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「芋虫」人間椅子

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=N5OKFBKLcls


 特殊清掃の仕事に就いて二週間目、初めての現場研修をベテランの方と組んで行うことになった。
「一人じゃとても無理な現場でな」
 特殊清掃とは孤独死の現場やゴミ屋敷の清掃などを行う業務のことで、年間三万人の孤独死が発生するこの国では近頃需要の増えている職業だ。増えていい需要ではないが、「残念ながら今後も成長していくだろう」とのことだ。初めての現場でも隊長と一緒なら、という安心感は、現場を一目見て打ち砕かれた。正確には現場に入る直前から、アパートの入口の時点で家に帰りたくなった。各種資料や映像でも見慣れていたとはいえ、死んだ人間の腐臭がここまで酷いとは。昔から鼻詰まりに慣れ、人が臭いというものでも「え、臭ってるの今?」くらいの感覚だった私の嗅覚すら殺しに来るような、臭いに触れただけでこちらがゾンビ化してしまうような腐臭が外にまで漂い始めていた。
「長い腐乱の果てに、建物の住人だけでなく周辺の人間まで徐々にこの臭いに慣れていたらしい。君は慣れなくてもいいからね」

 玄関先にトイレ・バスに繋がる三畳ほどの空間と、その先に九畳ほどのリビングという間取り。部屋に入れば床と壁の全体を巨大ななめくじが這ったかのような痕跡が残っている。食い散らかされたカップ麺や、夥しい数の酒の缶・ビン。緑色の液体を隊長と協力してある程度洗浄していく。取ることの出来ない汚れの部分は諦めて貼り替えてもらうしかない。しかし腑に落ちない。これまで学んだ、典型的な孤独死の現場といえば、最後に斃れた布団なり床なり浴槽なりに、沈み込むように体液が滲んでいるものだった。これではまるで……。
「腐りながら動き続けてたんだよ」
 こともなげに隊長は言う。ブチャラティ? と私は「ジョジョの奇妙な冒険」第五部に出てくる、殺されながらも動き続けていた人物のことを思い出す。
「ベネ。その例えがしっくりくる」
 口に出してしまっていたらしく、隊長も理解して応じてくれた。
「たまにあるんだ」
「50巻に一回くらいの割合ですか?」
「そんなもんだ」

 ブチャラティはともかく私と隊長は特殊清掃を続けた。通常ならほとんどの現場を隊長一人で片付けているというが、部屋全体の清掃を行わなければならない今回のような場合、ヘルプが必要なのだという。
 どのような人間が腐りながら生きていたのかと、つい私は故人のプライベートを覗き見してしまった。本棚には江戸川乱歩や夢野久作の著作が大量に並んでいた。書籍とは違い、プリントアウトされた小説らしき束も見えた。ゲラと呼ばれるもので、故人は作家らしかった。作者名を見て、私も知っている名前なので目を見開いてしまう。割れてはいたが写真立てには家族と写る作家の姿もあった。だがその家族の姿は……。
「隊長、この人って」
「一昔前の流行作家だろ」
 特別ファンというほどではないが、彼の著作を数冊読んだことがあった。家族との日常を書いたエッセイや、その家族をモデルにしたと思われる小説。確かにそこには幸せな一家がいたはずだ。その作家がどうして築五十年の安アパートで孤独死するのだ?
「書いてあることが全部本当だとか思わない方がいいよ」
 隊長も読書家として有名だ。死体の出てくる小説ばかり読むのだという。
 先程の写真立ても、作家が一人で写っている写真の上に、どこかの雑誌から切り取ったらしき、幸せそうな母と子どもたちが貼られていた。全てが作家の手によるフィクションだった? あるいは一部の事実、ごくわずかにあったかもしれない幸福な日々を、広げ、拡大抽出し、繋ぎ合わせていた?
 
 正解がどれにしろ、彼はここでゴミを溜めながら、腐りゆく身体で書き物を続けていたのだ。


俺は芋虫
貪るだけの
俺は芋虫
肥えてゆくだけの

闇に蠢き
闇に悶える
何も得られず
何も叶わず
何も……何も……


 私もかつて物書きを目指していたことがあったが、この家の住人のような妄執は持てなかった。人に読まれないことに慣れてしまい、書き続ける気力を失ってしまった。何くそ、という想いを持てなかった。読者を失おうと、出版社や家族から見放されようとも、書き続けるような事柄が、自分の中に眠ってはいなかった。気軽な読み物として、ここの住人の著作を読んでしまっていたことを後悔した。

 完全に綺麗にすることは不可能な部屋だったが、大方は片付き始めた頃、まだ手つかずだった押入れの中から物音がするのに気付いた。カタカタと何かが鳴っている。死骸の残りが隠れているのを、ネズミが齧っているのかと暗澹とした気分になった。ペットのいる孤独死の現場では、ペットが飼い主を食べて生き延びた、という例も資料を読んで知っていた。

