完全な一目惚れだった。真剣に音楽を聴く彼女の横顔を眺めるのが好きだった。
最初は教室から避難する為に来ていた屋上だったが、気づけば途中から目的は違っていた。
到着すると周りを見渡し、彼女の姿を探す。そんな行為が無意味に化すくらい
いつものベンチにちょこんと座っている。何度見ても美しい。
遥か遠くからやってくる風がゆったりと流れる。
彼女の長い髪がほんの少しだけ揺れ、太陽の光によってあらゆる角度から不規則的に反射し、
思わず嬉しくなってしまうほどキラキラして、眩しい。その瞬間だけ、本当にその瞬間だけ、
ほんの少しだけで良いから時よ止まっていてくれ!という切実な願いに襲われる。
交われない関係性と届かない階級で出来ている息苦しいだけの教室から抜け出して、
やっと息が吸える大切な時間、呼吸の仕方を思い出させてくれる場所。
頭上に広がる雲一つない青空、そして彼女とのコントラスト。
まるで1枚の絵画を鑑賞してるようで、何の変哲も無い屋上が彼女がいるだけで
一気に美術館に鎮座する芸術作品という空間に変貌する。
彼女は一体どんな人なんだろう、いつも気になっていた。
いつか勇気を出して話しかけられないだろうか。その時はどんな話を。
…などと、詩人気取りに回想に浸っている場合ではない。
そんな僕だけの女神だったはずの彼女のipodから凡そ信じられないような
単語が表示されている。
anal
意味「肛門」
cunt
意味「女性器」
性に目覚めたばかりの中学生が興奮しながら蛍光ペンで辞書の項目を線で引いた文字だけで
形成されたような酷い名前。あまりに下品極まりないバンド名。
それをあの彼女の可愛らしいピンク色のipodに同期されているというとんでもない事実。
「誰?」
不意打ちに背中から声を掛けられ、ええっ!?と思わず声を出してしまった。
恐る恐る振り返るとなんと彼女だった。僕は手に持っているipodを
見られてしまったことに狼狽し、つい後ずさりしてしまう。
「あ…それ…」
すぐに弁明しなければ、何か言い訳を言わなくちゃ、あ、ダメだ頭が回らない。
最悪の場合、盗もうとしていると誤解されかねない。それだけは何としてでも避けたい。
「い、いや、落ちていたから誰のかなと思って…」
彼女はしどろもどろな僕をじっと見据えると、ゆっくりと近づいてくる。
「それ、私のなの、返してくれる?」
「あ、あぁ…そうなんだ、はい…」
彼女にipodを渡すと、ほのかに良い香りが鼻をくすぐる。
思わず幸せな気持ちになりかけたが、僕は頭が真っ白になった。
折角、彼女の些細な秘密を知っていたのにそれをきっかけに仲良くする計画が
全部台無しにしてしまったのだ。しかも最悪の第一印象を植え付けてしまった。
もうダメだ。
そんな投げやりのような気持ちからなのだろうか。
次に自分の発した言葉を聴いて僕は我が耳と正気を疑った。
「もしかして、アナルカント好きなの?実は僕もなんだ」