―――――夜。
人気がなくなった町。石畳の道路を照らす街燈だけが怪しく並んでいる。初秋の風が吹き、揺れる街路樹。
商店が集中しているこの地域では、ほとんどの人間が店と家を別にしており、営業時間が終わると皆一斉に郊外の家へ帰ってしまう。日中の商いの賑やかさとは真逆の雰囲気が、日没とともに訪れる。
大通りも灯りがついてはいるが、風に当たる街燈が時々カランカランと音が鳴る以外には、何も動く気配がない。
夜の店もあるにはある。が、ここより一本向こう側の大通り沿いにあるのでざわめきは届かず、ひたすら静かな闇が辺りを包んでいる。
そんな中で、レンガ造りの建物の間、路地裏の向こうにただひとつ、深夜も空いている店が看板から強い光を発していた。コンビニだ。
中には一人の店員と数人の客がいる。店の外では2、3人がダストボックスの前で煙草を吸っている。
その様子を、向かいの古びたレンガビルの下、換気口の朽ちかけ錆だらけになった柵の間から、トコは眼だけを覗かせるように眺めていた。
(まだ人が多くいる・・・・!)
その内数人はよく見かける。常連なのだろう。自分を見つけたら親しげに手をあげてくれたりする。顔なじみだ。だが他の数人の顔は知らない。自分にどういう反応を見せるか分からない。むやみに出ていくと危ない。
狙うは、店内の焼き魚弁当。
近ごろのコンビニの弁当は、頑丈なビニールで全体を覆った包装をしているから、多少手荒に運んでもすぐにはこぼれたりしない。非常にありがたい。まるで現在の自分の為に研究を重ねてくれていたかのような進化だ。
だが店には敵がいる。一人、確実にいる。
店員だ。
そいつは常に、焼き魚弁当の傍に立っている。それもそのはず。コンビニの弁当コーナーは、なぜかどこの店に行ってもレジのすぐ横にあるからだ!
その場所は適切ではない。むしろあそこには冷凍食品を置くべきだと思う。なぜならば、氷は解けやすい。戸を開けて空気に触れ手に持った瞬間から、ものすごい速さで解け始めるのだ。素早くレジへ持っていき出来る限り最良の状態で会計を済ませ無事に消費者の手に渡るためには、いま焼き魚弁当が置いてあるコーナーへアイスクリームだのシャーベットだのといった冷凍食品を並べるべきだろう。シビアな世界には効率と合理性が必要だ。そうなったら、晴れてこちらも弁当コーナーからレジまでの距離が伸び、より簡単に盗りやすく―――――なるんだが、そもそも、こんな現実味の無い妄想を思い巡らす為に自分は今、こんな狭苦しい穴からコンビニを眺めているわけではない。
(中々人が減らないなあ・・・あんまり待ってるとシエが心配しちゃうよ・・・!)
もう少し粘ってみたいが、こちらも時間に限りがある。トコは静かに換気口から這い出て、そして建物に沿うように小走りでコンビニへ近づいていく。
(おちつけ・・・落ち着け・・・!もう何度も成功してきたじゃないか・・・!)
いつも、この近づいていく時が一番緊張する。まだ見つかっても逃げ切れる距離にいるのに、店内を走るよりも心臓が悲鳴をあげそうになるのだ。
姿勢をできるだけ低くして進む。ビルからコンビニまでの細い通路を慎重に渡り、看板の光が届かない店の壁の影に身をひそめる。店の前に行っても、人の出入りで自動ドアが開かないと中へは入れない。自分の体重ではドアは開いてくれない。だから、ひとまずここで待機だ。
「・・・・・・。」
顔を半分だけ覗かせて、様子を見る。
と、
「!おおークロ助、今夜も来たなあ」
「!!」
顔半分だけ出していただけなのに、店前で煙草をふかしていた常連の一人が目ざとく自分を見つけて、声をかけてきた。いつも同じカーキ色のジャンパー(所々破れている)を、紺の作業着の上に羽織っている白髭のおじさんだ。一番トコを可愛がっている。
(クロ助じゃないぞ、僕はトコっていうんだ・・・!)
言っても聞いてはくれないのだが、しかたない。挨拶ついでに走り寄って、軽く体をこすりつける。中の店員に見られやしないかと内心ハラハラしながら。
「あのさ、おじさん。僕のことクロ助って呼んでるけど、本当はトコって名前がちゃんとあるんだよ!おぼえてよう!」
一応、毎回訂正を試みてみる。
「がはは、なんだ今夜もよく懐いてよう。」
・・・やはり、トコの言葉は通じてはくれない。向こうにはただ高くて伸びた声を出しているだけにしか聞こえないのだろう。
「はっ、それよりも焼き魚弁当・・・!」
今は彼と会話している暇は無い。早く獲物を確保して帰らなければ。
「ほれ、ツナパンやるよ。食べ、食べぇ」
(!うはっ、ツナパンだぁ!僕の大好きなバクバクもぐもぐ・・)
好物を目の前に置かれたらたまらない。トコは目的も忘れてパンに飛びついた。
ガバッ
「じゃなくってぇ!!!!」
・・・のは、一瞬で。
「おお?なんだ今日は食欲無いのかよクロ助、ミルクもあんだぜ?」
(えっミルク?!わぁいっピチャピチャ・・・)
ガバァッ
「・・・ッじゃなぐっでぇ!!!」
二度も釣られてしまったトコ。重大なる失態。
「べべッ ・・そうじゃないから!大体おじさんさ、僕にかまいすぎなんだよ!僕には目的があってこのコンビニに来ているんだから、もう少し・・・」
通じないのも構わずトコがミルクを振り飛ばしながらトコは常連にまくし立てた。そうしないと気が収まらなかった。大事な狩りの時なのに。
そんな最中に、
ガー・・・
「またお越しくださいませー」
「!!!」
自動ドアが、開いた。
夜のコンビニ
―――――チャンスというものは、何の前触れもなく突如として訪れる。
「またお越しくださいませー」
コンビニの自動ドアが開いた。中の客が一人出る所だった。
来た。今だ!
