動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=AW7KvOBQA54
阿修羅琴は手を触れずとも鳴る。聴く心があれば、演奏者は不要なのだ。
倒れた阿修羅の三つの面にある合計六つの耳は、阿修羅琴の鳴らす音色をそれぞれ別の意味に受け取っていた。
一つは「休め」と。
一つは「眠れ」と。
一つは「諦めろ」と。
一つは「倒れたままでいろ」と。
一つは「死ぬ頃合いだ」と。
心と身体が死へと傾いた瞬間、最後の耳にだけは琴の音が
「戦え」
と響いた。
三つの口から吐いた血が床をドロドロにしていた。
折れた手足は元に戻ろうとして更に折れた。
背中に刺さった矢は弓から離れた後も阿修羅の身体の中を突き進み続けていた。
戦い続けられる身体ではなかった。
閉じた瞼から血を流していた阿修羅はそれでも前へと進む。
身体からバリバリと古い皮膚が、顔が、骨が、離れていった。
新しい身体で現れた阿修羅は再び神々との終わらぬ戦いへと赴いていった。
どれほど傷つけられようと、何度死に近付こうと、戦うことを止めるわけにはいかなかった。
寝床に残された阿修羅琴は、もう何も鳴らしてはいなかった。
*
目覚まし時計が鳴っても、窓の外のシャッターを降ろしているから、部屋は暗いままだ。夢の中で何かの音色を聴いていた気がした。ギターを弾きたくなった。子どもたちはまだ寝ているのでそうもいかない。トイレに籠もる。朝の長い長い排便をする。昨日食べた以上の量の便が出ていく。自分の腸は機能しているのだろうか。トイレに置いた再読用の本を手に取る。今は色川武大の短編集「百」を読んでいる。
二十年ぶりぐらいだろうか。色川武大=阿佐田哲也の、ギョロリとした目玉を持った顔が浮かんでくる。一人称で語られるから、色川本人がすぐ横に居て語りかけてくるような気配がある。少し前に大江健三郎の再読をしていた時もそうだった。ほとんどの作品を読んでいる作家の容姿を知っているというのは、よくないことかもしれない。そこにあるのは紙に印刷された文字の連なりに過ぎないのに、それ以上の重みを持ってこちらに迫ってくる。臨場感がある、読書をより一層楽しめるといえば聞こえはいいが、幻聴、幻覚の一歩手前ともいえる。「小説を読むと、本当にその世界の中にいるような錯覚に陥ってしまう為、読むことが出来ない」という人の話を聞いたことがある。感覚過敏の一種なのだろうが、端から見れば羨ましいとも思えることも、本人にとっては命がけのことかもしれない。
人の顔が見えた方が文章に没入しやすくなるというなら、私の顔を想像してもらうことはたやすい。モンスターエンジンというお笑いコンビに、西森という方がいる。彼が病気をした後、人相ががらりと変わったと一時期話題になった。「病後の西森」の顔がほぼ私である。黒髪と白髪のバランス、ボコボコとした顔の肌。病気前の西森氏と私は似ていない。
(この段落、マツキ先生の「やべえmatsukiに似てる韓国の俳優見つけた。」に影響を受けてます https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21484&story=699)
P-MODELにも参加していたミュージシャン、福間創が2022年1月1日に亡くなった。私の好きな「ASHURA CLOCK」にも参加していた人だという。死因を調べてみると「未破裂血栓化大動脈瘤を要因とした」と書いてあった。
https://www.helios-phere.com/oshirase20220107
モンスターエンジン西森の病気も調べてみる。「腹腔内腫瘍」らしい。白髪は病気とは関係ない。
https://shimane-goen.jp/monsutaenjin-nisimorihuketa/
一日の始まりに句作するのが習慣になってきた。ある日の季語は「咳く」であり、せく、しわぶく、咳をする、どう使おうかと考えながら、洗い物をしていた。Spotifyの自作プレイリスト「とりあえず」を流しながら。するとP-MODEL「ASHURA CLOCK」がかかり、「阿修羅咳く」という上五が決定した。そうなればこっちのものだ。どっちの誰だ? 阿修羅が咳をすればそれからどうなる、どうにでもなる。
阿修羅について調べる。誰も触れずとも鳴るという琴「阿修羅琴」の記述が気になった。「阿修羅咳く異なる琴音六耳聴く」で完成させる。続いて付随する物語を書く。
阿修羅は咳いた。三面それぞれ血を吐いた。触れてもいないのに阿修羅琴が鳴り、六つの耳に異なる音色を響かせた。「眠れ」「休め」「止まれ」「諦めろ」「倒れな」「戦え」阿修羅は自らの血に幾度か足を滑らせながらも立ち上がり、戦いへと赴いた。
戦い続ける阿修羅の耳は、五つまでは戦いを止めることを欲した。だが最後の一つだけはこれまでと同じやり方で生きる道を選んだ。最も強いその感情に引きずられて、阿修羅は再び戦地へと赴く。彼がその他の耳に従うのはいつになるのか。
阿修羅は戦う。ではそれを書く私は? という問いかけはつまらなく思えた。自分のことは脇におくべきだ。これを記したからといって自分も戦いを始めるわけでもない。むしろ戦いの舞台から降りたがっている。家庭にいると、もう二度と正社員の日々には戻りたくないと思えてくる。給料が安かろうとアルバイトで働こうかと思う。それもフルタイムでなく。出来た時間を創作に費やす。それで家計が繋がるかは分からないが。会社内での上昇志向もなく、会社の為に尽くす覚悟もない私が、またどこかで社員になれたとしても、同じことの繰り返しになるだけだろう。私は阿修羅ではない。倒れたままでいろと言われればそうする。這いつくばった地面に、仕事とは関係のない事柄を刻み続ける。
*
帝釈天との終わらぬ戦に再び阿修羅は駆けつけた。
仲間の悪神たちが阿修羅をからかう。
「もう死んだかと思ったぞ」「戦うのが嫌になったか」
満身創痍であっても悪態をつく元気だけはあるようだ。
一皮向けた阿修羅は軽くいなす。
「目覚まし時計をな、五つまで壊してきた」
仲間たちと笑い合いながら、阿修羅は再び血の海を作る。血の海に潜る。何度でも蘇り戦い続ける。
(了)