動画はこちら
https://youtu.be/J9dmBShwOOY
聴いていない時でも歌声を思い出すだけで鳥肌が立った。人に与えられる限度を超えた歌声の持ち主だ。
急に美空ひばりを聴き出したきっかけは読書だった。花村萬月の小説「ウエストサイドソウル 西方之魂」を読んでいた。少年がギターに目覚めたり恋人や友人や家族やらと向き合ったりする青春音楽小説だ。同作者による「ロック・オブ・モーゼス」も、同じくバンド小説である。両作とも作中にブルースにまつわる薀蓄やらアーティストのエピソードが挟まるのだが、どうもブルースというのが私にはピンと来ない。読みながら聴きもしたが、まだ私にはブルースは取り憑いてくれないようだ。
「ウエスト~」の主人公、光一に音楽を教え込んでいく人物が勧めるアーティストの一人に、美空ひばりがいた。洋楽のブルースにピンと来なかった私も、美空ひばりなら知っている。彼女の死が国民に大きな動揺を与えていたのを、まだ少年だった私も感じ取っていた。美空ひばり特集のテレビ番組があると、母は決まって録画した。自然と彼女の曲や生い立ちなど、知るようになっていた。
だが自分から能動的に聴いてみたのは初めてだった。イヤホンを通して直接魂に響いた美空ひばりの歌声は、涙腺を飛び越えて私の鼻水を決壊させていた。
なんだこれは。
こんなすごい歌声の持ち主だったのか。
そりゃ国民的歌手と呼ばれるわけだ。
少女時代に才能を発見されるわけだ。
そして冒頭の「人に与えられる限度を超えた歌声」と感じたのだ。
このように過剰な能力を持ってしまった人が、幸せに生きていけるはずがない。人の器に収まりきれるはずがない。
同時代に生きた、歌手を夢見る人たちのどれほどの命を奪ったのだろうか。
どう足掻いてもかなわない歌声の持ち主と自分を比較して、どれだけ打ちのめされたのだろうか。
一度の人生で手に入れられる歌唱力ではない。
そんなことを思い始めた頃、「終りなき旅」という歌に出会った。
私は旅立つ うずく傷を抱いて
私はまた歌う 顔に笑みをうかべて
苦しくとも 悲しくとも
終りなき この旅を
歌でつらぬかん
相変わらず鳥肌を立てながら、ふと私はある考えに思い至った。しかしその考えをまとめ上げる前に私は死んだ。美空ひばりの歌声に気を取られ過ぎて、信号無視して突っ込んできた大型トラックに気付かなかったのだ。
目が覚めると私は昭和時代の中頃にいた。異世界転生というジャンルの物語に全然触れていないので詳しくはないが、多分そんな感じだと思う。
それからなんやかんやあって、私は音楽ライターになり、美空ひばりへのインタビューの機会を手に入れた。軽く書いたが簡単な道のりではなかった。令和時代のようにスマホもサブスクもなく、得られる情報は限られている。ライターとしてのそれなりの力量を身に付け、大物歌手へのインタビューが出来るようになるまでに、三回死んで人生をやり直した。半分以上は怠惰と諦念との戦いだった。多くの場合その戦いで私は敗れた。
「美空ひばりさん、あなたは転生者ですね」
開口一番、私は彼女に尋ねた。何度生き直しても私には、彼女の歌声は、人が一生で手に入れられる範囲を遥かに凌駕しているとしか思えなかった。
転生者、という響きが耳慣れなかったのか、彼女は不思議そうな顔をしたが、「何度も生まれ変わってないですか」と尋ね直すとしっくり来たようで、素直に話してくれた。
「おっしゃる通り、私は生まれ変わりを繰り返しています。一万回あたりまでは数えてましたが、もうはっきりとした数字は分かりません。億を超えてしまっているかもしれません」
軽々と言う。
「その全ての人生で、私は歌い続けてきました。私の歌が録音された音源は、私が生まれ変わるたびに新しい録音のものに置き換わっていきます。同じ音源でも、あなたが幼い頃に聴いた歌と、今聴く歌は違っています。より良いものに進化しているはずです」
「歌う以外の人生は選ばれなかったのですか?」
歌い続けることは、あなたにとって幸せなことばかりではないのではないか。人の領域をはみ出してしまったものが、他の人と同じように生きられるはずがない。
「選ぼうとしました。逃げ出そうとしました。捨てようとしました」
彼女は淡々と答える。私のような質問者も初めてではないのだろう。
照れ笑いしながら彼女は言った。
「でも結局、歌に戻っちゃうんだな。他の何やっても、虚しくなるだけで」
私の書いた記事は当たり障りのないものになった。目的を果たしたからか、私はトラックに轢かれる直前の交差点に戻っていた。イヤホンからはリピート再生中の「終りなき旅」が流れている。何万年も流れ続けていたみたいに。
信号無視する大型トラックを見送って、私は歩き出す。なるべく雑念をたくさん抱えて歩く。集中して彼女の歌声を聴きすぎてしまうと、またどこかへ持っていかれてしまいそうだから。体が強ばる。筋肉が緊張していく。彼女の歌声に救われた人の同数、打ちのめされた人もいるのではないか。
彼女にとっての歌、私にとっては何にあたるだろう。
そのことについて書こう、と思いながら歩いていると、目的地をとっくに通り過ぎていた。
(了)