冒険者人生が数分で幕を閉じた話
====================
冒険者、という職業は、誰しも聞いたことがあるほど有名なものだ。
制約に囚われず、剣を背負って西から東へ。魔物の被害があればそれを討ち、困っている人を助け、未知なる財宝を求めて人跡未踏の遺跡や森に潜り込む。
半ば英雄のように語られることもある。
一方で、冒険者に良いイメージを抱いていない人も少なくない。
まともな職に就かず、昼間から酒をかっ喰らい、頭に血が上ればすぐさま剣を抜く野蛮な人種。根も葉もない噂話を真に受け、ありもしない宝を求めて身の丈に合わない危険な場所へ赴き、あっさりと命を落とす阿呆。
半ばゴロツキのように語られることもある。
世間の人々が冒険者に対して抱く印象はそれぞれだが、どちらかといえば悪いイメージを抱く人が多い。
その筆頭たる理由はやはり、離職・殉職率の高さだ。
冒険者稼業だけで食っていけるのはほんの一握り。いつ命を落とすかもわからない危険な仕事をこなしていながら、食いっぱぐれて止む無く辞職することが殆ど。
冒険者の実態はかなり厳しいものだが、それでも冒険者を志願する者が後を絶たないのは、彼らが阿呆だからなのか。それとも、損得抜きで夢を追える希望に満ちた者だからなのか……。
====================
その日はユリウスにとって、特別な一日だった。
彼は両手剣一本と小さな荷物鞄のみを携え、とある冒険者ギルドの前に佇んでいた。
「ここが冒険者の宿……『猫の目』亭か!」
ユリウスは高揚を隠せず、拳を握りしめた。
彼は齢18歳にして、幼い頃から夢見ていた冒険者となるため、辺境の村を飛び出して来たのだった。
「ここからだぜ、ゼロから始まる冒険者生活!困ってる人を助けまくって、世界中を旅して、伝説の竜を倒して竜殺しの称号を得て……」
「オイ!!」
突如ユリウスは、背後からの衝撃を受けて前につんのめった。
面食らって振り返ると、そこには、身長2メートルは優に超える大男が立っていた。
男は壁のように広い肩幅と巨体を持ち、全身を薄汚れた鎧に包んでいる。
「宿の前でよォ、ブツブツ一人で気持ちワリィんだよなァ!邪魔くせェし他所でやってくれや!」
地鳴りのような声でユリウスを怒鳴りつけると、大男は宿へと入っていった。
「な、なんだあいつ……見たとこ冒険者っぽかったし、あんな奴がいる宿なのかよ、ここ」
出鼻をくじかれた気分に陥った。
あのような、品性の欠片も持ち合わせていない粗暴な輩のせいで、冒険者のイメージが悪化するのだ。
心の中で毒づきながら、宿を変えようか、と逡巡していたその時。
「ねえ君!オルガーがごめんね」
側方から可愛らしい声がかかってきた。
顔を向けると、軽い防具と剣を携えた、ユリウスよりも2~3つは歳が低そうな少女が立っていた。
青色の短い癖毛とくりくりした目を持ち合わせた、愛くるしい顔立ちをしている。
「オルガーってさっきのやつか?」
「うん、依頼から戻ってきたばっかりで気が立ってるの」
「やっぱり冒険者だったんだな。つか、依頼が終わった後って晴れやかな気持ちになるもんじゃねぇの!?」
「んー、依頼人がちょっとヤなやつでねー。でもオルガーってああ見えても、仕事はちゃんとやるんだよ……ところで君は他の宿の冒険者かなー?」
「や、オレは冒険者になろうと思ってここに来たんだ。猫の目亭って……」
評判のいい宿だから、と続けようとした言葉は、少女の歓声によって掻き消された。
「ホント!?わーい!仲間が増えるよ!やったね!」
少女はさぞ嬉しそうにユリウスの手を握ると、それを強引に引いて宿の入口へと向かっていく。
「オイ、まじか、ちょっと待て」
そういいつつも、ユリウスは特に抵抗せず、よたよたとその後ろをついていく。
握られている手に神経を集中させてしまうのは、彼がまだ経験未熟な少年であるからだ。
少女は気にすることなく、宿の扉を開け放った。
