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「Lose Yourself」Eminem

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動画はこちら
https://youtu.be/_Yhyp-_hX2s
和訳つき
https://youtu.be/1xyotrIX2A4



 後に桶狭間の戦いと呼ばれることになる、織田信長軍と今川義元軍の戦のあった1560年6月12日同日、今川氏真(1538~1615)は、地元駿河で開かれるラップバトルに参加していた。

 最新の史料によれば、当時「東海一の弓取り」と謳われた大名今川義元の息子であった氏真は、「連歌・蹴鞠・ラップ」が得意だったとされている。氏真は室町・江戸時代に活躍した歌人の選集である「集外三十六歌仙」の中にも入っている。長い生涯の内に量産されたそれらは、戦国時代にあっても文化的運動を決して止めることのなかった氏真の残した遺産として、今もなお残っている。

 晩年、氏真はこのようなことを記している。

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 いつの世にもどのようなジャンルにおいても、否応なしに天才は現れる。それまで連綿と続いてきたジャンルそのものをぶっ潰してしまうような、全ての作品を過去のものとしてしまうようなパワーを持った天才が現れてしまう。
 私は歴史の片隅に消え去る側の存在だ。天才によって蹴散らされる塵芥だ。凡将として今川家を衰退させた。長く歌を作り続けながら、際立ったものは残せなかった。
 だが私はそれらのことを誇りに思う。
 私の父は嫡男ではなかったが、争う兄弟を殺して家督を継いだ。父ばかりではない。どの家の歴史もそうだ。家族兄弟が醜い争いをし、領地争いで民の血を流す。人々の血の吸い込まれなかった土などありはしない。どこも戦場になり、懸命に耕された田畑は戦の度に焼き払われた。
 私の父を討った信長は、一族皆殺し、坊主どもへの焼き討ち、自らの家臣へも非情な仕打ちを繰り返した。その結果、身内によって殺された。私は遠くの地からそれらの出来事を眺めていた。「歴史」と呼ばれることになる大きなうねりは、私の外側を流れ続けていた。

 戦のたびに焼き払われる田畑のようなものであっても、作れば歌となる。書けば残せる。会に出せば人に伝わる。そのような催しを続けることで、公家気取りだのもやしっこだのと蔑み笑われた。
 天才という名の災厄が私及び私に似た者たちの作品を薙ぎ払うだろう。
 だが彼らの登場するまで、私は作品の発表される「場」を維持し続ける。消えてしまった文化に飛び込んでくる者はいない。続けていれば人は集まる。集まった百人が凡才なら、千人集めるまで続けよう。千人が凡人なら万でも億でも。一人の天才が現れて全てをぶち壊してしまうまで、「場」を保ち続けるのが、我々凡人の使命と私は考えている。
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 氏真は自身のことを自嘲気味に書いているが、歌の腕前だけでなく、剣術においては塚原卜伝に学び、免許皆伝の腕前だったという。活躍しなかったのではなく、自ら身を引いていたのだろう。

 桶狭間の戦い当日に話を戻そう。十倍近い兵力差があったとされたり、奇襲で有名な戦ではあるが、実際は大雨が降り止んでから信長が戦いを挑んだのではないか、という説もある。どちらにせよ、当時の勢いと兵力からして、信長が義元に勝てる確率は恐ろしく低かった。それゆえに生まれた義元軍の油断と、決死の覚悟の信長軍の強さと奇策が相まって、戦国時代の転換点と言われる結果となった。

 義元本陣への襲撃の僅か前。
 突如吹き荒れた雨風を防ぎながら、信長は森可成(もり・よしなり 1523~1570)の捧げ持つスマホに視線を向けていた。表示されているのはYouTubeでライブ配信中の、駿河にて催されているラップ・バトル会場であった。参加者のうちで一際目立っていたのは、公家と見紛うばかりの色白さと、戦国大名の子とは思えぬ細身の男であった。
「氏真、であるな」
 今川家にも多数の間者を潜り込ませている信長であるから、名を伏して参加しているその男の名も瞬時に言い当てることが出来た。
「大戦の前に、今川家の大将の嫡男がこのような遊び事など」可成は呆れて言う。
「いや、この男には何よりも大事な戦なのだろう」
 刀や鉄砲だけが男の生きる道とは限らない。今の自分が言っていい台詞ではないと思い、信長は口には出さなかった。しかし戦場というものが無くなれば、戦場でしか生きる道のなかった者は用無しになる。文化面でのプロフェッショナルの育成も、今後の課題と信長は考えていた。既に彼は天下統一のその先を考えていた。尾張の一大名でしかないこの時期に。今まさに今川軍に滅ぼされようとしているこの時に。

