第十五打席「山﨑という男」
毎日、同じ道を通った。
広島市内から愛車を駆って、高速で片道六〇キロの由宇練習場へと向かう。
「おう、山﨑。今日も早いの」
二軍監督の万波さんが、いつものように声を掛けてくれる。そう言いつつも、この人が毎度一番早く由宇に来ている。この熱心さがアイロンズフロントに評価されているのだろう。でなければ、こんなに長期にわたって二軍監督で居続けられるわけがない。
ユニフォームに着替えて、準備体操、ランニングなど。これはいつもの流れ。そこから、キャッチボールをしてから、ティーバッティング。俺も、今年でプロ生活九年目を迎える中堅だ。年だって三十一歳。やるべきことはとっくに染み付いている。
そして、打撃練習。打撃投手が投げてきてくれる球を、黙々と捉える。
打ち続ける中、たまに振り返る。万波さんが俺を見てくれている。その瞳には、何の熱もない。そう感じて、少し焦りを感じてしまう。今年に入ってからは、いつもこうだ。
見届けている、そんな風。
かつての目とは違う。昔だったら、もっとこう、ギラギラとした瞳で俺を見てくれていた。
万波さんが老いたとか、そういう話じゃない。現に他の若手の打撃練習は、そんな目で見ているじゃないか。
真実は、いつもシンプルだ。今の俺は、万波さんからギラギラした目で見られるような選手ではない、ということ。
三十一歳になった。
二〇二二年の夏は過ぎ、未だ一軍から声が掛からないままだった。
安芸島アイロンズ 山﨑太郎外野手(背番号五十一) 通算成績
二〇一四〜二〇一六年 一軍出場なし
二〇一七年 六十五打数二〇安打 打率三割八厘
二〇一八年 四三〇打数百三十九安打 打率三割二分三厘(規定打席未達)
二〇一九年 五百五十六打数百八十二安打 打率三割二分七厘 首位打者 シーズン全試合出場
二〇二〇年 三百四十二打数百十八安打 打率三割四分五厘(規定打席未達)※オリンピック中断前までの成績
二〇二一年 十五打数一安打 打率六分七厘
二〇二二年 一軍出場なし
通算成績 三百五十六試合 一四〇八打数四百六十安打 打率三割二分七厘(四〇〇〇打数未満のため通算打率ランキングには掲載されず。なお、成績は二〇二二年九月二十二日現在のもの)
結局、今年は二〇一六年以来六年ぶりとなる一軍出場なしで終わってしまった。
俺は、ある覚悟を秘めて、契約更改のテーブルへ向かった。
この成績では、もう、何と言われても仕方がない。なんせ、丸二年も全く働いていないのだ。
年齢だって重ねた。二〇一六年の頃は、今思えばまだ余裕があった。『あと一年は契約してくれるだろう』というような、根拠のない楽観さだ。それは、若さゆえのものだった。
だが、来年三十二歳の俺に、かつてのような余裕はない。
この六年で、随分と立場が変わった。
一軍にいるのが当たり前になった。"左殺し"と呼ばれ、人気が出た。日本シリーズMVPを獲った。首位打者という栄誉を得た。さらに東京オリンピックの日本代表にまで選ばれた。そして--そこから転げ落ちた。それも、弁解不可能なほど、真っ逆さまに。
客観的に見るまでもなく、主観的に見ても明らかな事実がある。
俺はすでに、プロ野球選手として盛りを過ぎている。
終わりがもう、すぐそこまで迫っている。分かっている。
ただ、俺は、もうすぐそこに待ち受けているであろう終わりが、恐ろしくて、恐ろしくて、仕方がない。
『お前はもう要らないから』
『これまでご苦労じゃったの』
『これからは、裏方としてチームを支えて欲しい』
嫌だ。嫌だ!
俺はまだ、選手でありたい!
だって、まだ、成し遂げていない。まだ、たったの四百六十安打しか打っていないじゃないか!
あの日、あの日だ。そう、園田さんの引退式の夜。園田さんは俺に言った。
『二〇〇〇本打て』
そう、確かに言っていた。そんなようなことを。
現実的に難しくても、まだ、目指すことを諦めたくはない。
目指したいんだ、園田さんのイメージの中にいる自分を。そのためには、選手であり続けなれば--
「今年"も"残念だったな、山﨑」
それだけ言って、契約更改の責任者たる本部長は、契約書を俺の前に置いた。
ん、契約書がある……ということは。
「…園田一軍新監督が、まだお前に期待しとる。それに、お前は二軍でも腐らずしっかりやっとるし、何より功労者じゃ。年俸はここまで下げざるを得んけど、やるか? どうじゃ? もし気持ちが切れとるなら、判をつかんでもええけどの」
気持ちが切れている? そんなわけない。
…そんなわけ、あるかッ!!
