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/モノローグ 異邦人の声

 遠く、潮騒の音を聞いた気がした。
 寄せては返す、波の音を。
 感覚は不時着に似て、亡羊。
 溶け出す思惟の先端を掴み取るように現実感はある。
 現実感と現実が同一に至ったとき、私は、私である事を思い出す。
 
 開幕のベルが鳴る。遅れてきた来訪者が形を成す。

 ――さて、今ここはどこなのだろう?

1、喪失する昼

/1

 意識が生まれたのだと解ったのは、ほんの一瞬のこと。
 してみたのは、ぼうと景色を眺めること。
 何故、その景色を眺めてみようと思ったのかはわからない。
 けれど、ただその光景を眺めることにした。

 真新しい白を記帳した教室が、眼前に広がっている。
 そしてその教室にはざっと数えて三十五~六人ほどの女子生徒たち。
 私はその中に混じり、かつ中心から辺りを眺めている。
 自分の席はちょうど教室の中ほどの位置にあった。机の上には教科書と何も書かれていない真新しいノート。筆箱の中にはシャープペンシルと消しゴムとボールペン、そして少し使用感のあるリップクリーム。
 教室の前側には、黒板ではなくホワイトボードが広がっており、その前に上からぶら下がったようにして液晶画面がある。
 液晶画面には初老の男が何やら対称Xの云々と説明をしており、どうやら何かの授業中であることがわかる。そして、周りにいる生徒たちはその画面に向かい朴訥に教科書とその画面に視線を行き来させている。
 (ああ、数学だ。)
 呟いて見ると自分から音が出ることに、音があることに感動した。
 耳を済ませると様々な音が聞こえた。教室にいる人間の息遣い、教科書を捲る紙の音。時折ノートをシャープペンシルの先端でこする音。空調があるのか、空気が鳴っている気もする。
 音たちは私に安心を与えてくれた、しかし同時にその安心は確かに私をこの教室から孤立させている。

 五分程だろうか、あたりをただ眺めてはその孤立具合に半ば感動を覚えながらその場にただじっと座っていたのは。
 そしてその頃によくやく私は思い出す。
 何よりまず確認しなければならないソレを、忘れていることに。
 私は、膝の上に規律よく乗せられていた自分の手を眺める。
 そして動かしてみる。
 ・・・・・・動く。
 うねうねと動かしてみると、思ったとおりに動く。
 当然のことなのだが感動を覚えてしまう。
 そのまま手首をひねって自分の手を観察してみる。
 整えられた爪先に血の通った肌の健康さが際立つ。肌は白くきめ細やかだ、なかなか綺麗な手先をしている。うん、これが私の手だ。
 私がいる。そして体がある。
 私がある、私がいる。
 体がある、身体は動く、考える、結果にたどり着く思考ができる、意思がある。
 私が私であることがわかる。

 |しかし、さて困った。私は、誰なのだろう?《・・・ ・・・・・ ・・ ・・・・・・・》

 比喩でもなんでもなく、思春期特有の自己に対する承認欲求でもない。|
 
 |本当に自分は何者であるかを無くしてしまっているようた《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。
 
 とりしも、何を思い出せるか考えてみるが何もわからない。恐怖すら出てこない。

 恐怖? 何を恐怖に感じることがある。
 だって、わかることはわかるのだ。この場所だって、私が何故ここにいるのかだって凡てわかる。
 思い出したわけではない。ただ|知っている《・・・・・》のだ。
 まるで自分の名前を言うように、さも当然のことのように知っている。この学園のことも、私が今どこにいるのかも。
 今この場は授業中で私はその授業に参加している。
 この女学園は全寮制で名門のお嬢様学校。教師とのありがちなトラブルを避けるためになのか、はたまた単にお嬢様ということで飼いならされているのか、この学園に教師はおらず幅が有に二メートルを超える液晶画面でもって今日の授業内容が垂れ流される。
 私たち籠の鳥はその授業内容を淡々と受け続けている。
 単に授業中だ、授業なのだ。
 |だから、恐怖に感じることはない《・・・ ・・・・・・・・・・・》。
 
 ただ、本当にひとつだけ。
 この空間の中、あるいは私の体の中に『私』という一つのファクターだけが欠けている。
 
 そして、きっと無くなっているソレは、再び浮上することがないだろう。
 まるで明晩みたの夢のように、儚く霧散して、そして今消失感でさえ消えかかっている。
 夢だから、夢のようだからだろうか、喪失したものの重要性がわからない。
 本当に喪失したのだろうかとも思うが、だが私は確かに授業に参加していてこの場所に座っている。それはつまりどうやって座ったのか、朝どうやってこの場所に着たのか、そもそも私はどんな部屋で暮らしていたのかがわからないということだ。
 何度今朝のことを思い出そうとしても一向に記憶の戻る気配はない。
 不思議を通り越して不気味だ。
 そして不気味なことがもう一つあるとして、ソレはきっと、私が混乱もせず叫びだしもせず、まるで何のことない日常のように落ち着き払っていることだろう。
 私は私がわからないが、対したもんだな私。
 感心したところで、何をどうすることもできないのだが。しかしまぁ、どうするか。
 授業の内容はスラスラとはいってくる。本当に可笑しな物で、受けた記憶のない授業の内容が、なんとなく不確かな復習でもって理解できる。
 記憶にはないが知っている。本当に奇妙な感覚だ。気味が悪いといってもいい。
 だが、己の境遇に叫びだすほどではない。
 きっと叫びだした方が後々得することも多いんだろうな、なんて、そんなことさえ過ぎる。 しかし、落ち着いてしまうと・・・・・・というか最初から取り乱してもいないのだが・・・・・・なんだかそれは滑稽な所業のように思えて、解かりもしない自分のプライドが邪魔をしている。
 いやしかし、本当に。
 困ったなあ。

 試しにもう一回、辺りを見回してみる。
 横参列ほど離れた場所にある窓を眺める。窓のから向かいの校舎が見える。校舎の上には空、疎らに広がっている雲と青い大気が続いている。

 そして|窓の上から、体が降りてくる《・・・・・ ・・・・・・・》。
 
 ――その光景はあまりにもゆっくりで、そして淡白な現象だった。そして私の『自己』は空を眺めるという何気ない行動の延長線でソレを行う

 それは残酷な空中遊泳だった。
 だらんとしなだれた体がこちらの教室の窓に近づいてくる。
 距離的に相当の速度で近づくその体に、かなりのエネルギーがかかっていることが伺える。

 ――脳の躍動する感触と、バキキ、と音の鳴るような瞳孔の拡張。
 ――思惟と視野角が繋がっている様だ。肌の毛穴という毛穴がさわだち、酸素を取り込もうと息を大きく吸った。

 落下しているからだろうか、スカートは捲りあがり、そこから純白の下着と生気の通っていない太ももと灰色のニーソックスが見えた。
 そしてその足が窓ガラスに当たり、ガラスの割れる轟音からグキリ、と鈍い骨の音を聞いた気がした。

 ――そして、先ほどまでの自分の思考を捨て、あらゆる思惟をひとつのことに向ける。

 窓ガラスを裂いて現れた身体は、女生徒の間を縫うようにして教室に飛び込んでくる。
 そして何かが引っかかるような挙動を見せ、今度は割れた窓ガラスより少し先の天井に向かって進んでいく。

 ――現れた|死体《・・》を、やってきた奇妙な現象を。

 つぶれるような音を出して私の左斜め前の天井を叩き、再び窓のほうに戻っていくが窓の外に出ることはない。その代わりに、先ほどは届かなかった机を巻き込むようにして、ほどなくその体は|分離して《・・・・》教室の床に落ちた。