冒険者、という職業は、誰しも聞いたことがあるほど有名なものだ。
制約に囚われず、剣を背負って西から東へ。魔物の被害があればそれを討ち、困っている人を助け、未知なる財宝を求めて人跡未踏の遺跡や森に潜り込む。
半ば英雄のように語られることもある。
一方で、冒険者に良いイメージを抱いていない人も少なくない。
まともな職に就かず、昼間から酒をかっ喰らい、頭に血が上ればすぐさま剣を抜く野蛮な人種。根も葉もない噂話を真に受け、ありもしない宝を求めて身の丈に合わない危険な場所へ赴き、あっさりと命を落とす阿呆。
半ばゴロツキのように語られることもある。
世間の人々が冒険者に対して抱く印象はそれぞれだが、どちらかといえば悪いイメージを抱く人が多い。
その筆頭たる理由はやはり、離職・殉職率の高さだ。
冒険者稼業だけで食っていけるのはほんの一握り。いつ命を落とすかもわからない危険な仕事をこなしていながら、食いっぱぐれて止む無く辞職することが殆ど。
冒険者の実態はかなり厳しいものだが、それでも冒険者を志願する者が後を絶たないのは、彼らが阿呆だからなのか。それとも、損得抜きで夢を追える希望に満ちた者だからなのか……。
====================
その日はユリウスにとって、特別な一日だった。
彼は両手剣一本と小さな荷物鞄のみを携え、とある冒険者ギルドの前に佇んでいた。
「ここが冒険者の宿……『猫の目』亭か!」
ユリウスは高揚を隠せず、拳を握りしめた。
彼は齢18歳にして、幼い頃から夢見ていた冒険者となるため、辺境の村を飛び出して来たのだった。
「ここからだぜ、ゼロから始まる冒険者生活!困ってる人を助けまくって、世界中を旅して、伝説の竜を倒して竜殺しの称号を得て……」
「オイ!!」
突如ユリウスは、背後からの衝撃を受けて前につんのめった。
面食らって振り返ると、そこには、身長2メートルは優に超える大男が立っていた。
男は壁のように広い肩幅と巨体を持ち、全身を薄汚れた鎧に包んでいる。
「宿の前でよォ、ブツブツ一人で気持ちワリィんだよなァ!邪魔くせェし他所でやってくれや!」
地鳴りのような声でユリウスを怒鳴りつけると、大男は宿へと入っていった。
「な、なんだあいつ……見たとこ冒険者っぽかったし、あんな奴がいる宿なのかよ、ここ」
出鼻をくじかれた気分に陥った。
あのような、品性の欠片も持ち合わせていない粗暴な輩のせいで、冒険者のイメージが悪化するのだ。
心の中で毒づきながら、宿を変えようか、と逡巡していたその時。
「ねえ君!オルガーがごめんね」
側方から可愛らしい声がかかってきた。
顔を向けると、軽い防具と剣を携えた、ユリウスよりも2~3つは歳が低そうな少女が立っていた。
青色の短い癖毛とくりくりした目を持ち合わせた、愛くるしい顔立ちをしている。
「オルガーってさっきのやつか?」
「うん、依頼から戻ってきたばっかりで気が立ってるの」
「やっぱり冒険者だったんだな。つか、依頼が終わった後って晴れやかな気持ちになるもんじゃねぇの!?」
「んー、依頼人がちょっとヤなやつでねー。でもオルガーってああ見えても、仕事はちゃんとやるんだよ……ところで君は他の宿の冒険者かなー?」
「や、オレは冒険者になろうと思ってここに来たんだ。猫の目亭って……」
評判のいい宿だから、と続けようとした言葉は、少女の歓声によって掻き消された。
「ホント!?わーい!仲間が増えるよ!やったね!」
少女はさぞ嬉しそうにユリウスの手を握ると、それを強引に引いて宿の入口へと向かっていく。
「オイ、まじか、ちょっと待て」
そういいつつも、ユリウスは特に抵抗せず、よたよたとその後ろをついていく。
握られている手に神経を集中させてしまうのは、彼がまだ経験未熟な少年であるからだ。
少女は気にすることなく、宿の扉を開け放った。
「親父!ただいまー!」
「おお、おかえりアリア」