「…念のため、判子を持ってきておいて良かったですよ」
年俸額は見ていない。俺の今年の年俸は四〇〇〇万円だったが、そこから協定を超える大幅な減額は確実。それは当然だ、何もしていないんだから。貯金はしてあるから、来年税金が払えず困る--なんてことはない。
契約してもらえるだけで、有難い。
ただ、このままだったら、来年が最後だ。来年もこのままなら、プロ野球選手としての俺は、完全におしまい。
来年は節目の十年目。最後の勝負が、幕を開けようとしていた。
シーズンオフの恒例行事があった。
「どーも、お久しぶりです!」
名古屋の高級ホテルのロビーで、いつものように待っている男。洗川だ。年々、派手さは増していっている気がするが。そこはさすが、バリバリのメジャーリーガーだけのことはある。
俺は、笑顔になり切れず、フラッと手を上げる。こんなはずではなかった。
二〇一九年、洗川はメジャー一年目でワールドシリーズ制覇の一員となっていたが、俺だって日本で首位打者を獲っていた。
二〇二〇年には、ようやく左手のギプスが外れた頃だったが、翌年の復活に向け、モチベーションは高かった。
昨年は、思い描いていたような打撃が全く出来ず、復活に失敗。すでにメジャーリーガーとしても一流の成績を残していた洗川との開き過ぎた距離に、引け目を感じずにはいられなかった。
そして、今年だ。去年に輪をかけてどうしようもない。
正直、今日来るのも迷ったくらいだ。だって、合わせる顔がないじゃないか? 相手は今や超のつく一流選手だぞ。一方、一軍出場なしのクビ寸前選手。こんな無残なコントラスト、あるか?
洗川は相手の立場で態度を変えるような男ではない。それが、余計に辛いんだ、俺には。
「…確かにメジャーのピッチャーはレベル高いですけど、とにかくアジャストしちゃえば、むしろ日本よりヒットは打ちやすいんじゃない? ってカンジですね〜。個人的な感覚ですけど!」
ホテル最上階の会員制高級バー。毎年、洗川とはここで会っている。メジャーへの願望を、ここで俺に話してくれた。それが、洗川にとっては何かしら意味を感じていることらしかった。
「オレ、ぶっちゃけ全然英語いまだにダメなんすけど、不思議なもんで悪口は聴き取れるようになってきましたよ! ジャップ! って言ってる時は、ああオレのことバカにしてんだな? って分かりますし。そん時は、めっちゃ打ちまくってやろうって燃えますよね〜」
「…そうなんだ」
「あー、ザキさんはなんか、元気ないっすね?」
そこまで暗い声だっただろうか。洗川にすら心配されてしまった。
「…お前はすごいよ、すごい。すごすぎて、正直、ちょっとしんどいんだ。俺があまりに小さいから……」
情けない。だが、プロ野球選手にとっては、成績こそが全てなんだ。それが、二年連続で欠け落ちてしまった。ケガの影響などとは言いたくない。それは、心を自傷するだけの意味しか持たない言葉だ。何の生産性もない。
俺を見る洗川の顔は、キョトンとしていた。
「…どうした?」
「いやぁ、オレはザキさんのことめっちゃスゴい人だと思ってるから、ビックリしちゃって」
すごい? どこが? 本当に分からない。俺と洗川の目線は全く違う。これはずっと変わらないままだ。凡人と天才の違いが、こういうところに出る。
「分かんないな、どこが?」
「うーん……いや、オレだったらですよ? もし手首の粉砕骨折なんてしちゃったら--今頃、ハワイで悠々自適の毎日を過ごしてるんじゃないかな。そうです、きっと」
「ハァ?」
「だって、もうどう考えたってホネ砕ける前のバッティングが戻らないわけじゃないですか、そんな大ケガしちゃったらさ? なら、辞めますよ。それだけです。"野球以外の人生楽しむモード"に入りますっていう」
洗川らしい。吹き出しそうになる。この執着のなさ、羨ましいようで、別に羨ましくない。自分にはどうしたってこうはなれないというのが明らかだからだ。そこまで才能がないから、執着してしまう。それが俺だ。
「だから、スゴイなぁって。ザキさん、諦めないじゃないですか。手首が終わってても、まだ復活しようとしてる。ムリだと思いますよ、オレなら。でもしようとしてる。スゴイです! 自分の過小評価っぷりも含めてヤバいです!」
「あぁ、そうかい」
「なんていうか、ゴキブリ並ですよね! 粘りが!」
大声で洗川がそう言うと、他の客の目線がこちらに突き刺さって、激痛だった。
「…お前、こんな良い店で、そのワードはダメ……」
「ガンバってくださいよ、ザキさん。ゴキブリ並の生命力、海の向こうからネット動画かなんかで観てますから! ここまできたら、絶対上に戻ってくださいね!!」
「ああ、はいはい、わかったわかったっ! やりますよ! やってやるよッ!!」
不思議なものだ。会いたくないと思っていたのに、実際に会ってみると、なぜか勇気付けられてしまう。
あるいは、見透かされていたのだろうか?
