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「Space Truckin'」Deep Purple

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=9wv1ij7KxWc


 私と洋楽の馴れ初めは中学二年生の時に友人に借りた、「HIT'S」という、洋楽のヒット・ナンバーを集めたオムニバス・アルバムであった。アース・ウインド・アンド・ファイアー、チープ・トリック、スノー、などの他に、その後のめり込んでいく事になるハードロック系のアーティストとして、ミスター・ビッグやディープ・パープルがあった。そのようなごった煮のアルバムの中から、自分の好みを選択出来たのは良かったことだと思う。貸してくれた友人と一番最初のバンドを組むことにもなるが、一度のスタジオ練習もなしに解散してしまった。

 当時の音楽漁りは友人に借りるか、レンタルCD屋がメインである。昼食は基本お弁当だが、週に一度学食で食べる日があり、五百円もらった学食代を百七十円のきつねうどんだけで済ませ、残りの三百三十円でCDアルバムを借りた。カセットテープにダビングし、曲目を書き付けていく。母親が「勉強してるかと思ったらまたそれ?」とよく言われた。その後TSUTAYAで洋楽輸入盤の安売りなどをやっていた時期に一枚のディープ・パープルのアルバムを買った。「Live in Japan」である。原曲の何倍もの時間に膨れ上がる即興だらけの演奏の中で、リッチー・ブラックモアのギターが、イアン・ペイスのドラムが、特にジョン・ロードのキーボードが暴れまくっていた。「Smoke on the Water」の簡単なリフを一部リッチーが間違えていた。高校時代にテクノ狂いの友人がその部分だけをサンプリングして繰り返すトラックを作っていた。最後の曲が「Space Truckin'」で、二十分近くある。イントロのギターリフ、サビのイアン・ギランの「カモン、カモン、カモン、レッツゴー、スペーストラッキン!」の叫びが印象的である。

 ごちゃ混ぜの記憶を掘り起こしながら書いているが、確実にこの曲と中学時代に絡んでいるという証拠の記憶もある。中学三年生の時、当時バスケ部のキャプテンだった私が、遠くの中学へと練習試合へ行く際に、先頭で自転車を走らせながら、道に迷った事に気付いた。焦りつつも私は「スペース・トラッキン」を口ずさんでいた。後輩には気が狂ったのかと思われた。そう口にも出された。
 あんまり今と変わってないか。

 あるある洋楽エピソードを挟みながら、時を飛ばした今、我が家の三歳児も「Space Truckin'」のイントロのギターリフを口ずさんでいる。幼稚園で習っているらしいABCソングの次くらいの頻度で「デデ、デ、デ、デー。デー、デー、デデ!」とやっている。
 きっかけはお風呂だ。娘のココと息子の健三郎と一緒に入る際、私が洗っている間、二人は湯船に浸かりながら遊んでいる。私が洗い終わってもまだ遊び続けたいので「どっちから洗う?」と聞くとお互い相手を指差して決まらない。そこで私が「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり」のノリで、「Space Truckin'」のイントロに合わせてロボットの動きをする。二人に交互に手を差し伸べる。リフの終わりに手が指していた方を先に洗う。その前段階としては、バスボールの中に入っていた小さな人形を「これねえね(姉)」「これけんちゃん」と言って手渡され、私が人形を洗いながら、子どもらでない事に気付く、というミニコントも挟まる。

 そんなわけで、健三郎は原曲を知る前から「Space Truckin'」のリフを口ずさめるようになってしまった。実際に曲をかけてもそんなに反応はない。娘のココに「Space Truckin'」のライブ映像を見せると「あー、パパがお風呂でやってたやつね」と言われる。
「元の曲の何倍もの長さになってて、特にキーボードが」
「はいはい」
めんどくさいロックおじさんのあしらいを心得てしまっている。

 ある日幼稚園に健三郎を迎えに行ったら、保育士さんに「息子さん、時々『Space Truckin'』のリフを口ずさんでいるんですが……」なんて言われやしないかと妄想する。
「あと『移民の歌』とか、『日曜日よりの使者』とか『We Will Rock You』とか『無情のスキャット』『杜子春』……」
「うちでもそうですよ」
「ああ、そうですか」

 別に家の中でずっとハードロックが鳴り響いているわけではない。むしろ最近は抑え気味にしている。朝一に洗い物や掃除をする際に音楽をかけながらするのだが、おっさん臭くないように、ヨルシカをかけて娘と一緒に口ずさむ。妻主導の時はカーペンターズや80~90年代洋楽ポップスがよく流れる。
 中学時代に聴いたディープ・パープルが、その二十数年後、子育ての場で役に立っている、なんてことは当時想像出来るはずもない。あの頃聴いた音楽、あの頃に読んだ本、その後に手にした全ての知識と経験は、捨てられることなく今に生きている。音楽との関わりを、小説にしろエッセイ風にしろ、誰に響くか分からないままこうして書き続けている。

 一杯のきつねうどんだけではエネルギー不足で、フラフラの体でクラブ活動をしながら、頭では「次はどのCDを借りようか」と考えていた、あの頃の私が今の私を、私達を、支えている。

(了)
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