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 グシャ……。
「兄貴、こいつを試してみますかい?」
 俺を踏みつけながら、何者かが言う。
 ガチャッと音が鳴った。
(引き金……?)
 俺はとっさにそう思って恐怖を感じた。殺される覚えならいくらでもあったからだ。
「まあ待て。確かにそいつは魅力的だが、試すのは『こいつ』だ」
「へっ……? また『こいつ』ですかい?」
 バキッと音がした。
「よく見てみろ。あの小僧らに使ったのとは別物だ」
「った。……なんだか同じにしか見えませんけどねえ」
「当たり前だ、バカ。カプセルなんかで見分けがつくか」
 バゴッとまた音が響いた。
「こいつはな。あんなヘボ薬とはわけが違うんだよ。このカプセルの中にはびっしりと食人バクテリアが詰まっているらしい。後は放っておけば数時間で跡形もなく食い尽くしちまう。証拠どころか死体も残らねえ」
「大丈夫なんですかい?」
「心配するな。バクテリアは空気に触れると死んじまう、俺たちに被害がくることはない」
「また都合よくできたもんですね」
「そうだな。だがそんなことは俺たちには無意味だ。そうだろう?」
「そうです」
「ともかく、こいつで死体を始末して、あとは失踪ってことにしちまえばいいんだ。それでこの事件は終わりだ」
「はあ、まあ、楽っちゃ楽ですけどねえ」
「これは上からの指示なんだよ。俺たちはそれに従うだけだ」
 パカッと箱を開く音がした。
「ほら、口開けな」
 スッと目の前にカプセルが差し出された。
 髪の毛を捕まえられ、強引に頭を持ち上げられる。
「うあっ……」
 思わず開けた口にカプセルが放り込まれた。
 本能がこれは危険なものだと告げている。これは飲んではいけない、と。
 だが――。
「ほら、よーく味わいな」
 顎を押さえられ、大量の水が口に入ってくるのに俺は抵抗できなかった。
 ゴク――。数秒後、自分のノドが鳴る音がはっきりと聞こえた。

「あばよ」
「組織を調べようなんてしたことをあの世で呪うこった」
「そうそう、そのカプセルには死の直前に絶景が見られる成分が含まれてるって話だ。最後にいい夢でもみるんだな」
 そう言って去っていく二人の姿が次第にぼやけていく。脳が妙な感覚に襲われる。このまま意識を自然に任せてもいい、そう思える感覚だった。
 グルグルと目の前に映像が映っては消え映っては消えてゆく。思考が奪われてゆく。徐々に思考が停止していくのがわかる。
(ハッ……!)
 意識が途切れようとした瞬間、ふと娘の姿が思い出された。
(……そうだ娘が、娘が待っているんだ。戻らなきゃ、きっと心配してる)
 それで俺は一気に現実に引き戻される。ギリギリで踏みとどまることができた。
 異常に重い身体を無理やり起こして立ち上がった。気を抜くと倒れて二度と起き上がれなくなりそうだった。
「はあ、はあ、はあ……」
 近くの木にしがみつくことでやっと姿勢を保っていられた。身体が熱い。
「あいつらは、もういない……か」
 見張られていないことを確認してから、俺は娘の待っている場所へと向かった。
 ここからはそんなに遠くない。頑張れば歩ける距離だ。
「歩夢……!」
 彼女が無事なのを見て、俺はホッとした。俺は手を伸ばす。さっきまでの悪夢のような出来事がどうでもよく思えた。
「誰? おじちゃん」
「えっ?」
 彼女に触れる寸前で手が止まる。
「誰って、何言ってんだよ歩夢、パパだよパパ」
「違うよ、パパはちゃんと髪の毛あるもん!」
「……ちょっとまて。それは笑えない冗談だぞ。パパは今日もフサフサだ」
 そう言って俺は頭に手をやった。
「――!」
 ぎょっとした。
「……う、嘘だろ?」
 もう一度、離した手を恐る恐る頭にやる。
「お、俺は……。俺は俺は俺は」
 なんだこの感触。手に皮膚が直接張り付いてくる。
「うそだよなあ。なあ、誰か、言ってくれよ。嘘だって、ドッキリだって」
 その場で崩れ落ちる俺は現実を見た。地面についた両腕に、いや、よく見れば服全体にびっしりとこびりついている無数の黒い糸を。
「これは……髪の毛?」
 背筋が凍りつく。吐き気がのどの奥からこみ上げてくる。
「うそだ!」
 俺は声を荒げた。
(そうだ、これは嘘だ。嘘に決まってる)
 鏡を見ればわかる、これは幻だって。ああ、鏡はトイレにあったな、あそこに行けばすぐにわかるじゃないか。俺は駆け出した。

