父ルトガーが病にかかった経緯を知ってもらうためにはあの忌まわしき晩の出来事を
振り返らねばならない。正直、思い出すのもおぞましいが こうして自身の過去と向き合うのは
これからの生涯では二度と無いだろう。これも一興だ。過去の精算も兼ねて語ろう。父はもう以前のような野心を持たなくなったとはいえ、鬼家の者はそんな父の言葉を信じてはいなかった。
いつ野望の牙が再び生えるとも限らない……そうなる前に牙の根を抜いておかなくては。そう想うのは必然である。
私が10歳になった日の晩、鬼家の宴に父は招かれた。長く鬼家とは疎遠にされていた父はようやく鬼家に許されたと大喜びだった。父は自分のせいで、母と私がつらい想いをしていることを詫びていたようだったらしい。
少しでも鬼家の許しを得ることで、少しでも私たちの苦しみがなくなればと思ったのだろう。父と共に連れられた鬼家の宴で父は祝いの骨熊(ボーン・ベア)の酒を飲んだ。もし、かつての若かりし頃の父ならば決してその酒を飲むことはなかっただろう。だが、長年の鬼家に対する負い目が父の警戒心を曇らせた。
父の手からグラスが落ち、粉々に砕けるのを私は見た。
そして、父は泡を吹き 目と鼻から血と体液を吹き出してのたうち回った。
その様子を鬼家の者たちは無言でただ見つめていた。
「どうしたの!父上っ……!!父上…っ!!」
苦しむ父を起こし、必死に起こそうとする母と私の前に青い軍服の
将校が歩み寄ってきた。その男は鼻が無く金色のつけ鼻をしていたのを
幼心に覚えている。後で聞いた話だが、男の名はジャン・ピエール・ロンズデールと言った。
鬼家の者たちは基本黄金や銀、石などの鉱物に由来する名前が多いが、無論例外も居る。
いくら甲・乙・丙家と交流を断絶しようとしても絶対に不可能である。
どこかで、鬼家の情報を握り潰す役割を果たす者が必要である。
そこで、その先鋭隊としてジャン・ピエールの父は、
あえて誇り高き鉱物に由来する名前を棄て天涯孤独の平民出の軍人として暗殺教会に送り込まれた。
そして、戦功を立て遂に天使の「純血種」の子孫である甲・乙・丙家に浅く広くコネクションを持つ
ロンズデール家に婿養子として入り込むことに成功した。ジャン・ピエールは
その父の使命を受け継ぎ、開花した鬼家の種であった。
「……ゴルトハウアー様……これが我々鬼家の返答です。
このような仕打ちを受ける覚えが無いとは仰ることはないでしょう。
あなたは当然の報いを受けたのでございます。」
そう……全ては父に報いを受けさせるための罠だったのだ。
「がっ……はっ……お……のれ……」
「鬼の報復はたとえ何年かけようとも達成する……鬼家の掟を忘れたとは仰られぬように……」
ジャン・ピエールはそう言うと、鬼家の群れの中へと紛れ込み消えていったのだった。
母と私はのたうち回る父を引きずり宴の会場を後にしたのだった。
通常であれば死んでいた筈の父は生き延びた。
それが果たして幸運だったか不運だったのか……私は知らないが
それ以来 父は不治の病にかかってしまった。鬼家から弾かれた父を助けてくれる者など居らず、
母は大急ぎでケイト・シバリンという魔女の元へと駆け込んだ。
当時、甲皇国では魔女は忌むべき存在として疎まれていたが
その裏では行く宛のない物を匿ったり、犯罪者や重病人を治療する闇医者のような社会のセーフティーネット的な役割を果たしていた。
号泣しながら正直に事情を打ち明け、助けを請う私たちにケイトは憐みを感じてくれたのか、
死の狭間で苦しむ父の命を助けてくれた。だが、シバリンは申し訳なさそうに言った。
「あと、もう少し治療が早ければ……残念ながら
御仁の苦しみを取り除くことは出来なかったのだ……」
なんでも、聞いたところによると使われた毒は「鬼の涙」と呼ばれる
猛毒らしく、魔女たちですら嫌悪する猛毒であった。
それは、骨大陸の呪われた地であり、鬼家発祥の地とされている「鬼餓島」に生息する花から採れるもので、摂取したら最後身体を内側から鉤爪で掴まれ引きちぎられるような激痛を発し、発狂しながら死ぬというものだった。
ケイト・シバリンいわく解毒方法…というより、ほぼ呪いを解く方法に近いやり方を
とらねばならないらしく、その治療は百八秒以内に行わねばならないそうだ。
当然、その治療など百八秒以内に行えた筈などなく、
助かったとしても激痛と毒素を取り除くだけで精一杯で、毒素によって
著しく損傷を受け、身体は朽ち果てていくとのこと。
持って5年の命と宣告された。
泣きじゃくりケイトの膝下に縋り付く母を私はただ呆然と見つめていた。