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「Roundabout」YES

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=cPCLFtxpadE
ライブバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=kmZoQFYYx8U
ジョジョの奇妙な冒険EDバージョン
https://www.youtube.com/watch?v=i0xA91K3Pq8



 前回「光の中に」のラストを、健三郎がBON JOVI「Livin’ on a Prayer」のギターリフを口ずさんでいるところで締めた。それは家族で見ているEテレの番組「ムジカ・ピッコリーノ」で取り上げられた曲であることが影響していた。気に入った回は何度でも見たがるので、自然とそういうことになる。ならば他のBON JOVIの曲はどうだろう、と思って聞かせてみても、ムジカで取り上げられた曲以外にはあまり反応しない。この番組の影響により我が家で鳴り響いた曲の数は多い。

 くるりの「ばらの花」を幼稚園のお別れ会で園児や保護者たちと行ったカラオケ(もう四年半ほど前の話になる)で娘のココと歌ったり、

 LED ZEPPELIN「Immigrant Song」を真似て健三郎は雄叫びをあげるようになったり、

 カーペンターズの「Yesterday Once More」を家族で合唱したり(すぐに私だけ追い出されたり)、出来るようになった。

 他にも気に入って時々口ずさんでいる曲をあげてみる。

あみん「待つわ」
モーツァルト歌劇『魔笛』から「復しゅうの心は地獄のように胸に燃え」
はっぴいえんど「風をあつめて」
アース・ウィンド・アンド・ファイアー「セプテンバー」
Oasis「Wonderwall」
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「Can't Stop」
などなど。
元々私の好きな曲が取り上げられ、子どもたちも気に入る、というパターンが一番嬉しい。


 2022年7月8日の放送で、YES「Roundabout」が取り上げられた。プログレッシブ・ロックにあまり近付いてこなかった私は、曲名が判明する前の段階で、「聴いたことはあるな」程度の感覚で、特に子どもたちにもヒットしなかった様子なので、深追いはしないでおいた。ところが、その直後に、私が読んでいた本の中に突如「Roundabout」が現れた。絲山秋子「ばかもの」という小説の中に、主人公の男性と恋愛関係には陥らないものの、適度な距離を保つ女友達が家の中で繰り返し聴いている曲として書かれていた。数年後二人は再会するが、女友達の方はすっかり新興宗教にハマってしまっており、そこにはもう「Roundabout」は流れていなかった。音響機器も長い間触れられていない状態になっていた。すっかり様変わりして肉体関係を迫る女性を恐れ、主人公の男性は逃げるように彼女の部屋を出ていく。その後その宗教絡みで彼女は殺人まで犯してしまうことになる。

「Roundabout」を聴く女性は小説の中心人物ではない。いわば彼女のエピソードそのものがなくても、話は成立する。近頃私は絲山秋子の小説と、大江健三郎作品の再読にのみ読書を絞っている。時間が限られているのもあるが、読書にしろ執筆にしろ何かしら方向性をつけていこう、という目論見もある。子どもたちと一緒に寝て子どもたちと一緒に起きる生活が続くと、なかなか書く時間も取れないでいる。ならば書く方もあれこれ考えず、絞っていこうと思うばかり。

「ラウンドアバウト」とは、日本ではあまり見られないが、環状交差点というものであり、信号がない。その気になれば中心の環の中で延々と回り続けることも可能だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%88
 前回「光の中に」の中で私は、死者を「時間が前に進まなくなった人」と仮に定義し、彼らは循環する時間の中で延々と回り続けている、というようなことを書いた。ラウンドアバウト型の交差点において、前方への道が断ち切られた状態、ともいえよう。もちろん私はこのような仮説を本気で信じ込んでいるわけではないが、そのようなことを考えた後にYES「Roundabout」がムジカ・ピッコリーノで取り上げられ、読んでいた本の中にも出現する、といった偶然が起こった。それは「正解だよ」という示唆よりも、「あまり深入りするな」という警告のようにも思えた。

 私はオカルト的なことに対して否定的な意見を持っているわけではないが、逆に肯定的な意見も持っていない。幽霊やUFOを見たことがないので、そういうものがいると言い切ることは出来ないが、また同時にいないとも言い切れない。確認するまでは事実は事実とならない、というように考えている。娘のココに「パパ、頭のてっぺん薄くなってるよ」と指摘されても、私自身は自らの目でその事実を確認してはいない。だから私は髪の毛が薄くなっていることを認めはしない。自らの目で見ていないものを信じられるはずもない。

 若い頃に読んでいた本の再読を続けてしばらく経つ。中身を覚えているものもほとんど覚えていないものもある。不思議なもので、平行して読んでいる、初めて読む小説まで、いつかどこかで読んで、今再読している、というような感覚に陥ることがある。知らぬ間に入り込んだラウンドアバウトの中でぐるぐる回っているかのように。

 家、職場、家、職場、時々買い物、公園、決まりきったコース内を循環しながら日々は過ぎる。自ら望んで得た環境であり循環なので不満はないが、始まって一ヶ月ほどのこうした生活リズムを、何年も、何十年も前から営んでいたような気もする。ぐるぐるとぐるぐると。


YES「Roundabout」歌詞・和訳より
https://lyriclist.mrshll129.com/yes-roundabout/

音楽に歌い踊り
子ども達が丸い輪になる
君のように一日を過ごしてみた
朝のドライブと称して
渓谷に木霊する音の中をくぐり抜ける


 朝昼夕と通り過ぎる公園の中で、ムクドリの群れが地面をちょんちょん、と飛び跳ねていく。壮年の男性が筋力トレーニングを重ねている。馴染みの犬がこちらを見上げる。公園の一部の工事は永遠に続くかのように、何か掘り起こされている。工事車両の中で眠る作業員がいる。生きている者の中に死者が紛れていても気付けないのかもしれない、と思いつつ、今日も私は自分の後頭部を鏡で確認しようとはしない。

(了)
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