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「こんなもんじゃない」真島昌利

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https://www.youtube.com/watch?v=Pt8ux0dV1pM



 天正八年、播磨国三木城内には飢餓地獄が広がっていた。約二年続く籠城戦の間に、食料は尽きかけていた。城を囲む羽柴秀吉の軍勢の散発的な攻めに対抗するために、武士にはまだ人として動けるだけの、それでも僅かな食物が供されていた。周辺から逃げ込んできた七千を越える領民全てが、満足に人として生きていけるだけのものは既にない。毛利からの補給が絶たれて以降、馬が死ねば馬を、犬が死ねば犬を、人が死ねば人を食う地獄が、この世に現出していた。

 別所吉親(生年不明~1580)は領民の住む場所からは離れた本丸にて、当主別所長治(1558~1580)の訪問を受けていた。美麗だった長治の顔貌にもやつれが見える。当主とはいえ腹いっぱいに食べられる状況ではなく、自分の分を削って幼い子らに与えてもいた。かつては織田に臣従することを選び、家臣団の意を汲まざるを得ない状況を経て毛利に寝返ってからも、徹底抗戦には反対していた当主は、吉親の命により家族ともども幽閉されていた。事実上三木城を指揮しているのは強硬派の吉親であった。羽柴勢への降伏を頑として認めず、領民の大半が飢え死にする現状を作り出している元凶であった。

 幽閉していたはずの長治が目の前にいることを恐れる素振りを吉親は見せない。
 粛清したつもりの長治派がまだ生き残っていたのか、見張りの兵士は殺されたのか、などという想いは些末なことでしかない。吉親は長治の叔父であり後見人という本来の立場をとっくに忘れ、自分はまだまだ戦えると信じている。長く続いた別所の血統に縋り、播磨国人達の屈強さを信じ、ここまで織田軍に抵抗出来ている、というまやかしの実績の上にあぐらをかいている。目の前にいる相手が誰であろうと、自分の立場を覆せるものではないと思いこんでいた。
 こんなものではない。まだまだ巻き返せる。まだ戦える。当主が今更しゃしゃり出てきたところで、揺らぐものではない。


確かに本当に見えたものが
一般論にすり替えられる
確かに輝いて見えたものが
ただのキレイゴトに変わる
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない


 吉親の眼に宿っている狂気に怯まず、長治は口を開いた。
「別所家が責任を追って腹を切り、兵士、領民を生かす」
 長治は敢えて共を連れずに吉親と相対していた。連れてきた共が逆上して吉親を斬ることが十分あり得たためだ。
「殿、正気ですかな?」
 長治には四人の子供がおり、長治と共に幽閉されている。まだ幼き子らを我が身もろとも差し出して、領民の助命を敵に頼む。そのようなことは吉親には信じ難かった。吉親の妻、波は女兵士を率いて戦ってもいる。そんな家族の命をどうして差し出せようか。同じ散る命ならば、敵兵のいくらかを道連れにして戦場で散るべきだ。しかし長治は吉親の目を見据えて続けた。
「ここまで三木城が持ち堪えておるのは、我らの踏ん張りが効いているからではない。荒木村重の謀反、羽柴軍の軍師竹中半兵衛の病死、ただただ幾つかの幸運に恵まれているからに他ならない。
 これまで信長の命により、撫で斬り(城内皆殺し)にあった城は数多くある。このままだと我らもそれに連なり、城内の者全て殺されるは必定。我らに抵抗出来る力は最早残ってはおらぬ。それに、織田軍の本気とはこんなものではない。多方面に派兵せざるを得ないために、三木城攻めに割かれる兵力が少ないだけだ。他にやるべきことが多すぎて、この城は後回しにされておるのだ。本気を出して兵を集結させれば、立ち所に我らは壊滅させられる。こんなものではないのだ。苦しみは、地獄は、これからが本当の始まりなのだ」

 吉親は黙って首を振る。
「殿は、どこぞの間者に吹き込まれたのですかな? 同じことはこちら側にも言えるのでは? 毛利の大軍が次こそは盤石の態勢で支援に来るはず。織田家内部のごたごたも、今以上に激しくなるのでは? 我らが二年近く落とされない姿を見て、織田の軍は弱い、反旗を翻すなら今だ、と考える者らも増えておるのでは?」
 全て自分に都合よく吉親は情報を受け取っている。長治は元より吉親を説得出来るとは思ってはいない。狂人は人の話を聞かず、正常な判断が出来なくなっているから狂人なのだ。
 望んで家を滅ぼして領民を救おうとする、自分の判断こそ狂人のものか、と長治は自分を嘲る。長治が身を挺して吉親の目を引き付けている間に、羽柴軍への投降条件を記した書状を持たせた使者は、城外への脱出を成功させていた。
 

愛や幸福を君は偉そうに
雄弁に語り続けるが
そんな事はもう遥か昔に
散々親から聞かされた
目がくらむ程何かを信じる事は
時に自由をおびやかす
俺に説教たれるその前に
鏡を覗いたらどうだ?
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない
こんなもんじゃない


「我ら別所家の命と、我らに囲われて生かされているに過ぎない領民の命が、対等であるはずはない」吉親は降伏を受け入れようとはしない。
「同じ命だ。このままでは皆殺しにされる同じ命だ。我らが犠牲になれば、生きることの出来る命だ。既に半数近くが犠牲になっておる。ここで止めれば、半数は救えるのだ」
「そのような考え、武士のものではござらん!」
「ならば武士でなくて構わん。
 我が子を殺したいなどと私も思ってはおらん。
 だが、ここで我らが死なねば、無数の子どもらが死ぬのだ。
 ここで死ななかったら生きることの出来た命が、新たに命を生み出すのだ。
 それらは我らの子であると考えよ」
「認めん。最後の一兵まで戦うのみ」

 別所吉親・長治両者の対話は平行線に終わるが、戦は集結に向かっていた。翌日、別所家の降伏条件は城内に知れ渡り、錯乱した吉親は兵士達に取り押さえられ、斬り殺された。吉親が最期に道連れにした命は敵兵ではなく、これまで籠城を共にしてきた仲間の兵士であった。

 別所一族の自害の様子はここでは割愛する。

 羽柴軍は条件を呑み、領民並びに兵士達を撫で斬りにすることはなく解放し、炊き出しまで与えた。長きに渡る飢えに慣れた胃袋は、急に大量の食物を摂ると耐え切れずに、死に至ることもあるが、そのことを注意されて頭で理解しつつも、徐々に水分を摂ることから始めずに炊き出しにがっついて、せっかく生き延びた命を落とす者も少なくなかったという。
 
 吉親と同じく長治の叔父であり後見人であった別所重宗(1529~1591)は、元々織田寄りの立場であったため、別所家を離れ、羽柴陣勢についていた。そちらで別所の血は繋がれていった。
 
(了)


*三木合戦を書いた天野純希「もろびとの空」に触発されて書いたもの。別所家の壮絶な自害の様子は終盤に。
そしてその感想↓
天野純希「もろびとの空」(そして回復についての長い自分話)
https://note.com/dorobe56/n/n76b8abb03b3a
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