店内は、外の喧騒と比べると、ずいぶんとひっそりしていた。
ユリウスは何気なく店内を見渡した。
外観よりも古ぼけた印象を受ける木製の造りであり、同じく木でできたテーブルと椅子がぽつぽつと並んでいた。
まだ真昼間ということもあり、客らしき姿は殆ど見当たらない。
テーブル席に腰かけているのは、食事をしている若い男性が一人と、先ほど少女がオルガーと呼んだ大男のみだった。
オルガーはこちらに背を向け、ジョッキを勢いよく呷っていた。
「アリア、その人は?」
「あのねー、冒険者志望なんだって!」
ユリウスの手の引く少女は、アリアという名前らしい。
アリアが親父と呼んだ年配の男性は、カウンターの向こうでグラスを拭きながらこちらを見据えている。
頭頂部の髪は薄いが、どっしりとした体格のおじさんであり、一目見るだけで、彼がこの宿の亭主であることがわかった。
彼の背後の棚には酒瓶がいくつも並んでいる。
「ほう……冒険者志望じゃと?」
「ああ、ここで登録ができるって聞いたぜ」
「わかった、じゃあここへ座ってくれ」
亭主は目の前のカウンター席を指した。
ユリウスはそこに腰かけ、その隣にはアリアが着席した。
「知ってると思うが、冒険者になるためには試験なんてものは存在せん。ただ、こちらも人を雇うという立場じゃからな……信用に足りる人物かどうかは、見極めさせてもらうぞ」
亭主はそう言うと、カウンター越しに腰かけ、真っ直ぐにユリウスを見つめてきた。
「冒険者を志願する理由は何じゃ?」
「この目で世界を見て回りたいんだ。それに加えて人助けもできるってんだから、こんなに素晴らしい職業はねぇとオレは思うよ」
「そうか……」
亭主は、一度目を伏せ、短く息を吐いた。
再び顔を上げた時、ユリウスの目の前にあるその表情は、先ほどよりも酷く冷めたものだった。
「同じような理由で冒険者を志願する奴は、掃いて捨てるほどおった。じゃが、現実はそんなに甘くない。世界を見て回りたいと言うが、駆け出しに回ってくる依頼は殆ど雑用みたいなもんじゃ。
この辺りで現実を察して冒険者をやめるやつもおるが、そいつはまだ聡いのう。殆どの奴らは、少し実力がついてきて、危険を伴う依頼を受けるようになった頃、あっさりと魔物にやられて命を落とす。消息不明になるやつもいる。冒険者の死なんてものは……」
「あのよ」
ユリウスは耐えかねて、口を挟んだ。
「言いたいことはわかるけど、そんなことは頭に入ってんだよ。俺が現実を見れてないかどうかは別として、そんな御託を今さら聞いたところで、わかりましたやめますなんて言わねぇよ」
亭主は面食らったのか、目をぱちくりさせると、破顔した。
「ははは、なるほど、覚悟は本物じゃ。それに人も好さそうじゃな」
亭主はカウンターの下から、一枚の紙を取り出した。
「必要事項を記入しとくれ。お前さん、名前は?」
「ユリウスだ」
「ユリウス、猫の目亭にようこそ。わしのことは気軽に『親父』と呼んでくれ。お前さんは今から、冒険者だ」
親父はごつごつした手を差し出してきた。
ああ、ついに自分は冒険者になったのだ。そのあっけなさ故に実感が沸かず、半ば意識がうつろなまま、ユリウスは差し出された手を握った。
「ユリウス!よろしくねー!あたしはアリアだよ!」
「ああ、さっき聞いてたぞ……」
ユリウスはアリアとも握手を交わした。
「アリアはまだ入ってふた月の新米冒険者じゃ。ユリウスが入ってくるまでは一番の新参じゃった」
親父がそう口添えする。
「ふた月といえどあたしは先輩だからね!わからないことはなんでも聞きない!」
「おいおい、まだ先輩を名乗れるほどの器じゃないぞ、お前さんは」
「親父ひどい!」
「現役冒険者としてだったら、アルベルトを頼るんじゃな」
親父はそれだけ言い残すと、カウンターの裏に消えていった。
「アルベルトって……」
「僕のことだよ」
ユリウスから二つ離れた席に座っていた、細身の男が小さく手を振った。
