第四打席「ラッキーボーイ山﨑」
運というのは大切だと思う。
プロ野球史上、名選手と呼ばれた人物は数多いる。ただ、その名選手達の中でも、チームのリーグ優勝という最高の歓喜に当事者として立ち会えなかった人間もいる。
俺は名選手でも何でもないが、今、こうしてビール掛けの輪の中で人生最高ともいえる高揚感を味わえている。
俺は運がいい。リーグ連覇。安芸島アイロンズ黄金期の始まりとも思える"今"に身を置けている。主力選手が皆若く、且つそれぞれが球界屈指と言われる実力を備えている。控えの層も厚く、主力の何人かが怪我で抜けても十分に穴埋めできる。昔と違って、現在のプロ野球は主力が全試合出続けるようなことはあまりない。適度に休養を与え、シーズンを通して選手のパフォーマンスを維持させることが優勝を狙う上では必須と考えていいだろう。主力選手に頼りきりでは優勝を成し遂げることの難しい時代になったのだ。
ただ、それを可能にするためには、当然ながら『厚い選手層』が求められる。全てのチームが持ち合わせているかといえばそうではない。現代野球は、スターティングメンバーの字面で順位が決まる時代から脱却し、真の総合力を持ち得るチームこそがペナントレースを制するようになったのである。
安芸島アイロンズは、まさに今、そうしたチームとなりつつある。長年低迷が続いたチームにやっと訪れた黄金期。その始まりの時期に在籍できたことは、俺の人生における最大の幸運だ。
「カントクー!」
他の皆を真似して、俺も大方監督にビールをかける。ついでに横にいた取材の女子アナにもぶっかける。毎年ニュースで見ていた光景なので、やってみたくなったのだ。
大方監督は顔を手で拭いながら、苦笑いを浮かべている。目が笑っていない。ヤバい、目か鼻にでも入ったか、と一瞬背筋が凍る。でも、いいのだ。いいはずだ。だって今日は無礼講だから。女子アナの方といえば、もう散々色々な選手にかけられまくっていて、もう髪はずぶ濡れである。服はさすがに雨合羽で完全防備をしているが、フードは被せていない。そこはアナウンサーの意地だろう。
「"左殺し"! 山﨑選手もアイロンズ後半の貴重な戦力として活躍しましたね!」
女子アナからそうマイクを向けられる。コメントなんて何も用意していないし、もうアルコールを皮膚のあらゆる穴から取り込んでしまっているような有様なので、まともに考えられない。そもそも考えて喋るだけの猶予もない。
「はい! 今ここにいるのはただのラッキーです! ラッキーが続くようにこの後も頑張ります!」
考えていないと、普段から思っていることが口を突いて出てしまう。
【最後は"左殺し"! 山﨑決勝打!】
【アイロンズ日本シリーズ進出! 『去年の忘れ物を取りに行く!』大方監督吠えた! "左殺し"が右も殺した!?】
【日本シリーズ アイロンズ最速王手! またまた山﨑! ラッキーボーイじゃ~!!】
シリーズ男、短期決戦の申し子。色々呼び方はあるが、世間的に最もポピュラーな呼ばれ方は『ラッキーボーイ』だろうか?
これまでプロ野球をずっと観てきて、そんな風に呼ばれていた選手は、決まってシーズンでは主役じゃなかった選手だった。敗戦処理だったはずの投手が、日本シリーズで先発に回って二勝したり。
繰り返す歴史の中に俺もまた巻き込まれたのか。
どうやら、クライマックスシリーズから日本シリーズ第三戦にかけて、アイロンズのラッキーボーイは俺のようだ。
安打数は大したことない。ポストシーズン五安打である。左投手相手ではスタメンで使われ、右投手では控えに回る状況は変わっていないが、何しろ勝負を分けるような場面で打席が回ってくる。そこまでは全然当たっていないのに、そうした場面でバッターボックスに立つと、異常なまでに集中出来てしまう。大歓声も耳に入らず、まるで世界から音という音が消えて、全ての動きがゆっくりに見えるような、そんな感覚に囚われるのだった。
これはあれだろうか、何人かの伝説的な選手が自伝やインタビュー等で語っているような、所謂"ゾーン"状態というものなんだろうか?
『ボールが止まって見える』――そんな名言を遺した歴史上の偉人もいる。そんな偉人と自分とをなぞらえるのは不遜も不遜、自惚れこの上ないのは重々承知なんだが、こんな感覚はもう二十年近く野球を続けていて初めてなのだった。
この感覚がずっと続くなら、打撃タイトルを総なめに出来るとさえ本気で思う。ただ、それは不可能なことは当然分かっている。まず、"ゾーン"の入り方がさっぱり分からないのだ。
どんな条件下で起こるのか。また、確実に起こるのか。さっぱり分からない。狙って出来るものでないことは確かである。むしろ、意識すればするほど遠ざかってしまいそうだ。
事実として、日本シリーズ進出を決定づけたタイムリーヒットと、昨日の日本シリーズ第三戦の逆転二点タイムリーツーベースは、間違いなく"ゾーン"だった。そういう、極まった状況でこれまでのところは起こっている。当然ながら、打席に立つときは毎回集中している。そのレベルではない状態になってしまうのである。
もう一度起こるかは分からない。分かるわけもない。ただ、起きたらいいなとは思う。この感覚があれば、相手が右だろうが左だろうが、メジャーリーガーだろうが、何にも関係ない。というか、打者が俺である必要すらない。小学生立たせたって打てる。そのくらい、反則級のものだ。
ラッキーボーイというより、サイキックボーイである。
今シリーズ、アイロンズは日本一を逃した昨年の雪辱を果たすべく、緒戦から猛チャージをかけた。今や日本プロ野球界の新たな盟主となりつつある北九州プラムズを圧倒し、本拠地のドムスタで連勝。移動日を挟んで、相手の本拠地の北九州市に乗り込んでも、その勢いは衰えなかった。トドメは俺のタイムリーであったが、そこに至るまでの投手陣の頑張りも見事だった。
そして、今日。四タテで三十三年振りの日本一を一気に決めてしまえるか。もし今日落とそうものなら、プラムズも最強球団の名に懸けて逆襲を仕掛けてくるだろう。三連勝からの四連敗などということも、歴史を振り返れば決して珍しくないのだから。
シリーズの命運を分けそうなこの一戦、俺は六番ライトで先発出場することになった。
「右投手なのに」
つい漏らしてしまう。驚いた。予告先発制度のため、今日の先発が右投手であることは予め分かっている。それなのに、シーズンの対右打率一割台の選手を使うとは。
監督も勝負を懸けてきているのだ。
「シーズンとシリーズは別だからな。それに、今のお前を使わないのは惜しい」
良い意味で過去に囚われないこと。さすが、監督就任二年目でチームをリーグ制覇に導いた名将である。これで俺が四タコでもしようものなら、采配ミスとマスコミに叩かれまくる運命にあるというのに。
これで意気に感じないのは男じゃない。
「…今日を境に、"右投手も殺せる左殺し"になってみせますよ」
根拠もないことを、あえて言ってみた。