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「Immigrant Song」Led Zeppelin

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=RlNhD0oS5pk

ムジカ・ピッコリーノ版
https://www.youtube.com/watch?v=4DQ91O2mTs0



「いただきマングース」
「いただきマスカレード」
「いただきマスター・オブ・パペッツ(メタリカのサード・アルバム)」

 そういえば「あけましておめでとう」言ってなかったよな、と思いながら元日の昼食を食べる。おせちなどない。子供達と私が言ってるのはドラマ「99.9%」で松本潤演じる主人公がご飯を食べる際に放つオヤジギャグである。そもそも喪中のお正月ってあけおめ言うのだったかと思いつつ、調べもしない。

 思えばここ十年正月三が日はずっと仕事だった。職場の仕事量と人員のバランスによるものだ。

 大晦日:仕事少ない、人は多くはないがいることはいる。私休み。
 元日:仕事量は少ない。壊滅的に人が少ない。私出勤。
 二日:仕事量少し戻る。壊滅的に人が少ない。私出勤。
 三日:仕事量が通常に戻る。壊滅的以下略。私出勤。

 毎年何かしらの地獄があった気がするがコンプライアンス。
 元々正月らしいことなんてほとんどしてないやと開き直った今年。

 四歳になった健三郎の年明け第一声は「レゴ出して!」次に「携帯(スマホ)でアアアーアかけて!」だった。「アアアーア」とは、レッド・ツェッペリンの「Immigrant Song(移民の歌)」を指す。12/17に再放送された、Eテレ「ムジカ・ピッコリーノ」を観て以来、ずっとこんな感じだ。本放送時の2019年の際には「アアアーア!」と叫ぶだけだった健三郎も、今では「デッデデデデッデデッデデデデッデ」とリフを口で刻んだり、叫ぶだけでなく「ワッシュドワッシュドヨッセンホウ」とかよく分からない英語もどきで、最初から歌っていたりする。ワッシュド?

 録画した「ムジカ・ピッコリーノ」だけでなく、ムジカで使われた楽曲を集めたプレイリストを作って聴かせているので、カーペンターズ「Yesterday Once More」や、はっぴいえんど「風をあつめて」、石川さゆり「津軽海峡・冬景色」だって歌う。九歳になったココはくるりの「ばらの花」が流れると「この曲大好き!」と言ったりする。
 でも結局健三郎は「アアアーアかけて!」となるのだ。
 自分でスマホ操作してそこに戻るのだ。
 妻が録画していた映画「スクール・オブ・ロック」を観ていたら、何故か嫌がり「アアアーアのモンストロお願い(訳:レッド・ツェッペリン「Immigrant Song」の回の「ムジカ・ピッコリーノ」を流しなさい)」と妻に抱きついて要求していた。

 普段は大人しいドラマーのルネッタだが、ゴーグルを装着すると性格が雄々しくなり、「アアアーア!」は彼女がドラムを叩きながら叫んでいる。
「パパ、どうしてルネッタはメガネかけるとアアアーってなるの?」と健三郎は何度も訊いてくる。
「そういう性格なんだよ」
「だからなんで!」
 だからと言われても。

 そもそもパパはレッド・ツェッペリンは、「天国への階段」が収録された「レッド・ツェッペリンⅣ」から聴いて、次に「胸いっぱいの愛を」が収録された「レッド・ツェッペリンⅡ」を聴いたので、その間にある、「レッド・ツェッペリンⅢ」は随分後になってから聴いたんだ。「Immigrant Song」はそれに入っていたから、パパの中では少し馴染みの薄い曲だったんだ。中学生のお金の事情ってやつだ。だからいつかレッド・ツェッペリンで書く時が来たら、先に聴いた二枚に入っていたどれかって考えていたんだ。
「だからなんで!」
 そう言われても。

「スクール・オブ・ロック」の最後の場面では、主人公の偽教師率いる小学生バンドが、客席からのアンコールに応えて、AC/DC「Highway to Hell」を演奏する。今読んでいる恒川光太郎「金色機械」の中に、人への恨みと憎しみから、剣を学ぼうとする娘に向かって「どの道も地獄に繋がっている」と諌める、父親である町医者の言葉がある。作中、飢饉によって流浪の民となった人達が登場する。「移民の歌」と重なるな、と思って歌詞を調べたが、北欧のヴァイキングがアメリカ大陸へと進出した時の歌っぽい。飢饉から逃れて、といういイメージの曲ではなかった。

 元を辿れば我々はどこかからの移民である。実は私自身、かつてアフリカの小国で生まれ、幼い頃から奴隷同然の労働者として過ごした。兄弟は次々と倒れていった。クーデターなどがあり、故郷と呼べる国はもう無くなってしまった。どうにか生きて国を脱出した私は、その後数々の犯罪に手を染め、名前を変え顔を変え、日本でどうにか正体を隠して生き延びている。一歩間違えばとっくの昔に、私は広大な農園の土になっていたのかもしれない。
 といった内容は、かつて同僚に頼まれて書いた「ブラックサンダーと私」という話の粗筋だ。新入社員が入る度に、色の浅黒い私のルーツを紹介する為の資料として配られていた。一応注記しておくと、フィクションである。

 子供達を連れて公園に遊びに行くと、ブランコが壊れていた為か、正月休み中の割に人が少なかった。砂場遊びにはまっている健三郎の為に、車のおもちゃを走らせる為のコースを設計する。コース作りに使用した砂は中央に集めて巨大な山とする。コースを伸ばし、道と道の間のスペースは街とし、バケツで固めた砂を並べていく。乾いた砂なのですぐに崩れて、廃墟のビル街のようになる。やがて砂遊びに飽きた健三郎が滑り台に行くと、別の子がやってきて、私の建築した廃墟を蹴り倒していく。新しく入った者は先住者を駆逐していく。同じ幼稚園の子がいたらしく、その子らと健三郎が遊んでいる。男の子相手の時より、女の子の近くにいる時の方が遥かにテンションが高い。ココが小さい子に滑り台の滑り方を教えている。

「ただいマスカット」
「ただいマングース」
「ただいマスター・オブ・リアリティ(ブラック・サバスのサード・アルバム)」

 家に帰っても健三郎はまた雄叫びを上げている。ココが合わせて踊っている。ギターリフぐらい弾いてあげたいが、楽器演奏禁止のアパートである。いつか防音設備の整った家に引っ越せたなら、などと、移民ならぬ移住の夢を見る。

(了)
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