第三十三話 第二次神討大戦 (鹽竈)
天神救世教の教祖リザ。彼女の私室を最上階に据えた建物はものの数分で影も形もなく粉々に吹き飛ばされた。
これがたった二名の戦闘によって引き起こされた破壊だとは、実際目の当たりにしなければ誰も信じられないだろう。
槍が飛び交い斬撃が舞い、衝突の余波が周囲の建築物を次々に打ち砕いていく。
「私を誘い出す為だけに、わざわざこんなくだらない教団を立ち上げたか。どれだけの人間が君に振り回されたと思う、リザ」
「貴様にだけは言われたくないわ、カイザー」
「全くだな、似た者同士だ」
リザにとっては皮肉にしか聞こえなかったが、そう言い放ったカイザーは何故だか上機嫌そうな声色だった。
「正直なところね、私は貴様さえ殺せればなんでもいいのよ。正義の為だなんだと語ったこともあるけど、結局のところは私欲と私怨の塊。なんでか知らないけどこんなイカれた教団にまで付いてきた天音におかしな洗脳が施されていたことにも気づいていたし、それをキョータに告げることもしなかった。私にとって戦力増強の意味では黙っていた方が都合が良かったから」
大英雄とまで呼ばれる彼女の戦術は幅広い。片手で神速の槍術を扱う傍ら、利き手のジークフリードによる剣術は達人の域を優に超える。
超人足る非正規英雄だからこそ叶う離れ業。しかしそれもカイザーには届かない。
思い返せばそれも当たり前の話だった。そも、リザが神聖武具三重所持という異常なまでの重武装となっているのも、そうでなければカイザーには手も足も出なかったからである。
剣一本では到底叶わない。だから槍を得た。技術も磨いた。それでも勝てないから、仕方なしに盾も身に着けた。
リザという非正規英雄は、初めから装甲悪鬼に特化する為だけに成長と強化を繰り返して来た人間でしかない。大英雄などという肩書は、その道中で得ただけの二つ名。
「フゥッ!」
左から繰り出されるは目にも留まらぬ五連突。通過の勢いで抉り取られた大気が鳴く。それすら斬り伏せる両刃剣の一撃は真上に跳ね上げられた。
装甲悪鬼の銀刀は―――未だ鞘の内。何をしたかは明白。思考に費やすコンマ数秒すらが無駄でしかない。
次いで鼓膜に響く鞘鳴り、いや違う抜刀の余韻。
いつ、どうやって。見開く瞳孔に敵の攻撃挙動が映らない。
正体は居合抜き。常識外れの抜刀術は大英雄にすら見切れず、直感任せに右腕を肩の高さまで持ち上げる。何よりも信ずる歴戦の経験は悪鬼の軌跡を的確に読み抜いた。
解放するアイギスの能力が一閃を衝撃ごと受け止める。右前腕部に取り付けた円楯が瞬間で深紅に染まった。それは耐久限界一歩手前を示す警告。
相変わらず馬鹿げている。並の悪魔の攻撃なら数百発は耐えられるアイギスの楯がたかが細刀の居合一太刀を受けてこのザマだ。
アイギスの防御を優先させたせいで右手に握るジークフリードを手放してしまった。左のグングニルのリーチはこの近距離においては邪魔でしかない。元々投擲が真価であるグングニルを白兵戦に転用させているリザの悪癖がここに来て死神の鎌を引き寄せた。
頸椎、心臓、手首。致命に至る箇所を重点的に狙い澄まされた連撃が迫る。即死のパターンが八つは思い浮かんだ。
歯噛みし、苦渋の決断を選択する。正面に構えたアイギスの能力を再展開。円楯は溜め込んだ攻撃を圧縮して噴射に変換できる、これを利用して両者の間で先の一撃が弾け散った。カイザーは身を仰け反らせダメージを流し、逆にリザは噴射の勢いに押され後方十数メートルもの距離をくの字に折れて吹っ飛ぶ無様を晒す羽目となる。
「チッ!」
「……リザよ。もうやめにしないか」
体勢を立て直すリザを追撃することも出来たはずのカイザーが、抜き身の刀をぶらんと下げた状態で語り掛ける。
「お前に殺されるのは、悪くない。それで気が晴れるのならむしろ私は殺されるべきだ。じきに私の目的も達されるだろうしな。だが」
仮面の奥に隠された表情は、言葉だけではわからない。感情を押し殺そうと意図する無機質な声音で彼は続ける。
「それでお前は解放されるのか?私はそれだけが不安だ…その激情は英雄ではなく、悪魔に寄った質がある。だからこれまでもあえて決着は避けてきた」
「負ける前から遠吠えは見苦しいわよ、カイザー」
まるで聞く耳を持たないリザに嘆息し、密かに眉を寄せる。
どうするべきか。このまま真っ向勝負で組み伏せるか、それとも話すべきなのか。本当にそれが最善なのか。
苦悩するカイザーの気など露ほども知らず次の猛攻を企てていたリザへ、明らかな嘲弄が含まれた大笑が響き渡る。
「いやはや大変だねぇカイザー!よくあんな頑固な女性と同棲していられたものだよ、その心胆に僕は心からの称賛を贈りたい!」
気配を感じさせずフッと現れた白いフードマントを羽織った悪魔が、両手を叩いて両者の視界ギリギリの端に立つ。
「…マーリンか」
最悪のタイミングに最悪の相手だった。即座に仕留めてしまいたいが、無理であることを悟る。今頃本体は石動堅悟と交戦しているはずで、つまりこの場にいるアレはお得意の魔術で拵えた即席の分身か幻影辺りだろう。
口先だけでも有害そのものでしかない魔術師の出現に、同じく攻撃が無意味であることを一目で理解したリザが蛆虫でも見るような視線を寄越した。
「失せなさい詐術師。貴様の相手はあとでしてやる」
ただの人間であればその言葉一つで失神にまで追いやれるだけの殺意を込めたつもりだが、それも軽薄なこの男には通用しない。
どころか、マーリンはけたけたと無邪気に笑いながらこんなことを返す。
「まあまあ!哀れにも悪魔の両親に育てられた悲劇のヒロインにも、過去を明かす語り部は必要じゃないかと思ってねー」
「……何?」
「―――!!」
二人の反応は対極だった。リザは意味がわからないとばかりに首を傾げ、カイザーは自分でも不自然だと笑いたくなるほど迅速にマーリンの幻影を斬り裂いていた。数瞬遅れて冷や汗が頬に流れる。
無駄だと分かっていたはずなのに動いてしまった己が愚かさを嘆く彼の背後に、ゆらりと新たな幻影が浮かび上がる。
「落ち着き給えよカイザー。いい加減、いつまでも大英雄様を道化と扱うのはどうかと思うのだよ僕は」
「今すぐ黙れ。でないと万死では済まさんぞ老害が…!」
珍しく怒気を露わにするカイザーを無視して、マーリンは唯一仮面に覆われていない口元を愉快げに歪めて両手を広げる。
「さぁネタばらしといこうじゃないか。かつてのいつかのとあるな話だ!準悪魔と男女が結ばれた、非常にめでたいことだね!僕の配下でもあったからとても喜んだよ。それ自体は別に珍しいことじゃないよね?悪魔だって男と女がいるんだ、当然惹かれあうカップルや夫婦はたくさんいるとも。ところがどっこい、この夫妻は子宝に恵まれた!悪魔の子だ、これがどれだけイレギュラーな事態かは大英雄様なら分かることだろう?人間と違い、本質を歪めた異形同士では生殖の仕組みがどうやっても噛み合わないのだから」
長々と声高く語る耳障りな声は幻影同様に消えてくれることはない。早い所本体を叩いてしまいたいところだが、リザにとって最大の敵はカイザーであることに揺らぎなく、故にマーリンの戯れ言などに一片の興味もない。
だが、どういうことだろうか。話し掛けられているリザではなくカイザーの方が狼狽しているのは。リザにはそれが気に掛かった。
「非常に面白いテーマでね、僕はこれを研究した。まだ完全に解明できたわけではないけどね。奇跡的に成功したらしき受精・着床からして膨大な魔力を帯びた体内胎盤ではまともな人間が出来上がるはずはない。父母の力を過負荷として間近で耐え抜き、あまつさえ出産まで漕ぎ付けた事実はまさしく邪神の恩恵としか言いようがない。しかし生まれた子供はやはり少し壊れていた、悪魔の夫妻からの負荷を受け続けていたのだから当然と言えば当然だ」
「黙れと、言っているのが…分からんのか」
ズバンッ!!と地面を大きく抉り取ってマーリンが消し飛ぶ。次現れた影もその次も、カイザーの銀刀が出現と同時に斬り捨てていく。
それでもやはり、忌々しい声も姿も際限なく湧いて来る。
「だから考えた!生まれる前から魔力を受け続けたから壊れた、ならばきちんと形を成した状態から同じ状況へ持ち込めばどうだろう!?人間の赤子を、悪魔が間近で育て続けたなら、また違った結果になる、もしかしたら壊れず完璧な悪魔として成立するんじゃないかなって!」
「……何を、言ってる。なんの話をしているマーリン」
「僕達は邪神や天神の力を纏めて魔力と総称する!その魔力は放射線と同じように人体へ干渉を及ぼし励起に近い状態を引き起こすのは既に実証済み確認済みさ。だから御守佐奈のように生まれつきの体質で魔力の干渉に強い抵抗力のある赤子を選定して育ませた!途中で邪魔さえ入らなければ、今頃君は僕ら装甲三柱をすら超える強大な悪魔となっていた可能性は大きい!!」