「話は聞いていたよ。僕も君を冒険者として歓迎するよ」
アルベルトはこちらに身を傾け、手を差し出してくる。
端正な顔立ちと柔和な表情が合間って、さわやかな印象を受けた。
「よろしく。アルベルトのことは、ここに来る前から耳にしてたぜ。この街一番の冒険者なんだって?」
握手を返しながら、ユリウスは、冒険者の宿について調べていた時期のことを思い出した。
ここ、リーンという交易都市で一番有名な冒険者といえば、猫の目亭のアルベルトということで満場一致らしい。
確かな戦闘能力と高いカリスマ性を持ち合わせ、どんな依頼でも彼に任せれば間違いなし、と言われている。
ユリウスが、所属する宿をここに選んだ理由の一つとして、彼の存在というのもあった。
「あはは……まあ、噂に尾ビレがついて勝手に泳ぎ回ってるみたいだけど、実際はそんな大したことないよ、僕」
アルベルトは照れくさそうに笑うと、鼻の頭を掻いた。
実際に対面してみて、なるほど、人間性の出来上がってそうな人だと、ユリウスは感心した。
やはり冒険者は、オルガーのような野蛮人ばかりではない。アリアやアルベルトのような、気さくで優しい人も多いではないか。
ユリウスは、これから始まる冒険者としての人生と、宿の仲間との交流を脳内に思い描いた。
ここからだ。オレの物語は、ここから始まる。
それは、ちっぽけな町や村で終わるような物語ではなくて、未知なる困難と出会いと希望に満ちた、壮大な物語なのだ。
今、この瞬間まで、ユリウスはそう思っていた。
「おお、おかえりアリア」
店内は、外の喧騒と比べると、ずいぶんとひっそりしていた。
ユリウスは何気なく店内を見渡した。
外観よりも古ぼけた印象を受ける木製の造りであり、同じく木でできたテーブルと椅子がぽつぽつと並んでいた。
まだ真昼間ということもあり、客らしき姿は殆ど見当たらない。
テーブル席に腰かけているのは、食事をしている若い男性が一人と、先ほど少女がオルガーと呼んだ大男のみだった。
オルガーはこちらに背を向け、ジョッキを勢いよく呷っていた。
「アリア、その人は?」
「あのねー、冒険者志望なんだって!」
ユリウスの手の引く少女は、アリアという名前らしい。
アリアが親父と呼んだ年配の男性は、カウンターの向こうでグラスを拭きながらこちらを見据えている。
頭頂部の髪は薄いが、どっしりとした体格のおじさんであり、一目見るだけで、彼がこの宿の亭主であることがわかった。
彼の背後の棚には酒瓶がいくつも並んでいる。
「ほう……冒険者志望じゃと?」
「ああ、ここで登録ができるって聞いたぜ」
「わかった、じゃあここへ座ってくれ」
亭主は目の前のカウンター席を指した。
ユリウスはそこに腰かけ、その隣にはアリアが着席した。
「知ってると思うが、冒険者になるためには試験なんてものは存在せん。ただ、こちらも人を雇うという立場じゃからな……信用に足りる人物かどうかは、見極めさせてもらうぞ」
亭主はそう言うと、カウンター越しに腰かけ、真っ直ぐにユリウスを見つめてきた。
「冒険者を志願する理由は何じゃ?」
「この目で世界を見て回りたいんだ。それに加えて人助けもできるってんだから、こんなに素晴らしい職業はねぇとオレは思うよ」
「そうか……」
亭主は、一度目を伏せ、短く息を吐いた。
再び顔を上げた時、ユリウスの目の前にあるその表情は、先ほどよりも酷く冷めたものだった。
「同じような理由で冒険者を志願する奴は、掃いて捨てるほどおった。じゃが、現実はそんなに甘くない。世界を見て回りたいと言うが、駆け出しに回ってくる依頼は殆ど雑用みたいなもんじゃ。
この辺りで現実を察して冒険者をやめるやつもおるが、そいつはまだ聡いのう。殆どの奴らは、少し実力がついてきて、危険を伴う依頼を受けるようになった頃、あっさりと魔物にやられて命を落とす。消息不明になるやつもいる。冒険者の死なんてものは……」
「あのよ」
ユリウスは耐えかねて、口を挟んだ。