 ――予知も違和感もなく突如現れた異常を。

 窓の外に去っていったのは一本の茶色いロープ。
 先端が輪になっており、べっとりと赤黒い血液がこびりついている。
 輪の向こうに断首台の影を見る。

 ――何よりも先に、『自己』より先に記憶しようと勤めたのだ。

 窓ガラスを吹き飛ばし、生徒たちの間を縫うようにして現れた死体は、巻き込んだ机を背にして此方を向いている。
 そして、ちぎれた首の口には一枚のカードが咥えられていた。
 内容は、何か暗号めいた一文が書いてあり、距離もあってかよく読むことが出来ない。
 凝らすようにして眺めると、彼女と目が合う。

 生首になった彼女は此方を向いている。

 血を噴出しながら、此方を見ている。
 此方だけを。
 何も語ることもなく。
 生の遠くを見ている。

「ひっ・・・・・・いぎゃあああああああああああああああ、きゃああああああ!」

 怒号と嬌声が響き渡る、空気が震えるほどの生徒たちの悲鳴が教室に木霊している。
 けれど、私には彼女が見えている。生気を帯びていない、死の結果がそこにある。
 砕かれた骨、飛び散った血肉に、ありえないほどに力の加わった皮膚、そしてその断面。
 私は静かに立ち上がり、彼女の傍らに歩き寄る。
 そして、見開いている瞳に手を伸ばし・・・・・・

「何してるのよ、あなたも逃げましょう?!」

 そこで手首を掴まれ、はっと気がついたときには自分以外の全員が通路側の教室端に逃げていた。もしくはこの教室から逃げようとしていた。
「え? あ・・・」
「良いから早く逃げるのよ!」
 突然声をかけられ戸惑う私に女子生徒は構う様子もなく、強引に腕を引っ張って教室の出口に連れて行こうとする。
 しかし何人かの生徒たちが扉の出口に挟まり多数の女子生徒が外に出ることができず、逃げ遅れた女子生徒はこの世の終わりのような叫びを発している。
 叫び声を上げている生徒たちの後ろ、私の腕をつかんでいる女子生徒は目の前の集団を押すようにして強引にでも外に出ようとしていた。その必死な形相を他人事のように思いながら眺めて、そしてもう一度死体になっている彼女を見る。
 彼女はまだ、遠くを見ていた。
「何やってるの! あなたも手伝って!」
「あ、ああ」
 腕を掴んでいた少女の気迫に押されとりあえず彼女の行動を見様見真似に手伝ってみる。
 しかし
「・・・ん? あれ?」
 まったく力が入らない。
 まるで血液を失ったかのように体を使う接続が曖昧で、節々に明らかな違和感がある。
 ひょっとしてすくんでいるのかとも思ったが、別段パニックになっているわけでもない。目の前の彼女たちのように認識もできない程の恐怖にストレスを感じているわけでもない。
 なんだかおかしいな、とも思いつつ力を入れ続けるが全く手ごたえがなく、諦め掛けていたそのとき。きゃあという悲鳴とともに、目の前の女子生徒たちが将棋倒しに出口から倒れこんだ。どうやらつっかえていた人間がようやく外に出れたらしい。
 倒れこんだ人間をよそに、生徒たちは教室を駆け足で後にしていく。
 逃げようとする人間の壁を押していた少女は――自分だけ逃げればいいのに――律儀に私の腕を再び掴み外に飛び出そうとした。
「走るよ! 早く逃げなきゃ」
「いや逃げるって・・・」
 そんなことを言われても、どこに逃げるって言うのだ。そして何から逃げるのだ。そんなことを思いつつ、しかし彼女に合わせる方が面倒がないような気がしたので、従って走ろうとすると、また先ほどの違和感がやってくる。
 そして、目の前の床に向かって盛大に転んだ。
「ふざけてる場合じゃないでしょ!?」
 まるでギャグ漫画を連想させるような前のめりの転げ方に、彼女は怒号を上げる。
 どうしたというのだろう? 別段ふざけているつもりはない、しかし
「良いから走るの!」
 本当にどういうわけか、足を踏み出そうとすると力が入らない。
 歩くことはできても、走ろうとすると体が脱力したようになってしまい、へたり込んでしまう。
 二度も三度も、そんなことをしていると女子生徒は一瞬苦虫をつぶしたような顔をした後、
「先に行くから、・・・行くから!」
 先ほどまで嫌というほど掴んでいた腕を離し、逃げていく少女たちの後を追うようにして、廊下の先に消えていった。
「あ、」
 と、思わず声が出るが、まぁ致し方ないかなあと納得しとりあえず自分の体を見る。
 どこにも怪我をしている様子はない。ましてや、先ほどから思うようにパニックを起こしているわけでもない。
 なんだか、これは・・・走り方まで忘れてしまっているような気さえする。
 自己の事についてまさかそんなにまで忘れる事例なんてあるのだろうか?
 大体、この学園のことは大体がわかるのに、何故自分に関してはここまで曖昧なのだろう。 ひょっとすると今なら絶望に身を任せて叫びだすこともできるかもしれない。
 いや、ははは。なんとも馬鹿馬鹿しい思考だ。
「ううぅ」
 思考をめぐらせているうちに後ろからうめき声が聞こえる。
 振り返ると、先ほどまで扉を詰まらせいたうちの一人が、床に倒れこみ体をよじらていた。
 ほかの人間は立ち上がって既に逃げているのに、倒れたときに打ち所が悪かったのだろうか、未だ痛みに顔を歪ませている。
「大丈夫?」
 へたり込んだ体を起こし、彼女の傍により手を差し出して言葉をかける。
 彼女は未だううぅとうめき声を上げるばかり。
 どうしたものかと嘆息し、とりあえず彼女を(体に力が入らないので、余程苦労しながら)仰向けにし、どうやら気絶しているわけではないが、しばらくじっとしたそうに呻いていたので、膝をたたんで膝枕をしてやり彼女がおきるのを待った。