自分勝手に嬉々として叫び語る内容を、リザは無視することが出来なくなっていた。意味が分からないと、思考を投げ出すことすら聡明な彼女には出来ない。
納得が出来ない、妄言であって虚言であって戯言であるからして聞くに値しないしこんな口車に乗るのは詐術と話術を好むあの男の策に自ら飛び込むようなものだ。
でも。
だけど。
思考は停止しない、投げ出せない。回転していく脳内でいくつも浮かぶものがある。
『たびたび口にしていたカイザーの言葉』、『父母と似通らなかった顔立ちや瞳の色』、『利益の見いだせない海座弓彦の裏切り』、『一度も明かさなかった殺した理由』、『愛していた男を信じたい』、『「第一次神討大戦」』、『先生が自分に親身になってくれたわけ』、『思えば歳幼い頃、天使と出会う前から魔力を自覚していたこの身は何かおかしくはなかったか』。
『「大英雄」などと呼ばれるようになった、ただの華奢な女だったはずの自分が、どうしてここまでの強さを発揮しているのか』。
『先生』。『先生』。『弓彦さん』。『あなた』。
『たすけてくれた、たいせつなひと』。
―――裏切ってなんか、いるはずが、なかっ
「あ、あっァあアアアああああああああああああああああ!!!」
あらゆる感情が渦巻いて吹き荒れて綯い交ぜになって、何かが切れた。
自分の名を叫んで伸ばされた、装甲に覆われた最愛の手を掴むことは叶わず。
大英雄は、あえなく魔術師の策謀に絡め取られた。
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「ふっふ、これでよしっと。あとは…」
「なぁにほくそ笑んでやがるんだクソ野郎!」
『絶対切断』の一振りを躱し、マーリンはトントンとステップ混じりに後方へ下がる。空いた間を埋めようと両足に力を入れた堅悟の眼前に、隆起した土塊から大量のフードマントの影が生まれる。
「またかよ!」
開戦からここまで同じ戦法で堅悟と翼はいたちごっこを繰り返していた。術式によって短時間のみの活動を可能とした即席分身体マーリンが無尽蔵に出現し本体に近付けない。当の本体は何やら心ここにあらずな様子だったのが、たった今肉迫した瞬間に戻ったように見える。また、何か良からぬ企みを実行していたのだろうか。
「吹っ飛ばせ翼ちゃん!」
「ええ、全対象補足しました。撃ちます」
質より量で攻め来る分身体にまともにかち合うのは体力の無駄遣いだ。後転で距離を稼いだ堅悟の頭上高く、光翼で宙に浮く堕天者の羽一つ一つが光線と化して射出された。
多くのマーリンが貫かれ元の土砂に還り、それらがまたカチカチと音を鳴らしながら人型に戻ろうとする。
ジリ貧に追い込まれた状況。だが堅悟に焦りはない。
種はもうとっくに蒔いてある。どっちつかずの『|蝙蝠《リリアック》』だからこそ打てた手がいくつもあった。石動堅悟は真っ当な非正規英雄ではないのだから。
ただ、それがいつこの状況に変化を起こすのか。あるいは何が来るのか。そこまでは堅悟にもわからない。作戦とすら呼べない、大雑把な戦略。
だが来る。必ず。それだけは間違いない。
それまではもう少し粘る必要があるか。そう考えていた堅悟と再び厭味ったらしい笑みで分身体を操るマーリン。
再びの激突を迎える前に、大きく爆散した天井に両者の意識は同時に上へと向けられた。
無数の鉄材やコンクリートが降り注ぐ中、瓦礫以外に何か違うものがゴトゴトンッと地面に落下していく。
その量は下手をすれば瓦礫よりも多いのではなかろうか。多くは木箱に収められていたそれが、落下の衝突で大量に散らばる。
「!…へえ?」
(この臭い…は!)
マーリンは目視で、堅悟は嗅覚で正体を見極める。
そして最後に、大穴の空いた天井から巨大な岩塊が降って来る。
「“シーシュポス……」
違う。
岩塊と思っていたそれはただの岩塊に非ず。
落下の最中で岩の塊は熱を放ち、隙間や節々から蒸気を噴く。
地面に散らばっていたモノの正体は、一体どこから調達してきたのか信じ難い量の火薬。
着地にタイミングを合わせ、岩塊は短く解放の一句を告げる。
「―――アペンドファイア!”」
轟と燃え盛る岩の塊が、四周大量に散乱した剥き出しの火薬へと炎を撒き散らし、着火。
邪神を収める空間全てを余さず爆撃の餌食にした。
岩壁も残る天井も全てが崩壊していく中で、むくりと起き上がった岩の巨躯が言葉を発する。
「間遠の旦那から聞いたぞ。あんな悪質な洗脳が出来る悪魔なんて、知ってる中じゃ一人しか思いつかないって」
プシュー…と、余熱を吐き出す岩巨人が指差す向こう。晴れた煙の先では魔術による防護で傷一つ付けていない敵の姿が確認できた。
「げほごほっ!…ああ悪い、サンキュー翼ちゃん」
「いいえ。…しかし、とんでもないですね」
咄嗟に光翼で包み込み爆撃を防いでくれた相方に礼を言い、岩巨人の背中を眺めながら堅悟は呆れた声で肩を竦める。
「ったくいきなりあの馬鹿…今鐘だったか?仲間ならちゃんと手綱を握っとけよアホ」
「でかい花火がどうのと言っていたから何をするのかと思ったら…まあ、許してやれ。アイツも大切なものを踏み躙られて怒り心頭なのさ」
煙幕の中からゆらりと現れた長身の男が、背後から隣に並ぶ。どうやら爆撃の後に降りてきたらしい。
そろそろ来る頃だとは思っていたが、そうか。
「第一波は、お前らだったか」
初めに現れたのは二人の非正規英雄。
「思惑通りか?だとしたら大したものだぞ堅悟」
『完全自動攻防』、一対一の戦闘において最優を誇るアンスウェラーの使い手・間遠和宮と。
「テメエか、テメエだな?…惚れた女にふざけた小細工仕込みやがった借り、億倍にして返してやっから覚悟しろゴミクズ野郎がァ!!」
激昂に駆られる岩石の巨兵・今鐘キョータ。
「ふふ、いいね。とってもいい!邪神の力を慣らすのに、これだけいれば充分に事足りそうだ!さあおいで!遊んであげるよ!!」
新たな参戦によってさらに数の上で不利となっても、不敵に微笑む魔術師の姿勢は一切揺らぐことはない。
「アハハっ、キャハはハハハハハッ!!」
「―――え!?なに、全然聞こえないんだけどっ!!」
石動堅悟からの電話と敵の襲来はほとんど同じタイミングに発生した。
天神救世教の教徒達との交戦の最中で和宮・キョータの二人と合流した鹿子は、そこで見たことも無いほど怒りに打ち震えたキョータから気絶した天音のことを託された。
二人が去ってさほどの時間も経たずに現れたのは奇怪な姿形の幼い悪魔。
四大幹部序列第二位クトゥルフ。
「遊ぼうっ、ねぇ遊ぼ!?グチャグチャにしよっか?それともブチブチッてする!?」
「ああもう、うっさいわよお嬢サマっ!」
四方八方から襲い来る触手をある程度回避しつつ停止、右手のトールに意識を注ぐ。
粘液とそこから召喚される触手を相手にしては、鹿子の神聖武具は相性が悪過ぎる。
共に戦う仲間がいなければ、の話だが。
「三十秒稼いで燐!」
「…たった、それだけでいいの?」
既に此原燐の悪魔としての巨躯は万全に仕上がっていた。あえて受け続けていた攻撃によって傷つき、しかし超速再生によって生き長らえてきたその全身を染める紅蓮の血液。滴り、上げた血飛沫は全て彼女の武器となる。
囲まれていた触手らをさらに包囲する業火が粘液ごと周囲を焼き払い、僅かに生き残ったものはあえなく燐の大木のような豪腕によって挽き潰されていく。
「あなた面白いね!どこまでグチャッてすれば壊れるの?それとも壊れないの?ならなら、ずっと遊んでくれるのかな!?」
「……鹿子」
ご満悦のクトゥルフを無視して、燐が視線を移す。
四十五秒。既にお釣りが出るほど稼がれた時間に対し鉄鎚は相応の威力を発揮する。
「おっけぇ!トオォール!!」
振り落とされた鎚は不可視の圧力をもって直上から蛸の怪物を押し潰す。
まだ終わらない。
「からのっ、ミョルニルッ!」
トールの一撃を追い掛けるように曲線を描きながら雨の如く乱打される衝撃。無論、この程度で幹部を倒せたとは思わない。だが時間は出来た。
「…で、何さ堅悟。……うん、うん?いや無理でしょ、そっち来いって。今あたしら例のお嬢様の相手で忙しいんだけど。えぇー…あーそういうことか…アンタってほんとそういうとこ、いい性格してるわよね。はいはい」
通話を終えて、げんなりした鹿子が燃え盛る悪魔に呼び掛ける。
「聞こえた?そういうわけだから燐」
「……いいよ。鹿子、行って」
決戦決着に戦力は多い程いい。仲間意識の極めて薄い『リリアック』のリーダーらしい物言いに呆れる鹿子と違い、燐の態度ははっきりしていた。
「お互い、死にづらい者同士。勝てないけど……負けもしない」