 氏真がステージに上がり、会場はブーイングの嵐に包まれる。
「どこぞの坊っちゃんか知らねえが、お供もいねえでやれんのかよ」
「京都へ上がって鼓でも打ってな!」
 怖気づいたのか、DJがビートを流し始めても、氏真はどのようなライムも刻もうとしなかった。「引きずり下ろせ!」などという声も動画は拾っている。コメント欄も一気に荒れ始めた。
「どうしてコメント機能をオフにしておらんのでしょう。もう観ていられません」可成は嘆く。
 だが信長には確信めいた予感があった。内通者を通じて氏真が信長に報せてきた、このライブ配信。おそらく今川方の本陣近くにいるであろう、氏真に近しい者からの報せを待っているのだ。
 そして氏真が口を開いた。
 森可成も、会場のオーディエンスも、呆気に取られて聴いていた。彼らには氏真の放つ言葉が、ライムが、フロウが、何一つ理解出来なかった。
「英語じゃな」洋楽かぶれの信長だけが、氏真の歌っている歌詞の意味を理解していた。
「エミネム『Lose Yourself』。ラップバトルの場で、人の曲をまるまる歌うのはルール違反じゃろうが」

Look, if you had, one shot, or one opportunity
(なあ もしお前が 一度だけ 一度だけの)
To seize everything you ever wanted. In one moment
(全てをつかむチャンスが一瞬でもあったら)
Would you capture it, or just let it slip?
(お前はつかみ取るか それとも諦めるか?)
Yo

You better lose yourself in the music, the moment
(我を忘れるほど音楽に没頭しろ この瞬間だ)
You own it, you better never let it go (go)
(お前だけのものだ 絶対に手放すな 次はない)
You only get one shot, do not miss your chance to blow
(チャンスは一度 逃さず決めろよ)
This opportunity comes once in a lifetime yo (you better)
(お前の人生で一度だけのチャンスだからな)

http://musicsoul.blog.jp/archives/25301358.html
より


「受け取った」信長は頷く。会場ではオーディエンスが何が何だか分からないながらも、氏真の声に含まれたバイブスに当てられて熱狂していた。森可成はもっと観たがっていたが、信長はスマホの電源を切らせ、今川軍本陣への突撃の指示を出した。
 その時を逃せば義元を討てなかっただろう、というタイミングで信長の奇襲が成功したのには、こういう裏があったのだ。

 信長軍の所持品であったスマホ発掘とデータ復元、動画視聴履歴から発見された氏真のラップバトルにおける勇姿により、桶狭間の戦いは氏真の手引による義元暗殺計画であったことが暴露された。実の親を敵に売り渡した氏真の気持ちは、およそ表現者でなければ理解出来ないことであろう。戦国の世に生まれながら戦国を嫌いぬいた氏真は、早々に終わりなき戦いから降りたかったのだ。武名より文名を。覇者の名声など欲しくはなく、連歌始め当時の文化を遥か未来まで存続させたかったのだ。そのために自らの文才を包み隠した節さえある。その後、どのラップバトルイベントにも氏真らしき人物が顔を出したという記録は残されていない。

 信長没後に天下統一を果たした秀吉は病に倒れた。その後戦国の世の覇者となった徳川家康は1616年に没した。氏真は早々に天下取りゲームから降りた身ながら、1615年まで生きた。武の覇者が家康なら、文の覇者は氏真だったと言えるかもしれない。義元が信長を打ち破り、天下人へと邁進していれば、一人息子であった氏真は大名稼業に忙しく、文化面での活躍の場は与えられなかっただろう。戦いは戦いを生む。各地を流浪して身を寄せる家を変えながら、氏真は常に戦いの外にいることで生きながらえた。
 唯一、戦闘に関わったといえる桶狭間の戦いで、氏真は歴史の流れを作った。


なかなかに 世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科(とが)にして

世や人を恨んでもしかたない。 時代に合わなかった自分が悪いのだから


 氏真の歌の一つである。
 時代が400~500年違えば、氏真こそが天下人だったかもしれない。
 もっとも、そうなれたとしても彼の場合、次なる天才が生まれる「場」を保つための裏方に徹するのかもしれないが。

(了)
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