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「リフレインが叫んでる」松任谷由実

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=-ZpQmBhxOT0
ライブ版
https://youtu.be/BPXFJd-VVgg



 寝ても四時間で目が覚める。
 0時に眠れば4時に。22時に寝れば2時に。
 別に働いている間中ずっと四時間睡眠だったわけでもないのに、うまく二度寝が出来なくなっている。目が覚めてこれからのあれこれを思い悩む。どうせなら起きて何か書こうか、いやまだ早すぎるからもう少し寝よう、などと考える。考え出すと眠りが遠のく。あれこれ書こうと思うだけでなく、実際起きて書けばいいじゃないか、となる。

 働いている時の執筆は夜中に書くことが多かった。遅く帰って飯を食べて、少しダラダラして、夜中3時くらいまで書き切る。書いた直後にすぐ眠れるわけではなく、クールダウンと称してまたダラダラして、睡眠不足に陥る。
 深夜執筆が良くないのは、確実に次の日に影響するからだ。下手すれば一日の無理のツケを二日三日かけて払わなければいけなくなる。
 早朝執筆の場合、たとえば5時から6時半まで書き、30分仮眠する。昼食を食べた後、会社での休憩時間のように少し眠りたいが、子どもらはそれを許してはくれない。

 キーを叩いてる際に、息子が保冷剤をキーボードに乗せたのを怒って以来、直接的な邪魔を息子はしなくなった。遠くから「あそぼ」連呼してくれば執筆は中断する。その辺りは子どものリズム優先にしている。
 理想を言えば、朝、昼、夕方、といった感じで執筆時間を確保し、小説、エッセイ、その他、みたいな感じで書いていけたらいい。

 数日は早朝執筆がうまくいった。ある程度書いた後の仮眠でたびたび悪夢を見た。ほとんどの場合、会社勤めがまだ続いている夢だった。辞めたとはいっても現在は有休消化期間中で会社にまだ籍はある。コロナ禍でもあり、緊急事態が起これば、無給でも出勤する準備は出来ている。だから無意識化ではまだ今日も明日も出勤、というつもりなのだろう。
 辞める前に思い悩み考えていたあれこれを、辞めた後もまだ引きずって考える。もう終わってしまったことなのに、まだ渦中であるかのように。同じ思いがぐるぐると回る。リフレインが叫んでる。

 すりきれたカセットを
 ひさしぶりにかけてみる
 昔気づかなかった
 リフレインが叫んでる


 心と体に染み込んだリフレインが抜けるまでどれくらいかかるだろう。服には抜けないシミがある。心と体にも、また。私自身が染み込ませた多数のリフレインが職場で必要もないくらいに叫んでもいるだろう。
 しばらくそれは続いていく。思ったよりも長くか、短くか。次の曲が始まるまでか。次の曲が始まっても、か。

 ヒガンバナが咲き乱れている。永久に連なる双生児たちが毒のある根を土の中に伸ばしている。昔どこかの誰かが心乱したその風景に、今日もまたどこかの誰かの乱れた心が連なる。血まみれの手が空に向かって伸びている。幾千も、幾億も。
「あれはヒガンバナ、と言ってね」
 散歩の折に娘に話しかける。花に詳しくない、というか興味を持てない私が、唯一詳しい花について語ろうとする。
「知ってるよ、根っこに毒があるんでしょ」
 数年前に娘に披露済みの知識であったらしい。
「だからパパ、ヒガンバナの根っこ食べる?」
 食べないよ、毒だから食べたらダメなんだって、と抵抗しても「え?」「え?」とおちょくってくる。私の扱いが妻と同じになってきた。

 息子が昼寝したので、書いていた途中のこの文章を再開しようとしたら、娘が「パソコン触らせて」と言ってキーを叩き始めた。それはそれでここに貼り付けられるかなと思ったが、律儀に全て消してしまった。私の書く小説の中の娘よりも自己主張が大人しい。まだ妻のお腹の中にいる頃から代筆してもらっていたのに。

 会社を離れる最後の日、文章に関するいくつかの言葉をもらった。報告書や始末書にかこつけて書いた小説をいくつか同僚も知っていた。「まだ四作目もらってないんですけど」と後輩のMは言った。「来年の芥川賞期待してますよ」とこちらは私の文章を読んだわけではない、古馴染みの従業員Hが言った。会社の中の読書家の数は限られていたが、特に仲間だったというわけではない。日本の純文学中心の私、山田風太郎などの時代小説や明治もののH、アガサ・クリスティー中心に英米ミステリのO、話したことはないが休憩時間本を開いていたあの人やこの人、といった感じ。特に立ち入った話をしない分、妄想が膨らんでいくのだろう。第一本名は出さないと思う。

 最終出勤日に花束はあらかじめ断っておいた。
「邪魔だし、花を愛でる感性は欠落しているから」Mとそんな話をした。
「知っている花といえば、ヒガンバナくらいで」
「じゃあ『ヒガンバナ』というタイトルで文章書いてきてください」
「書類関係は郵送にしてもらうから、会社にはもう多分来ないよ」
「LINEWORKSはまだ繋がってるでしょ。あれでファイル送れるんで」
「書けたら送るけど、期待はしないで」

 再び娘が覗きに来た。
「パパ何書いてるの?」
「好きな曲を題材にして小説を書いてる。小説というかエッセイとかになってしまいがちだけど」
 文芸新都の「音楽小説集」のページを開いて見せてみる。
「ここにダーッと並んでるタイトルがパパが書いてきたお話」
 と言って見せてもそれ以上突っ込んでくることもなく。よく分からないのが本音だろう。

 古いカセットテープに閉じ込められたリフレインのように、時代から離れたところで私の文章は叫んでいる。私の行く末を心配していたある人に私はこう言った。
「悪いことだけはしないようにするから」
 そう口にするまで私は、なりふり構わず悪いことでも何でもしてやる、と思っていたのだ。綺麗事など考えたくもなかったのだ。それなのに、自分の発した言葉が私を縛る。
 書いてるうちに見えてくるだろう、良い未来も悪い未来も。
 それくらいしか私には叫べることもないのだから。
 これまでの全ての時間を取り戻すかのように、子どもらは私を遊びに誘う。永遠に遊び続けることはかなわないから、今は執筆を止めても子どもらと過ごす。遊んでる最中に何を書こうかと考え、子どもらと過ごした時間のことをまた文章にしていく。

(了)


※とりあえず執筆量は以前の七倍程度になっているので、子どものことや読書関係はnoteの方に書いてます。

https://note.com/dorobe56
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