確かにクトゥルフは戦力を増やす上にえげつない殺し方を好んでいる為に恐れられがちだが、単純な火力においては他の幹部に比べいくらか劣る。そして即死級の攻撃でなければ燐を殺し切ることは難しい。
「堅悟に…伝えておいて。一言…」
燃ゆる肉体を一歩前に出して、燐が殺意の篭る瞳を鹿子に向ける。もちろん鹿子を殺すつもりは毛頭なく、殺意は間接的に飛んであのどうしようもないリーダーへ。
「『死ね、氏ねじゃなくて死ね』って」
「わかった。確かに伝えておくわ」
どんだけ嫌われてるんだ、と思うが当然のことかとも思う。こんなガタガタなチームが仮にも装甲三柱の一角を下したというのだからおかしな話だ。
「あ、ッははァ…ね、見てコレ、足潰れちゃったよ?…まっ、すぐ治るからいいんだけどね!」
「さすが、悪魔から産まれた悪魔…。私達が準悪魔なら…あなたは純悪魔って…ところ?」
殺し合いの中にあってもっとも死から遠い者達、そんな気の抜けそうな会話を耳にしながら、鹿子は渦巻く邪悪な魔力の根源へと走る。
電話越しに頼まれた、一つの仕事をこなしながら。
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マーリンの魔力が底知れずに高まってきている。
背後にある漆黒の大穴(球体?)から邪神の力を吸収し続けているというのは本当らしい。さっきから考えなしに撃ちまくって来る魔術にも終わりが見えない。魔力の吸収と比例してハイテンションになっていくマーリンにも凄まじく腹が立つ。
「おい和宮、テメェも八門使って大気の魔力吸収できんだろが。マーリンの野郎が吸ってる魔力をお前が先に喰えば弱体化するんじゃねえか?」
「あんなおぞましい色した魔力をケツから吸えというのか、アホか貴様!?痔では済まんぞアレは!」
「…ちょっと、お二方。ここに女性がいることもお忘れなく」
「アンタ中性だったろ翼ちゃん」
「下ネタ話しに来たんなら帰ってくんねっすかねえ!!」
無数の砲撃、地面から生える棘に槍、天井の消え去った空から降る鉄球。あらゆる魔術を総動員してマーリンの攻勢は激しさを増すばかり。だというのにこの面子からは今一つ緊迫感というものが欠けていた。相応の場数を踏んできている、と言い替えれば聞こえはいいかもしれない。
「チッ…今鐘、少し盾になってろ。翼ちゃんも迎撃頼む」
前に押したキョータの鉄塊が如き強度の鎧で前面を防ぎ、それ以外を翼に任せる。
エクスカリバーをソロモンによって形態変化、弓矢へと変えて隣の和宮へ目配せした。既にアンスウェラーは解放されている。
「五感に支障は」
「特には。今回は味覚のようだな」
「わかった、二秒で詰めろ」
会話はそれだけだった。堅悟は番えた矢に『絶対貫通』を付与しアポロンを射る。
もはやその一射は通過の余波にすら貫通を帯びたレーザービーム。マーリンの張る弾幕の中央をアポロンが消し飛ばした。
確保されたルートを、全身から淡い燐光を放つ和宮が突っ込む。堅悟の助言を受け、八門とアンスウェラーの出力調整を行ったブリューナク・改。これにより長期戦を可能とし寿命を削ることもなくなった。
「おぉっと」
魔術師を射抜く軌道だったそれを悠々と回避し、マーリンはしたり顔で笑みを向ける。
その眼前に和宮は肉迫していた。
間違いなく最短につき最速の突き。長剣の切っ先は狙い違わずマーリンの心臓部へと直進して。
燃え上がる燕尾服が、それを阻害した。
「ご無事ですか、マーリン様」
「見ての通りさ、クトゥグア」
「―――アンスウェラー」
四大幹部の一角、セバスチャンことクトゥグアの登場によって間遠和宮の聴覚が喪失した。
マーリンを当初の対象として定めていたアンスウェラーのロックを、同時にクトゥグアにも施す。悪魔二体を相手にして味覚聴覚を失いつつも和宮の戦闘能力に支障は現れない。
極めて近距離からの魔術と火炎。それらを斬り伏せながら最善の一手を打ち続ける。不意に、邪神からの魔力を受けた影響か異様に捻じくれた杖を大上段に振り被る魔術師の姿に違和感を覚える。
装甲魔鬼マーリンが近接戦?
だがアンスウェラーの自動攻防はその疑念を考慮してくれない。明らかに振り慣れていない杖の一打を受け流し胴体に確実な痛打を与えるべく身体が動く。
(いや、待て。待てアンスウェラー)
何かおかしい。ぞわりと身を包む悪寒に使い手が制止を掛けるが、既に勢いは止められない。
捻じれて先端が刃のように変化した、薙刀に似た形状の杖が落ちる。
「…くっ!?」
杖と長剣がぶつかり合う直前に西洋風の両刃剣が差し挟まれた。言うまでもなく全力の活歩で距離を詰めた堅悟の介入である。
和宮と同様にマーリンの挙動に違和感を覚えたが故の直感的な割り込みだったが、結果的にそれで驚愕に目を見開いたのは堅悟と和宮の両名だった。マーリンはといえば、悪戯のバレた子供のようにペロリと細い舌先を見せていた。
苛立ちを押し込めて、堅悟はその正体を探る。
「どう、なってやがるんだ。その杖、その力…テメェ、今度はどんな細工を施した?」
遠目に見ていた翼、キョータもその異常には気付いていた。
いつ、どんな時にでも必ず必殺を成し遂げてくれた、彼愛用の聖剣エクスカリバー。能力名『絶対切断』を前にしては、どんな敵だって接触を避け何よりも警戒してきた。
それが何故。
「んふふ、不思議かい?君にとっては初めての経験だよね、ご自慢の聖剣で鍔迫り合いをするなんてのはさぁ!!」
触れた物体、物質、果ては概念ですら斬り捨てる聖剣の刃が、マーリンの杖と競り合って拮抗していた。
有り得ない現象だ。引き起こされた事実は一体何に由来するものか。両手で柄を握る堅悟が聖剣を力いっぱい押し付けるという動作もまた、これまで全てを豆腐のように斬り裂いてきた彼にとっては初のことだ。
「君達は知らないだろうけど、君が後生大事にしていた彼女。御守佐奈は君と同じく『絶対切断』の属性を身に秘めた人間だったのだよ。邪神の封印をこじ開けたのも彼女の存在あってこそ成せた業だ。そして僕は元とはいえ昔はそれなりに高位の天使だった。つまりわかるかな?僕は契約を交わし、人間を非正規英雄にすることが出来る!」
「…テメェッ!」
間近で杖と剣を叩きつけ合いながら、互いに顔を突きつけ合う。和宮はクトゥグアに手一杯でこちらへの加勢は期待できない。いや来るべきではない。それが分かっているから、翼もキョータの突撃を押さえ込んでいるようだ。
この胡散臭い魔術師、何から何まで我が物とする気らしい。
「佐奈を英雄に仕立て上げ、獲得した『絶対切断』を…」
「そう!奪った!!装甲三柱最古参、智謀を巡らせた僕の知識と経験を兼ね合わせれば!神聖武具と邪悪武装の融合技術なぞは造作も無いことさ!名付けて|聖邪同体兵装《アーティカルパーツ》とても呼称しようか。それなら僕のことは|EX.《エクス》マーリンとでも呼んでくれたまえアッハッハハハ!!」
「…は、アーティカルパーツ、ね!」
『絶対切断』同士では通常の武器と同じように衝突・拮抗が可能らしく、数撃の攻防を経て堅悟は下がった。
「今から誰もマーリンの杖に触れるな!今鐘!テメェのアーティファクトも一発で引き裂かれるぞ気ぃ張っとけ!和宮はそのまま執事を押さえてろ!」
こうなるとアレを相手にまともに闘えるのは堅悟だけだ。かつて和宮もエクスカリバーの切断範囲を見切った上で堅悟を上回って見せた実績があるが、魔術攻撃も兼ね揃えたマーリンでは流石に分が悪かろう。
マーリンとの戦闘で頼りに出来るのは、自分以外では遠距離を得手とする翼と、
「!」
突如として横殴りの衝撃に見舞われるマーリン。薙刀形状の杖で受け、そのまま『絶対切断』で振り切る。
「おせぇぞクソビッチ!」
「誰がビッチか!これでも急いだ方だってのになんて言い草、燐に死ねって言われるのもよぉっくわかるわね!」
鉄鎚片手に降り立った鈴井鹿子が、小脇に抱えたものをそっと地面に置いて立ち上がる。
鹿子の登場、そして横たえたそれを見て声を荒げたのは今鐘キョータ。
「姐御ォ!アンタ何してっ…!」
「わかってるから!あとでいくらでも聞くから!だから今だけは呑み込みなさいキョータ!あたしが、コイツが考えなしにこんなことしたんじゃないってコトくらいわかるでしょうが!!」
言われて奥歯を噛み締めるキョータが堅悟を睨み据える。が、自分も他人も駒として動かし続けてきた組織の長にはそんな感情論は通じない。
「役者が揃って来たねぇ。僕も邪神の魔力にようやく慣れてきた。ここらでもう少し火力を上げてみよう!それに戦力もほしいね、ゾンビバハムート君でも呼び寄せ……っと、ああそうか」
虚空に向けた瞳を細め、ふんと短く浅い鼻息を吐いて、
「死んだか。クトゥルフも上で遊んでるみたいだし、君は何してたのかなセバスチャーン?」
