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ベリアル 変化 その③

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 初めて読んだときからやけに心に残る言葉だった。 そのまま目を下に向けると、地面をじっと見る。 ここから飛び降りればおそらく死ねるだろう。 それだけ苦しむかもとかは考えない。 大切なことは死ぬことができる、その一点だけだ。
 今にも飛び降り自殺をしそうな雰囲気があたりに漂う。
 するとどこからともなくクライシスが現れて、アリスの目の前に現れた。
 「やぁ、死ぬ気かい?」
 「……そういえば、今日初めて顔を見るね」
 「いやーちょっと忙しくってね。 南極で僕の下半身が発見されたと一報があったんだ、君たちが出発した直後だったかな? だからちょっと確認していたらこんな時間になったんだ」
 「……南極にまで行ったの?」
 「そんなわけないだろう、君。 中継だよ中継」
 「うざい」
 「ごめん」


 素直に謝るので許してやることにした。
 アリスはそのまま視線をずらすことなく、じっとクライシスを見続ける。
 「ところで、死ぬ気かい?」
 「いつでも死ぬ気だけど……まだ死ねないよ」
 「妹のためかい?」
 「その通りよ」
 「僕としても君には生きてもらわなくちゃいけないんだけどね」
 「…………」


 言葉のニュアンスが微妙に違う。
 アリスは眉間にしわを寄せるとクライシスに質問を飛ばした。
 「クライシス」
 「なんだい?」
 「あなたは私に死なれたら困るんでしょ?」
 「あぁ、非常に困る」
 「……それは、戦う人がいなくなるから? それともそれ以外の意味があるの?」
 「………………どういう意味だい?」
 「あなたはこの戦いが終わった後、私が生きようが死のうが興味ないのよね」
 「…………そういう訳じゃないんだよな」
 「え?」
 「これぐらいは話してもいいかな」


 そうもったいぶった前置きを置いてクライシスは重い口を開いた。 アリスは今までクライシスがこんな真剣に話すのは珍しいことなので、息をのみ、こちらも真剣に話を聞くことにする。
 何となくずっしりと重い空気が辺りに満ちる。

 クライシスは暗い声で言葉を紡ぐ。
 「君には生きてもらわなくちゃならない」
 「どうして?」
 「君はこの先役十年間、この世界における重要なファクターになるのさ」
 「ふぁくたー?」
 「要因、ある事象を起こすものという意味がある」
 「…………それが何なの?」
 「君が死ぬと僕たちが困るのさ」
 「……………………」


 疑問がふつふつと湧いてきた。
 こいつは一体どこから来たのだろうか、こいつ何を企んでいるのだろうか、こいつは私で何をしたいのだろうか、こいつは一体何が目的なのか、こいつはいったい何者なのだろうか
 疑問は尽きない。
 今も、ずっと
 それでも
 それでもアリスは考えることをやめた。
 考えると辛いから、考えると苦しいから
 考えたくない。

 違う。

 考えるのが怖いのだ。 現実を受け入れるのが苦しいのだ。
 アリスは目を閉じ、小さくため息をつくと柵から降りて屋上に降り立つ。 そして大きく深呼吸する。 肺の中が清々しい空気が溜まっていく。 その後、いい加減家に帰ろうと思い、校舎へと戻る。




 その途中、階段を下りているところで達也と会った。
 「あ、いた」
 「…………なんか用?」
 「いや、今日も午前中だけだったでしょ。 だから一緒に帰ろうと思って」
 「……そう、帰ろうか」
 「え? 今何て?」
 「うるさい」
 アリスは冷たくそう言い放つと達也の脇をすり抜けて階段を下りていく。 達也も急いでその後を追って行く。 
 こうして二人はアパートまで帰っていった。


 「アリス、何か食べる?」
 「……帰れ」
 「いいじゃん別に、インスタントカレーぐらいしかないけど……というかアリス、冷蔵庫に野菜とか肉とか何もないじゃん。 食品取ってくるからちょっと待ってて」
 「人の話聞いてる?」
 「じゃ、お湯沸かして待ってて」