 生首が眺める教室の前。静かな時が流れていた。
 狂気、と人によっては思うだろう。

 彼女の顔を眺めていると、時折痛みに眉を歪ませたり、かと思えば急に脱力して眠ったように無表情になったり、中々愉快に顔を歪ませるので見ていて飽きなかった。
 首より短い後ろ髪に、眉辺りで切りそろえられた前髪。そして、すこし脱色している髪色。
 そういえばと、私も自分の髪の毛を掬ってみると、黒々とした輝きが合った。
 そして、気がついてみるとどうにもうっとおしいのだが、私の後ろ髪は腰まで生えていて直毛らしい。先ほどまで上手くいかない筋労働をしたせいか、長く伸びた髪が掛かる背中にじっとりと汗もにじんでいて不快だ。
 額に滲んでいる汗をペタペタと拭いつつ、もう一度寝ている彼女に目線を移すと今度は歯軋りをしていた。
 思わず笑ってしまいそうになるが、よくよく見てみると可愛らしい顔をしている。
 お世辞ではなく顔立ちも整っている。なんだか、羨ましいと言うのか、憧れるというのか。この感情は不思議な感じだ。
 いや、というより。
 私は私の顔さえわかっていないのだが。
「うううぅ・・・・・・はっ!」
 ぼんやりとしていること30秒ほどだろうか。
 突然彼女は目を開き、此方を数秒きょとんと見つめた。
 そしてその可愛らしい顔立ちからは似合わないほど躍動感のある動きで飛び上がり周囲を見渡すと、此方に身をすくませながら
「な、何奴です?!」
 と聞いて来た。
「さあ? こちらが聞きたいよ」
 皮肉めいてそう返すと、彼女はうう、と口から漏らし
「確かに、礼儀ではありますね・・・?」
 と、答えた。
 何が礼儀なのか。私としては彼女の言葉のとおりの意味合いで返したつもりだったのだが。
 どうやら彼女は名を名乗るのなら自分からという意味合いに聞こえたのだろう。
 まぁ狙ったのだが。
 おどおどと身を震わせながら名前を吐き出そうとしている姿に妙な可愛さを感じ、じっと見つめる。
 すると、名前を催促されたと思ったのか、視線を感じた後搾り出すように
「私は八峰ゆず、です」
 と、名前を言った。
「い、いいましたよ。あのぉ、貴方は」
「私? 私は・・・うーん」
「い、言わないんですか? 私、勇気出していったのに!」
「いや、名乗るくらい別に勇気とか要らない気がするけれど」
「でも、名乗らないんですか?!」
「いやあ、名乗るほどのものじゃないというか・・・」
 そもそも、名前がわからないんだけれど。
 というかなんかこのままだと私すごい嫌な奴だなあ。
 とりあえず、どんな勇気かはわからないが、それでもその勇気に答えてあげることをしてあげようと思ったので、頭をひねって名前を搾り出す。
 でも思いつかない、|思いつく術もない《・・・・・・・・》。
 うーん、江戸川コナンとでも言えれば、中々ウィットの聞いた冗談になるだろうか?
 ああいや、なんかめんどくさいなソレ
「まぁそんなことより」
「そんなこと!」
 素っ頓狂な声を出す彼女は、信じられません! っと地団駄を踏む。
 気弱そうな形の割りに、彼女の行動は多彩だ。見てて面白い。
「そんなことより、君は逃げなくていいの?」
 見てて面白いのだが、こんな死体の鼻先で気軽に談笑というわけには行かないだろう。
「そんなことなんて、言われたら私の精一杯の勇気が・・・、え? いやあああ!? そ、そうでした。に、逃げないと!」
 だだだーっと駆けて行く彼女の背中に、なんとなく微笑みながら一息。
 いやさてしかし。
 彼女たちはどこに行ったのだろうか、――いや、違うそうじゃない。
 このまま一人にされても困るのだけれど。――返って都合がいい。
 思わず、私は、死体を見る。――翻って私は、彼女を見る。

「「いやあ、いいなぁ」」

 私は自分の声とは思えない声に、驚く。
 あれ、私今なんか言った?
 というか、あれ、何でだろう。何でだろう
 何で私はこの場から離れたくないんだろう? 
 離れたくない、離れたくない? 
 ふと、気がつく。それは自分の片腕が当たり前のように肩口から伸びているのを確かめるような、当然の確認作業だ。
 どうして彼女の傍にいないといけないと思うのだ。
 どうして彼女のことを理解しなければならないと思うのだ。
 私は私さえもわからないのに、何故、死体に成った彼女の事を誰よりも先に知らなければ成らないと思っているんだ? そして、何より
 
 何故私は、この死体現場にワクワクしているのだ?

 静かに立ち上がり、私は再び教室の中に入っていく。
 むせ返るような血の匂いと、吐き気を催すような人間の中身の匂い。
 倒れこんだ椅子、机を分け入るようにして大分血の流れた彼女に再び見舞う。
 相変わらず、彼女の目は健在だ。
 その目は変わらず何かを伝えるようにして、そこにある。
 彼女の気持ちを代弁していると、暗示しているようにある口元のカードも一緒に。
 そのカードには、何者かによって作られた創作の詩が書かれている。

 『 ヘのハジメ 』
『 したんだおなら
  つよきなおばば
  よわきなままに
  おきがえするか
  おとめこうりん 』

 馬鹿馬鹿しい。
 あまりにも馬鹿馬鹿しい内容。
 コレは自己顕示欲であり、挑戦でもある。
 なにより、こいつは自身を神にでも思っているんじゃないかという驕りさえ見える。
 私は内心、煮えくり返るような苛立ちに見舞われながらも、
「ははは・・・」
 と思わず声が漏れてしまう。
 顔を恐る恐る触ると、|やはり、私の口角は釣りあがっている《・・・ ・・・・・・・・・・・・・》。
 そして、私は初めて、このトラブル続きの現在に対して恐怖する。
 私、私って

「死体が好きなのかな?」

 背後から風鈴の煌く様な声がする。振り返るとそこには一人の女子生徒。風紀警鐘と書かれた腕章にオリビアと書かれている――が私に向かって声をかける。
「そこで、何をしていたのかな」
「特に何も?」
「そう? 何も・・・ね」
「そう。そっちは何をしているのかな」
「僕は・・・」

「お、おねえさま! な、何しているですか!」
 と、先ほど逃げていったはずの八峰ゆずが突如現れ、会話を遮る様に私と風紀警鐘の腕章をつけた女子生徒の間に滑り込む。
 そして、強引に私の腕を掴むと
「お、お友達もおまちですのことですよ!」
 といって、私を強引に引っ張って教室から引きずり出す。
「え? おおぉ、ちょっと」
「それじゃあ、お騒がせしましたです!」
 八峰は腕章の女子生徒にそういうと、ただでさえとんでもない力で掴んでいるのにも拘らず、さらに力を加えて走り出した。
 去り際、入り口の間から此方を眺めている女子生徒の顔を見る。彼女は此方に気が付いたのか静かに微笑み、声には出さず唇だけで
「また、あとで」
 と、そう告げた。

