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「夜の盗賊団」THE BLUE HEARTS

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動画はこちら
https://youtu.be/CVpIHmI4h78


 取り立ての免許でレンタカーを走らせて海を目指す。夜光虫を見ながらビールを飲もう、そう提案した稲尾の口車に乗せられて、東出は怖々と車を走らせる。
「ちゃんと交通ルール守って安全確認してれば事故らないって」と稲尾は言うが、何かがあっても、もう助手席の教官はブレーキを踏んではくれないという事実が、東出には恐ろしくてたまらない。

 カーラジオが喋っている。稲尾も止めどなく喋り続ける。「雨は大丈夫そうだな」「次の曲は…」「知ってるか? 落合さん結婚したんだって。二十五歳年上のおっさんと」「提供は今夜も…」
 勉強などもそうだが、適度に雑音が聞こえる方が集中出来る気がする。静かすぎる図書館では却って読書に入り込めない、という感じ。落合さんというのは同級生の中で十二番目くらいに可愛かった女子で、稲尾と東出の初恋の相手で、聞きたくなかった話で。

 東出達は無事に海辺に辿り着く。防砂林の向こう側で花火が闇を照らし出す。稲尾がコンビニ袋から取り出したビールは当然生ぬるくなっている。帰りの運転があるから東出は飲めない。
「ぬるくても旨いビールが、本物のビールなんだよ」
「それ、旨い?」
「偽物だな。大体俺ビールと発泡酒の違いわからねえし」
「俺は日本酒と焼酎の違いがよくわからん」
「頭痛くなる方が日本酒。日本人の何割かはそういう体質なんだって」
「コサックダンスを踊れないロシア人みたいなものかな」
「それはけっこう居るだろ」
 取りとめのない話のお手本みたいな会話を続けながら、東出は何気なく砂浜に散らばるゴミを拾う。中身のこぼれたサンオイルケース、片方だけのビーチサンダル、落合さんの写真。落合さんの写真?
「遠足とかの行事の後で、写真屋が撮ったやつが教室の後ろに貼り出されて、番号選んで注文しただろ」
 自分だけではなく、落合さんの写った写真も注文していたのだという。中学二年の落合さんはまだまだ地味で、後々の学年十二番目の可愛さの片鱗はまだ見せていない。ということは俺よりも早く好きだったんだな、と東出は気付く。
「今から花嫁盗みに行くか?」もう夜の十時だけれど。
「式はしてないし、子供も生まれたよ」
 故郷を離れてたった一年で、世界はこうも激変するのか。俺が東京に出てしまったから…と東出は悔やむが、落合さんの結婚事情に東出は一切関係がない。就職先の社長さんで、落合さんの方から惚れたのだとか。聞きたくない情報ばかりが稲尾の口から飛び出してくる。

 波頭で夜光虫が光っている。満天の星空の下で東出は稲尾の捨てた写真を拾い続ける。
「やらねえよ」
「捨てちゃ駄目だろ」
「焼くか?」まだガスの残っているライターも落ちている。
「もうちょっと、俺にも思い出にひたらせろ」
 ひたらせろ、なんて言葉は初めて口にするな、と東出は思う。
 五本目のビールに手を伸ばす稲尾を、東出が押し留める。
「なあ、俺も飲んでいいかな。それで朝まで車で寝て。酔いが醒めたらお前運転してくれない? 俺もう帰りの運転する気力がないんだ」慣れない運転疲れだけではない疲労感が東出を襲っている。
「それは駄目だ」稲尾は即答する。「俺免停中だもん。駐車違反の積み重ね」
「お前馬鹿だろ」
「写真、焼けよ」
 二人はいつの間にか貸しボートに入り込んで朝まで眠っていた。服に入り込んで来たフナムシに起こされた。落合さんの写真はまた稲尾の鞄に戻っていた。

(了)
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