第28話
スタジオでは収録開始に向けた準備が着々と進められていた。出演者であるところの朝川は、その風景を写真に収め、ツイッターにアップしようとしていた。
《競馬専門紙駿馬トラックマン 朝川征士》
2017/4/11
『収録開始間近のスタジオ内。今週は皐月賞直前SPだからかセットも榎本さんも普段より何割か増しで華やかです。放送は今日午後11時から!!』
朝川は設置済みのテーブルに着いていたグラビアアイドルの榎本マユミに、iPhoneの画面を見せた。
「こんな感じでツイートしようかと」
「ポーズはキッチリ取れてますかね?」
「毎度ながら、プロの仕上がりです」
良かった、と笑顔でこぼした榎本の瞳に吸い込まれそうな心地を覚えながら、朝川はツイートボタンを押した。
朝川は、自身のアカウントで『ライフ・ホース・オン』の宣伝ツイートを番組開始当初から続けているのだった。そして、番組の宣伝のためなら、と榎本も被写体として協力してくれていた。その上、事務所への許可も榎本本人が取り付けてくれており、芸能界には疎い朝川としてはとても助けられた思いでいた。
現時点では競馬素人の榎本。しかし、朝川は榎本の人柄の良さに、同じ番組を作るパートナーとして信頼を置ける人物だと感じ始めていた。そのおかげもあるのか、番組の評判は上々だった。
「朝川さーん、俺も写ってるのに確認してくれないんですか?」
そこに、もう一人の大事な出演者、ラジオKEIZAIの大葉速人アナウンサーが割り込んできた。写真にも隅に顔だけ割り込んできている。
「あぁ、気づかなかった!」
「ウッソだぁ! まぁそりゃね、朝川さんのフォロワーも榎本さんしか見てないとは思いますけどね……俺の顔なんて不要ですけどね……それでも確認くらいはしてくれたって……」
見た目はかなり整っている大葉が性格的にはやたら卑屈なことがだんだん分かってきて、朝川はそれを面白がっていた。同い年なこと、同性なこともあって、収録を重ねるにつれてあっという間に打ち解けていった。競馬実況アナウンサーであるので、当然競馬にも馬券にも詳しく、話も弾んだことも大きかった。
本番三分前でーす! とスタッフからの指示が飛んで、三人は真顔になる。朝川も席に着いて、収録の開始に備える。
番組ではテロップで紹介されるので、自己紹介はしない。音声だけのラジオでは自己紹介をする、されるのが当たり前なので、最初は慣れなかった。
「さあ、今週の『ライフ・ホース・オン』は皐月賞直前大特集です!」
榎本が声を張って言う。大葉が説明を引き継ぐ。
「はい、今週日曜、四月十六日のメインレースは第七十七回皐月賞GⅠ。ご存知三歳クラシックレースの一冠目となります。優勝賞金一億円と皐月賞馬、皐月賞ジョッキーの栄誉をかけてフルゲート一八頭で競います。なお、このレース四着までに入りますと、来月行われるクラシック二冠目の日本ダービーへの優先出走権を獲得できます」
大葉はさすがのアナウンス力で、皐月賞の概要をスラスラと説明してみせた。再び榎本が、ホワイトボードを示して話し始める。
「こちらが現在の登録馬です。皐月賞トライアルレースで上位に入った優先出走馬はこちら、それ以外の出走予定馬は賞金順に並べてあります。登録馬、このまま行きますと……二勝馬が抽選になるんでしょうか?」
ここで朝川が入る。
「えー、そう、ですね。五百万下勝ちまでの馬の五頭中三頭が抽選で出走可能になります。二頭は落ちますね」
「なるほどー。さて、有力馬の一週前追い切りの映像が用意されてますので、早速ご覧いただきましょう……」
テーブルに設置してあるモニターに、視聴者が後に観ることになる調教映像と同じものが流される。弥生賞勝ち馬のザラストホースから始まり、シャインマスカット、ワールドエンブリオなどといった有力馬の映像が次々に流れていき、それに合わせて朝川が一言コメントをつけていく。とはいえ、さすがにGⅠに有力馬として出走してくる馬たちである。トライアル時よりいずれも仕上がりは進んでいる様子だった。
ただ、各馬の仕上がりには微妙に差があるように感じられた。シャインマスカットはこれまでの調教と比較してもビシビシやっている。皐月賞に賭ける陣営の本気度が窺える中身の濃さだった。日本ダービーにお釣りが残るのか心配になるほどの--
それに対して、ザラストホースとワールドエンブリオは、若干ながら余裕残しの仕上げに映った。少なくとも、朝川の目からはそう見えた。この二頭は、明らかにスケールの大きさが感じられ、どちらかというと器用さの求められる皐月賞よりも日本ダービー向きであることは明らかだった。ただ、能力の違いで皐月賞も攫っていってしまう可能性は十分あるという見立てでもあった。
マイジャーニーの調教映像は、有力馬の映像から少し間があって放映された。弥生賞の完敗で評価が露骨に落ちていることが如実に現れた順番付けだった。
これは特に、まだ戦歴の少ないこの路線において顕著なことだが、一回の勝敗で評価が大きく変わってしまう傾向が強いのだった。それゆえに、前走力を出せずに敗北した馬が巻き返し
、結果的に穴馬券の使者となるケースも多々あった。
今回の人気順は比較的読みやすい。一番人気はまず間違いなくザラストホースだ。元々大器とされていた馬が、ついにその能力の一端を披露したのが初重賞制覇となった弥生賞である。皐月賞と同条件であるこのコースで完勝したのは何よりの買い材料となる。厩舎も鞍上も実績は申し分ない。二番人気は恐らくスプリングステークス勝ちのシャインマスカット。小脚が使えるタイプで中山のようなトリッキーなコースはうってつけ。陣営も勝算があるとしたらここと狙い澄ましている感があり、そうした面でも人気を集めそうだ。三番人気に関西の刺客、ワールドエンブリオとなるだろう。前走共同通信杯から間隔が開くが、何せ皐月賞は過去五年で共同通信杯組が四勝しているという、恐ろしい直結ぶりである。ここまで偏ると、データを重く取る競馬ファンはワールドエンブリオに群がるだろう。ただ、競馬の格言で「気付いた直後に途切れる」といったものもある。競馬に百パーセントは存在しない。当てたいが故に打率の高そうなデータに頼りがちだが、オカルト的なものには注意しなければならないのだ。
それ以下の人気は、かなり混戦になってくるだろうことが予測される。単勝オッズも最低十倍は超えるのではないだろうか、と朝川は読んでいた。
「さあ、調教をご覧いただいたところで、いよいよ朝川さんの印をご紹介いたします」
今回の印は、いつにも増して悩んだ。注目度の高いレースの予想というのもあるし、こうしてテレビに出るようになって、単純に自分の予想が人の目に触れる機会が多くなるからだった。
かといって、置きにいくような予想をしたって仕方がない。
「はい。まず、私の本命馬は--」