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「ギラギラ」Ado

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=sOiMD45QGLs


 起床後、音楽をかけながら布団を畳んでいた。家事の最中に常に音楽を補給するのが私のやり方である。エミネム「Lose Yourself」がかかっていた。エミネムのライムに合わせて、娘のココが私の尻を叩いてリズムを取った。膝蹴りまでしてきた。私が振り返ると素知らぬ顔をして、曲に合わせて踊り始めた。次にかかったAdoの「ギラギラ」では私を叩くことなく、4分36秒間まるまる姿見の前で自分の姿を確認しながら踊っていた。その横で息子の健三郎は「アアアー、ア!」とレッド・ツェッペリン「Immigrant Song」を叫んでいた。
 現在の朝の日常風景である。

 この風景を取り戻すのに半年ばかりかかった。
 何度か書いたが、娘のココは同じクラスの問題児からの暴力がきっかけで不登校になり、多少学校に通えるようになってからも、三時間目からの登校など。四年生に上がってからは初期の数回の三時間目登校以外は、楽しく学校に通えるようになり、放課後宿題を済ませて友達と公園に遊びに行ったりしている。
 息子の健三郎も、前年度通っていた認定こども園の後半はまともに通えなくなり、自宅保育を推奨されたこともあって、年明けから数回通えただけであった。新年度からは姉も通っていた市立幼稚園の方に転園し、入園式こそ泣いてずっと私に抱きついていたが、その後は一度も休むことなく、毎日楽しく幼稚園に通っている。土日祝日にも幼稚園に行きたがり「何で今日幼稚園ないの?」と何故か私が怒られる始末。

 ココが集団登校の集合場所に向かい、健三郎を幼稚園に送る。その後買い物などして、家事の残りをする。家の中はぽっかりと穴が空いたようで、抜け殻のような私は、誰もいなくなると鈍くなる動きでのそのそと芋虫のように蠢いてキーボードなど叩いている。早朝に家を出て昼過ぎに帰ってくる妻が戻るまで、やった方がいいことや、やらなければいけないこと、やってはいけないことや、やらない方がいいことなど、やる時間はあるはずなのに、ろくなことに時間を使えず、かろうじて音楽の力を借りて心と身体を動かす。朝「ギラギラ」を踊っていたココの姿を思い出し、Adoを聴く。気に入った曲にハートのボタンをポチポチと押す。

 昨年の夏休み期間中、ココと二人でAdoの「うっせぇわ」をセッション(私はドラムスティックで自分の太ももを叩き、ココは歌う)していた頃、休み明けも学校に行かないことになるとは思っていなかった。会社を辞める決断もはっきりしていなかった頃かと思う。

 まあその後色々あって、不安定な登校状態のココを仕事を辞めた私が見ているうちに、健三郎も不安定な状況になってしまった。しかし二人が安定してそれぞれ小学校と幼稚園に行けるようになったら、私は取り残されたようになって、相変わらず金にならない文章を書いたり俳句を詠んだりしているうちに、退職金やら失業給付金やらの底が見えてきた。

「ダッツ、ダッツ、ダッツ、ダッツ」
 今朝、ココが何を歌っているのかと思ったらAdo「ギラギラ」のリズムでそんな歌詞を歌っていた。
「クラップ、クラップ、クラップ、クラップ、じゃないの?」と私が修正した。
 確かめるためにYou Tubeで「ギラギラ」を流してみると
「ラップ、タップ、タップ、タップ」だったり「ドラッグ、オン、ドラッグ、オン」だったり「フラップ、アップ、フラップ、アップ」だったりした。二人とも間違えて覚えていたのだ。次にヨルシカの「春泥棒」が流れている間、ココはコピックで絵を書いていた。最近は塗り絵ではなく、百均で買ったトレーシングカットシールというのをスケッチブックに貼り、絵の一部として使用する。家電や家の風景を作ったりしている。メモ帳のように切り取れる小さなスケッチブックの紙が、シールと色で満たされていく。
 次にかかったヨルシカ「ただ君に晴れ」がかかっている最中に、集団登校へ向かう時刻になり、描きかけの絵を置いてココは玄関へ向かう。健三郎のお弁当用のベーコンをフライパンで焼く私は、「ただ君に晴れ」の曲中、手拍子の部分でフライパンから手を離して曲に合わせて手を打つものだから、危なっかしくてかなわない。寝起きでまだご飯はいらないと言っていた健三郎に結局そのベーコンを取られてしまうから、お弁当用にまた新しく焼く。

