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「Junk Story」hide

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https://www.youtube.com/watch?v=9xptUx0MTpA


 毎日毎日誰のためにもならない話を書いている。
 前向きになれる、とか、何かの役に立つ、とか、泣けました、とか、その手の感想からはかけ離れた、読んでも「だから何?」「この作者は何が言いたいの?」「どうしてこの登場人物は書きもしない小説の話について語り続けているの?」といった話を。
 何故かと問われれば、そういう話が好きで、そういう話しか書けないからだ。
 当然何かの賞を取ってデビューできるわけでもないし、少数ながらも熱心な固定ファンがお金を送ってくれるなんてことも起こらない。
 私の書くものはガラクタで、私自身も「ジャンク品です」という注意書きを常に貼り付けていなければ、外を歩いてはいけないような存在だ。
 ジャンクがジャンクを生み出していく。積み上がったジャンクに腰掛けてしまうと、脆いものだから粉々に砕け散ってしまう。細かくなりすぎて埃として舞い上がってしまう。窓を開ければ空まで飛んでいく。細かな粒子となった私のジャンクが、雲に混ざって見えなくなる。
 小ジャンクの空に。
 私は思いついたこのどうしようもないダジャレを「アイデアメモ」と題したドキュメントに追加する。少し前には「繊細な無神経」「ダイヤのハートの持ち主が集まるクラブ『スペード』」といったメモが見える。どこに使えばいいのだろう。自分で書いたメモを読んで私は何を思えばいいのだろう。こんな夜は会いたくて会いたくて。違う。「JAM」を歌いたいわけではない。


 ガラクタみたいな話を書きながら、私はhideについて考えている。高校三年の夏休みに引っ越しをした際に、引越し業者の兄ちゃんたちが言った「hide死んだって」という言葉について考えている。まだまだ片付けが終わらないし、テレビをどこに置くかも決めていなかった。兄ちゃんたちが帰って、一部配置をやり直し、何もなかった広い空間が、ごちゃごちゃした部屋へと変貌した中、ようやくテレビをつけると、ニュースは確かにhideの死を伝えていた。
 ソロ活動全盛期にhideは死んだ。X JAPANよりもずっと聴き込んでいたhideの曲が、突如亡くなった人の歌声となってしまった。その後憶測やらゴシップやらいろいろな死因が語られていたが、何が原因であろうとhideは蘇ることはなかった。引っ越しの最中という非日常空間で聞こえた話だから、引っ越し後の後片付けが一段落し、二学期が始まりいつもの日常に戻れば、そんな訃報はなかったことになるかと思ったが、そんなことはなかった。
 私と同じくhideファンだったバンド仲間の一人は、ショックのあまり、BUCK-TICK今井寿モデルのギターに全面紙やすりをかけていた。今井寿に罪はなかった。

 その後好きな誰彼の訃報に接するたびに、私にはどうすることも出来ない事柄であるのに、いちいち落ち込んで沈み、戻ってこれることはなかった。知人や身内の死であるなら、葬儀という一連の儀式の中で、次第に故人に会えないことを実感していける。好きなミュージシャンの曲は、消えることはない。いつでも、いつまでも、好きである限り自分の中で鳴らし続けることが可能だ。アベフトシと忌野清志郎が亡くなった2009年ショックから、いまだに私は回復していない。新生活の始まりと同時に、好きなミュージシャンの訃報を聞いた1998年の夏から、私はまだ抜け出せてはいない。


ここで眠って
ここで目覚めて
繰り返す中 消えそうな君を
あの日の景色に捜して
くさるほどの山ほどの宝
いつか見た様な綺麗な景色
赤毛の変な頭の中まで
誰に分ってくれとは言わない
枯れてしまった声震わせて
ガラクタの歌 うたってた


「Junk Story」はhideの死から四年後に発表されたベストアルバムに収録された、それまでは未発表の曲。当時私はそのニュースに触れながら、聴くことは避けていたから、耳にしたのはずっと後のことだったと思う。一度聴いてしまえば、延々とリピートすることになる。ガラクタの歌について歌う歌が私の中で延々と響き続けた。私はそれから長く長くガラクタの話ばかりを書き続けている。同タイトルでドキュメンタリー映画も作られているが、当然私は観ていない。


話す言葉忘れて
僕は何 歌いましょう?
あの日の物語
明日の歌につなげようか


 初めて物語を記したのが1999年。二十年以上経った今、ありもしない話と自分の回りの話と、本当にあったことと本当ではなかったことをごちゃ混ぜにしながら、何かしら書き続けている。あの日の物語は明日書く物語に繋がることもある。あの日聴いた歌を、今日書く物語に繋げている。これまでに聴いた全ての歌を、これから書く全ての物語に繋げていく。
 また一つジャンク・ストーリーを増やす。

 一昨日は千年前の地層から発見されたレアメタルの内部から、ヘビーメタルが流れている「タイムスリップ・ヘビーメタル」という話を書いた。昨日は「タイムスリップ~」で少し映画「ゼイリブ」に触れたので、「ゼイリブらない」という話を書いた。他人には理解出来ないことで、殴り合いを始めることを「ゼイリブる」という。どうして私には「ゼイリブる」ことが出来ないのか、ということについて考察する話だった。書くものはどれも短い話ながら、どこかしら少しずつ繋がっている気配がある。次はゼイリブからは離れてみよう。

*

 ジャンク・ストーリー屋が亡くなった。
 本棚と本棚の間に挟まれた机代わりの本棚に突っ伏して彼は亡くなっていたという。読むことと書くことに熱中しすぎて、飲み食いを長い間忘れていたことが死因だそうだ。買う金も外に行く体力もありはしなかったようだが。
 執筆に使われていたスマホには、「私が亡くなった際はこのアプリを起動させてください」というアプリが入っていた。ためらいなくタップし起動させると、彼がこれまで書いてきた小説の文字列がどんどん浮かび上がってきた。スマホから飛び出して宙空へと漂い始めた。窓を開けると文字列は空に吸い込まれていった。
 ジャンク小説は、しばらくは固まって浮かんでいたが、やがてばらばらに四方へ散っていった。それでもう彼の残した全てはおしまいだった。彼の遺灰もそのようにしてばら撒かれた。

 私は時々は彼の書くものを読んでいたし、好きな話もあったはずなのだが、もう二度と読めなくなってからは、思い出そうともしなくなった。日々ジャンク小説は産み出され続けているし、その中で自分好みの話を読む方が有意義だった。彼の蔵書を全て処分しても、葬儀費用には足りない計算だった。だから彼の本を処分せず、全てこちらで費用を負担して、私がそこに住むことにした。あの日窓の外へ飛んでいかなかった文字列が、部屋の片隅や換気扇の中や本に挟まって残っていた。彼らは本当は誰かに読まれたがっていた。認めてもらい、受け入れてもらい、誰かの血肉になりたがっていた。しかしばらばらの欠片は繋ぎ合わせても物語にはなっていなかった。
 だから、私が新しい話を書き始めることにした。

(了)

「タイムスリップ・ヘビーメタル」
https://note.com/dorobe56/n/n3f88a2f50

「ゼイリブらない」
https://note.com/dorobe56/n/n25cfb7469b17
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