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「The Sky Is A Neighborhood」Foo Fighters

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=TRqiFPpw2fY

ライブ版
https://www.youtube.com/watch?v=4nB48tYWoSM




 空は近所、空は近所、と完璧な和訳を繰り返し口ずさむ。
 今頃ようやく打ったコロナワクチンの、二回目接種後の副反応による高熱の中で、「急死」という言葉に取り憑かれる。取り憑かれついでにフー・ファイターズの「The Sky Is A Neighborhood」が頭の中でぐるぐる駆け巡る。熱の中で見た夢の中で、去年亡くなった叔父が、退社した私の元勤め先を訪ねて来る。だから親族全員に私が現在無職であることがばれてしまう。急死すれば何もかもなかったことにして、ややこしい事態もこれからの展望も考えなくて済む。空は近所。空は近所。

 結果として高熱に苦しんだのは丸一日だけだった。
 持病などないし、一回目の副反応もほとんど出なかったので大丈夫だろうとタカをくくっていたら、最高38.7℃、長期間(一日)37℃台と38℃台を行ったり来たりした。自覚症状がないだけで、高熱がきっかけで取り返しの付かないことになる病を持っていたらどうしよう。もう一度眠ったら二度と起き上がれなくなるかもしれない。ちらつく「急死」という言葉には、つい先日急逝した私小説作家・西村賢太氏の影響がある。すぐさま彼を題材にして小説を書いた。その後彼の著作をまた読み始めた。どのようにして生きていたかが丸分かりになる作風だから、その終わりを知っているだけに、全ての内容が悲しく見えた。そこに続くように自分が急死したところで、ニュースにもならず小説にも書かれない。事件性・話題性のなさは、救いとも情けなさとも取れた。

 熱がやや大人しくなった頃合には、妙に頭が冴えて眠れなくなった。スマホをいじってプロ野球キャンプの動向などを、まとめブログ経由で眺める。新庄ビッグボスが目立っている。阪神の中継ぎ・抑えはどうなるのか。ふとどこかで伊良部秀輝氏の画像を見る。よせばいいのに彼の現在を調べてしまう。2011年に首吊り自殺で亡くなったことを思い出してしまう。
 空は近所。
 空は近所。


The sky is a neighborhood
この大空は俺の庭なんだ

So keep it down
だから静かにしてくれ

The heart is a storybook
その心は物語を語る本なんだ

A star burned out
星が燃え尽きた
http://lyrics-wayaku.seesaa.net/article/452970022.html
和訳サイトより


 この曲の作詞の経緯は、デイヴ・グロールの趣味が天体観測というところから来ている。タイトルだけがまず浮かんだということで、私が急死と結びつけているような内容ではない。
 
 この曲と「Walk」。フー・ファイターズの二曲を延々とリピートさせて出社していた時期があった。「空は近所」「ぜってー死にたくねー」対になるようなならないような二曲に縋らなければ、うまく歩けない一時期があった。高熱に何ヶ月も(注:約一日です)うなされて死の淵を漂いながら、あの頃の事を頻繁に思い出していた。西村賢太氏と伊良部秀輝氏と叔父と、亡くなった従業員や、夕方の五分ニュースで流された殺人事件の報道がフラッシュバックした。

 水分を多く取る分、頻繁に小便にも立つ。
「あ、起きた」と言って息子の健三郎がすぐに近付いて来ようとするのを「パパまだ具合が悪いから」と妻に止められている。
「なんでパパ風邪引くの」と娘のココが怒る。
「風邪じゃなくてワクチンの副反応」
 もう何年も(注:一日)公園に遊びに行けていないな。遊びたい盛りなのにごめんな、と心の中で謝りながら放尿する。腹は空いているが食べにいく元気がない。ポカリスエットのペットボトルを三本空ける。空は近所。空は近所。

 こんな「空は近所」の歌詞もある。


月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)
(「炭坑節」の歌詞一例)


 実際には煙突が高かろうと煙を大量に吐いていようと、月が煙たがるわけではない。CO2排出による大気への影響云々でいえばあながち間違いではないかもしれないが、月と煙突との距離は、物理的な影響が届くほど近くはない。

 地上から見上げる空は果てがない。その遠さが実感しづらい分、実際以上に近く捉えられてきた節もある。

 逆に、空を遠ざけたらどう映るか。伝説の鳥、鵬が遥か上空から見下ろした地上は、我々が空を見上げるのと同じく、青い色をしていたという。


 空の高みにただよい行きながら,鵬は,動き行く春の白いかすみや舞い上がる塵埃の雲,生き物どもの吐き出す息を目にする。空の青は,その本来の色なのか,空が果てしなく遠くまで広がるためなのか,地上のものは空の青さと同じように見える。
[荘子内篇第一 逍遙遊篇]https://www.asahi-net.or.jp/~qh4s-kbym/Chuangtse1-1.html
より


 見上げれば青、見下ろされてみても青。空と地が同じ色と感じ取られてしまうのならば、ますます空は近くなったといえるのではないだろうか。空は近所。

 知りたくもない故人の数が増えてしまいそうなので、スマホを手放して睡眠に集中する。熱も微熱へと下がっている。目が覚めると、発熱の気配はなく、食欲も戻っていた。どれくらい眠っていたかと、年末に購入した永久時計を見ると、六十年が経過していた。窓の外に建物は見えず、ただただ青空ばかりが見えた。私は急死しなかったが、代わりに世界が滅んでしまったらしい。灰色の瓦礫や砂ではなく、青空のような世界がどこまでも広がっていた。

「The Sky Is A Neighborhood」側から「Walk」の方へと。六十年振りに家族と会う為に、一歩外へと踏み出さないといけなかったが、寝すぎたせいで腰が酷く痛み、立ち上がるのがやっとだった。空腹を満たすため、霞(かすみ)でも食うかと、手を伸ばし、空気を掴んで口に運ぶ。まったくもって美味くはないが、食べることは出来た。体力回復に十年、気力回復に二十年というところか。
 
 ドアの外には時折、鵬らしき巨大な鳥の姿が見えた。空を飛んでいる姿なのか、地上に降りている姿なのかは、判然としなかった。

 数ページ読んだだけで止めた、岩波文庫版「荘子」を探そうと、本棚に触れた。すると本棚が、本が、指が、身体が、細かく砕けて砂のように崩れた。壁も窓も床もそのようになり、外の青空に拡散されていった。
 空はここだ。空は私だ。鵬はどこだと探す必要もなかった。鵬も私の中にいて、私も鵬の中にいた。かつて一冊の「荘子」であった素粒子を私は吸い込み、私も「荘子」に吸い込まれた。


(了)
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