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4.黄金時代

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 ユダのギターに合わせてイエスが歌う。歌をイエスに任せる事により、ユダのギターは飛躍的に上達した。父ヨセフにとってのギターはあくまで昔弾いていた名残程度でしかなく、いつまで経ってもレパートリーは増えなかったし、イエスの歌にすぐに置いてかれるようになってしまった。ユダのギターはそれまで孤独に表現してきたものが、共演という悦びを知り、歩き出してしまった以上は、後はひたすら速度を上げて止められなくなってしまったという風だった。間奏でこれまで弾いたことのないフレーズで即興演奏をした。誰よりもユダ自身が驚いていた。演奏回数を重ねるごとに、聴衆もイエスの歌声だけでなく、ユダのギターにも酔いしれるようになった。楽器演奏というのは極めていくと、難解なフレーズや美しいメロディというものだけではなく、何気なくコードを鳴らすだけ、歌に合わせたバッキングの重なりだけでも何故だか人を震わせるようになるものだ。

「イエス」いつもユダの言葉数は少ない。
「何」つられてイエスの言葉も短くなる。
「ありがとう」
「こちらこそ」
 ユダは心の中でもう一度、ありがとう、と繰り返す。他の言葉に変換されそうな気持ちをかろうじて押し留めるために。

 イエスの生まれた年に起きた大地震の爪痕は、いまだにこの地に残っていた。雨漏りのする屋根を直すことを諦めていつまでもブルーシートの外されない家々、修繕不可能のダメージを負って人の住めなくなった、取り壊しも行われないままの家々、取り壊されたままその跡に何も建たないままの空き地たち。
 空き地はステージとなり、空き家は寝床となった。イエスとユダはあまり家に帰らなくなり、二人で連れ立って演奏旅行を繰り返した。時にヤクザまがいの連中に金を脅し取られそうになったり、他のギタリストがイエスを引き抜こうとしたが、それぞれイエスが蹴散らした。二人とも髪が伸びた。「ジミー・ペイジとロバート・プラントみたい」と誰かが言ったのでLED ZEPPELINの曲を演奏すると、黒いラブラドール・レトリバーが寄ってきてユダの足元に絡み付いた。人見知りの激しいユダだったが、動物にはすぐに笑顔を見せた。イエスも笑いながら「Black dog」を歌った。
 黄金時代だった。二人にとっての。

 何十軒か目の仮の寝床でイエスの懐に潜り込んで来たものが居た。これまでも猫や犬やその他の動物や寝ぼけたユダがくっついてくることはあった。それらとは違って、柔らかく、暖かく、いい匂いがした。イエスが初めて触れるものだった。女の肌だった。女はぶるぶる震え、高熱も発していた。三日間、イエスとユダは女を看病した。女がうなされるとイエスは耳元で囁くように歌を聞かせて寝かしつけた。Fishmans「いかれたbaby」や、Cat Steavensの「Wild world」などを歌った。
「baby、って歌詞が多いな」とユダが言った。
「赤ン坊の寝かしつけには」弟妹達の子守りを思い出しながらイエスは答えた。「慣れてるから」新しく子供が生まれる度に母マリアはイエスから遠ざかって行くようだったのをイエスは思い出した。
 ユダは自分で選んだ服を女に着せてやった。飲み物を自力で飲めないでいる女に、イエスとユダは代わる代わる、口移しでお茶やジュースを飲ませた。 
 熱病が治まり、意識を取り戻した女はマリアと名乗った。イエスの母と同じ名だった。マリアは感謝の気持ちを込めて二人を抱き締め、代わる代わるキスをした。唇の間からは飲み物ではなく舌が伸びてきた。
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