「あ、ちょ、痛い痛い!」
 八峰ゆずに余程力を込めている様子もない、こんな小さな身体に、どれだけの力を蓄えているのか、というかどこまで出力できるのか、まさに戦慄であるが、彼女は私のそんな思考を他所にずるずると引きずっていく。
 引っ張られているこっちは、抵抗しようにも力が入らないし、何よりとても痛い。
「痛い、痛いって八峰さん! おい、おいおい! バカいい加減にしなさい!」
 と、そんな風に叫んだからだろうか。急ブレーキを掛けられ突如浮遊感が襲う。気が付くと、私はいつの間にか八峰ゆずを追い抜いている、
 というより、慣性の法則で吹っ飛んだだけなのだが。
 そして、なんとなく下を見るとその先には階段。
 いや、それは流石に、と青ざめると腕を引っ張られ階段の手前に引き戻された。
 どすっと腰を強か打ちつけて、ついでに手も離されたので、ごろごろ階段前の廊下に転がる私。
「殺す気か!」
 思わず叫ぶと、八峰さんは頭をポリポリかきながら
「いやあ、力の加減を見誤ったです」
 なんにせよ無事でよかったです。と、手を差し出して気楽に言って来る。
 とりあえず、あの教室から大分離れた場所に連れて来させられた。位置的に言えば同じ階下の一番遠い場所。
 別に、離れる必要もなかったんだけれどなあ。そんな不満顔をして手をとったせいだろうか、八峰さんは私にずいっと顔を近づけ、イラついた表情をまざまざと見せ付けるようにして言った。
「それはそうと、まったくなんつーノロマですか。あんな所に居ても良いことなんて一つもないのですよ?」
「はあ・・・」
「ウチが帰って来たからいいものの」
 そうだ。どうして、彼女は帰ってきたんだろう。
 てっきりあのまま逃げ出すと思っていたのに。
「そういえば、どうして帰ってきたの?」
「え? ああ、あう」
 彼女はしばらく、しどろもどろとしつつ、その後顔を逸らしながら
「いえ、あのそれは。貴方が介抱してくれて、なのにウチが逃げちゃうのは違うのかなって、思っただけです」
 と、言う。
 私はそれを聞いて、正直眉唾だったのだが。まあそれは後にするとして。
「でも、なんで態々教室に戻るんです? あんな事件があったのに!」
 がーっと、かみつく八峰さん
「まあ、興味があったからかなあ」
「かなあ、って自分のことなんですから、しっかりしてくださいです」
「それに、別段逃げる必要性も感じられなかったしね」
「なんでです!?」
 人が死んでるんですよ! と、叫ぶ姿にまあ確かにそうなんだけれど、と今更私は人が死んだと言う事実にいまいち実感が持てないでいることに気が付いた。
「死体が落ちてきただけの話であって、犯人が落ちてきたわけじゃないからね」
「まあ、それはそうかもしれませんですが・・・」
 いまいち釈然としない表情の八峰さん。
 しかし、・・・
『死体が好きなのかな?』
 いや、そんな筈はない。もし、そうなのだとしたら自分が死体を作っても可笑しくない。
 ここでひとつ不安が出てくる。そういえば私が今朝の記憶がない。
 もし、あの死体が今朝に作られ、時限式のトリックでもってあの時間帯に落ちてくるように設定されていたのなら。
 私が、作ってない記憶はどこにもないし、作った記憶もどこにもない。
 私が私のアリバイを証明できない。
 ・・・いや、まあ。
 馬鹿馬鹿しすぎて、どうにもならない想像だけれど。
 ただ、記憶喪失に死体落下。偶然にしても、出来すぎたタイミングの一致である。
 何か、関連しているとしても不思議ではない。どんな関連があるかは、想像も付かないが。
 ただ、この私が私のアリバイを証明できないというのは、後々面倒なことになりそうな予感がする。死亡事件と記憶喪失。響きだけでも妙な親和性があるからなあ。
 閑話休題。
 今は、一先ず。
「ここまできちゃったからには仕方ないね。とりあえず、みんなが居るだろう場所に行こう。たぶん食堂だよね」
 本当に、すらっと『たぶん食堂だよね』なんて言葉が出てくる。自分のことは判らないのに、本当にこの学園のことばかりは頭に残ってるんだもんなあ。
「あのう、ウチ・・・聴きたいことがあって・・・」
 歩き出そうとすると。少し遅れて八峰さんが聞いてくる。
「ん、何?」
「いえ、あの」
 先ほどの、快活快気な彼女とは想像出来ないほどオドオドとしていて、うーん、トイレかな? なんて一つも気の利かないことを考えるが、そんなこんなを考えているうちに、彼女は「やっぱり、なんでもないです」といって先に行ってしまう。なんなんだ?
 ああ、それと一つ忘れていた。
「ああ、そういえば八峰さん。私の名前知ってる?」
「え? いえ、知らないです」
「そっか」
 ふうむ。となると、一応他の人間にも聞いてみたほうがいいかな私の名前。
 やっぱり、どうにも自分の名前がないというのは、色々と面倒だ。
 まあ、先ほど考えていたように、名前を作ってもいいのだけれど、私も今まで生活してきているわけだろうし、これから新しい名前で呼んでね? なんて、ちょっと気持ち悪い感じだ。
 ただ、この学園の|クラスが存在しない《・・・・・・・・》特色上、果たして私の名前を知っている知り合いが居るのか、不安ではあるが。
 出来ることであるのなら、そんな人間が居てくれないことを望む。
 面倒だしね。
/2

