トップに戻る

<< 前 次 >>

「笑えれば」ウルフルズ

単ページ   最大化   

※そういえば3月22日で連載2周年だったけれど記念的な何かは特に思いつかなかった。


動画はこちら
https://youtu.be/L-ZWzztTX54



 ウルフルズ「笑えれば」が体育館で流れ出した瞬間に違和感を覚えた。以前ならもっとアップテンポの曲で始まっていた。同じウルフルズでも「ガッツだぜ!!」とか「ええねん」だとか。

 娘が通う習い事、運動教室とでもいうか、市の体育館を借りて生徒の子供達が様々な体を動かす運動をする。疲れたり、自分に合わない種目の時は端で見学したり、審判役に回ったりしてもいい。娘のココが幼稚園年長の時から通っている。既に通っていた子の紹介で入り、小学生クラスに上がっても続けていた。息子の健三郎も一緒に行って、体育館の空きスペースで遊ばせたり、似た年代の子と触れ合う機会にもなったりしていた。
 コロナ禍以降、休止期間を挟み、再開後は保護者の見学は禁止された。
 見学の許可が降りた3月24日。それは運動教室最後の日でもあった。講師のT先生の本業の都合により、これまでのように教室に時間を割く事が出来なくなったのだ。

 保育園での疲れか、健三郎はついてこなかった。久し振りに眺めた顔馴染みの子供達は、当たり前の事だが約一年分成長していた。小学生のうち一年で伸びる身長は5センチとか6センチだろうか。数えてみるとその日の生徒数は18名だったので、全員合わせて約1メートル分の成長が、どかっとこの身に乗っかってきたようだ。マスクをして口元が見えない分表情もどこか大人びて見える。柔軟体操をするココは真面目に身体を伸ばしている。
「保護者がいない方がノビノビとやっている子もいましたよ」後でT先生と話した時にそんな事を言っていた。

 準備体操の後は鬼ごっこだった。各種目が始まる際にT先生はスマホを操作し、スピーカーから音楽が流れ始める。最近の流行曲やら、アップテンポの定番ソングやらで作られたプレイリストの曲をかけ、生徒達の運動意欲を亢進させる。
 その一曲目がミドルテンポの「笑えれば」だったので冒頭で書いたように「ん?」となったのだ。その後はYOASOBIだとかクレヨンしんちゃんやドラえもんの歌とか「うっせえわ」だとかが流れていた。積極的に参加したくない種目の時にココは流れてくる曲に合わせて踊っていた。

 いつもより30分長く時間を取っていた体育館で、最後の種目の前にT先生の話があった。
「保護者の皆様方、本日は最後の教室にお集まりいただきましてありがとうございます。残念ながら私が講師を勤めさせていただくのは今日が最後となりました」
 この教室自体が終わりと聞いていたが、来てみると、直前に決まったのか「新しい講師を迎えて5月以降に再開予定」の旨を報せる紙を入り口で渡されていた。
「コロナ禍による休止期間もありましたが、約3年間、子供達に様々な身体を使った遊びを指導出来た事を嬉しく思います。
 今日という日を迎えるのが本当は不安でした。悲しい別れの日になるんじゃないか。僕自身が泣き出してしまうんじゃないか、と。でも今日も子供達は楽しく笑いながら遊んでくれました。それを見てとても安心しました。これからみんな大変な時もあるでしょう。でも一日のどこかで少しでも、楽しく笑える瞬間があれば、僕は大丈夫だと思います。今日ここでみんなが見せてくれた笑顔を、これからも持ち続けて下さい」

 といったような内容の話だった。なるほど、だから「笑えれば」か、と合点がいった。その後T先生は「個人的な話ですが」と前置きして、結婚のご報告もされた。ココは「だれだれだれだれ」と結婚相手の事を知りたがっていたが、T先生は答えなかった。

 最終種目、複数のボールやフリスピーが入り乱れるドッジボールの際のBGMも「笑えれば」から始まり、最後のモップがけの時もそうだった。

 体育館を出て、桜の木の下でT先生を囲んで撮影会をした。ココは幼稚園からの馴染みの男の子にカンチョーしていた。私はT先生に今日の話の内容とウルフルズ「笑えれば」の関係について聞こうかとも思ったが、何かクドくなってしまう気がして、やめた。子供達は涙を見せる子もおらず、保護者達もT先生にはお別れの挨拶や結婚のお祝いの言葉をかけていたが、教室が5月に再開されるのならばと、特に保護者達との別れを惜しむ事なく、いつものお迎えの時と変わらない雰囲気で帰路へ散っていった。「笑えれば」を口ずさんで感傷に耽っているのは私一人のようだった。



子供の頃から同じ
同じ夢ばかりを見て
だけど今になって
大人になって
立ち止まったりして
すべてがうまく行くはず
そう信じているのに
なぜかあせって
グラついて
ジタバタするけど
とにかく笑えれば
それでも笑えれば
今日一日の終わりに
ハハハと笑えれば
とにかく笑えれば
最後に笑えれば
情けない帰り道
ハハハと笑えれば


 健三郎は寝る時間になっても遊び続けたいが為に、テーブルの下に潜り込み、子供用の椅子を並べてバリケードを作って立て籠もるようになった。怒って無理やり引っ張り出すより、妻が少し遊びに付き合ってやると、自分から妻の手を引っ張り、寝床へ向かうようになった。怒られて泣きながら寝入るより、笑いながら眠る方がずっといいと悟ったのだろうか。

 新たな講師が無事着任し、教室が再開され、また顔馴染みの子供らの笑顔が見られますように。来年度には幼児クラスに健三郎も入って、目一杯遊べるようになるのだから。


(了)
104

泥辺五郎 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る