「馬場夢人の始末に関しましては、かの尊老と交わした約定でした故。お嬢様のことは…マーリン様が一番よくお分かりでは?」
「ふふん、確かに」
純正悪魔のクトゥルフが邪神の魔力を引き寄せる可能性を危惧した点はクトゥグアの執事も同様だったということか。
「んじゃあ、まあ。続きといこうか。まだ見せたいものがあるんだよ石動堅悟くん」
「まだあんのかよ。もう腹一杯だってのに」
軽口を挟みながら、自然と陣形を整えて行く。和宮とキョータは一旦クトゥグアを引き離す為に距離を空け、堅悟の背後にチャージを展開する鹿子、光翼から無数の矢を生み出す堕天者が並ぶ。
「野郎が俺と同じ力を使うんなら、対処法も俺がよく知ってる。動きを押さえるから、お前らは隙を見て特大の一撃を…」
「ッ、堅悟様!」
聖剣を構えたまま翼と鹿子に指示を送っていた堅悟は、切迫した様子の翼が発した短い悲鳴に反応して正面に顔を戻した。迫りくる何かを聖剣で弾くが、打ち消しきれずに首の皮がすっぱり切れて微量の血が流れ出す。
飛んだ。飛んできた。
「おい…マジかよ」
『絶対切断』が、飛んできた。
「英雄と悪魔の合わせ技だと言っただろ?これがそうだよ、魔術に織り交ぜた君と同質の力。迎撃できるのは君の聖剣だけ。駆け付けた仲間達は防げないよ?さあ、次なる試練を与えてあげよう」
「翼ちゃん、下がれ。他は…まぁ、適当に避けてろ」
「「「はぁ!?」」」
三人の怒号が重なるのが少しだけ可笑しかった。
邪神とマーリンを滅ぼす此度の神討に戦力は必要だ。だが、別段死んでもらっても死ぬほど後悔するほどの連中ではない。マーリンの口上に堅悟の情は動かない。ただ聖剣を手に動く。
切断性能を付与された魔術を全て斬り捨て、全ての根源を断つ。保険も用意した、そう簡単にはやられはしない。
残機を一つ減らす程度の、自らの命をゲーム感覚で消耗する気概で挑み掛かる堅悟の、魔術師を挟んだ遥か後方。
ザッ、と。何かが降り立った。
視界の先にいたそれに堅悟は真っ先に気付いた。次いで真後ろに現れた気配が放つ殺意に当てられてマーリンが嘆息し、他の者達は魔術を必死の思いで回避している状況下では気付くことが出来なかった。
大気を引き裂いて豪速で迫る槍を、魔術師は押し固めた空気の砲弾で迎撃する。軌道を捻じ曲げられた投槍は空中で最短距離を修正し直し再び飛び交う。
自動追尾のグングニルが縦横無尽に動き回る最中に、大剣を握る女が飛び込んだ。
「貴様が、」
怒りで制御の振り切れた肉体が内で暴れ、ジークフリードを持つ両腕の血管が弾け裂ける。
「貴様が元凶かッ、マーリィィィイイインッッ!!!」
怨嗟の矛先は移り変わり、しかしどこまでも負の念に囚われてしか闘うことの出来ない大英雄が、他の一切を歯牙に掛けることなく唯一つの殺害対象に向かい必滅の間合いへ収めんとする。
無論、堅悟の制止の声にも微動だにせず。
「受けるなリザ!躱せぇ!!」
鎌鼬に似た刃の接近にもリザの勢いは変化を及ぼさない。ジークフリードで対応する気だ。
あの女は知らない。全ての刃に『絶対切断』の性能があることを。
だから。
そうだから。
マーリンが、笑む。散々見せられてきた、予定調和にほくそ笑む最悪に不愉快な嘲笑を。
そこからはまさしく瞬く間の応酬だった。
前のめりに駆けるリザの襟首を掴んで強引に引き倒し、胴体を踏み付け押さえて。腰に提げた銀刀を抜いたはいいが彼自身にもわかっていたのだろう、それがいかに無駄な行為であるかを。
あえなく刀は切断能力に負けて斬り砕かれる。自慢の装甲は薄紙を破るように僅かな抵抗のみで意味を成さず。
「く、ッはハハハハハ!アハハハハ!!そうだよねぇそうなるよねえ!!君は絶対そうするよ、だからここまで彼女を振り回してきた!ありがとうカイザー!僕の思惑を見越して、それでもリザを庇った君はどこまでも素晴らしい愚者だったよ!!」
「―――…、ふん。道化に、愚者と謗られるとはな」
大英雄の暴走を止めに入った装甲悪鬼は、一言そう返して鮮血の海に沈んだ。
今は亡き先代は豪快な人だった。
部下の失態を笑って許し、それ以上の成果を自ら挙げることで払拭してみせた。自分も、歳若い頃から助けてもらった回数は両手の指では到底足りないほどだ。
そんな彼が生前語っていたことは、いつだって息子のこと。
実力は伴っている、いずれ来る跡継ぎとしても申し分ない。『装甲竜鬼』も継承させるに足るだけの器はあった。
だが懸念は多い。過信や慢心はもとより、自身以外を見下しがちな性根は一体誰に似たのやら。先代は苦笑混じりに酒を煽りながらぼやいていた。
第一次神討大戦最終盤を前にして、先代は自らの死期を悟っていた。盟友装甲悪鬼と共に命を賭した大一番に参戦すること。それにより発生する人間・悪魔両面の重責を子に継がせねばならなくなることの意味。
支える者が必要だった。頂点の一角に立つ王を、配下という立場にありながらにして対等な態度と物言いで意見できる者が。
先代はそれを自分に求めた。あとを頼むと託して死んだ。
「はあ、はぁ……ふう」
魔術師マーリンの術式は極めて高度だった。手足が吹き飛ぼうが、加工を施された装甲悪魔の肉体は戦闘継続能力を失うことが無い。
目の前に積まれた肉塊は、つまるところその果て。戦闘を行えなくなるまで破壊し尽くした、人型をしていた何か。
結果だけで言えば上々である。ゾンビ化していたとはいえバハムートを相手にハスターは存命を手放した強固な意志で闘いに臨んでいたし、悪魔としての外殻をほとんど破壊された隻腕の身体でも生き残れた上で勝利を捥ぎ取れた現状は実際奇跡に近い。
要素はいくつかあった。
装甲魔鬼がこんな簡単にバハムートという大戦力を放置しているはずがない。本来であればこの戦域にも何重もの罠や支援の術式が張り巡らせてあったろう。幹部を仕留める為には多少の労苦は惜しまない、それが老悪魔ハスターの見解だった。
それらを諸共に食い千切り暴れ回ったのは五つの白刃。咀嚼するように不可解な動きで設置された術式を破壊しバハムートを撹乱した天界の秘法。アリストテレスの奥歯なる銘は知らずとも、ハスターはそれを扱う力天使の存在を認知していた。
『彼の計画を台無しにするにはイレギュラーの介入が必要不可欠さ。それも、軌道修正が不可能なほどのとびっきりな歪みを叩き込めるものが。故に僕が来た…ここ一番で現れる飛び入り戦力でなければ、イレギュラーにはなりえないからね』
激戦の渦中にいるマーリンと翼。この二人と同じく、しかしずっと古くから人の世で生き続ける最高最古の堕天者・|瓜江塁《ウリエル》の参戦によって趨勢は決した。
さらにはバハムートを囲う無数の悪魔。影という影から続々と出で続けた『混沌』の末端達。
「よもや、お主の助力まであるとは思わなんだ。…内阿」
『…別に。私自身はその地にいない。仕事の休憩がてら、様子を見てやろうと思っただけだ』
バハムートに薙ぎ倒された黒影達の残滓が、宙を揺らめきながら声に応じる。
静観を決め込むと思っていた四大幹部の残る一枠。ニャルラトホテプの能力だけが人工島の騒動に馳せ参じていた。彼女の能力であればこういった使い方が元来の使用法でもある。本体は今頃、言葉通りオフィスビルでパソコンと向かい合っての休憩中か。
先代のことを知らない内阿にとってこの闘いには一切の関心は無かったはずだが、どういう風の吹き回しか。
「のう、内阿。お主は…」
『茶会』
「うん?」
瀕死の体を引き摺って影の残滓に近付いた蓮田へ、端的に影は告げる。
『クイン嬢の屋敷で行った茶会。またあるのなら、誘え』
それでチャラだ、最後にそう言い残して残滓は完全に消え失せる。ニャルラトホテプとしての能力を全発揮してもバハムートの挙動を完全に御することは出来なかった。既に発動限界を迎えていたのだ。
「……、っくく。そうかそうか」
周囲に誰も居なくなってから、蓮田はしわがれた笑い声を漏らす。ウリエルの姿はもうどこにも無かった。勝手に横槍を入れた挙句、勝手に退いたらしい。堕天者というのはどいつもこいつも堕ちるに相応しいだけの身勝手さがあって手に負えない。
しかし、あの実直愚直で面白味の無いと思っていた仕事人間の口からまさか、あんな言葉が聞けるとは。
「まだまだ、長生きはしてみるものだのぉ」
ボロボロの黄衣を纏う体が両足で支え切れなくなり、跪いて近くの瓦礫に背を預ける。もとよりこの大戦の参戦意思は無く、先代の遺言に従い始末は付けた。これ以上あの魔術師に歯向かう力も気力も残されてはいない。
『過激派』は、ひとまずこれでその戦力を全て戦線離脱したということになる。
本音を言えば仇討ち―――とまではいかずとも、先代より継承されたバハムートの遺骸を弄んだマーリンに一矢報いたいところではあったが…まぁ、いい。