トコは身を翻し駆け出した。
「おおい、急にどうしたんだぁクロ助?」
常連の声なんて耳に入れてやる余裕はない。走れ、走れ!
ドアと客の足の間をすり抜け、店内へ入った。
(っ!眩し!)
まるで朝の様な強い光の空間に急に来たので、一瞬目がくらむが直ぐに頭をはっきりさせて、まずは弁当コーナーの近くのスウィーツの棚の下へ潜りこむ。自動ドアが閉まる音が聞こえた。狭い棚の下で這うようにゆっくり方向を変え、レジの店員の様子を見る。トコが店内に入ったのは、まだ気づいていないようだ。
(よし、ここまでは順調だ。弁当は・・・・ある!まだ買われてないぞ)
できれば客がにぎわっている時にどさくさに紛れて奪いに行きたいのだが、生憎今は深夜時刻だ。せめてまだ残っている2、3人の客の誰かがレジで会計をして店員の気を紛らわしてくれないだろうか。
(ここで一旦、足止め・・・・だね)
身動きせずに息をひそめて、次のチャンスを待つ。
かつての自分は、こんな生活が来るとは微塵も思っていなかった―――。
暖かい木造の家で、両親と祖母と穏やかに暮らしていた。友達も多かった。学校が終ると、よく幼なじみと遊びながら帰った。家に入ると、大抵は大好きなかぼちゃのポタージュを母が作ってくれていて、家の中いっぱいに匂いが広がっていた。窓の花瓶は毎日新鮮で明るい色の花が替えられていた。父の帰りはいつも遅くなくて、夕食は家族全員が揃っていた。笑顔の絶えない、何も不安のない楽しい家庭で――――
なのに、どうして。・・・どうして?
ガー・・・
「らっしゃーせー」
「!」
現実に戻された。音がした方向を見る。待っているうちに、ついうとうとしてしまっていた。客が新たに入ってきたようだ。若い青年に見えた。
青年の客は商品を眺めることなく、真っ直ぐレジに向かっていった。
「すいません、ここの通りをどっちへ進むと駅に・・・・」
どうやら、買い物ではなく道を尋ねに来ただけらしい。店員が言葉を選びつつ説明していた。店員が会話に集中していて、注意を商品から逸らしている。弁当はまだ誰にも買われていない。
だがトコの顔は、弁当の方にもレジのほうにも向いていなかった。
出入り口の自動ドアに。
そこへ向かって、長い間雑誌コーナーに居た客が、立ち読みを終えて店を出ようと歩き出しているのが見えたからだ。
まもなく自動ドアが開く。店員は道案内に集中している。
(・・・・今だ!!)
棚の下から素早く這い出て、焼き魚弁当に飛びつき角を咥える。牙をフタの部分に差し込みしっかり固定して持ち上げる。
「え・・・?あ!アイツ!」
物音で店員がトコに気付いた。目が合う。トコは店員を睨み付けた。道を聞いていた青年もこちらへ顔を向け少し驚いた顔をする。元立ち読み客がドアの前まで来る。自動ドアが開く。床に飛び降りダッシュするトコ。
「またかクソ猫!待てぇ!!」
怒鳴りながらレジから走り出てくる店員。店員の声でトコに気付き、振り向いて下を見ようと顔を動かす立ち読み客。足はもうドアの向こうに踏み出していた。追いつこうと弁当を咥えながら出口に向かって無我夢中で走るトコ。
「待てっつってんだろ!!」
バキャン!
「ぎゃっ?!」
何かがトコの背中にぶつけられた。衝撃で少しよろめいたが、弁当を離すわけにはいかない。後ろも振り向かずとにかく走った。閉まりはじめる自動ドア。丁度、弁当の幅まで迫ってきているところで、トコは更にスピードを上げ、ギリギリをすり抜けた。
「ああ!またやられたああ・・・!また俺店長に怒らr・・・」
店員の嘆く声がするが、コンビニから離れるにつれて聞こえなくなった。
トコは、出てきた向かいのレンガビルとは違う方向へ走り続け、足音も無く夜の闇へ消えていった。
「ははぁ、今日もやらかしたなあクロ助。またな~!」