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「だから僕は音楽を辞めた」ヨルシカ

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=KTZ-y85Erus


 ある人の書いていた文章がずっと頭に残っている。かつて新都社で小説を投稿していた人で、ブログの記事に書かれていたことだったと思う。ところが移転を繰り返していくつかある該当ブログを遡って読んでも、その言葉が見当たらない。勘違いしているだけで、全然違う人の文章だったかもしれない。ブログだと思いこんでるだけで、小説の中の一節だったかもしれない。
 それは大学サークルか高校の部活だったかで一緒だったバンド仲間の先輩とのやり取りである。

「音楽はなあ、弾くもんやない。聴くもんや」
 うろ覚えの記憶だけを頼りにすると、こんな感じだ。
「ロックはな、弾くもんじゃない、聴くもんだ」
 だったかもしれない。

 バンドに青春をかけていると、取り返しのつかないことになるんだぞ。早い内に目を覚まして、音楽は聴いて楽しむだけにしておけ、みたいなことを、先輩は言いたいわけだ。
 その前後のやり取りを確認したかったのだが、何せ本文を見つけられていない。
 当時、その人のブログを読むことが日常だった私が、日常の続きとして見た夢の中で、読んだ文章だった可能性もある。もしそうだったとしたら、前の職場で、感銘を受けた一節として同僚に披露したあの日の私は気が狂っていたのかもしれない。

 私の場合、高校時代で既に音楽への道は見切りをつけていた。スタジオ練習に入る直前か前日にしかまともに練習しないギタリスト/ドラマー/ベーシストだったし、既に文学少年にジョブチェンジしていた事は何度か書いた。今では楽器演奏禁止のアパートで、自分の身体をパーカッションにしてリズムを刻んで遊んでいる。楽しいが、子どもたちにも叩かれる。

 今回、彼のブログを遡って読んでいて気が付いたことがある。
 もう、「彼」だの「ある人」だのと書くのは止めよう。「坂先生」と書く。

 上記ブログの熱心な読者だった頃の私は、日勤夜勤行ったり来たりしたり、同い年の工場長に毎日ボコボコに怒られ続けていたり(それを全スルーしていたらなおさら怒られた)、初めての子育てで四苦八苦していた。今のように音楽を聴ける環境もなく、読書習慣からも遠ざかり、日々生き抜くのに必死だった。そんな職場であるから人は抜けた。妄想のゴリラと暮らしていたり、つぼみという名女優について熱く語るブログで、坂先生が就職活動中だと読んだ私は、コンタクトを取り、「うちに来てみませんか」と誘ってみた。人が欲しかった。物書き仲間であれば尚更だった。日々ボコられ続ける私のフォロー要員としても正直期待した。ネット歴が長い割に、オフ会などの経験がゼロの私にとって、初めて肉声で話したネット上での知り合いとなった。つまり、初めてを奪われた、と言い直してもいい。京都から離れようとしていた坂先生には丁重にお断りされたが、坂先生のためを思えば、あの時受けてくださらなくて良かったのだと思う。

 複数に渡る坂先生のブログの記事を遡っているうちに、妄想のゴリラやつぼみ以外にも、絶えず「執筆への情熱」を書き続けていることに気が付いた。歳を重ねても、公募に出した作品が最終選考で落ちても、日々の仕事で病みそうになっていても、発表先を変えても、坂先生は執筆を続けていた。

 そんな坂先生がもうすぐ商業デビューを果たす。
 ここでの直接宣伝などは規約的にまずいと思うので、詳細は坂先生のTwitter
https://twitter.com/sonnamasaka2
を参照してください。

 何作でも、何年でも、創作を続けてきたから、今がある。
 最初からいいものが作れる人など、一握りの天才しかいない。
 作り続けられる人も、それほど多くはない。
 人に認められずに挫けてやめる。
 生活に追われているうちに、創作することを忘れる。
 継続出来た一握りの人間のうち、商業的に認められて、デビュー出来るのもまたごく一部の者となる。今の時代、電子書籍などで自ら作家デビューするのは難しくはないが、それは別の話である。
 
 コロナ禍の前、近くの寺で開かれた音楽イベントを、子どもたちと見に行った。浅川マキのカヴァーをしていた人たちと、娘のココが演奏後絡んだ。
「カーモメー、カーモメーって歌ってた人だ、すごく上手でした!」
「お嬢ちゃん、音楽好きなの?」ギターを弾いていた男性の方が言った。
「うん!」
「そっかあ、でも、こっち側(演奏する方)に来たら、大変だからね」
「どういうこと?」
 子ども相手になかなかシビアな事を語るな、と思いながら私は聴いていた。この時もまた、「音楽は弾くもんやない、聴くもんや」というフレーズが頭に浮かんでいた。
 彼らは愛想笑いをして去っていった。近場で活動しているらしいので、また会うこともあるかもしれない。ヨルシカの「だから僕は音楽を辞めた」を初めて聴いた時、思い浮かんだのは彼らのことだった。それと、(多分)坂先生のブログの言葉だった。


考えたってわからないが、
本当に年老いたくないんだ
いつか死んだらって思うだけで
胸が空っぽになるんだ
将来何してるんだろうって
大人になったらわかったよ
何もしてないさ
幸せな顔した人が憎いのは
どう割り切ったらいいんだ
満たされない頭の奥の
化け物みたいな劣等感
間違ってないよ
なぁ、何だかんだあんたら人間だ
愛も救いも優しさも
根拠がないなんて気味が悪いよ
ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ
どうでもいいか あんたのせいだ


 あいみょんの「君はロックを聴かない」に並んで、「歌詞の中で物語が完結しているから、書きようがない」曲だったが、今回の事にちなんで書きたくなった。ちなみに坂先生は今は活動していないみたいだがドラマーでもある。

 お寺での音楽イベントの帰り道、娘にスマホで浅川マキ「かもめ」を聴かせながら、「音楽を続けていたら、今の人生はなかった」と思っていた。前回「Nine Lives」で書いたことと被るのでここでは省略する。
 ヨルシカは「だから僕は音楽を辞めた」と歌いながら音楽を続けている。
「こっち側に来たら、大変だからね」
「弾くもんやない、聴くもんや」
 ブランクを挟みつつも、私は結局書き続けている。
 音楽を辞めたところで、結局同じことだったのか。
 振り返ればこの「音楽小説集」だけでも、ここまで126編書いている。
 これからも多分書き続ける。

 昨日、健三郎の通う幼稚園「レッド・ツェッペリン」で発表会があった。健三郎はカスタネットや鈴を持っての演奏もしていたが、緊張のせいかガチガチの動きであった。家でパパをバシバシ叩いているようにやればいいのに、と思ったが、私が出ていくわけにもいかない。お寺のイベントの時に、司会者の方が健三郎にくれたタンバリンはすぐに壊れてしまった。子どもたちもそのうち一生をかけて熱中することを見つけるだろう。挫折したり結果が出なくて苦しむこともあるだろう。そんな時に、坂先生のブログを見せてあげようと思う。その頃まで残っていたらの話だが。

 坂先生の呟きを見る限り、やはり大変そうだ。お体を壊さないように、書き続けてください。私も書き続けます。

(了)
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