 バタンと扉の閉まる音が部屋に響く。
 アリスは呆れたはてたような顔をすると達也が出ていった扉の方を見る。 その目には何も映っていないが、額には冷や汗が流れ、口は半分だけあいてそのまま閉まらずあほみたいな顔を続ける。
 達也のマイペースっぷりには慣れたつもりでいたのだが、さすがにあっけにとられた。
 予想の斜め上というか、予想することすらできないレベルの行動というか
 まずアリスは食欲など全くなかった。
 「……馬鹿みたい」
 アリスは煎餅布団の上に寝ころぶと、ボーッと天井を眺める。
 いつものこの調子で時間が過ぎるのを待つ。 こうしているとあっという間に一日が過終わる。 頭真っ白にして、寝ているのか起きているのかあいまいな状態になる。 


 その直後
 ピンポーンという呼び鈴の音が聞こえてくる。
 一瞬、達也だろうかと思うがあいつは呼び鈴を鳴らすことなく遠慮なしに家に入ってくる。 それに鍵を掛けた音も聞こえなかったので、おそらく扉は開けっ放しになっているはずだ。 だったらなおさら無遠慮で家に入ってくる。
 ということは来客だろう。
 それは無視に限る。
 「達也さん、黒月です。 ……黒服の一人です。 研究所からの伝言があります」
 「…………」


 部屋を間違えている。
 それでも黒服の一人だったら出た方がいいだろう。 アリスはそう判断すると玄関の扉を開く。
 「あれ? アリスさん?」
 「……隣」
 「あ、そうでしたか……」
 「…………メールか電話は?」
 「さっき小岩井所長がやったらしいのですが繋がらなかったそうで、近くにいたので伝言に来たのです。 というかそもそも達也さんは携帯持っていないらしいです」
 「…………」


 ハイテクなくせして無駄に中途半端だった。
 飽きれつつもアリスは話を促す。
 「で、話って」
 黒服は少し複雑な顔をした後、「ま、いいか」とつぶやくと手持ちのバックの中を漁ると何かを探し始める。 数秒の間そのまま探し続けていたが、どうやらうまいこと見つからなかったらしく、探したまま話を始める。
 不器用な人だなと思いつつ、耳を傾けるアリス
 「アリスさんにも関係ある話ですし……話しますね」
 「…………分かった」
 「えーとですね、アリスのおじさまが逮捕されました」
 「は?」
 「ま、こっちが色々したんですけどね」
 「は?」
 「えーとあったあった。 これだこれだ」


 そう言いながらメモ帳を引っ張り出す。 その後ぺらぺらとページをめくる。 やがて目当てのページにたどり着いたのか、指をぴたりと止めると読みながら話を続けた。
 「えーとですね、公然わいせつその他もろもろです。 しばらくブタ箱で暮らすこととなりますね」
 「へー」
 何をしたのかについては突っ込まないことにした。
 もう何もかもがどうでもよくなってきた。
 「という訳で、大家の仕事は本人との話し合いで私が引き継ぐことになりました」
 「へー」
 どんな話し合いをしたのかとか突っ込んではいけない。
 「まぁ、そんな感じですね」
 「分かった」
 「あー、達也さんに伝言頼んでもいいですか?」
 「分かった」
 「それでは、さようなら」


 そう言って黒月とかいう黒服はどこかへ消えていった。
 真っ黒の背中を見送ってからアリスは自室に戻る。 その後、再び煎餅布団の上に寝そべり、再びボーッとする。 程よく眠気がやってくる。 このままゆっくりと時間が過ぎればいいのになーと思った。
 次の瞬間、達也がやってくる。
 「ごめん、遅れたー」
 「…………」
 「どうせ包丁無いと思って切って来たよ」
 「…………」
 「あれ? 寝てたの? ちゃんと昼食食べないといけないよ」
 「…………うっざ」
 「え?」
 「食欲無い。 寝る」
 「……そう。 お休み」
 達也はそういうとアリスのことを無視してカレーを作り始めた。
 アリスは鼻腔がスパイスの香りで満たされていくのを感じながら眠りに落ちた。