 あまりにもパニくってっていて、まわりに注意なんて向けてなかった俺は、一人の少年とぶつかってしまった。
「す、すま――」
 全面的に俺が悪い、俺が謝ろうとしたそのとき、
「いってーな禿げ! 前見て走れ、バーロー!」
 少年はそう俺を罵った。
「ねえ、こなん君、何してんのよ。おいてくよ?」
「あ、まってよランねえちゃん。だって、あの人、可笑しいんだもん」
 そう言って少年は少女に駆け寄り、俺を指差した。
「ちょ、ちょっとこなん君、だめじゃない人を指差しちゃ」
「だって、見てよ」
「だってじゃありませ――」
 少女がこっちを見る。俺と目が合った。
「……」
「……」
「ぶふっ――!」
 少女は景気よく噴き出した。
「ほらね」
 少年が勝ち誇ったように言う。
「あーはっはっはっは……」
 大笑いする少女の横で、こなんと呼ばれた少年は無邪気に装い、呆然とする俺をせせら笑っていた。
2, 1

  

「何だこれ、何だこれ。誰だ誰だ誰だ?」
 トイレの鏡には俺じゃない、まったくの別人が映っていた。
 気が狂いそうになって、外に飛び出す。足がもつれて俺は草むらに飛び込んでしまった。
「くっ……」
 俺は身体を起こす。
 手に力を込めて、指の関節を曲げる。
「ん?」
 そこで奇妙な感触が俺を襲った。
(なんだ? 雑草でも握ったか? でもそれにしては――)
 ぱっと視線を移す。
 手に握られているのは毛の塊だった。びっしりと俺の指先に絡まっている。
 よく見ればその一帯が黒く変色したようになっていた。
「うあああああああああああああ」
 言葉にできない恐怖が俺を包む。
「うわ、びっくりした。いきなり叫ばないでよ」
 もう少しで放心するところだった俺を現実に戻したのは、よく聞き覚えのある、少女の声だった。
「おじちゃん、大丈夫?」
「あ、あゆ、む……」
 追いかけてきたのか。もしかして、俺だと気付いて?
 だが、そんな俺の甘い希望はすぐに粉々に砕け散る。
「ねえ、どうしたの? 髪の毛がなくて悲しいの?」
 はっきりと言われた。娘に、はっきりと。
 俺の中で娘の言葉がリピートされる。「髪の毛がなくて悲しいの?」「髪の毛なくて」「髪の毛」――。つまりハゲ。すなわち禿げ。なんと言おうと禿! 
 娘が哀れな目で見ている。親父とは認識していない目で、子供特有の純粋な目で。
 見ないでくれ。そんな哀れむような目で人を見ちゃいけない。
 俺は膝から崩れ落ちた。
「あ、パパが戻ってるかもしれないから、あゆむ、もう行くね。……元気出して、おじさん」
 ポン、と肩を叩いて、娘は去っていった。

 涙が溢れてくる。
 娘を抱きしめたかった。思いっきり。
 でもできなかった。
 いろいろな感情が一気に噴出してくる。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……」

 遊園地の中、俺の絶叫が響き渡った。
3

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