(何か目的があってバハムートは死後も利用されていた。その目的までは探れなかったものの、これであ奴の思惑は一つ潰えた。老骨の挙げた戦果としては上等よな)
さて首の皮一枚のところでかろうじて生き長らえたこの命。使うのならば最後まで。
(頭を失った馬場コーポレーションの立て直しには成功したが、ふむ…使い潰すつもりだった儂が死に損なったのもこの為やもしれんな)
黄泉の彼方にいる先代はまだ歓迎してくれそうにない。せがれを|冥土《こっち》に送り付けた責任を余命で払えと言われているようで、どうにも隠居はまだ先らしい。
こうして、未だ激戦の気配を臭わせる微震のやまない人口島の一角で、大金星をあげた四大幹部の一角は深く深く吐息を溢した。
不本意な蘇生を受けた竜は再び逝き、そして残る二柱は……。
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カイザーが致命傷を負ってからの展開は一方的だった。
堅悟にとってもっとも頼りにしていた単体勢力が倒れ、暴走こそ治まったものの忘我の状態から復帰できないでいるリザはもちろん当てに出来ず。
全方位に撃ち出される『絶対切断』の魔術は堅悟以外では回避以外は全て意味を成さない為、防戦一方にならざるを得なかった。それに加えて四大幹部の荒れ狂う業火に呑まれこちらの戦力は次々と倒れていく。
唯一救いだったのは、マーリンが佐奈にだけは攻撃が当たらないように配慮していた点か。非正規英雄の契約を強引に交わして能力を奪っているという現状、契約対象である佐奈を死なせるわけにはいかないらしい。
「こんな局面になってもまだ他人のことを慮るとは、やはり君はどうあれ|英雄《ヒーロー》の素質があるようだね、石動堅悟君」
「……黙っ、てろ」
ずるずると片足を引き摺る堅悟の視界は自身の血で赤く染まって見える。
周囲の味方はいずれも例外なく倒れ伏しているが、どれも吐血に咳き込み息も絶え絶えでありながらどうにか死人は出ていない様子だ。
腱の切れた右足が満足に動かず中国拳法も封じられた。あれは震脚という勁を生み出す手順を踏まなければ威力を発揮できない。すなわち両足が万全でなければ発勁が使えない。
満身創痍の堅悟を愉悦に満ちた表情で見据え、マーリンは高嗤う。
「しかし君もひねているねぇ。あれだけ仲間を駒扱いした発言を繰り返しておきながら、こうやって身を粉にして庇い闘っているのだから。実際、他を切り捨てて単身特攻されていたら僕は君を完全に抑え切ることは難しかったよ?クトゥグアの支援があってしても、ね」
勝利を確信したマーリンが慢心にかまけて垂らす口上を耳に入れず、堅悟は周囲に視線を配る。
倒す為の手段は、ある。
だが時間が欲しい、間合いが足りない。あの装甲魔鬼に対抗する術は、その要素は揃っているというのに。せめて数分だけでも稼げれば。
うつ伏せに倒れている和宮はじき回復する。奴は八門によって大気中の魔力を吸収し肉体の修復に充てることが可能だからだ。鹿子もやられた振りをしているが、その実右手に握ったトールは固く握ったまま。おそらくマーリンに気付かれないように充填を済ませる算段だろう。
ぴくりとも動かないキョータは分からない。シーシュポスによって鈍重となった奴は真っ先に倒れたのを確認していたし、『絶対切断』に耐性の無い岩鎧など重荷以外の何物でもない。コモン・アンコモンのみで最低限の装備を整え自身の軽量化を図らなかったのが痛かった。
契約関係にある翼とは先程念話で打ち合わせを済ませてある。対抗手段の使用に当たり、自分と彼女の命を削ることになるのは既に承諾済み。
やはり、目下一番の重傷は他ならぬカイザーか。できれば控えておいた『保険』を彼に使ってやりたいところだが、これを自分に施さねばマーリンに対抗する手段が完全のものとならない。
「でもまぁ君はよくやったよ!ここまで僕に迫った者はこれまでだっていな…かっ……!」
「…マーリン様っ!?」
「あ?」
愉快痛快とばかりに両手を広げて語っていたマーリンの体が、一瞬大きく震えて止まる。傍に控えていたクトゥグアが驚きに目を瞠る中、堅悟は何が起きたかわからず不愉快な疑問符を吐き出す。
だがすぐに判明した。マーリンの内側で何かが蠢いている。ドス黒い邪神の魔力が胎動している。
「あァ、はあ……いやなに、平気さ。気にするなクトゥグア。邪神が僕の肉体を依代に復活を目論んでいるだけの話だよ。これだけ大量の魔力を取り込めば当然のことだったんだ、この身体を器にして人世への受肉を果たすつもりだ…まったく、これだから神とやらは勝手で好きになれない」
どうやら一旦は押さえ込んだようで、息を整えながらマーリンが顔を上げる。仮面の隙間から冷や汗が流れるのが見えた。
「本当なら、バハムートを受け皿にして邪神の受肉を代行してもらうつもりだった。あの強靭な悪魔の肉体なら耐えられるかもと思ってね、わざわざゾンビ化で耐久値を引き上げてまで蘇らせたっていうのにハスターめ…いや恨み事を言うべきはあの堕天者か…」
邪神の現界には門を開くだけでは足りない。この世界に性質を置き換える必要がある。すなわち形あるモノとして肉体を得なければならない。だからこれまでマーリンは門から魔力だけを取り出すことを可能としていた。こちら側に来たくとも来れなかった理由があった。
「そうかい」
だから今なら押し返せる。マーリンを滅ぼし、受肉を阻止して邪神を叩き帰す。
―――おい、聞いたかよ。
―――ああ、確かに聞いた。
「……」
石動堅悟が、ニィと牙を剥いて凶悪に嗤う。
良い、非常に良いタイミングだ。
ようやく来たらしい。
声が聞こえた。二つの声が。
贋の神を誰よりも嫌悪する、歪み狂うほどに敬虔な信者共が。
破壊され尽くした瓦礫をさらに吹き飛ばして疾駆する信徒が十字架を握る拳を振り上げる。
止めに割り込もうと動いた執事の動きを飛来した銀の矢が縫い止める。
薙刀状に変形した杖を振るって迫る影を両断せんとするマーリンの思惑は通じない。その柄に当たる部分を弾かれ、フードマントを掴まれる。
その瞬間、堅悟は弾かれるようにその戦域から背を向け走り出した。
好機。この二人であれば任せておける。
実力の程は仕合った堅悟自身がよく知っている。
「やぁっと見つけたぜ。賤しくも浅ましい不義の権化よ、ブチ殺すぜカーサスッ!!」
「言われずともよ。その魂魄、我らが神への帰入もなければ次なる命の輪廻にも期待するな。此処で永劫死滅しろ」
真正面からの打ち合いですら装甲三柱に届く底力を持った神父と修道女のコンビが、終盤戦においてその姿を現す。
非正規英雄、準悪魔、リリアック、穏健派。そんなものはどうでもよく、一片の興味すら無い。
彼らの目指す先は、見据える終着は。
真なる神に仇なす存在の滅却のみである。
事実を掻き集め、それらを繋ぎ合わせ、一つの仮説を立てることには成功していた。
だが如何せん確証は無かった。何せ誰一人として実行したことがなかったから。
クソ、右足が痛む。左手も千切れ掛けだ。内臓もいくつか死んでいる、出血も止まらない。
だがそんなことはどうでもいい。これから行う賭けに比べれば。
「おい…オイ起きろ」
左足の爪先で頭を小突く。三度やってようやく相手は唸りながら体を起こした。まったく時間が押してるってのに手間を掛けさせる。
「馬鹿じゃないなら状況をよく理解しろ。今お前がこの場にいる意味。この惨状。打開策は俺が持ってる。ならお前が成すべきことはなんだ?寝起きのボケた頭で言い訳考えてる余裕があんならすぐさま実行に移せ」
あのイカレ聖職者共は…流石だな。三柱と幹部を相手に二対二で対等に渡り合ってやがる。これなら間に合いそうだ。
この女、ぼけっとしてないで早くしろ。早く。
「…ああ、そういうこと。あなたがやってくれるの?」
「そうだって言ってんだろ。急げ、皆殺しにされるぞ」
単細胞な幼馴染と違って、こっちはマトモに状況を察したらしい。助かる。
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「ぐうぅぅっ…くクははハハッ!」
カーサスの猛攻を防ぎながら、余裕の失われた様子でそれでも哄笑をやめないマーリンに戸惑うクトゥグアの火炎が二人の聖職者を囲う。
「温い火だねえ!」
防刃防弾はもちろん、防火性にも優れた僧衣を翻して空いた間合いを詰めるカーサスとヴァイオレット。
魔術を相手に距離を離されるのは不味いと理解していた。その途中に、どういうわけかマーリンの魔術に石動堅悟の能力特性が付与されていることにも気付き、より攻撃の手は精密に慎重に見極められる。
「マーリン様っ」
