真実に近いものは嫌われる
真実に近いものは嫌われる、
本日は、この説明を申し上げたい。
まず、この社会は「ありのまま」を
説明することを凄く嫌われる傾向があります。
例えば
ここに、
凄くぶさいくな女の人がいたとする。
その人に、「ぶさいくですね。」と言うのは、憚られる。
しかし、言わないからといって、
その人が美しくなることはないし、その女の人に
男の人から性的に満たされる瞬間は
決して訪れない。
まあそういう女の人は現実にいる。
それは「ここにリンゴがある。」ということと
何の違いがあるのか?
それを違い付ける影響力はいったいなんなのか?
ほかにも、禿げている人に
「髪の毛生えていないですね。」
とか
年を取っている人に「年を取っていますね。」というのも、
失礼にあたる。
この前提で、いかにこの社会から真実が隠されているかを
明らかにしたい。
とくに、
死や生は、とくに隠される。
性についてもだ。
ようするにぶさいく だとか ハゲだとか、
年を取ってるとか
定収入とか、背が低いとかは
全部にセックスに関連する話題であると
考えられる。
そとでセックスするのは犯罪だし、
裸で外を歩くことも現代社会では犯罪と
されている。
おかしくはないか?
誰でもセックスすするし、うんちもする。
なぜ自然のままの姿で犯罪になるのだろう。
なぜ死体の写真を
隠すのだろう。ちょっと
昔は死体の写真は新聞にのっていた、
それは単に人体の一部分を写しているにすぎない。
私は、
これらの影響力の原因は、
「社会に真実を隠すベクトルの影響力が働いている」
ためであると考える。
そして、なぜこういう影響力が働いているかというと、
それは消費のための虚構を構築するためであると
考えている。
つまり
テレビに出ているアイドルが
大便もするし
セックスもする。けど、それをみせてしまうと、
食欲がわかないし、
「お金使おっかな」みたいな気分が、じゃまを
されてしまう。
つまり、
虚構のドラマをつくるのは、
消費活動を推進するためであるし
そもそも海や川や山でとれるものを
あたかも特別な財産的価値があるかのように見せて売りたいし、
昔は川を泳いでる魚を
とるだけだったのを
いまは300円も500円も払わなければ食べられなくする影響力があり、
セックスなんてだれでもしてるものを
特別な生産的価値がないと達成できない
ようなシンボルにしている影響力が働いている。
ようするに
人間なんて生きて死ぬだけのものを
その間にいろいろ付け加えて
何かの利益に繋げようと
みんなで皆が自分の首を
しめているのである。