 さぞや賑わっているだろうと、期待して食堂に行ったみたものの、予想に反して食堂に居る生徒全員は何のことがないように座っていた。というか、楽しそうに会話をしている人間もチラホラ見受けられるくらいで、所詮人の死なんてこんなものかな、と、妙に悲観的なことを思ってしまう。
 食堂自体はとても広い、校舎と同じ清潔感のある白を基調とした壁や、内庭の見えるガラス張りの窓が開放感のある空間を作っている、何より天井が高い。この学園の校舎は基本三階なのだが、この食堂だけは三階分の高さだけ吹き抜けになっており、使いようによってはステージなどでも出来るのではないか、と思えるほどである。
 食事は壁に備え付けられているパネルから、食事のラインナップを選ぶのだが、そのラインナップも豊富で目移りするほどだ。何せ食事だけではなく、お菓子などの間食も完備しているため、歓談にもこの場所を使う生徒は少なくないだろう。
 私たちも、タッチパネルから数種類の軽めのお菓子を選び、清涼飲料水を脇に抱え席に着く。
「はあ・・・」
 と、ため息をつく八峰さん
「どうしたの?」
「いえ、このお菓子のラインナップがですね、そろそろ新しくなってくれないかなあって」
「いいじゃない、別に。間食があるだけ」
 それはそうですけれど。と、八峰は言う。
「けれど、ケーキもクッキーもないんですよ?」
「サブレはあるじゃない」
「最中もです。なんだか、おばさんくさいんですよ、この間食」
 まあ、確かに言われてみるとそうだ。他に、お菓子と一応に言っても、プレーンのカップケーキやビターチョコレート。どことなく質素なものが続いている。
「ケーキなんて、それこそ作らないと用意できませんし。はあ。食べたいですケーキ」
「そっか」
「そっかとは何です! 貴方も、女子なら同意すべきですよ!」
 いや、まあ別に同意しないわけでもないけれど。ただ、私はここで食事をした記憶だけがないから、このラインナップを飽きたと思える八峰さんが羨ましく思うくらいで、特に不満なんて思いつかない。
「じゃあ、作ればいいんじゃないの?」
「今は食材がないです。予約制ですし」
 確か、そうだった。食材は何故か予約制で三日経たないと手に入れることが出来ない。卵や砂糖でも一律三日である。ただ、手に入れるのが難しそうな食事でさえその三日で必ず手に入るので、不便というか、便利というか。柔軟性のない食材調達であることは確かだろう。
「そういえば、作れば言いなんていったけれど、料理できるの?」
「う、出来ますよ。出来ますできます。ウチ盛り付けだけなら誰にも負けませんよ?」
「調理のほうは?」
「負ける自信しか、ないです」
 うるさいですよっ、と座りながら地団駄を踏む八峰さん。まあまあ、と宥めつつ歓談していると、すこし、離れたところの席から一人の女子生徒が近づいてくる。
「あの、大丈夫だったの?」
 そんな風に声を掛けてきたのは、先ほど、私の手を引いてくれた女子生徒だった。
「あーうん。大丈夫? だったかな」
「心配していたのよ、私、放って行っちゃったから」
 なんとも、申し訳なさそうに顔を伏せる彼女に、手を振りながら
「まあ、パニックになってたし、仕方ないんじゃない?」
 といってやる。
「あのお、どなたです?」
 八峰ユズが、顔を覗き込ませてそう言った。
「ああ、紹介するって言うか・・・私を引っ張ろうとして失敗した人」
「紹介としてあんまり過ぎない? それ」
「ずいぶん不遜なのです。この人」
 やれやれ、といった調子に言ってくる八峰さんに、お前は何を知っているんだとも思いつつ。
「あんまり自覚はないけれどね。所で貴方私のこと知ってる?」
 と、カミーナに聞いてみる。
「え、いや知らないけれど」
 予想通りの返答に、一先ず安心していると、座っている机から身を乗り出し、私のほうにあるゴブレットを摘みながら
「いきなり聞くですか?」
 といってくる、八峰さん。
 だから、お前は本当に何なんだ。可愛ければ何でも許されるのか。
「ああ、うんごめん。・・・それじゃあ、何の用?」
 八峰さんにいちいち絡んでも仕方がないと思ったので、カミーナに話を振ると、どうやら、私の問いかけに冷たいと感じたのか、少しうなだれた。
「・・・なんか、根にもたれてるのかな」
「いや、この人の場合、本当にただ親切で聞いている可能性があるです」
「何か、不味かったのかな」
 まあ、うん。ごめんね? わざとではないんだけれどね。
 なんだか妙な照れ臭さが、頬を走ったので、ペタペタ頬を触っていると、カミーナが薄く笑った。
「・・・面白いのね、貴方。それはそうと、お友達にならない?」
 そういう彼女の顔は、少しいたずらめいている。
 急に関係のないことだが、それにしても、この学園には美少女しか居ないんじゃないだろうか。よくよく見ると、カミーナも美人である。八峰の可愛さと比べると、若干劣るが・・・、というか、私何様だろう。劣る劣らないではなく、きっと好みの問題だ。たれ目な割りにハッキリとした鼻、西欧美人のそれである。
「貴方も随分と面白いと思うよ?」
 そういうと、今度はハッキリといたずらな表情を表し、
「『貴方』じゃなくて、私はカミーナ・オルヴェウス。気軽にカミーナでお願いね、・・・・・・イルメラ! こっちに来なさいよ」
 そう、名前を告げた後、先ほどまでカミーナ自信が座っていた席のほうに声を挙げた。すると、その席のほうから、褐色の女子生徒が近づいてくる。
 その表情は少し照れくさそうにしており、カミーナの調子にやれやれといった感じである。
「随分乱暴」
「紹介するわ、この子はイルメラ・ヴェルトハイマー」
 どうも、と頭を下げるイルメラ。丁寧なお辞儀に雑な手の振りを見せる私。
「よろしく」
「私は八峰ユズです、よろしくですよ」
 ユズは、丁寧にお辞儀で返す。なんだか、妙な様相を呈してきた。
 カミーナは八峰の名を聞いて、嬉しそうに微笑む。
「へえ、貴方そんな名前だったのね。何度か授業ですれ違うから、気にはなっていたの」
「そうなんです?」
「小さい過ぎてうろちょろと目障りだったのではなく?」
「なんつー言い分なのです! ちょっと酷過ぎやしませんです!?」
 地団駄を踏む八峰に、どうどう、と宥めるカミーナ。
 なんだよ、可愛いからいじってあげてるのに、そんなに怒ることはないと思う。
 あと、ゴフレットが気に入ったのなら、私のを平らげないで自分でとってくればいいと思う。
「貴方も名前」
「私?」
「気になってた」
 カミーナとユズの陽気さから外れて、イルメラが私にそういってくる。
 うーん、と、変わらぬ調子で頭をひねる私。やっぱり、これだけ名前を聞かれるなら、名前作っておいたほうがいいのかな?
 そんなことを考えていると、八峰は私のゴフレットを食べつくして会話に入ってくる。
「この人に聞いても無駄なのです。何せ自分の名前を覚えていないとか、そんな嘘をついて煙に巻くですよ」
「え、そうなの?」
 驚いた調子で、此方を見るカミーナ。
 ていうか、カミーナも人のところからゴフレットをとるのをやめてほしい。後一枚しかないじゃないか。
「んー。まあそうだけれど、イルメラ、気になってたって言うのは」
「貴方、結構有名人」
 最後の一枚をイルメラが奪い、噛り付くとそう言った。
 へえ、結構有名人ねえ。
 それはつまり、私が記憶を失う以前の話で、今の私のことではない。なんだか、他人事、というか本当に他人のように思ってしまう。
「ふーん」
「まあ、ただあまり良い方の有名人とは言いがたいかも。取っ付き難さで有名だったし」
「只管無口」
「あんなにしゃべらないと思っていたのに、実際話すと意外と気さくなのね」
「そっか・・・」
 今の自分も、そこまで会話が得意な方とはいいがたいが、それでも余程しゃべらなかったんだろうな。というか、カミーナの苦笑いを見ていると、無口というより、意図的に人との関わりをとらないようにしていたのではないだろうか。
 まあ、まったくもって今の私には関係のない話ではある。
 自分のことと思えないのが、外に漏れたのか、カミーナは少し真剣な様子で
「まさか、本当に記憶なくしてるの?」
 と、聞いてくる。
「でも、この学園の事とかは覚えているみたいですよ」
 そう、この学園のことはね。と呟いてみると、なんだか変ねえソレ。と返された。
「事例がないわけじゃない」
 ゴフレットをちまちま食べているイルメラ。まあ可愛らしいんだけれど、それ、私の最後の奴だよな、ていうか、私結局何も食べてないじゃないか。
「そうなの?」
「自分の事柄についてのみの健忘ではなく、社会的エピソードだけを覚えている。というのが表現として正しい」
 どういうことだろう? 自分のことのみの健忘。それはつまり、今までの自分に関する記憶ということだろうか。まあ、確かに私は自分に関する記憶の健忘ではない。今までの事柄に関して、凡てを忘れている。だから、社会的エピソードだけの記憶がある、ということだろうか。
 いや、しかしソレも違うように思える。だって、この食堂でものを食べることでさえ、私にとっては初めての経験なのだ。この食堂に入って天井が高いことに感動を覚えて、そういったエピソードでさえ、きっと初めてこの場所に来たから思うことであって、思い出したわけでもなんでもない。なんだかなあ。
 頭をひねらせても、きっと答えは出ないだろう。私は、健忘に関しての事柄についての思考をとめて、何となく気になったことを聞く。
「それにしてもイルメラは記憶に詳しいんだ」
「記憶喪失、憧れる」
「なんでです?」
「かっこいい」
 そんな理由かい。
「この人たちみんな不遜ですぅ」
「ユズぽんもね」
「ウチは違いますよぅ! 後、なんですか人を調味料みたいに!」
 ははっ、調味料! と爆笑するカミーナに、いまいち馴染みがないのか、首をかしげるイルメラ。なんだか、和やかなことでご苦労。

 この現実感のなさが、しかし丁度いいのかもしれない。
 死体が見つかった、という現実に。

「ともかく、貴方が記憶喪失の可能性があるのは確かなのね」
「そうみたい」
「なんつー他人事な、です」
「他人事のようなんだから仕方ないじゃない」
 しかし、先ほどから容赦ないほど噛み付くなあ、ゆずぽん。
「ほらほら漫才は後にする、それより先にやることがあるんじゃない? 何を覚えているか、書き出してみたらどう?」
 言われて、確かに。と納得した。
 まあ、無駄にはならないだろうからやってみるか、と紙を広げて色々書き始めると、本当にいろんなことを知っているという結果になった。
 
・この学園に名前はない。だが、生徒たちの中では籠の鳥学園と呼ばれている
・生徒たちは一律して、学年もない。同時期に入学した新設校である
・比較的特別な事情で入った来た人間も多いためか、年齢に統一性がない。だが、基本的には十六歳から十八歳の間である。
・女子高でありこの学校の中に男性は全く居ない。
・教師、用務員、校長を含めて凡ては学校外に存在しており、この学園自体に大人と呼ばれる人間は存在しない。
・清掃、風紀、食事など、ロボットや工場、または外部からの仕入れなどで済ます場合があるが、基本的には生徒自身で行うことが大半である。
・体調不良、生理的な問題に関しては医務検査室と呼ばれる部屋で行われる。外部に向けて発信されるバイタルのデータから行われるもので、医務管理委員と呼ばれる生徒たちが、校内の生徒たちの体調管理を促している。
・風紀、取り決めに関しては、風紀警鐘隊と呼ばれる組織によって一律管理されている。
・また、刑事的措置や犯罪行為に関して、外部に漏れることはなく、風紀警鐘隊によって内々で処理される。様々な委員や、組織があるが、一番の権限を持っているのは風紀警鐘隊である。
・食事に関して、食堂で決まったメニューを食べることが通例となっているが、規則ではない。要望があれば、食材を調達することが出来、またその予約期間は三日間である。生活用品に関しても、同じ。
・住居に関して、この学園に居る人間は凡て学園に併設されている寮に入ることになっている。個人番号を書かれた生徒手帳がキーになっており、またその生徒手帳の再発行に際し、パスワードを有する。
・基本的に、寮生活での規則はない。消灯時間も、出入り時間も自由である。
・授業に関して、この学園では様々な授業が行われている。数学、化学、科学、世界史、経済学、医学、工学、IT工学、文学史、歴史、宗教史、芸術学、・・・・・・様々に、多岐にわたるが単位もなく、受講に関しての規則もない。
 ・・・・・・・。