「はっはっ。こーりゃ不味いな、どんどん浸食されてる。喰らい尽くして己が物にする気満々だよ邪神様は」
杖を握る右腕は肩まで黒色に染まり、異形に侵されつつある。門よりマーリンを媒介に邪神の魔力が強引に器を塗り替え受肉に漕ぎ付けようとしていた。
このままでは決着より前に乗っ取られかねない。
だが困ったことに、受肉を押し付けるはずだったバハムートという装甲悪魔の器は既にハスターの手によって見るも無残な肉塊に変えられてしまった。あれでは器として機能しない。
最大障害と捉えていたカイザーを仕留めたのは良いが、あれはあれでまだ利用価値があったかもしれない。致命傷を負わせたのは間違いだったか。
「さてどうしたものやら」
火炎を振り払いヴァイオレットが矢を二連、残る二本をカーサスが尾を殴り飛ばすことで信じ難い速度を付与して射出してきた。撃ち出した炎弾では止まらない、何か特殊な能力を纏わせた矢らしい。
身を挺して四本を受けるクトゥグア。ヴァイオレットの銀矢は受けた相手に単純な刺傷以外の激痛を与える。しかもそれが四本。
意識が飛びそうになるほどの痛みに脳が破壊されそうになるのを堪え、クトゥグアが叫ぶ。
「私の体がっ!あるではないですか…!マーリン様!」
「…君が器になると?正気かいクトゥグア、自殺行為だよそれは」
炎の執事を引っ掴んで後方に飛ぶ最中、血の滲むフードマントをなびかせながら返すマーリンの声音は酷く静かだった。
馬鹿なことを言うなと、言外に諭しているようでもあった。
「ここで負ければ同じこと、貴方にはお嬢様の症状を抑えて頂かなければなりませぬ!そうでなければこのルシアン、これまで何のために生きて、守って!闘って!殺してこなければならなかったのですか!!」
「―――わかった」
そうだ。クトゥグアはマーリンに真に忠誠を誓っていたわけではない。そうしなければ純正悪魔であるクトゥルフの障害は癒えぬどころか進行するばかり。彼は止む無くマーリンに付き従っていただけに過ぎない。
全てはお嬢様の為。命に代えてでも守り通すのが我が使命。
そう決意した想いだけが、この死地でも強く強く輝き続けていたから。
覚悟を受け取ったマーリンが、邪神に毒された右腕を燃ゆる執事の背中に押し当てる。
「受肉と同時にほぼ不死だ。冥府の邪念を発狂するほどその身に受けて、死ぬほどの苦痛を死ぬまで味わうぞ」
「構いません。ただ一つ。交わした契約だけはお忘れなきよう」
クイン・G・エリヤ。
彼女の保護と障害の完治。
自らの|精神《こころ》と|身体《からだ》を全て差し出して、たった一人の救いを希求する。
答えは、主従の契約を結んだかつてと全く同じ。
「約束だけは違えないよ、ルシアン・アルファイト。その願いは僕が死んでも叶えてみせよう」
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「行くぞカイザー」
「……え?」
血の海で、ズタズタに裂けた装甲から生身が見え隠れする瀕死の悪魔。
マーリンの『絶対切断』がまだ安定したものでなかったからか、バラバラに分断されなかったのが不幸中の幸いか。でなければカイザーは五体満足ではいられなかった。
それでも、致命傷は致命傷に他ならない。
忘我の境にあってそれでもカイザーの体を抱き寄せていたリザが顔を上げる。テメェなんぞに用はないんだが。
「アンタの力が必要だ。一緒に行こう、カイザー」
理論上は不可能ではないはずなんだ。
引退した非正規英雄は、その武具を返還あるいは古くを生きる熟練の非正規英雄に託すことが出来る。さらに託された神聖武具は、新たな契約を結ぶことで二つ目三つ目の装備として物にすることができた。
例えばリー老子がその管理者の一人に当たる。歴戦の英雄が、後世にと託された武具の数々を管理し掌握する。そして力を求める次代の非正規英雄に託された武具を継承させる。俺の持つソロモンも、かつては誰かが使っていた物のはずだ。
つまり他者のであろうが武具の使用権限の委託は可能。これが確かなら、きっと出来る。
「…堅悟、きみは…まさか」
リザの腕の中で、割れた鬼面の隙間から肉眼が俺を見据える。息も絶え絶えに口を開き、ゆっくりと首肯した。
「リスクは、承知の……上か」
「マーリンのおかげで成功率は跳ね上がった、やって見せるさ。俺達でな」
バサリと俺の背後で光る羽が広がる。一蓮托生の堕天者、悪いとは思うが共に命を削ってもらうことになる。
右手を差し出すと、カイザーは眩しそうに目を細めてから血だらけの左手を持ち上げてくれた。
前大戦に次いでこの戦いでまで頑張り続けるのは酷ってものだ。この男はこれまでも必死に頑張ってきていた。愛した女に憎まれながら、単体勢力と呼ばれ畏怖と畏敬によって孤独に晒されながら。
バトンタッチだ。
その業も、その役目も。その孤独も。
俺が全部背負う。
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急速に膨張していく筋肉、引き千切れ再生していくのを繰り返す黒い肉塊。
魔力に飲み込まれたクトゥグアなる悪魔の肉体は、破壊された器ごと糧とされ今現在神の肉体として成立しつつあった。
「ヴァイオレット」
「応さ!」
迫り来る不気味な肉塊に物怖じすることなく、跳び上がったヴァイオレットと地面を踏み締めたカーサスの脚撃と拳撃が合図も無しにインパクトを重ね当てる。
だが肉塊の勢いは止まらない。
「おわっ」
「チィ」
弾かれて地面を滑る両者がそれぞれの獲物を構える。黒色の肉塊は徐々に触手のようなものを数十と形成し、ボコボコとありえない場所に無数の眼球を開いて奇怪な咆哮を轟かせた。
おぞましき異形はまさしく邪な神。完全ではないにせよ、現世の悪魔を生贄に邪神は仮初の顕現を果たした。
「…」
中空に浮くマーリンは、その異形を憐れむように眺めていた。もはや隠す必要もないとばかりに展開される堕天使の黒翼。紛れもなく堕ちた天使ルシファーの証。
これではクインに合わせる顔がないな、と。人も悪魔も超えて怪物と化した執事の成れの果てが完全な邪神となってゆく様をせめて自分だけは見届けんとする。
そう決めていたマーリンの背後に現れた影が、振り下ろした斬撃で翼の片方を根元から斬り捨てた。
「つっ…痛いなぁ!」
声を荒げ、振り向き様にお返しの飛ぶ斬撃を杖を回して見舞う。激しく土煙を噴きながら地面を刻む切断の威力に相手は少しも怯まない。
当然といえばそうだろう。自分の力を恐れて引け腰になる者ではない、彼は。
カイザー倒れた今、やはり最後まで立ちはだかるのは…、
「君だよね!君しかいないさ!正義の味方が倒れるわけにはいかないからねぇ!」
芝居がかった言い回しで指し示された石動堅悟は、煙に僅か咳き込みながら不平を返す。
「正義の味方とか吐き気がするからやめろ。俺はただテメェの敵ってだけだ」
「同じさ!|悪《ぼく》を殺す者ならば、それはすなわち遍く全てが正義でなければならない。世の理だろう?」
魔術師の軽口に付き合う暇も時間も残されていない。堅悟は巨大な肉塊を素手で押し込んでいる二人に告げる。
「カーサス、ヴァイオレット!!そのゲテモノこそお前らが滅ぼしたがってた邪神とやらだ、心置きなくボコれ!」
「ふん、お前に言われるまでもない」
「テメエこそチンケな魔術師をこっちに寄越してくんじゃねえぞカスが!」
威勢よく応じた二人に親指を下向きにして突き出し、改めて倒すべき敵と向かい合う。
「なぁるほど。そうきたか」
合点がいったという風に、マーリンが指で顎をなぞる。
満身創痍だった堅悟の傷付いた肉体が全て治っていること事態は疑問ではない。鈴井鹿子が参戦時に抱えていた女の存在はこの為にあったということだ。
|神聖武具《アーティファクト》ベレヌス。その効果を瞬間治癒。そして使い手である秋風天音。
鹿子を呼び出した時、ついでにと運んで来させた堅悟の保険である。
付け加えて、今の堅悟は平時の状態とは大きく変化していた。
聖剣は白銀の煌めきを反射し、それを握る右腕もまたギラついた銀色。腕のみならず、肩から右上半身を侵すように広がっていく異色の正体は不可思議な金属。ギジ、ガチと、肉体に直接鋲を打つように定着していく装甲は堅悟の顔を右側面から覆う。
右目の上辺りから伸びる鋭利な角。見る者を震わせる羅刹天の威容を誇るは悪鬼の面。
非正規英雄は遺された武具を継承することが出来る。
これを可能としている以上は不可能な話ではない。
非正規英雄が、準悪魔の邪悪武装を受け継ぐことも。
だが確証は無かった。仮説止まりで実行するにはリスクが高すぎた。
魔術師が自らこちらの仮説を眼前で実証してくれるまでは、実行にも躊躇いがあった。
「助かったぜマーリン。テメェが前例になってくれたおかげで踏ん切りがついた」