 不用意に押入れを開けてしまった私の背後に、隊長の「あ、そこはいいから」という声が飛んできたが、既に遅かった。私は押入れの中にあるものを見てしまった。それは一台のノートパソコンであり、そのキーを叩く、芋虫のように蠢く十本の指であった。よく見ると指の付け根からは、根付のように小さく萎んだ人の身体がぶら下がっていた。大声を上げるか腰砕けるか迷うような反応を私の身体がしている間、目だけはしっかりと、画面に映る書きかけの小説を読んでいた。それはほのぼのとした家族の話の一場面であった。

「物書きってのは、どんな境遇に陥っても、どんな体調の時でも、書き続けるもんだろ?」
 そういえば隊長は自身も長期間ブログを書き続けている。死体と関わる仕事について、記し続けている。
「言い忘れてたけど、今回の現場は、孤独死の後始末じゃなくて、生きている人からの部屋清掃の依頼だったんだ。この人は常連でね。食べ物はたまに編集者の人が世話したりするんだけど、結局いつも人の身体を成せないくらいになるまで、書き続けちゃうから」
 一段落すると、徐々に人の身体に戻るらしいよ。
 そんな隊長の言葉を聞きながら、物書きというのはこうまでして魂と肉体を削って書き続けなければ、ものにならないのか、と私は震えていた。この人たちにとっては、これくらいのことは何でもないのだ。
 隊長は慣れた様子で「終わりましたんで」と芋虫のような指に声をかけた。指も慣れたもので、OKのサインを作って手を振ってくれた。

「隊長のブログにはああいうお客のことなんて書いてなかったじゃないですか」
 帰りの車の中で私はそう愚痴った。
「コンプライアンス、コンプライアンス」


ああ ずるずると血膿のぬめる肉塊
ああ どろどろとはらわた腐る肉塊
ああ 朽ちてゆく 朽ちてゆく 朽ちてゆく


 そんなわけで私は、また就職活動を始めたのです。

(了)


※フィクションです。

その他の人間椅子エピソード
「Soldier of Fortune」LOUDNESS
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21721&story=86
「無情のスキャット」を口ずさむ健三郎。これは最近またやりだしてる。

人間椅子の新曲「杜子春」を自ら繰り返し聴いた八歳の娘
https://note.com/dorobe56/n/ne816a4c05ef5
人間椅子のMVを繰り返し見る八歳の頃のココ。

最近家事の最中も人間椅子を流したりしてるので、健三郎のシャバダバ熱が再発していたり、「暗い日曜日」を聞きながらココが踊っていたりする。


参考文献
特掃隊長「特殊清掃 死体と向き合った男の20年の記録」
https://www.amazon.co.jp/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%B8%85%E6%8E%83-%E6%AD%BB%E4%BD%93%E3%81%A8%E5%90%91%E3%81%8D%E5%90%88%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%94%B7%E3%81%AE20%E5%B9%B4%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E7%89%B9%E6%8E%83%E9%9A%8A%E9%95%B7-ebook/dp/B00BFNJLU6/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=1Q0WIGTA9TK42&keywords=%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%B8%85%E6%8E%83&qid=1651125121&s=digital-text&sprefix=%E7%89%B9%E6%AE%8A%E6%B8%85%E6%8E%83%2Cdigital-text%2C252&sr=1-2

菅野久美子「家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに」https://www.amazon.co.jp/%E5%AE%B6%E6%97%8F%E9%81%BA%E6%A3%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A-%E5%AD%A4%E7%AB%8B%E3%80%81%E7%84%A1%E7%B8%81%E3%80%81%E6%94%BE%E7%BD%AE%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%AB%E3%80%82-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E8%8F%85%E9%87%8E-%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90-ebook/dp/B08DN5XQDB/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3L0EWFNSX6WF6&keywords=%E5%AE%B6%E6%97%8F%E9%81%BA%E6%A3%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A&qid=1651125212&s=digital-text&sprefix=%E5%AE%B6%E6%97%8F%E9%81%BA%E6%A3%84%E7%A4%BE%E4%BC%9A%2Cdigital-text%2C228&sr=1-1

西尾元「死体格差 解剖台の上の「声なき声」より」
https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E6%A0%BC%E5%B7%AE-%E8%A7%A3%E5%89%96%E5%8F%B0%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A3%B0%E3%81%AA%E3%81%8D%E5%A3%B0%E3%80%8D%E3%82%88%E3%82%8A-%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%85%83-ebook/dp/B0725KMTVV/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=2XWLZHU2XD9QY&keywords=%E6%AD%BB%E4%BD%93%E6%A0%BC%E5%B7%AE&qid=1651125312&s=digital-text&sprefix=%E6%AD%BB%E4%BD%93%E6%A0%BC%E5%B7%AE%2Cdigital-text%2C225&sr=1-2
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