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「Under Age's Song」Dragon Ash

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=Yylfj8xcET0





 砂場の前のベンチで、寝起きの芥川龍之介がぼんやりしながら宙空に指を走らせている。目の前に浮かぶ歯車を取り除いているようでもある。近くに行けば何やらぶつぶつ呟いている言葉も聞こえてくる。
「死んだ魂は二度と更新されないのだ」とかなんとか。
 声に反応したのか、私の運転する自転車の前座席で眠っていた健三郎が目を開ける。芥川龍之介に向けて手をかざし、わさわさと手を振る。歯車を取り除いてやっているようにも、犬をあやしている姿のようにも見えた。

 いきなり公園にいる芥川龍之介の話をしても読者には訳が分からないと思うので、ここに至る経緯を記していくことにする。

 西村賢太氏の急逝と、自らのコロナワクチン接種後副反応の影響から、私の頭に「急死」という言葉が頻繁にちらつくようになった。根拠のないことでもなく、今年の十月に誕生日を迎えれば四十二歳になる。「し・に」の歳である。子ども達も十一月にはそれぞれ十歳と五歳になるわけだ。十歳といえばもう子ども扱いもしていられず、五歳といえば幼児とも言えなくなってくる。自らを顧みても、五歳の頃には性に目覚め、好きな女の子もいたはずだ。

 ティーン・エイジャーへと向かっている娘を見ながら、自らの未成年時代を思い出す。周囲の友人達がそれぞれ学生になり社会人になり立場を作り続けている間に、私はたまの日雇い仕事以外はぶらぶらしていた。友人宅に泊まりに行った際に、ドラゴン・アッシュの「Under Age's Song」が流れていた。長いギター・ソロの入ったアルバム・バージョンを聴きながら、持ってはいるけれども弾かれている素振りのない友人所蔵のギターで弾いてみたりした。当時も、その前の高校時代も、友人達とどのような会話をしていたかをほとんど覚えていない。何も話していなかったのかもしれない。煙のように消えていく言葉と行動と青春と時間と。

 前回フー・ファイターズの「The Sky Is A Neighborhood」で「荘子」について少し触れた。電子書籍で荘子関連のものでも読もうかと探したら、岡本かの子の小説「荘子」が出てきたので読んだ。岡本かの子とは大正・昭和に生きた歌人・仏教研究科・小説家。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E3%81%8B%E3%81%AE%E5%AD%90

 小説「荘子」では、主人公である荘子が、遊郭のある女性の我儘放題の姿を見て、人間のありのままの形の美しさを知り、書物を捨て、肉体労働や実際の生活の中に入り込み、どのような場所でも道は極められる、と悟る話である。

 同じく岡本かの子の小説デビュー作「鶴は病みき」を読む。避暑地で隣り合わせた芥川龍之介について書いている。名作を数多く残しても、人間的な嫉妬や猜疑心を持ち、次第に神経を病んで怪しくなる行状などに触れられている。


「 何してらっしゃるのですか。」と足音をひそめて私が近寄ると、氏は極々あたりまえの 顔をして「炎天の地下層にですな、小人がうじゃうじゃ湧こうとしてるんじゃ無いですかな。」「え?」私はたらたら汗を流して居る氏を、不思議に見詰めた。「あはは……誰でも こんな錯覚が時々ありそうですな。」「…………。」立ち上った氏の足下には大粒の黒蟻 が沢山殺されて居た。汗で長髪を額にねばり付かせ、けらけら笑って立って居る氏に私は 白昼の鬼気を感じた。

岡本 かの子. 鶴は病みき (Kindle の位置No.229-234). 青空文庫. Kindle 版.