魔術師は大元が天使という概念でありながら、堕天して邪悪武装を身に纏った。その上で神聖武具の性能をも上積みすることに成功している。
つまりこの三つの要素は複合・混合が出来るという事実が判明した。であれば話は簡単だ。
(調整いけるか翼ちゃん)
(…ええ。だいぶ、いえかなりきついですが、短時間であればどうにか)
念話を通して話す相手は視界のどこにも存在しない。天使は地上に降り立つ際に人の形として具現化するが、本来であれば天界に住まう彼らに実体など必要ない。
人の殻を棄てた翼は今、石動堅悟という非正規英雄の内に在る。彼女には調整という名の半ば強引な肉体の適応を進めてもらっていた。
高位天使であったマーリンならいざ知らず、それと同様の秘技を行おうとしている堅悟は間違いなくただの人間でしかない。内で暴れ狂う神聖武具と邪悪武装の拒絶反応を抑え切る術が無く、戦闘に移る前に肉体が爆ぜて自壊する末路が目に見えていた。
マーリンは長らく研究を進めていたのであろう。だからこそ万全に異常なく秘技を成し終えた。そこには彼のトンデモ魔術が土台になっていることは言うまでもない。そんな便利なものを堅悟達は使えない。
だから翼という天使を外付けから取り込むことで即席の土台とした。ほんの少しの短い時間だけ、重ねた研究の成果に追い縋る。
装甲三柱を打倒するに必要な力は、海座弓彦の意志ごと引き継いだ。
英雄は天使の助力を以て悪魔の力と共に終幕へ臨む。
これぞ三位一体。マーリンの悪ふざけにあえて乗ってやるのならそう、
「|聖邪同体兵装《アーティカルパーツ》・|装甲剣鬼《エクスカイザー》ってとこか。最終ラウンドだ魔術師、これで最後にしようぜ」
邪神モドキは聖職者共と、復帰した非正規英雄の面々でどうにかしてもらう。
残す元凶、諸悪の根源は俺達で叩く。
叩いても潰しても、斬っても砕いても貫いても。
膨張を続ける異形の怪物は止まらない。負った傷ごと肉が覆いさらに肥大化していく。その度に増えて行く触手、眼球。黒き肉塊は槍の穂先が如く尖り、野太刀のように長大な刃を宿して襲い来る。
迎撃する毎に、その表皮は岩塊のような硬さとなり、喰らった攻撃をそのまま手段としてトレースしてくる。
(こちらの攻撃を身をもって覚えているのか)
触手を五分割して斬り払い、和宮が邪神モドキの蠢く巨体を見上げる。
だとすればこの硬質化にも原因が見えて来る。今鐘キョータの〝シーシュポス〟をモデルケースとして反映させているのだ。
これが事実だとしたら非常に不味い。奴は武器の造形のみを模倣しているだけじゃない。
「全員気を付けろ!コイツもしや…ッ!」
言い終える前に触手の動きが速度を増して襲来してきた。的確に人体の急所を狙い研ぎ澄まされた照準と攻撃。
アンスウェラーで叩き落とし、確信を得る。
今の動き方は間違いない、使い手である和宮には判った。
『完全自動攻防』の動き。
邪神モドキは戦闘の最中に覚え、神聖武具の能力そのものまでも模倣してきている。
未完成不完全ながらも神の一端。この程度は造作もないとでも言いたげに肉塊がどこから発しているのが不可解な咆哮を上げた。その時、総員の直上から不可視の圧力が降って来る。
突然のことに多くが跪き、重力が数十倍に引き上げられたような錯覚に意識が揺さぶられる。鹿子が叫んだ。
「ちょっコイツ!あたしのトールまで…」
空間殴打も覚えたらしく、鹿子よりも短いチャージでより強い殴打を与えて来る。
身動きが取れない面々の中で、その圧力をものともせずに駆ける二人が嫌悪に奥歯を噛み締めていた。
「猿真似野郎のクソ贋神が…どこまで罪を上重ねすりゃ気が済むんだっつの!」
銀矢が肉塊に突き刺さり、見開かれていた眼球を潰す。同時に効力が発動し邪神の魔力が掻き乱された。結果として触手を初めとする全体の動きに遅延が掛かる。
矢の軌跡を追い掛けてさらに肉を穿つ十字架の投擲。
「…やはりこれだけの巨体ともなると、贖罪の十字架による完全拘束は不可能か。だが」
稼げた数瞬で十二分だった。
ピタリと肉塊に肩と背中を押し当て、踏み締めた両足から発勁。堅悟も得手としている|鉄山靠《てっざんこう》、ただしその威力は規格外。
人の域を超えかけた技と衝撃が、一体何トンあるかも知れない巨躯を易々と浮かせる。
「ヴァイオレット」
「いちいち呼ばなくてもわぁってるっての!」
真下に潜り込んだカーサスの呼び声に、ヴァイオレットはボウガンに番えた銀矢を撃ち出す。魔力の込められた強烈な一射はアポロンにすら届き得る速度と勢いで胴に大穴を空ける。
「ぬん!」
血管の浮き出る右腕を折り曲げ繰り出される渾身の肘撃は、命中箇所を中心に十数メートルもの規模を牙で食い千切るように抉り取った。
信じ難い光景である。たった二人で、あの邪神の肉体その約三割を削ぎ落とした。
「うっわすご」
「化物かよ…」
鹿子とキョータが唖然とした表情で呟くが、和宮はまだ終わっていないことを悟っている。
「チッ!仕留め切れねえ」
「魔力さえあれば復元するなら不死も同然だな。そしてその魔力を冥府から呼び込んでいるのは」
ちらと横目で見る先には、邪神の魔力を取り込み振るう魔術師が。やはりあれを介して邪神は魔力を無尽蔵に供給されている。となれば完全消滅させる為には順序が違うようだ。
「ふん、近頃は手応えのない相手ばかりで身体が鈍っていたところだ。石動堅悟かマーリン、どちらかが死ぬまではサンドバックとして利用してやろう」
本来であれば命を弄ぶような行為は聖職者としての矜持が許さないが、崇め奉る主神を差し置いて神を名乗る不敬なる存在にそれは該当しない。
殺して、殺して、死ぬまで殺し尽くすまでのこと。
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決着に使える時間はもって十分。そう翼には警告された。
三位一体の融合は石動堅悟の肉体を確実に蝕む。命を削るのはもちろんのこと、元々邪悪武装は使い手の精神を殺人衝動に侵すリスクがあった。それ以前に器が人間だ、過ぎた力を収めるには脆弱すぎる。
既に開始から三分半の経過、堅悟は真正面からの攻防でマーリンと一進一退の死闘を繰り広げることを可能にするまでの力を獲得したのだと自負する。
上乗せされた装甲悪鬼の力はあらゆるステータスを飛躍的に向上させ、今や薙刀状の杖を振るうマーリンと剣戟の応酬をしながらも全包囲された魔術攻撃に対応する余裕すらある。
「ふふははは!愉しいね、胸躍るねぇ!君もそう思わないかい石動堅悟君!!」
「ちっとも楽しかねぇよサイコ野郎!」
頬を裂き肩を掠めていく互いの剣閃は紙一重のところで致命傷を避けて行く。一瞬の気の弛みで死を招きかねない状況で、それでも異端の悪魔は口元の笑みを消さない。どころか益々歓喜している。
右腕から始まった白銀の浸食は既に右半身を全て覆い、左半身へと至り始めている。装甲の浸食率が上がるにつれて悪鬼の力を引き出せてきているが、外見上の変化はそのままタイムリミットをも示している。秘技の発動限界は半分を切った。
「ふむ」
それを知ってか知らずか、マーリンは何か思いついたように一息ついて、
「もう少し面白くしてみようか!」
堅悟を取り囲んでいた魔術の指向性を一気に変えた。それは堅悟を通り過ぎて遥か後方へ。
気絶したまま未だ起きる様子のない、御守佐奈へと。
「テメェはどこまで…ッ!!」
堅悟が守ると決めた人間、死なせるわけにはいかない女。ほとんどを駒と割り切っている堅悟にとっての数少ない人間関係上のウィークポイント。
佐奈へ矛先を変えた隙を狙えばマーリンは殺せる。だがそれをすれば佐奈が死ぬ。迷うことはなかった。
上乗せでブーストの利いた両足から練り上げられる勁が|箭疾歩《せんしっぽ》の飛距離を引き伸ばす。足元が大きく爆ぜてロケット花火のように突撃した堅悟の速度は魔術の到達を凌ぎ佐奈との間にどうにか割り込む。
一斉に雪崩れ込んでくる岩の砲撃、大気の刃、炎の槍、水の棘。
ドカドカと空爆のように噴煙を上げて乱発された魔術、普通ならば肉片と化すであろうそれを避ける選択肢も潰され、盾のように立ち塞がるしか無く。それでも尚。
「……素晴らしい!」
感極まったようにマーリンが手を打ち鳴らす。
直撃以外を度外視して耐えた。全ての攻撃に絶対的な切断性能が付与されている以上は聖剣で弾くしかなかったが、それではあまりにも手数が追い付かず。
故に石動堅悟の左腕は装甲に覆われ、故にその左手には彼が扱っていた銀の愛刀が握られていた。
融合した兵装の一部であるカイザーの刀を併用した即席二刀流。急造で呼び出した為、結果的に発動限界を早めることになったのは失策以外の何でもない。
((残り二分半!))
