに本を読んだ。


 題名は「蛍・納屋を焼く・その他の短編」作者は村上春樹。 家にある本は全ておじさんの本だ。 どういうわけか、村上春樹の本が多く置いてある。 おじさんがそこまで村上春樹が好きなのかは知らないが、アリスはこの作者の本をよく読んだ。
 文章が難解で、話が難しい。 すべてを理解できるわけがないが、他のことを一切気にせず読むにはちょうど良い本だった。 頭をそのことにだけ集中して、他のことをすべて忘れることができる。
 納屋を焼くはその中でもアリスのお気に入りの話だった。
 まず、短編というところがいい。 暇つぶしにちょうどよく読める。
 そして、話に隠された謎が好きだ。
 アリスはこの話に出てくる納屋が何を指すのか真剣に考えたことがある。 残念なことにネット環境のないこの家において、アリスは自分で考える以外に納屋の意味を知ることはできなかった。
 結局、アリスが出した結論は、納屋とは出てくる『彼女』のことなのだろう、と
 おそらく、この『彼』は『彼女』を殺すつもりなのだろう。 それを「納屋を焼く」と表現して、主人公である『僕』にその意図を伝えようとしていたのだ。 何のためにそれを伝えようとしているのかは分からない。


 アリスはそこについても考えてみた。
 その結果、仮説が二つ生まれた。
 一つは『彼』は『僕』が『彼女』を守ることができる存在なのか確かめようとしてのではないか
 しかし、それでも違和感が残る。 なぜ、『彼』はそんなことをしたのだろうか。 作中にもあるように『僕』は『彼女』の彼氏や旦那というわけではない。 それなのにどうして『彼』は『僕』を守る対象に選んだのだろうか
 ほかに知り合いがいなかったからか、それとも『彼女』が『僕』に対して特別な感情を抱いていたのか
 個人的には一番これだ、と思える答えだが、違和感が多く残る。
 もう一つの仮説
もしかすると『彼』は誰かに止めてもらいたかったのではないか
 

「…………」
 ありえない
 それは到底人を殺す人間の思考回路だとは思えなかった。
 自分がそうじゃないから、そんな簡単な理由だが、アリスはそう思っていた。

 アリスはもう一度、蛍・納屋を焼く・その他の短編を読み切ると、本を適当なところに置いた。 村上春樹の本は読み切った後の独特の倦怠感が気に入っていた。 アリスは壁にもたれかかり、ある一節を思い出す。
 それは納屋を焼くのものではない。
 蛍という短編の物だった。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

 なるほど、と思える一節だ。
 だが、どうしても納得できない部分はある。 
 アリスは思う。 死と生はあくまでも対極の物なのだ。
 だからこそ自分は今ある生より、死により強く心惹かれるのだろう。 対極のものではなく、一部のものだとしたらそこまで強く惹かれはしない。 対極のものであるからこそ、死は魅力的なのだ。
 しかし、だからと言って死は生の一部ではないなど言うつもりは無い。
 確かに死は生の延長線上にある。 そう考えると一部と言えなくもない。 それに、死はいつも生と共にある。 それも、少し間違っているとは思うが一部と言って差し支えないだろう。

 そんなことを考えていると時間はあっという間に過ぎていく。 それがいいことなのかどうか分からないが、アリスは何となく考えることで過ぎていく時間が嫌いだった。 ここまで考えても一文の価値もないのだ。
 バカバカしい。
 本当にバカバカしかった。
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 研究所にて
 小岩井所長は眉をひそめていた。 机の上にはA文書と∀文書が置かれている。 パソコンには解読できた部分が表示されていて、それと文書を見比べて文書に書かれている言葉の真意を確かめようとしていた。
 しかし、さっぱり分からない。
 その理由は内容が暗号化されているだけでなく、意味が分からない言葉があまりにも多すぎたのだ。 
 実は小岩井所長、アリスに話していなことが多々あった。
 一つはクライシスについてのことだった。
 研究の結果、クライシスについてある事実が明らかになっていた。 一つはクライシスは人間によって作られたということである。 どう考えてもその事実に間違いはなさそうだった。 事実、クライシスには現存する技術が用いられている部分があるからだ。
 また、∀文書についても話さなかった。 
 ∀文書は現在五%も解読できていない。 また、解読できた部分も謎が多く、何を描いているのかさっぱり分からない。
 特に「オモパギア」という単語がいったい何を指すのかそれがさっぱりだった。
 「……アリスなら何か知っているかしら」
 ふとそんな考えが脳裏をよぎった。
 しかし、何となくアリスに聞くのはためらわれた。
 また、もう一つ、どうしてもわからないことが一つあった。

 それはA文書に書かれている一行の文だった。
 中盤あたりに書かれていたその文章はとぎれとぎれではあるがこう書かれていた。

 クライシスがスパラグモスを生み出した。 そして敵になった。

 簡単に言うとそういうことだった。
 ということは、もしクライシスが未来から来たのだとすると、同じ未来からスパラグモスも来たこととなる。 しかもわざわざ月の裏側に自分の体(?)を残しているのだ。
 そう考えると意味が分からない。 非効率的にもほどがある。
 分からない。
 言った何がどうなってこうなったのだ。
 なぜクライシスとスパラグモスは敵対関係になった? どうして? 何が起きて?
 「……分からないな」


 分からないことをくよくよ悩んでいてもしょうがない。 小岩井所長はそう開き直ると文書を閉じ、全ての映像を消した。 そして大きく伸びをすると近くに置いてあるカップを手に取ると、中のコーヒーを一口飲む。
 すっかりぬるく、不味くなっていたがすべて飲み干す。
 その後、本棚に置いておいた写真を手に取る。
 そこには小岩井所長と二年前まで夫婦だった人、その二人に挟まれるように娘の姿があった。 


娘の名前は千佳といった。
 彼女は死んだ。 ある日のこと千佳は車道に飛び出して自殺した。 そのことが原因で小岩井所長とその夫は別れた。 小岩井所長にとって、人生の中で唯一うまくいかなかったことで、今でも後悔し続けていることの一つである。
 そのためか、小岩井所長にはアリスの姿が千佳と被って見えてしまった。
 だからか、アリスのことを放っておきたくなかった。
 あの死んだ魚の目が遺体で見た千佳の目とまったく同じに見えたのだ。
 

「はぁ……少し休もうかしら」
 小岩井所長はそう呟くと、席を立った。

 もしかすると
 何か大きな前提を自分は見逃しているんじゃないかと
 一瞬思った。


 「…………」
 しかし、その前提とは一体何か分からないので諦めるしかなかった。
 小岩井所長は個室から出ると、小さなため息をつきながら食堂へと向かって行った。



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