『この人、本当はもう諦めてる』
そんな風に見えたのだろうか? いつも真実を見抜く男だ、洗川というのは。
ゴキブリ並、か。
そうだ、それでいいじゃないか。今更どうして体裁を気にする必要がある? このままなら、どうせ来年で終わりなんだ。
どんなに生き恥を晒してもいい。みっともなく見えたっていい。いい歳して必死なヤツ--そう思われたって、別にいい。
俺は、残された力で、プロ野球選手として生き切ってみせてやる。その姿を、誰かが見ていたとしても、あるいは誰も見ていないとしても、構わない。好きにしろ。
来年、二〇二三年、節目のプロ生活十年目。来たるその年を、ここまでの九年全てに匹敵するような濃度で過ごしてやる。生きる、しぶとく。
俺はここまで、思い込みの強さでやってきた。
短距離走をすれば、チームから数えて下のタイムだし、筋力も平均以下。守備を評価されたこともない。俺の武器は、思い込むことだった。
忘れもしない、プロ四年目。人生の変わったシーズン。当時のアイロンズ一軍代打の切り札、園田さんの手首骨折から舞い込んだチャンス。たまたまその時、二軍で左投手をよく打てていたから、俺は自分を騙そうとした。
『お前は左殺しだ』と。別にそんなことはなかった。本当だ。ただ、具体的にイメージすることで、身体が本当に"そう動いて"くれた。それは俺にとって革命的な出来事だった。
イメージで人生は変わる。そう心から信じられた。
だが、今。イメージだけで全てを乗り越えられるわけではないと、痛いほど突きつけられていた。
まだ動体視力は大丈夫だ。体の衰えも感じない。それなのに、スイングが鈍い。首位打者を獲ったシーズンの半分以下のスピードではないか、と思われた。
練習はサボっていない。むしろ、やり過ぎるくらいにやっていた。このままでは今年で最後という危機感も背中を押したが、まるで成果に繋がらない。
いくら練習しても、あの、オリンピックまでのバッティングが返ってこない。
球は本当によく見えている。二軍の投手の球など打ちごろだ。なのに、捉えられない。球に力が伝わらないから、ボテボテのゴロになったり、平凡な内野フライになったり。酷い時は、何試合も続けて外野にボールが飛ばなかったりした。
思い込みだけでは超えられないものの正体が、俺にはハッキリと見えていた。
悪魔は、俺の左手に潜んでいる。
あの日、輝かしいオリンピックの緒戦。オーストラリア投手の豪速球が直撃した手首は、粉々に砕けていた。今にして思えば、よく試合終了まで見届けられたものだ。どれほどの量のアドレナリンが出ていたのか、興味深くもある。
当然、オリンピック後のシーズン後半戦は全休。ギプスが取れたのも、その年の暮れ前だった。忘れられないのは、その年の契約更改。シーズン半分近く働いていない選手に対して、なんとかなりのプラス提示をしてくれたのだった。前半戦の打率が非常に良かったことと、オリンピックでの怪我を公傷扱いしてくれてのことだった。
俺は、この時、『今後のプロ生活、どうなろうと、現役はアイロンズで終えよう。アイロンズから必要とされなくなった時が、俺の引退の時だ』と、心にそう誓った。
必要とされなくなる時が迫っている。
手首はとっくに完治している。それは医師のお墨付きだし、骨折前より可動域が若干狭まったこと以外、特に影響は感じていなかった。
恐れているのは、身体だ。脳は、全力でスイングすることを命じている。それに逆らっているのだ、身体が。
『また壊れたらどうするんだ!』
『俺はもう、あんな痛い思いをしたくない!』
--そんな風に、身体が声にならない悲鳴を上げている。どう克服していいかさえ見当もつかない。
ただ、一つ間違いないこと。