内部で調整を行っている翼と同時にリミットを確認し、もはや玉砕覚悟で再び距離を詰めに行く。
「マァーーリィイイン!!」
「ははは、クはハハハ!!」
装甲の隙間から血が零れ出る。傷もそうだが、英雄と悪魔の力を内在させて闘う四肢が性能に追い付けず自壊を始めている。だが二刀流の優位性は確かにマーリンを劣勢に立たせてもいた。
残り一分と二十秒。
「っがァ!!」
筋肉が引き千切れる音を連れて薙いだ聖剣は杖の柄に叩かれ逸れるもののマーリンの仮面を一部破壊して頭部に深い裂傷を与えた。だが連撃で魔術を受けた右手は機能を失い剣が手元から離れる。
「おおっとどうした堅悟君もう限界かな!!?」
「っざ、け…!」
まだ左の銀刀が残っている。利き手ではないせいかやけに挙動に遅れが出ている気がしてならない。いやマーリンの言う通り肉体が限界を迎えつつあるのか。
だがやる。コイツを殺す。刺し違えてでも必ず仕留める。
絶命が先か限界が先か。分け目の四十秒を切る。
そんな、完全回復から再び満身創痍に逆戻りした堅悟の死角からそれは来た。
流星の如く一直線に飛ぶ凶器。穂先に乗せられた殺意は違うことなくマーリンの喉元へ吸い寄せられて、
「なっ、にい!?」
咄嗟の判断でかざした右手を貫通して、その鋭槍―――グングニルを投げ放ったリザの口元が動く。
『くたばれ、道化』。
それを受けてか、海座弓彦がリザの膝上で青白い顔に僅か笑みを浮かべた。
これまで様々な権謀術数を巡らせてきたマーリンが、今更この程度の横槍で怒りを表すような武士道精神を宿しているわけもなく。
「よくぞ動いた大英雄様!!だがどうかな!?」
プレートアーマーの随所が斬撃に耐え切れず剥げ、頭部の流血で片目を封じられ、右手は槍に射止められて。それでもマーリンの動きは欠片も鈍らない。刃の生えた杖を真横から脇腹へ向けて全力で振るわれる。
「僕の勝利は揺らがない!!さらばだよ堅悟君!!」
「聞き飽きたんだよ、んな戯言はよォ!!」
残り、十秒か五秒か。もう関係ない。あと一撃を振り下ろすだけで精一杯なのだから。
持ち上げた銀刀を、力の限り真下へ落とすだけ。
共に『絶対切断』。脇腹から胴を分断されるか、肩から袈裟に両断されるかの違い。
そして。
足元に広がっていく血溜まり。息は荒く、喉から昇って来る熱い液体を堪えられない。
気道を占領する血液を吐き出し、ぜえぜえと息をつきながら。
石動堅悟は宣言する。
「お前の負けだよ、マーリン」
振り抜くだけの余力も残ってはいなかった。半端に突き進んだ銀刀は魔術師の右肩から胸の辺りまで刃を食い込ませ止まっていた。その進行上、心臓は間違いなく破壊された。
対するマーリンの一撃はといえば。
「…っはは。お、かしいね。どういうわけだい堅悟くん」
虚ろな瞳で自らの獲物を見つめるマーリンが、心底不思議そうに問う。
「どうして、僕の…『絶対切断』が機能して、いない?」
マーリンの杖は脇腹に叩き込まれたままそれ以上進んでいない。銀の装甲を砕き肋骨から付近の内臓まで痛める程度の衝撃は通したが、肝心の切断がまるで働いていない。これではただ強固な装甲の上から刃で叩いただけに終わる。
何故だ。御守佐奈との契約は破棄した覚えがない。だというのに一体どうして。天使と英雄の契約を他者が破壊できるわけも―――、
「ああ」
近づく死の中にあっても、マーリンの脳は冴えを失っていない。すぐさま気付いた。
斬ったのか、あの時に。
「そっか、ふふ……愉しもうとしてやったあれが、結果的に、勝敗を分けていたわけか」
御守佐奈を殺しにかかったあの瞬間。絶対に防ぎ切るくらいはするだろうと踏んで狙った余興のような戯れ。
迎撃するのに手一杯だと思っていたのだが、違った。
「あん時に、俺が佐奈とテメェとの契約を斬った。『概念切断』だよ、知ってんだろ」
つまりはあの瞬間から『絶対切断』は機能していなかった。
まったく、我ながらしょうもないオチだ。
「なるほどなるほど。…そうか僕の負けか。しかし、まぁ、中々に…熱くなれたよ。ごふぉっ!」
杖を落とし、風前の灯となったマーリンから銀刀を放して対面する。
「満足したかよ、ルシフェル」
「……その呼ばれ方、は…久方ぶり、だよ。それも人間に呼ば、れるのは…初だ。誇っていい」
「ハッ、くだらねえ」
笑って吐き捨て、真顔に戻った堅悟が死に際の悪魔の最期に付き合う。
「言い残すことはそれだけか?」
「ああ、そうだね………なら、ひとつ…訊こっか、な」
顔を上げて堅悟に向く両眼に光は灯っていない。おそらくはもう。
酷く億劫そうに、これまでのテンションが嘘のようにゆったりとマーリンは話す。
「堅悟君。君は、これから、どうする?僕という…敵を、討って。この、先を…教えてほしい。英雄を殺す?それとも、悪魔を?」
「今更そんなこと訊くのかよ、おかしなヤツだな」
とっくに知っているものだと思っていたから、堅悟にとっては意外でしかない。だがまあ、欲しているのなら改めて答えよう。
「俺は『|蝙蝠《リリアック》』だぞ?羽も毛もある半端者だ。だからどっちにも属さない、どっちにも与しない。お前風に言うのなら、あれだ。気に喰わない、『俺にとっての悪』を討つ敵だよ。翼ちゃんとか、あとそこの年がら年中喧しい小娘とか。狙う連中は皆殺しだ」
「くはは」
おちゃらけた様子で肩を竦める堅悟に対する、初めて聞いた無邪気な笑い声。どこかいつも芝居がかっていたマーリンの、本心が露出したように見えた。
吐血混じりにひとしきり笑って、それから視力の失った瞳で真っ直ぐ堅悟を見据える。
「なら、―――……―――」
途切れ途切れ、掠れてきた小さな声に真摯に耳を傾け、最大最悪といっても過言ではなかった怨敵の遺言を受け取る。
「―――……と、いう…わけだよ。…頼めるかい?」
「そのくらいなら、やってやらんでもない。感謝しろよ?散々お前に苦しめられてきたってのに、そのお前の頼みを引き継いでやるってんだから」
「そ、…だね。あり……がとう。け…、ごく…」
もう声帯から絞り出すことも困難なのか、口だけを動かして呼気に消えて行く声。
それが最後の最期に、はっきりとこれだけは聞こえた。
「ああ、同じあの世でも天国は勘弁願いたいよ。地獄の方がまだ、面白そうだ」
それっきり、立ち尽くす魔術師は動くことも話すこともなかった。どこまでも頭のおかしい、刹那的な快楽主義者らしい言葉だと堅悟は思った。
「安心しろよ、どうせお前なんか問答無用で無間地獄行きだ」
大きく伸びをして、激痛が脇腹の大打撃を思い出させる。しばらく唸って、そういえば身を覆う装甲が消えていたことに気付いた。
「決着の直後に、私から強制的に解除させて頂きました。本当に、ギリギリだったんですよ、堅悟様」
「お、翼ちゃん」
これまたいつの間にやら、堅悟の内で拒絶反応を抑え込んでいてもらっていた翼が再び人の姿を実体化させてすぐ傍に浮いていた。やや不満顔なのは、堅悟が無理に無理を通した無茶苦茶な戦い方をしていたからか。
「悪いな、アンタにも命削らせた」
非正規英雄の内部で神聖武具と邪悪武装の両挟みになりながら調整を押し進めるなど聞いたことも無い荒業だし、それこそギリギリの綱渡りだったのではなかろうか。堅悟同様、翼も寿命を縮めることになったのは明白だ。
だが当人の翼はどうでもよさげに涼しい顔で、
「構いませんよ。私は貴方と一蓮托生なのでしょう?貴方の死ぬ時が私の死ぬ時です…あ、でも」
背中に生える光翼をばさりと折り曲げて、地に足を着けた翼がぴっと人差し指を堅悟の目の前に立てる。
「その代わり、私が死ぬ時は貴方も死んでもらいますからね当然。覚悟しておいてください」
「……、へっ。やっぱいい女だよアンタは、デカ乳チビ女よりずっとな」
受け答えつつ、お姫様抱っこで担いだ佐奈の身柄を翼に引き渡す。
「んじゃ、その馬鹿女は頼むわ。俺はもう一仕事、終わらせて来る」
「はい。お気をつけて」
マーリンという中継役を失い、既に魔力の無尽蔵供給は断たれた。あとは全戦力をもってあの邪神の成り損ないを叩き潰せば、それでおしまい。
「おいクソ大英雄、たいして働いてねえんだからアンタも来いや。…しかし消化試合だろこんなん。…なあ、弓彦さん」
通り掛けに話し掛けると、リザの膝枕で安らかな表情のまま閉眼している男の口元が、ほんの少しだけ、動いたように見えた。