子どもの頃には見えた。けれど今は見えない。そんなものは無かっただろうか。ふと裏路地に入った時、鬼ごっこをした神社へ訪れた時、そのあまりの小ささに驚く経験。大人ならみんなしている。けど、子どもの時に見ていたものは思い出せないままでいる。
お前が鬼な。響く声。遊ぶ場所が少なくなってきた昨今、神社だけはその地位を守っている。私はいつものように境内を清めていた。彼に出会ったのはそんな時だった。
お姉ちゃんは鬼なの?
私を怯えるように見つめながら彼はそう言った。たまに、私の角が見えてしまう子がいる。そうだよ、と言うと彼は逃げていった。お前鬼だろ。向こうでそう問われた彼は、僕は鬼じゃないと答えていた。
怖がられるのには慣れていた。子どもがなんて言おうが、大人は自分の目に見えないものは信じない。子どもに嫌われることさえ受け入れれば、私の生活の平穏は守られる。
次の日も彼らは公園で遊んでいた。彼は、恐る恐る、私の方へ近付いてきた。死ねだとか消えろだなんて言葉には慣れていた。意を決したようにこっちをぐっと見据えると、彼は言った。
お姉ちゃん。いつもお掃除ありがとう。
子どもの頃には見えた。けれど今は見えない。ただ、あの頃の気持ちを思い出させてくれる出来事は、あるのかもしれない。