 ちなみに次の日の朝に目が覚めて鍋いっぱいのカレーを見た瞬間、アリスはもう何もかもが嫌になった。



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 その後数日間、アリスは今までと比べてびっくりするぐらい平和な日々を過ごした。 
 宝樹は学校へはきたものの、アリスの方に見向きもしなかった。 たまーに苛立たしげな視線を感じることがあったが、それだけで特に害は全く持ってなかった。 取り巻きもクラスの連中も誰も何もしようとしてこなかった。
 そのため、アリスは特に何もすることが無い退屈な学校生活を送れた。
 そんな退屈な学校生活はアリスが一生味わえないものだと思っていたものだったが、どうやらそれは思い込みだったらしい。 
 しかし、味わってみたところで、こんな生活の何が楽しいかさっぱり、という感じだった。
 何となく
 退屈だった。
 しかし、いいこともあった。

 アリスにじっくりと考える時間ができたのだ。
 今までアリスは考えることを拒否してきた。
 その理由は単純だ。 アリスにとって考えるということは現実を直視して、それについて考察を続けることだった。 つまりは現実を受け入れる必要があるということである。 アリスはそのことがどうしてもいやだった。
 つまりは現実を受け入れることができない。 
 ただの典型的な現実逃避だ。

 だが、最近になって心に少し余裕ができてきた。
 そのおかげか、アリスは少し考える機会が多くなってきた。 


 アリスはベッドで眠るマリアの姿を見下しながら考え続ける。
 
 今日は学校がなく、一日自由な時間だった。 それに達也もいない。 研究所の方でクライシスの下半身の運び込み作業を見守っているらしい。 その後、検査や何やらをやるようで一日帰ってこないらしい。
 久々に一人ぼっちの時間だった。
 その時間をどうやって過ごすかというと答えは決まっていた。


 マリアのお見舞いだ。
 そう心に決めると、電車に乗り、病院へやってきていた。 あまり時間を空けずにやってきているはずだったが、どこか懐かしい感じがする。 ここ数日で色々あったせいだろう。
 窓から自分が歩いてきた通りが見下せる。
 一瞬、そっちに目を配るが大した興味を持つことができなかった。



 この戦いが終わった時、自分はどうなるのだろう。 
 今はクライシスや研究所の人々が自分のことを擁護してくれている。 しかし、戦いが終わったらどうなるかわからない。 クライシスは自分がこの先十年においてファクターになるとか言っていたが意味が分からない。
 それに、このことを知るのはおそらくクライシスのみだ。
 つまりは全ての戦いが終わった後、研究所の人々が自分を守ってくれる確証はない。
 というか守ってくれる可能性は非常に低いだろう。
 それにクライシスはマリアを助けてくれるという。 助けられたマリアとアリスが一緒に暮らすことができるだろうか、答えはすぐに出る。


 無理だ。
 アリスはマリアと一緒に暮らすことはできなかった。
 となるとどうなるだろう。
 答えは単純だ。 


 死のう。


 そう決めた瞬間、アリスの心は何か晴れやかなものとなっていった。
 マリアが治ったらアリスに心残りなど何もない。 すっきりと死ぬことができる。
 死に場所はどこにしようか、学校の屋上か、それとも自宅の風呂場で手首でも切るか。 あまり苦しまずに死ぬとしたら睡眠薬か何かを飲むことだが、齢十四のアリスがそんなものを買えるとは思わなかった
 だとしたらやっぱ飛び降りしかない。
 とすると場所はもう決まっている。


 学校の屋上以外考えられない。
 別にそこまでお思い入れのある場所ではないが、何となくそこ以外の場所が思い浮かばなかった。
 「…………」
 アリスは無意識で自然な、いたって普通の笑みを浮かべた。
 そして手を伸ばすとマリアの頭を撫でた。
 さらさらとした髪が手に心地よい。 ここまで穏やかな気持ちは何年ぶりだろう、しかしそのことにアリスは気が付かなかった。 最後の最後までそのことに気づくことはなかった。



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