 晩年の芥川龍之介の作品を読めば、精神が病んでいく様子が手に取るように分かる。内側からの視点だ。「鶴は病みき」のように、外側からの視点で描かれる芥川の姿は痛ましく、内側からの視点以上に感傷を呼び起こす。芥川は睡眠薬の過剰摂取で三十五年で生涯を閉じた。死の数日前に芥川を訪ねた内田百閒は、睡眠薬でべろんべろんになっている芥川を見ている。来たるべき時に備えて身体を慣らしていたとか、実際は狂言自殺を図ろうとしたが、運悪く発見が遅れたとかの説があるらしいが、とにかく芥川は若くして亡くなった。当時の社会に与えた影響は大きく、多数の後追い自殺者が出たとか。


太陽より少し早く目ざめ 濃いめのコーヒー口に含み
夜空を彩る星の数数え壁にぶつかっていることを実感
六感を刺激するこの恐怖抜け出そうとするたびに加速
翼を広げたキミはFly 活路をなくした僕はStay


 芥川の「歯車」を読んだのは、十六歳頃のことだ。当時ただ何となく彼の作品をいくつか読んでいた私は、「歯車」を読んで怒りを覚えた。作品や作者にではない。このような作品を書かせた文壇や世間、彼を救えなかった世界全体に向けての怒りだった。明らかに死に向かっている文章を書いておきながら、周囲は止めることも出来ずに彼を死なせてしまった。どうにか救いようがあったはずだ。彼を死なせずに済んだはずだ。結果としては自死だが、当時の世界そのものが彼を殺したようにも思えてならなかった。だから長らくその怒りと共に「歯車」の再読を自らに禁じていた。他にそのように扱う書物はない。

「鶴は病みき」を読んだ後、私は禁を破り「歯車」を読み返してみた。

真夜中の廊下には誰も通らない。が、時々戸の外に翼の音の聞えることもある。どこかに 鳥でも飼ってあるのかも知れない。          

芥川 竜之介. 歯車 (p.10). 青空文庫. Kindle 版.

「それは薬でも駄目ですよ。信者になる気はありませんか?」
「若し僕でもなれるものなら……」
「何もむずかしいことはないのです。唯神を信じ、神の子の基督を信じ、基督の行った奇蹟 を信じさえすれば……」
「悪魔を信じることは出来ますがね。……」

芥川 竜之介. 歯車 (p.30). 青空文庫. Kindle 版.

僕はさんざんためらった後、この恐怖を紛らす為に「罪と罰」を読みはじめた。しかし偶然開いた頁は「カラマゾフ兄弟」の一節だった。僕は本を間違えたのかと思い、本の表紙へ 目を落した。「罪と罰」――本は「罪と罰」に違いなかった。僕はこの製本屋の綴じ違え に、――その又綴じ違えた頁を開いたことに運命の指の動いているのを感じ、やむを得ず そこを読んで行った。

芥川 竜之介. 歯車 (p.35). 青空文庫. Kindle 版.

「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
 妻はやっと顔を擡げ、無理に微笑 して話しつづけた。
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死ん でしまいそうな気がしたものですから。……」  
 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力 を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰 か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?

芥川 竜之介. 歯車 (p.42). 青空文庫. Kindle 版.


 どれもこれも病的な断片を抜き出してみる。ドストエフスキー「罪と罰」を手に取ったら、「カラマーゾフの兄弟」のページが紛れていたなどとは、やりすぎの感があるが、それは事実ではなく、彼は既に自分の手に取った本が何なのか判然としていなかったのかもしれない。

 十代の頃と同じ怒りの感情が私を襲いかけるが、思い留まる。後を追うような若さは既に私にはないし、彼は幾千の私のような者の代わりに先に逝ってくれたのだとすら思う。


とめどなく続くこの生活心地よい空気吸うことも少なく
何かに追われることにも慣れ なれなれしく踏み込む大人に慣れ
薄れていくのは少年時代ふくらみだすのは権力社会
似たりよったりの個性はSucker Pick up the mic今飛び立つ時


