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「Atone」Jerry Cantrell

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https://youtu.be/F76Vp9ODy6s


 トムはジェリーを追いかけて街を抜け、荒野を超え、砂漠を超え、世界の果てにたどり着いた。果ての先には何も見えない。トムは猫で、ジェリーは鼠であるから、人間が考えるような世界の果てにはたどり着いてはいない。だからそこはもう何というか、書きようがない場所であった。

 猫であるから鼠を退治しなければならない。噛み殺し、あるいは爪でなぶり倒し、主人が嫌がろうとも狩りの成果を見せつけにいく。それが猫であるトムの仕事であり生きがいであるはずだった。だがジェリーは並の鼠とは違っていた。猫として生きてきたこれまでの生で培ってきた全てをぶつけてもなお、トムの技術は打ち返された。ジェリーがいる限り、この世界のルールは破綻し続けていた。猫より強い鼠。猫の飼い主を翻弄する鼠。致命傷を負わされようと何度でも蘇る鼠。かくいうトムも、ぺしゃんこにされようと穴だらけにされようと首を切られようと蘇った。死なないのだった。死ねないのだった。

 死によって終わらない二人の戦いは延々と続き、姿かたちを変えて他の国や他の時代へも伝播した。あるところではルパン三世と銭形警部になり、ある宇宙世紀ではアムロ・レイとシャア・アズナブルになった。孔子と老子になったり天使と悪魔になったりもした。喧嘩しつつも仲間でもあるような関係は意外とあるものだった。

「世界の果てに来ちまったな」と変態ギターソロを弾きながらトム・モレロは言った。
「反対側の果てに行けばいいさ」と、カントリー風おじいさんになったジェリー・カントレルは言った。もはや猫と鼠ではなく、ギタリストだったりボーカリストだったりする二人にとって、距離は問題ではなかった。

 また猫と鼠に戻って二匹はじゃれあう。
「俺たちのその後のことならとっくに谷川俊太郎が『夜のミッキー・マウス』の中で書いてるし、高橋源一郎もきっとどこかで書いていることだろう」どちらからともなくそんなことも言う。世界の果てにいることに飽きた二人は来た道をもどり、荒野に戻り、砂漠をだらだらと歩き、都会の喧騒に舞い戻った。他の猫や鼠どもも混ざりながら、決して死なない殺し合いを再開した。

*
 アリス・イン・チェインズのボーカル&ギタリストであったジェリー・カントレルは、鼠になった夢を見た。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリストであるトム・モレロが猫になっており、トムとジェリーのアニメのようにお互い追いかけっこをしていた。

 夢から覚めるとジェリーは世界の果てにいた。隣にはトム・モレロもいた。猫と鼠と違い、人にとっての世界の果てだったから、そこには戦争とか宗教とか音楽とかそういうものの成れの果て、みたいな感じがごちゃまぜになっていた。若くして亡くなった知り合いのミュージシャンたちもそこら中にいた。正直けっこうやかましかった。

「俺たちは償っていかなければならない」とジェリーは言った。
「新曲『Atone』の宣伝かい?」とトムは言った。和訳すると「償う」となる。
 トムの言葉は無視してジェリーは続けた。
「たくさんの同志が死んでいった。ドラッグや、絶望や、病気やらにやられて」
 世界の果ての混沌の中から、故人の歌声や歪んだギターが聴こえてくる。
「その通りだ」とも「余計なお世だ」とも聞こえる。
「彼らの歌を、演奏を、もっと聴きたがっている人がいる。残念ながらそれはかなわない。だから、生きている俺たちが、彼らに変わり、曲を演奏し続けなければならない」
「償いは嘘だろ」とトムは言った。
「まだ死にたくはないから、自分が歌い続ける理由を無理やり作っているんだろう」
 誰だってそうだよ、とトムは静かに続けた。
「俺たちは音楽から逃れられないから曲を作り続ける。ダンサーは踊り続け、作家は書き続ける。理由は全部こじつけなんだよ」
「トムとジェリーの追いかけっこみたいなもんだな」
「そうだな」
 そう言って二人は世界の果てを見つめ直す。
 お互い「それ、ちょっと違うんじゃね?」と思いながら。
 しばらくすると飽きて二人は荒野へと引き返す。道すがら、新しい曲の構想がもう出来始めている。

(了)
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