「一応ざっと、書き出してみたけれど」
「本当に学園のことは知りすぎているくらいに詳しいです」
 自分で書いてみても、そう思う。よくもまあ、こんなことをスラスラ掛けるものだ。
 しかし、どこかが引っかかる。なんだか、本当に記憶しているわけではなく、知っている、という領域をでないことばかり。この学校特有の、使用感? といえばいいのだろうか、都合みたいなものが見えてこない。
 それはつまり、本当に覚えていないのだ。
 いままでこの学園で暮らしてきた、日々のことを。
「自分のことのほかに、人の顔も名前は何一つとして覚えていないみたい」
 カミーナは私の考えていたことを代弁するように言う。
「でもさっき以前の私は、誰とも関わろうとしなかったんだから、もしかすると覚えていなくて当然かもしれない」
「そんなのってありえるです?」
 八峰が心底、信じられないといった表情で此方を見た。その表情におどけて、首を傾げてみる。
「さあ? ありえるのかもしれないし、ありえないのかもしれない」
「でも自分の名前を知る方法は在るわよ?」
 カミーナがニヤリと笑う。
「え?」
「コレ」
 と、取り出した一枚の手帳に注視して見ると、

「よろしいですか?」

 と、声を掛けられた。
 振り返ると、先ほど教室で出会った少女のしていたのと同じ、風紀警鐘とかかれた腕章をした少女たちが居る。
 その先頭には、腕章に桐生と書かれている女子生徒。
 比較的長身な彼女は、つかつかと私のほうに歩み寄り
「少し、立っていただけますか」
 と言う。
 明らかな緊張感を持って。
「何で立つことがあるのかなあ?」
 おどけてうーん、と頭をひねる。
 が、きっとそれは私の愚策だったのだろう。
 桐生?の傍らに立つ少女たちが、対応できない速さで私の体を掴み転ばし無理矢理地面に押し付けた。
 私の座っていた椅子がガタンと派手な音を立てて倒れる。
 脇に居た、カミーナとユズが漏らす様にきゃあと叫んだのが聞こえた。ついでに、さわめきたつ、他の食堂に居る生徒たち。
 あまりのことに痛みがついてこず、熱身を帯びた不快感だけが体に巡る。
 暴れようにも体に力なんて入る余地もなく、しばしもがいてその内に埃臭さが鼻につくようになる。
「・・・・・・な、なにをするのかなあ」
 あきらめて、地面に伏せていると、おそらく桐生と腕章にかかれた少女が私の顔元まで足を近づけてくる。ああ、そういえば、この学校にも上履きのようなものがあるんだっけなあ、なんてそんなこと思っていると
「ご自身の胸に聞いてみればよろしいのでは? ・・・しかし、規則ですから、こう言う事にしましょう」
 それと同時に髪を引っ張り上げられ、強引に顔を上げられると。桐生?は這い蹲る私の耳に顔を近づけて、一言ささやいた。

「アナタを第一容疑者として連行いたします、抵抗は無駄ですからね?」


2, 1

  

/モノローグ② ジガバチの吐露

 罪悪感だけが残る作業であるはずだった。
 悪いことをしているという自覚も、罪も、責任も判っているはずだ。
 なにより、私の人生で私がしていることを咎められていない場面を見たことがないし、そもそも、私が暮らしていた国は平和な国だったので、そういったことをする人間も少なかっただろう。
 もちろん、ニュースなどでそういった罪の話題が挙がると少なからず、何でそんなことを、と半ば馬鹿にした気分で眺めていたようにも思う。
 けれど、いざ自分がその行為から逃げられなくなったときに。
 思い出す。
 そうだ、私は、
 『盗む』という行為をすれば
 誰かが私を、追いかけてくれるのではないかと、
 そんなことを期待したのではなかっただろうか?

 遠き日の感覚を今は思い出せず。
 今日も私は追いかけてくれる誰かに縋る。

2、困窮する午後

 圧倒的不利な状況とは確かにこのことを言うのだろう。
 鑑みて見れば、突如現れた死体の前に、混乱することもなく現場に何故か留まり、一人になった教室の前で死体を眺めながらニヤついていたのだから、そりゃまあ誰が見たって、アヤシイ奴という烙印を押すだろう。
 何でそんなことしちゃったんだろうね、と、後悔しても仕方がない。
 とりあえずやっちまったもんは仕方がないし、それよりも、この圧倒的不利な状況をどうにかすべきである。
「どうしたもんかなぁ」
「何か?」
 目の前の少女が笑う。
 先ほど、私を押さえつけた少女とは別の少女。
 教室で出逢った、柔和な少女。
 つまり、彼女の言葉通りまた再び出会うこととなった。
 よくよく観察してみると、先ほどのリーダー格である、・・・桐生? という女子生徒と同程度の存在感を持っている。
 が、人相は不気味なほど朗らかで、彼女の周りにだけ暖かい空気が流れているのではないかと思うほど、柔らかい表情と雰囲気を携えていた。
 名前はオリビア・・・オリビア・ドイチュというらしい。
 ドイチュなんて、なんだかかわいい感じだが。
 たぶん・・・・・・性格は絶対に可愛くない。
「いえいえ、何でも」
 教室と似たようなつくりの部屋の中、目の前には今の苦い状況とは程遠い、・・・というより甘そうな光景が広がっていた。
 口当たりのよさそうな蒸気を上げる茜色の茶に、白より光るテーブルクロス。
 三段にもなる装飾豊かなケーキスタンドの上には、唾液も止まらなくなるような甘い色のマカロンやルビーより赤いジャムクッキー、そして極めつけはカップケーキまである。
 もちろん、ただのカップケーキではない、ココアパウダーを混ぜているのか茶黒く、カカオの香りを漂わせているその上に生クリームと食欲を引き立てるクランベリーが乗っていた。
 他にも、鮮やかなお菓子が見受けられるがそのどれもが、一つとして食堂で出されていない、彼女特製の手作りの洋菓子である。
「どーぞ? お菓子でも食べましょ、いっぱい食べるといいよ」
 よっぽど凝視していたのか、オリビアにそんなことを言われてしまう。
 記憶はないが、もしかすると私はグルメだったのかもしれない。先ほど食堂でお菓子をつまむタイミングがなかったこともあるだろうが、体の中からダラダラと胃酸が落ちる音がするようだ。