こんな欠陥を抱えていては、国内野球リーグの最高峰たるプロ野球でプレーすることは、許されない。何よりも、俺自身がそれを許せない。
潮時だ。
「山﨑」
万波さんが珍しく真剣な顔で話しかけてきたので、もう大体察しはついていた。時期的にも、シーズン終盤の九月中旬。
知ってる。
俺はもう、飽きるほど見てきた。この時期、崖っぷちの選手に真面目な顔で話しかけてくる時は、アレだ。アレだよ。
この時、俺は瞬間的に"それ"を遮ろうとした。ただ、阻止するためじゃない。今さら、そんな足掻きをするつもりは毛頭ない。
「万波さん……今年で勇退されるって、本当ですか?」
「お前、どこからそれを……あぁ、本当じゃ。もう十年やったからのう。ええじゃろ、潮時じゃ。二軍監督は、"ウンと若いやつ"に譲るわ」
「…俺がここまでの選手になれたのは、万波さんのおかげです。一年目から、温かくも厳しく指導して頂きました。おかげで、俺のような大した才能を持たない選手でも、プロの世界でやれる最低限の実力を身につけられたと思ってます」
万波さんは、俺の謝辞に怪訝そうな表情を浮かべ、言った。
「…お前は、最後まで自分を過小評価し続けたのう。その性格、プロの世界じゃ稀少品じゃ。もっとも、生きてく上じゃあ、それが良い方に転んだ思うがの」
洗川も、万波さんも、俺が自身を過小評価していると思っているのか。でも、自分自身では、過小評価してるとは思ってないんだけどな。
俺はよくやった。
正直言って、あの時骨折していなければ、通算成績はこんなものでは終わらなかっただろう。もっともっと伸びたと思うし、状況が上手くハマれば二度目の首位打者も獲れたかもしれないし、一億円プレイヤーにもなれただろうし。
でも、そこまでいったら、出来過ぎだ。
俺がここまでこられたのは、本当にすごいことだ。
心から、そう思う。
「…万波さんと一緒に辞められるなら、それもいいですね」
「お前、もう心に決めとったか?」
「はい。分かってました。もう、良かった頃のバッティングが戻らないことは。全力でやって、こんななまくらなスイングしか出来ないようじゃ、もう……アイロンズに、俺の居場所はないです」
「…お前は、よう頑張った。特に、怪我してからの三年間じゃ。誰よりも早く来て、誰よりも遅く帰ったんじゃけぇ。努力は時として人を裏切るが、辛い時を懸命に過ごしたことが、次の舞台できっと生きるんよ」
そう言って、万波さんはスマホを取り出して、電話を掛けた。
相手は分かってる、園田監督だ。監督が出る前に、これだけは万波さんに言っておきたい。
「あの、俺の引退のことは、フロントと園田監督以外にはまだ話さないで下さい! 監督にも、言わないようにお願いして下さい!」
万波さんは、頷いてくれた。
二〇二三年九月三〇日、大安。
俺は、真実をごく限られた人しか知らない状態で、現役最後の試合に臨もうとしていた。
場所は、原点、カスガDOOMDOOMスタジアム。
大方長期政権を引き継いだ園田監督は、新人監督とは思えぬ的確な選手起用と、高いモチベーション管理能力を発揮して、アイロンズを圧倒的な強さでリーグ制覇に導いていた。そのおかげで、今シーズンのうちに引退試合が出来るというわけだ。
ただ、現時点では、真実は極々一部の人しか知らない。
懐古的な目で見られたくはなかった。これは、最後の意地、最後のワガママだ。
果たして俺は、輝いている姿を、ファンに、そしてプロ野球選手達に見せられるか?
打順は、三番ライト。横村の前を打てるとは、有難い。しかも、顔見世的な一打席限定ではなく、フル出場させてもらう予定になっている。
思い出を作ろう。あと一つだけでいいから。
見せよう。山﨑太郎という選手の、今の姿を。この世界で生きてこられた、その事実を証明しよう。
今日は、全てに意味がある。
さあ、行こう。