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「Set It All Free」Scarlett Johansson

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=dtqI1LkI268

長澤まさみバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=J100qe1sk5o

和訳
https://studio-webli.com/article/lyrics/188.html




 自由律俳句を始めた。
 昨年から四ヶ月近く毎日詠んでいた俳句は、遅まきながら接種したワクチンの副反応による高熱と、寝込み過ぎたことによる腰痛の再発により、中断したままでいる。十六年前にも似たような流れで句作を止めた覚えがある。季語と短詩は魅力であるが、その季語にふさわしい生活を送れていたわけでもないから、後ろめたさもあった。崩した体調を言い訳にした。
 
 藤沢先生の連載中の小説「土の中」に自由律俳句を好む女の子が出てくる。父親からもらった自由律俳句の本を読んで興味を持った彼女は、両親の離婚話を目の前にしながらも、自由律俳句を詠みたいなと考えてしまっている。

「土の中」
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=23828

 私はその部分を読んで、かつて工場長に怒鳴り散らされながら、次に書く小説のことを考えていたことを思い出していた。もちろん怒られながらろくに話を聞いていないことがばれて更に怒られたが気にしていなかった。そもそも何をして怒られていたのか、毎日怒られていたので忘れてしまったが、その時に湧き上がった創作意欲だけは忘れられないでいる。
 そんなわけで藤沢先生が「自由律俳句をつくろう!」というアンソロジーを作られた際に、トップバッターとして参加した。句集を読みまくっていた頃に、種田山頭火や尾崎放哉といった自由律俳人たちの句集も読んではいたが、今回の句作の参考にはしないことにした。縛られる必要もないと思ったのだ。過去の名作にも、自分の好き嫌いにも。

「自由律俳句をつくろう!」
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=23955


 最近の日常やら創作句やらでとりあえず十二句読み、当然全て納得の行く出来のわけでもないから、五句をピックアップして体裁を整えていく。初日に詠んだ句をアンソロジーに投稿し、その後は毎日同様の流れをこなしてからTwitterに投稿してみる。

 ある日の句作はこんな具合だ。

2022/05/26

剥がした付箋に文字がくっついている *

昼から雨だというのに洗濯物を取り込む気がない*

子どもらが出ていった後の抜け殻


虫除けスプレー売り場に虫がいない

人間椅子を聴きながら買い物をする

炭酸が欲しくなりペプシゼロを買う


あまり遊ばなくなったレゴを仕舞うとレゴで遊び始めた*

ベランダに蜂が飛んできた前殺したのとは別のやつだ*

ヒルは木から落ちてこない下から人に登るのだ*


解剖中も生きていたとか

また一人認められていく

彫刻刀で彫るつもりか地面を彫るつもりか



 付箋に文字がくっついたのは、約五十年前に発行された井上ひさしの文庫本「ブンとフン」を読んでいた時のことだ。ある一行の上に付箋を貼った後で、やはりページ全体という感じに貼り直そうと付箋を剥がしたら、文字がついてきた。付箋だから吸着力が強いわけではない。紙の方がもう弱っていたのだ。
 以前は息子が遊びまくっていたレゴブロックの一部を出しっぱなしにしていた。最近はプラレールばかりなので折りたたみコンテナに仕舞っておいた。それを見た息子は逆にレゴ熱が再燃してしまい、仕舞ったものを出せと言う。

「ヒルは木から落ちてこない」という本を読んだ直後だということも分かる。
 インカ帝国先生がジャンププラスで読み切りを発表した後だということも。

 選んだ句にマークを付けて抜き出し、いろいろ変えていく。結果こうなる。


剥がした付箋に五十年前の活字

昼から雨なのに洗濯物を取り込まないでいる

遊ばなくなったレゴを仕舞うとレゴで遊ぶから出せと言う

ベランダに蜂が飛んできたこの間殺したのとは別の

ヒルは木から落ちてこない地面から人に登るのだ


 俳句にしてはどれもやや長いとは思う。
 だが自由だから気にしない。

*

「Set It All Free」は映画「Sing」でハリネズミの女性ロッカー「アッシュ」が歌う曲だ。原曲ではスカーレット・ヨハンソンが歌い、日本語バージョンでは長澤まさみが歌っている。

 恋人とパンクバンドを組んでいたアッシュだが、オーディションに参加したらアッシュだけが合格してしまう。そのことも原因となり彼氏が浮気をし、怒り狂い泣き崩れた彼女は、その気持ちを作曲へと向ける。以前「おまえに曲なんて書けないよ」と彼氏に言われたことがあったアッシュだが、そんな言葉からは自由になり、観衆の前で熱唱し歓声を浴びる。一度アンプからシールドを抜かれた彼女が、足踏みでリズムを刻んで歌い出すのは名シーンで、昔ココがよく真似していた。同じ場面で健三郎も今興奮している。

 定形にしろ、前例にしろ、過去の名作にしろ、元恋人にしろ、手本にしろ実績にしろ、参考にはなるが足かせにもなる。
「こういう作品が受けているから、こうでなくてはならない」
「シナリオの構成はこういう流れにしないと一般受けは難しい」
 もちろん取り入れた方がいいことはどんどん取り入れたらいい。しかし自分に合わない、そのセオリーに則って書いても自分では全然面白いと思えない、というような場合は取り入れない方がいい。自分にとってのいいとこ取りだけして高めていけるのが理想だ。
 というような理論も実はどうでもいいのだ。
 何を書いてもいいし。
 何も書かなくてもいい。
 自由に書いてもいい。
 また、不自由に書いてもいいのだ。
 オールフリーもがんじがらめも大した違いはない。
 出来上がったものだけが作品だ。評価は他人が下すのだ。


*

 noteの記事トップ画像に、稲垣純也さんというカメラマンが撮影したスナップ写真を毎回のように使わせていただいている。誰でも使用出来るスナップ写真を、計四千枚以上提供されておられる。自分が行きそうにない場所、道端の彫刻、スタジオ内の不思議な風景、何でもないような地面の影、様々な写真を眺めながら、自由律俳句に似た赴きをそこに感じ取っている。自由律俳句とは、言葉を使ったスナップ写真ともいえるかもしれない。

 ちょっと浮かんだ想い。
 何気ない風景。
 微笑ましい一場面。
 一生忘れられない光景。
 誰もがカメラマンではないが、言葉を用いてそれらを書き出すことは出来る。
 見たままでなくてもいい。創作を加えても構わない。
 何も見なくてもいい。全て創作でも構わない。
 言葉は、表現は、創作は、最初から自由だ。
 アッシュは演奏に熱中する余り、背中の針を観客席に飛ばしまくってしまう。それほどの激情で、自分は自由だと歌う。
 さあ、自由律俳句を楽しもう。
 さあ、コメントも残そう。

(了)
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