 まあ、もう数時間この状態で拘束され続けているから、が原因なのかもしれないが。

 時間が経って、お茶が温くなれば再び入れなおす、をもう十回ほど繰り返している。
 くそぅ、食べたい・・・。噛り付きたい、飲み干したい。
 そんな私の状態を見抜いてか、・・・というより、解かりやすいほど私が滑稽な表情をしているのか・・・彼女は確認するように呟く。
「まぁ僕に自供してくれたらだけれどね」
「・・・ホント、どうしたもんかなぁ」
 ほら、やっぱり可愛くない。
 ていうか僕っこ。可愛いな。
 ・・・・・・そう、圧倒的不利な状況とは、所謂兵糧攻めのことであった。
 まぁなんとも間抜けな話ではあるが、しかしお腹がきゅうきゅうと恥ずかしげもなく鳴っている上に、転んでも食べられないような茶菓子の数々。
 泣いて縋りたくなるのも無理はない。
 うん。無理はない。――数時間の拘束、普段にはない長時間の緊張によって、そう仕向けられていたとしても――
 しかし、どうしたものか、何かこの食料にありつきながらこの場を問題なく離れられるような秘策はないものだろうか・・・。
「くくく・・・ふふ」
「はい?」
 そんなことに思慮していると、オリビアは可笑しそうに笑った。
「いやあ、キミがあんまりにもお腹をすかせた子犬のように、お茶菓子を見つめるものだから、ごめん少しいじめたくなっちゃった」
 少しいじめたくなった、で人を数時間も拘束するだろうか。まあ拘束といっても身体を縛られているわけでもないし、食べなかったのはあくまで自供を共用されていたからに他ならないのだが。
「はあ・・・つまり、自供云々を抜きにして食べてもいいと」
「どうぞ、好きに食べてもらって構わないよ」
「では、遠慮なく」
 体裁は冷静を装いつつも、わああい! と内心はしゃいでいた私は――こらえきれず、耐え切れず、わかっているものの――気になっていたジャムクッキーを真っ先に頬張る。思っていたよりもイチゴの風味が鼻腔をくすぐり、甘酸っぱさが臍をなでた。
「余程お気に召したみたいだね?」
「ええ! ・・・ああ、いやはい」
「素直なのはよろしい」
 笑顔を見せ、紅茶を口に含むと、先ほどと変わらない飄々とした調子でオリビアは本題に入る。
「それで、キミは何であんな所にいたのかな?」
 心の隙を縫うようにしてオリビアは、本題に入ったのだろう。
 尋問の常套手段だ。
「・・・・・・」
 まぁ本題といっても、繰り返し同じ質問ばかりされている。
 そして、私もソレが解かっているから同じ答えばかりを言う。
 RPGの村人にでもなった気分だ。不愉快とまではいかないが、つまらない。――が、何より恐ろしい――
「それは先ほども答えましたけれど、事件現場に立ち合わせたからです」
「ふうん、で、何で留まっていたの?」
「倒れていた子がいたので、介抱していました」
「その子の名前は?」
「|しりません《・・・・・》」
「その子はどこにいったんだ?」
「さーっと逃げていきました」
「その子の外見特徴は?」
「あんまり覚えていません。背が小さかったことくらいでしょうか」
 けろり、と何のことない調子で言うと、しばしの間が生まれる。
 丁度いいから渇きを潤すために此方も紅茶を啜った。程よい苦味と渋みが口に広がる。
「あのさあ」
 力の入っていない自然な声で彼女は続ける。
「君も知っているとは思うけれど、この学園には|警察も裁判所もない《・・・・・・・・・》。文字通り、僕たちはこの籠の鳥で飼われているからね」
 籠の鳥。
 そう、まさしく私たちは籠の中の鳥だ。この学園の中、正しく管理され、正しく生きている。
 だから、治安を維持するような装置の設置も意味はなく、ましてや混乱に際する備えもない。――それはきっと、とっても異常な事で――
「だからって規律がないわけじゃないし、むしろ規律が正しく機能しているからこそ、警察も裁判所も要らないんだ」
 要らない、か。
「・・・それが?」
「警察は、先ほどから僕がやっている誘導尋問を何日と掛けてやるだろう。君が思っているよりも、耐え難い苦痛だよ」
「覚悟はできています」
 オリビアは頭を振ると、もう一度私の目を見つめて
「しかしそれは人道的に配慮された上での苦痛だ、僕らは風紀警鐘隊、警察じゃあない」
 そう、彼女特有の柔和な雰囲気のままに呟いた。
「僕らには非人道的な尋問を行える資格がある。・・・・・・今ここで体験してもらってもいいんだよ?」

 ・・・本領、というところだろうか? 
 いや、きっとこれは、脅しであり、半ば彼女のもがきなのだ。
 この尋問を始めてから既に数時間は経っているが、いまだ私の口は割れない。
 彼女は確実にあせっている。私が有利であることは確かだ。
 そう、判っている。判っているのだけれど。

 ふと、自分がいつの間にかスカートの裾を掴んでいることに気がつく。
 折り目正しく伸びていたスカートに皺ができるほど、強く握っていた。
 ・・・|怖い《・・》。
 ・・・|怖くて怖くて仕方がない《・・・・・・・・・・・》。
 私は、齢十六から十八程のちっぽけな人間で。
 この場からスタントアクション大立ち回りで逃げ果せる事も、口八丁手八丁でやりこめることもできる自信がない。
 そもそも、そんなことができる風には、私自身作られていない。
 ただ腹をすかせては、煌びやかなお菓子に目移りする程度の女子生徒なのだ。
 ――判っていた。これが彼女の手の内だ――
 ・・・・・・いや。
 ただお腹をすかせただけの女子生徒なんて、そんなのは感傷にすぎるか。
 それ以前に私は、私を知らないのだから。
 自分がどのくらいの年の頃で、なんてあくまでこの学園に居るからそのくらいの年の頃だろうという予測に過ぎないわけだし。自分に何ができるのかわかっていないということは、それはそれだけで可能性があるということに他ならないのではないか?
 ちくしょう、判っているのにいまいち踏ん切りがつかない。かなり気合が居る。やるなあクッソォっと悪態の一つもつきたくなる。
 ――いや、彼女には感謝すべきだ――

 |そう、感謝すべきだ《・・ ・・・・・・》。
 私は死体を見ても、死を目の当たりにしても、恐怖を感じなかった私にも、この場でようやく、人間らしい感情を発露することができたのだから。

 オリビアに気が付かれないように小さく息を吐く。ドクドクとなっていた血管の音が一際大きく鳴った後、落ち着きを取り戻す。
 ・・・一瞬のうちに心の隙を上手く裁かれたようだ。
 ――判っている、先ほどまで口にしていなかった、甘露を口にしたことが原因だ――
 判ってはいた、だが、乗り切れるとも思っていたのは事実だ、もちろんそれは私が私であるための意志を固めればの話で。
 私が何を目的としているか、今だ他人事のように思う自分の姿や形、思惟や尊重が何を求めているのか。
 ――パキリ、と瞳孔の開く音がする――

 ふと、冷水を浴びたように何かが突き抜ける。
 体が、全身が、神経の一つ一つが、それこそがと、叫んでいる。
 ・・・・・・求めている? 私は、何かを求めているのか。何のために?