「言いたいことはわかるけど、そんなことは頭に入ってんだよ。俺が現実を見れてないかどうかは別として、そんな御託を今さら聞いたところで、わかりましたやめますなんて言わねぇよ」
亭主は面食らったのか、目をぱちくりさせると、破顔した。
「ははは、なるほど、覚悟は本物じゃ。それに人も好さそうじゃな」
亭主はカウンターの下から、一枚の紙を取り出した。
「必要事項を記入しとくれ。お前さん、名前は?」
「ユリウスだ」
「ユリウス、猫の目亭にようこそ。わしのことは気軽に『親父』と呼んでくれ。お前さんは今から、冒険者だ」
親父はごつごつした手を差し出してきた。
ああ、ついに自分は冒険者になったのだ。そのあっけなさ故に実感が沸かず、半ば意識がうつろなまま、ユリウスは差し出された手を握った。
「ユリウス!よろしくねー!あたしはアリアだよ!」
「ああ、さっき聞いてたぞ……」
ユリウスはアリアとも握手を交わした。
「アリアはまだ入ってふた月の新米冒険者じゃ。ユリウスが入ってくるまでは一番の新参じゃった」
親父がそう口添えする。
「ふた月といえどあたしは先輩だからね!わからないことはなんでも聞きない!」
「おいおい、まだ先輩を名乗れるほどの器じゃないぞ、お前さんは」
「親父ひどい!」
「現役冒険者としてだったら、アルベルトを頼るんじゃな」
親父はそれだけ言い残すと、カウンターの裏に消えていった。
「アルベルトって……」
「僕のことだよ」
ユリウスから二つ離れた席に座っていた、細身の男が小さく手を振った。
「話は聞いていたよ。僕も君を冒険者として歓迎するよ」
アルベルトはこちらに身を傾け、手を差し出してくる。
端正な顔立ちと柔和な表情が合間って、さわやかな印象を受けた。
「よろしく。アルベルトのことは、ここに来る前から耳にしてたぜ。この街一番の冒険者なんだって?」
握手を返しながら、ユリウスは、冒険者の宿について調べていた時期のことを思い出した。
ここ、リーンという交易都市で一番有名な冒険者といえば、猫の目亭のアルベルトということで満場一致らしい。
確かな戦闘能力と高いカリスマ性を持ち合わせ、どんな依頼でも彼に任せれば間違いなし、と言われている。
ユリウスが、所属する宿をここに選んだ理由の一つとして、彼の存在というのもあった。
「あはは……まあ、噂に尾ビレがついて勝手に泳ぎ回ってるみたいだけど、実際はそんな大したことないよ、僕」
アルベルトは照れくさそうに笑うと、鼻の頭を掻いた。
実際に対面してみて、なるほど、人間性の出来上がってそうな人だと、ユリウスは感心した。
やはり冒険者は、オルガーのような野蛮人ばかりではない。アリアやアルベルトのような、気さくで優しい人も多いではないか。
ユリウスは、これから始まる冒険者としての人生と、宿の仲間との交流を脳内に思い描いた。
ここからだ。オレの物語は、ここから始まる。
それは、ちっぽけな町や村で終わるような物語ではなくて、未知なる困難と出会いと希望に満ちた、壮大な物語なのだ。
今、この瞬間まで、ユリウスはそう思っていた。
ズン、という全身に響くような轟音と揺れが、ユリウスを襲った。
床が大きく跳ね上がり、とても座っていられず、床に投げ出される。
それはユリウスだけでなく、アリアやアルベルト、ここにいる者全員がそうだった。
アリアの一際大きな短い悲鳴が耳を劈くが、あちこちからくぐもった声が上がるのを聞いた。
テーブルの上のグラスや、棚の瓶が一斉に床に落ち、割れると同時にけたたましい音を上げる。
「なっ、なんだ!?何が起きた!」
揺れはその一回だけであった。
ユリウスは慌てて立ち上がり、辺りの状況を確認する。
カウンターの向こうには割れた酒瓶が散らばっており、酷い惨状であった。
しかし、ロビーの方は、元々物がほとんどなかっただけあって、椅子や観葉植物が倒れているくらいだ。
「ねえっ、今のなんなの!?まさか竜の襲来!?」