 十九歳の降谷建志の書いた曲を、同じくまだ十代の私が聴いていた。あれからかれこれ二十数年経ち、幽鬼じみた芥川龍之介の前でこの曲を口ずさんでいる。

「歯車」を読み終えた夕方、眠そうにしながら昼寝を我慢して遊び続けていた健三郎が突然「公園に行きたい!」と言い出した。今から行ってもすぐに暗くなるし大して遊べない、と説得するが聞いてはくれない。自転車の前座席に乗せてみれば早くもうとうとし始め、すぐそこの公園に着いた頃には目を閉じて寝息を立てていた。家に戻っても自転車から降ろす際に起こしてしまいそうで、夕闇の降り始める公園に立ち止まって、いつも遊ぶ砂場をぼんやりと眺めていた。灰色の雲と同じ色が砂場に映り、砂ではなく灰が積み重なっているように見えた。

 これまで焼かれてきた無数の人間の灰が各地から集まり、砂の代わりに砂場へと積もる。砂で山や城や人が形作れるように、灰を使って同じようにそれらを作ることも可能だろう。かつて人であった灰ならば、人の形を作ればよりリアルに人に似て、動き喋り出すかもしれない。
 そんなことを思ううちに強風が吹き荒れ、灰のような砂、もしくは砂のような灰が舞い上がり、ベンチの上で人の形を成した。そうして冒頭の「砂場の近くのベンチにいる寝起きの芥川龍之介」が出来上がったわけだ。灰(Ash)から生まれた龍之介(Dragon)。それを見ながら未成年時代を思い起こす私、という構図により、ドラゴン・アッシュ「Under Age's Song」が流れ出した。

 健三郎は目を覚ましたものの、暗くなり始めた公園にいる不気味な故人を見て、「帰ろう」と言い出す。自分から遊びに行こうと言い出したのに。「ちょっと買い物行くから」と言うと「じゃあ買い物! ぶーぶー買って!」と現金なことを言うので「ぶーぶーは買いません」と言い切った。芥川龍之介はありもしない煙草を吸おうとしている。一日百八十本を灰にしたこともあるという彼は、灰になってもまだ灰を作りたいのらしい。これまでどれほどの回数彼の小説は読まれてきたのだろう。これまでどれほどの量の彼の本が灰となってきたのだろう。これまでどれだけの回数彼の書いた話は忘れられてきたのだろう。これまでどれだけの回数、こうして現れた彼を見ない振りをしてきたのだろう。


羽根のないすべての天使に今
歌いささげるよ This is under age’s song
Be stronger Fly higher Don’t be afraid
Be stronger Fly higher Don’t be afraid
その足で踏み出せばいい誇らしく
揺るぎない翼を広げればいい
Take your time and fly high!


 強くない力で高くも飛べず、心配だらけの道を進む。踏み出す足は自転車のペダルで、どこにも翼はありはしない。未成年だった頃は遠い昔で、あの頃に思い描いていた未来には生きていない。あの頃の友人達のその後は誰も知らない。

 家族が寝静まった夜、一人家を抜け出して真夜中の公園へと、中学生にでもなったような気分で赴く。芥川龍之介はいくらか身体から灰が散ってぼやけてはいたが、まだベンチで空煙草を吹かしていた。隣に座れば私の肩に灰がふりかかってくる。
「君はレイン・コートの幽霊かい?」
 芥川が度々見たというレイン・コートを羽織った男の姿に私は見えているらしい。ややこしい文学談義などふっかけられたらどうしようかと心配していた。小説を読むのが好きなだけで、小難しい話など出来やしない。
「いいえ。あなたこそ、まるで死人のようですよ」
 ははは! と彼は笑った。豪快に笑うものだから、彼の顔が霧散した。病んで痩せ細りながらも、笑い声だけは昔のままに豪快で、一層哀れさを感じさせた、というようなことを岡本かの子は書いていた。風も吹いていないのに、芥川龍之介の形をしていた灰は空へ空へと昇っていった。空へ舞い上がれない私はしばらくその場に、またこの世に、Stayしていた。

(了)
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