 ――私は誰なんだ、それは誰にも証明出来ない――

 証明できないけれど、私はそこにある、私は考えそして求める。

 ――そうだ。お前は・・・。

 そうだ、私は考える。
 そして、私は自己を欲求する。

 ――いや、|私は《・・》。私であるために。

 私が私であるために、私は謎を|解き明かしたい《・・・・・・・》

 叫びそうになる口を押さえるように、もう一度カップに唇をつけ、息を吐くように言った。
「それは嫌ですね」
「でしょう?」
「ええ、ですから、そろそろお互いの腹を割りませんか? 先の事件は殺人事件で自殺ではない。そうですね?」
「そうじゃなければキミを拘束する必要はないね」
 オリビアはおどける様に、こちらを見下すようにそんなことを言う。
「そして、あなた方は犯人に至るための証拠も手がかりも掴むことができていない」
「容疑者が先に出ちゃったからねこれから見つけるよ」
「殺害方法さえもわかっていない状況でですか?」
「・・・・・・」
 相手がどの程度の情報を手に入れていて、どの程度せっぱつまっているか。
 知るわけあるかそんなこと。
 こんなことハッタリに決まっている。
 しかし、いささか綱渡りである。なにせ何もかも的外れなことを言っても、交渉《・・》にならない。 また逆に真に迫りすぎても、犯人と間違われる可能性がある。何もかもを知っているような振る舞いもこの場合は駄目なのだ。
 本当なら、こんなハッタリなんかかまさず、何もかもをつまびらかに話し不利じゃない状況に持ち込めば数日間の拘束の後、解放される事は眼に見えている。しかし、それでは駄目なのだ。満たされない。
 私の欲求が、今ここで行動しなければならないと、脳髄を刺激し続けている。
「ずいぶんと挑発的だけど。大丈夫? 心象悪くなっちゃうよ」
 オリビアは、そうは言いつつも余裕のある態度を変えることはない。
 そうだ、オリビアはこういう人間だ。だからこそ。
「私はオリビアさんを信頼してますから、|お菓子くれましたし《・・・・・・・・・》」
「へえ、ありがたいね」
「たぶん、私が思っている以上にオリビアさんは優秀でしょう。私、たぶん人を見る目はありますから」
「たぶんばっかりじゃない」
「まぁ自分のことさえわからないので」
「眉唾だねソレばっかりは」
 おどけて言うとおどけて返す。やり取りとしては地盤が慣れてきた。
 憶測のハッタリ第2弾を出す。
「・・・しかし、死因が判らないほどの死体損壊や指紋が出ないカードやロープなど大変なことばかりでしょうね。なんといいましたっけ、自警団ではなくて・・・」
「風紀警鐘隊」
「そうそう、なんともお堅いお名前でしたね」
 私は、会話をしながら今のハッタリに効果がないことを悟り、急いで彼女の返しやすい『風紀警鐘隊の呼称』という話題を振った。
「しかし、それだって仕方のないことじゃあないかな、元々この施設には死体を検分するための資材なんてないからね。もちろん、僕たちにだって医療知識が完全にあるわけじゃない。大体でやっているわけだ」
 こちらの思惑が漏れたのか、オリビアは餌を出すようにして態々ハッタリに掛かる言葉を出す。
「平和が約束されているからのこの状況、そして貴方はいち早くその混乱に終止符を打ちたい。平和とは危ういバランスの上で成り立つと聴いたことがあります、外れた平和を元に戻すのは困難でしょう」
「共感、痛み入るよ」
 中々丁々発止じゃないか、出来るな。私。
 だから、そろそろ頃合だ。
「どうでしょう、協力しませんか?」
「・・・・・・キミ、自分で言ってること判ってる?」
 私は、ただ私の伝えたいことを伝える。
 本題、これで彼女を説得せねばならない。
「判ってます。貴方は平和を正す人、私は混乱を解き明かす人間です。同じ様ですが相容れません。アナタは正すために平和を求めますが、私は解き明かしたいから混乱を求める。私は、わからないことを解き明かせればそれでいい」
「だからあの現場に最後まで留まっていたと」
「そう、解かり易い謎が転がってましたから」
 解かり易い、という言葉にオリビアの眉端が上がる。そうだ、そのまま釣られろ。
「ずいぶんな言い草だね、僕たちもがんばっているんだけれど」
「仕方ないですよ、あなたと私では行動原理が別ですし」
「だから、あの不気味な死体を作ったと?」
 彼女も刀を返すように、探りを入れてくる。しかし私には、痛くもかゆくもない。
「作るのは趣味では在りませんが、中々素敵な光景であったことは確かですね」
「どの点が?」
「それは協力してもらえるならお話します」
「・・・・・・僕としては、キミがあのよくわからないカードを書いたって言うなら納得できるんだけれどね」
 来た。ここだ。
「中々いいセンスでしたが、アレはいただけません。私プライド高いので」
「ん? どういうこと?」
「だから、|あの暗号の内容《・・・・・・・》です」
 そして、私はワイルドカードを切る。
「あの暗号の解き方をお教えしますので、私に協力させてもらえませんか?」

 静寂。
 先ほどまで揺れていたオリビアの紅茶の湯気も形を潜め、時間が止まったように凡てが動かない。
 私はじっと、結果を待つ。
 オリビアがどのような解答をするかを。
「本当に解けているのかい?」
「解けてます」
「なら、吐かせるとしよう。なんて、僕が言ったら」
「・・・不安なんでしょう? 今後こんな事件が連続して起こらないかどうか・・・と、返します」
 オリビアはふっと、笑顔を作った。
 緊張が解けたように、空間が動く。
「まあ、そうだね。そうか、あれやっぱり暗号だったんだ」
「協力させていただけるので?」
「つまらないけれど、僕たちにもプライドはある。協力はさせられない、と言っておこう」
 まあ、だろうとは思っていた。
「では、泳がせていただくということで」
「そういうことにしようか」
 オリビアは、初めて茶菓子に手をつけた。男性のような振る舞いの割りに、細やかな所作でクッキーを摘み一口でそれを食べる。
 どうやら、上手くいったようだ。が、最後まで気は抜かない。
「ならば此方も折衷案で行きましょう」
「うん?」
「解けるための三つのポイントだけ、教えます」
「ふうん、まあいいでしょ」
 よほどお腹がすいていたのか、二枚三枚と彼女はクッキーを平らげていく。
 やはり所作を気にしているのか、一定のスピードで。いや、なんかシュールだ。
 そんなオリビアの姿を眺めている私は、いたずら心を働かせ、矢継ぎ早にポイントの説明を始める。
「まず、第一に『あの表が何を模しているのか』」
「表?」
「そう、表です。そして第二に『表は符』になります」
「符・・・? ちょ、ちょっとまってなんだか意味わからないけれど」
 オリビアの顔に多少の焦りが見える。解けないかもと、不安なのだろう、が知ったことではない。構わず言葉を続ける。
「ここまでが判れば、第三は簡単『始まりは示されている』です」
「始まり、ってあの冒頭の『へのはじまり』のこと?」
「それでは、もう帰っても?」
 そういって立ち上がる。と、何故かオリビアも立ち上がって
「やっぱりちょっとまって、もう一つ! もう一つヒントくれない?」
 と拝んで懇願してくる。
 それってプライドないのかな、なんて思うのは可愛そうだろうか。
 うーん、なんて業とらしく呟いて見せてから、特別にもう一つヒントを出してやることにした。
「じゃあもう一つだけ」
「おお! 頼んでみるもんだ」
 軽い感じに、顔を上げるオリビア。本当にプライドなんてあるのかな?
「・・・特別ヒント。死体ぶつかった天井の位置です」
「天井の位置・・・?」
「もうこれ以上はサービスできません」
「ええぇ・・・こうなったら人海戦術だなあ。きりゅー!」
 オリビアがパンパンと手を叩くと、扉の前で控えていたのか、先ほど私に耳打ちしてきた女子生徒が入ってくる、やっぱり名前は桐生というらしい。
「桐生手伝ってよぉ、意地悪するんだこの探偵」
「探偵?」
 ふ、と何気ない拍子に聞き返してしまう。
「謎解き専門の業者、ロマンあふれる呼び方でしょ」
「そうですね」
 探偵、探偵か。
 悪くない響きだけれど、気に食わない。なんだか、自分のような人間が他にも居るような感じがする。あくまで私は私であるために、欲求を叶えるのだから。
 でもまあ、こだわっても仕方ないことでもあるか。
「まあ好きなようにしてください」
「ならば、○○ンカ・○ニ○ナと、お呼びすればいいのでは?」
 桐生が発言すると同時に、私が固まる。
 いや、何気なく会話に入ってきたことにも驚いたが、そうじゃない。
 もしかすると、それは私の本名なのか。
「なに、その反応。もしかして本当に自分の名前わからなかったの? 仮にそうだとして、生徒手帳にも書いてあるじゃない」

 そう、先ほどカミーナが指摘してくれた生徒手帳。
 私も持っているはずの生徒手帳。

 今は、生徒手帳のことはどうでもいい、それより名前だ。
 私は、そんな名前だったのか。しかし、なんだかおかしな名前だ、そう、か。
 名前か。
 ここからはじめるのなら、丁度いいな。
 ユズに名乗る名前も必要だろうし、意味合いを少し借りて、適当な仮名をつけるとしよう。
「いえ、好きじゃないんです。その名前」
「ふうん、なんだかよくわからないこだわり多そうだね、探偵」
「オリビアさん、探偵もあんまり好きじゃないから、やめてもらっていいですか」
「それじゃあ、キミにする?」
「いえ」
「なんだよ、さっきまで好きに呼べって言ってたのに・・・じゃあ、何?」

「音無・・・、音無小唄と呼んで下さい」
3

柿ノ木続木 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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