すっかり怯え切ったアリアが、ユリウスにしがみつく。
竜の襲来……それが現実であっても違和感のない緊迫感が、ここにはあった。
アルベルトは神妙な面持ちで、腰の細剣に手をかけている。
「ンだよぉ、オイ、オレの麦酒が零れちまったじゃねェかァ!親父ィ、おかわり持ってこい!」
「や、ぜってーそれどころじゃねースよこれ。まじやべース」
地面に尻もちをついていたオルガーは、空になったジョッキを掲げながら喚き立てていた。
傍にいた猫背の若い男性は、青い顔でキョロキョロと狼狽している。
「お前たち、無事か?なんだったんだろうな、今のは」
カウンターの奥から親父が顔を出した。二階からもドヤドヤと、冒険者らしき面子が下りてくる。
一先ず、怪我人等がいないことを認識した時、ユリウスはとある違和感に気が付いた。
宿の中が、異様に暗いのだ。
燭台に火は灯っていないが、それは当たり前だ。今はまだ昼の真っ最中なのだから。
しかし、宿の中は、夕刻に差し掛かったかのような薄暗さに包まれていた。
「おい、窓の外……」
冒険者の一人が声を上げた。
つられてユリウスは窓を見る。
先ほどの揺れで割れてしまった窓から見える景色は、先ほどとは明らかに異なるものだった。
「赤い……?」
誰かが呟いた。そう、窓の外を見て、まず最初に感じるのが、赤い、ということであった。
ユリウスの身体は、考えるより先に動いていた。
扉まで駆け寄ると、勢いよくそれを開く。
その先に広がっていた光景が、ユリウスには到底理解できなかった。
大通りを挟んで向かい側にある建物は、軒並み全壊、ないし半壊しており、あちこちから硝煙が立ち上っている。
先ほどまで上空に広がっていた青い空は、血を零したかのような紅に染まっていた。真っ黒な鱗雲が、その赤い空に混沌と散らばっている。
鼻につくのは血と泥の臭い。頬を撫でる風は生暖かく、身を刺すような瘴気に満ちていた。
ユリウスは言葉を失い、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「んだァ、酔っ払ってンのかァ?オレ……」
「やべース、ありえねース、これは……」
「嘘……嘘でしょ……街が……」
「理解不能、荒唐無稽です……起こり得る筈がない……なぜ一瞬にしてこんな……」
宿の中にいた連中も、次々と外に出るなり、阿呆のように立ち尽くすばかりであった。
未知の渦中に飛び込むのが生業の冒険者といえど、想像の範疇を大きく超えた光景に、頭が追いついていないのだ。
その中でも一人だけ、アルベルトは、ふらふらと大通りの真ん中に歩み出て行った。
しばらく辺りを見回した後、ゆっくりとこちらに振り返る。その時、半開きだった彼の口が、いっそう大きく開かれた。
「なんだこれは……この宿だけ……?」
ユリウスたちもつられて、数歩前に出て背後を振り返った。
視界に広がるのは、前面と同じく、倒壊した家屋たちとどす黒い硝煙だ。
しかし、そんな中で、ただの一つだけ、この宿だけは綺麗な形を保っていた。
崩壊した世界に、猫の目亭だけが、取り残されていたのだ。
ユリウスは、がっくりと膝から崩れ落ちた。
冒険者になるにあたって、ある程度のことは覚悟していたつもりだ。志半ばで命を落としたのなら、それも運命だと諦める気でいた。
しかし、この仕打ちは、覚悟の範疇を超えた陰惨たるものだった。
彼の物語は、既に終わっていた。終わりが、始まりだった。
それは、未知なる困難と別れと絶望に満ちた、壮絶な物語なのだ。
この日、世界は滅亡した。
床が大きく跳ね上がり、とても座っていられず、床に投げ出される。
それはユリウスだけでなく、アリアやアルベルト、ここにいる者全員がそうだった。
アリアの一際大きな短い悲鳴が耳を劈くが、あちこちからくぐもった声が上がるのを聞いた。
テーブルの上のグラスや、棚の瓶が一斉に床に落ち、割れると同時にけたたましい音を上げる。