「仕事どうするの」と妻が言ったのは数日前。
 健三郎を送ってからでは九時からのフルタイム勤務は難しい。この歳で正社員の口など望み薄だ。どこか近所でアルバイトを掛け持ちで、などの道しか残されていないなどと口走る。しかし妻は今の仕事に限界を感じて辞めたがっているというので、朝からの仕事も視野に入れてみる。すると、以前調べた時にはなかった求人募集が見つかった。前職の経験を活かせる上に、家から自転車で5分程度の距離。正社員募集で毎日定時で上がれる職場。仕事量が増える見込みなので人員を増やしたいとのこと。どれだけ仕事量が増えようとも、定年退職で人員が抜けるとあらかじめ分かっていても、決して人を増やそうとはしなかった前の職場とは正反対だった。早速応募すると、翌日には面接の日程相談の返事が来た。希望日を送り、最早採用されるつもりで未来の皮算用をする。定時で帰れば子どもと公園で遊べる時間だ。前職では通勤時間に往復約80分かかっていたのが、10分で済む。一日70分も時間が増える。週で350分。22日出勤として1540分。およそ26時間。前職では平均残業時間3時間として、月66時間。つまり前職と比べて月平均92時間も自由に使える時間が増える。一日あたり4時間以上。家族の時間も創作時間も作り放題じゃないか?

 現実にはそんなうまい話はなくて
・面接で落ちる
・労働ブランクにより数日で身体を壊す
・拘束時間は短いが精神的に辛いことがある
・全て自分の作り出した妄想である
 
 といった可能性も大いにある。
 しかしまあ、そこを落ちたとしても、何が何でも働かなければいけないという状況になってきたし、子どもたちの状況が安定してきたことが、否応にも背中を押してくる。

 仕事を決めるにあたって、これまでのほとんどが成り行き任せだった。友人の紹介、日雇い先の常連、アルバイトからの社員登用。まともな就職活動の経験がない。もっとギラギラして、何でも食べます何でもやりますと、食いついていかなければならないのかもしれない。そこが落ちても、幸い以前に比べて周辺に働き口は増えている。


Unknown お釈迦様も存ぜぬうちに
もう健やかに 狂っていたみたい
それは世界の方かそれとも私の方ですか?
共生は端からムリでしょう

マガイモノこそかなしけれ無我夢中疾る疾る
強い酸性雨が洗い流す前に
蛍光色の痣抱いて


 面接の日取りが決まったというメールが届く。私は実際の距離を確かめるために、ストップウォッチ代わりに、玄関のドアを開けた瞬間に「ギラギラ」を再生させた。目的地の会社にはちょうど「ギラギラ」一回分、四分三十六秒で着いた。昼休み時だったため、外での仕事の様子は偵察出来なかった。大柄な体育会系の人が作業着を来て一人出てくるのが見えたので、逃げるようにその場を去る。合う合わない以前に、スタートラインに立たなければならなかった。


ありのまんまじゃいられない 誰も彼も
なんて素晴らしい世界だ!
ギラついてこう


 偵察の帰りに履歴書を買う。ネットで印刷した方が良さそうだが、一応まだまだ使うかもしれないし、別の所では手書き限定かもしれないし。

 この間幼稚園の参観日に、先生の一人から「健三郎君しょっちゅう洋楽歌ってますね。レディー・ガガとかカーペンターズとか」と言われた。その様子ではおそらく家と同様にレッチリやオアシスや人間椅子も歌っているのだろう。家での日常が園にも持ち越されるようになってきた。ココは音楽の授業で「山の魔王の宮殿にて」の映像を見たのだという。「ココあの高い歌声出せるんだけど、学校では恥ずかしいから歌わなかった」と言った。性格の違いか年齢の違いか、または「家での自分」「学校での自分」がはっきり分かれてきたのか。子どもたちはそんな日々をそれぞれ過ごしている。
 私も「会社での自分」をまた構築していかなければいけない。報告書を小説仕立てで書くようなことは我慢しなければいけない。しばらくの間は。

(了)
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