大きいものはいいものだ。自分が小さいことがわかるから。
絶対にどうあがいても、殺したり、逆らったりすることができない存在というものは必要だ。従順に頭を下げて、屈服することを当然と捉えられれば、それが自分の神になる。ほとんどの人間はその自分で作り出した感覚の神に呪い殺されてしまうが、ぼくはのんびりと構えることにしている。なにせこの信仰は誰にも言えない。
巨人の女がぼくの国に攻めてきたのは半年前だった。なんでもない日、よく晴れた空の下に彼女は来た。なにかもの珍しそうな顔をして、ぼくらの国を見つけると顔を寄せて見下ろしてきた。見張り台にいた兵士は腰を抜かして震え上がり、洗濯物を干していた母親たちはお天気を見捨てて家の中に逃げ込んだ。ぼくは図書館にいて本を読んでいた。規則的なリズムで揺れる図書館の築年数に限界を覚えて窓から顔を出した時、彼女を見つけた。目があった気がするなんて思いもしない。彼女の透明な青い目は、ぼくたち全部を見ていた。あまりにも細かい点でしかないぼくは、見つけてもらえないという祝福を授かったのだ。とてもロマンチックだとは思わないか?
だが国王はそうは思わなかったらしい。正義にも好みや主義があるが、自国を巨人から守ろうとするのは愚王でも賢君でも変わらない選択だろう。しばらく経って、ぼくは正規軍に首ねっこを掴まれて若い男という理由だけで徴兵された。気まずそうに譜代の名剣を撫でている王に「また勝手なことをしてくれる」と言うと、「俺に言うな」と不機嫌そうに答えられた。やれやれ友人だって戦場に送らねばならないとしたら、王に産まれなくてよかったと思わざるを得ない。
なんでもぼくは戦車というものに乗せられるらしい。何百年も前に王立研究所で開発されたらしいが、ぼくには昆虫の模型のようにしか見えない。それが砲塔を持っていて、巨人に砲弾を当てられれば撃退できるだろうということだった。その前に踏み潰されそうな気がするが。こんな人畜無害のぼくすら徴兵するのなら、そこらの野良猫でも一緒に連れてくればいい。案外役に立つかもしれない。
巨人の女は興味があるのかないのか、ぼくらの国のまわりをうろうろしていた。ときどき川や山に手を突っ込んでは魚や猪を丸呑みしている。ずいぶんと頑丈な胃袋をしているようだ。喰われればその中を探検できそうだが、今はそれほど死ぬ気分でもない。
「いいか、かならず、かならずやつを殺すのだ。さもなくば、我が国に明日はない!」
普段は床屋を営んでいる戦車隊の隊長が顔を真赤にして叫ぶ。たしかに常日頃から刈っている客の頭に間違えてハサミを突き刺しては恐縮している達人だから、血を出す稼業は向いているかもしれない。ぼくはすっかり自分で切るのに慣れた髪をいじりながら、口を開こうとしてやめた。どうせもう殺す方向性でまとまっている話なのだ。蒸し返したところで大河の流れは変えられない。
ぼくは巨人の女を見上げる。もう半日も走ればその足元に追いつけるだろう。なにを考えているのか、どこから来たのか、人間なのか、それとも怪物なのか、いずれにせよ話をしてみたかった。話すことができるとしてだが。言葉は使えるのだろうか? どこかに巨人の王国があって、そこではぼくが聞いたこともない言語がかわされているのだろうか? そこではむしろぼくらの方こそ小人として奇妙に思われたり恐怖されたりするのかも。恐怖か。それもまた味わい深いものだが、床屋の親父が無事に家に帰ることに比べれば、どうしても克服しなければならない価値でもない。
「おい! 見ろ!」
部隊の一人が叫んだ。ぼくは床屋の親父をおしのけて、見張り役の隣にハッチから顔を出す。
「なにか……なにか言おうとしてないか? 口が……」
確かに今まさに、巨人の女の口が開こうとしていた。近づくぼくらを見る青い目、そこには明確な意思と感情があった。ぼくは耳をそばだてた。彼女がどんなことを口ずさむのか、一言一句聞き逃すようなことがないように。
彼女は言った。
「ニャア」
しまったな。
猫は部隊にいないのだ。
おわり