「なっ、なんだ!?何が起きた!」
揺れはその一回だけであった。
ユリウスは慌てて立ち上がり、辺りの状況を確認する。
カウンターの向こうには割れた酒瓶が散らばっており、酷い惨状であった。
しかし、ロビーの方は、元々物がほとんどなかっただけあって、椅子や観葉植物が倒れているくらいだ。
「ねえっ、今のなんなの!?まさか竜の襲来!?」
すっかり怯え切ったアリアが、ユリウスにしがみつく。
竜の襲来……それが現実であっても違和感のない緊迫感が、ここにはあった。
アルベルトは神妙な面持ちで、腰の細剣に手をかけている。
「ンだよぉ、オイ、オレの麦酒が零れちまったじゃねェかァ!親父ィ、おかわり持ってこい!」
「や、ぜってーそれどころじゃねースよこれ。まじやべース」
地面に尻もちをついていたオルガーは、空になったジョッキを掲げながら喚き立てていた。
傍にいた猫背の若い男性は、青い顔でキョロキョロと狼狽している。
「お前たち、無事か?なんだったんだろうな、今のは」
カウンターの奥から親父が顔を出した。二階からもドヤドヤと、冒険者らしき面子が下りてくる。
一先ず、怪我人等がいないことを認識した時、ユリウスはとある違和感に気が付いた。
宿の中が、異様に暗いのだ。
燭台に火は灯っていないが、それは当たり前だ。今はまだ昼の真っ最中なのだから。
しかし、宿の中は、夕刻に差し掛かったかのような薄暗さに包まれていた。
「おい、窓の外……」
冒険者の一人が声を上げた。
つられてユリウスは窓を見る。
先ほどの揺れで割れてしまった窓から見える景色は、先ほどとは明らかに異なるものだった。
「赤い……?」
誰かが呟いた。そう、窓の外を見て、まず最初に感じるのが、赤い、ということであった。
ユリウスの身体は、考えるより先に動いていた。
扉まで駆け寄ると、勢いよくそれを開く。
その先に広がっていた光景が、ユリウスには到底理解できなかった。
大通りを挟んで向かい側にある建物は、軒並み全壊、ないし半壊しており、あちこちから硝煙が立ち上っている。
先ほどまで上空に広がっていた青い空は、血を零したかのような紅に染まっていた。真っ黒な鱗雲が、その赤い空に混沌と散らばっている。
鼻につくのは血と泥の臭い。頬を撫でる風は生暖かく、身を刺すような瘴気に満ちていた。
ユリウスは言葉を失い、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「んだァ、酔っ払ってンのかァ?オレ……」
「やべース、ありえねース、これは……」
「嘘……嘘でしょ……街が……」
「理解不能、荒唐無稽です……起こり得る筈がない……なぜ一瞬にしてこんな……」
宿の中にいた連中も、次々と外に出るなり、阿呆のように立ち尽くすばかりであった。
未知の渦中に飛び込むのが生業の冒険者といえど、想像の範疇を大きく超えた光景に、頭が追いついていないのだ。
その中でも一人だけ、アルベルトは、ふらふらと大通りの真ん中に歩み出て行った。
しばらく辺りを見回した後、ゆっくりとこちらに振り返る。その時、半開きだった彼の口が、いっそう大きく開かれた。
「なんだこれは……この宿だけ……?」
ユリウスたちもつられて、数歩前に出て背後を振り返った。
視界に広がるのは、前面と同じく、倒壊した家屋たちとどす黒い硝煙だ。
しかし、そんな中で、ただの一つだけ、この宿だけは綺麗な形を保っていた。
崩壊した世界に、猫の目亭だけが、取り残されていたのだ。
ユリウスは、がっくりと膝から崩れ落ちた。
冒険者になるにあたって、ある程度のことは覚悟していたつもりだ。志半ばで命を落としたのなら、それも運命だと諦める気でいた。
しかし、この仕打ちは、覚悟の範疇を超えた陰惨たるものだった。
彼の物語は、既に終わっていた。終わりが、始まりだった。
それは、未知なる困難と別れと絶望に満ちた、壮絶な物語なのだ。
この日、世界は滅亡した。