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「東京」KANA-BOON

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=C9no6N7j6wU


 ある日の朝、ふとKANA-BOONが聴きたくなり、「盛者必衰の理、お断り」を流してみた。何か違う気がして、「東京」に変えた。


君のスカートの中、僕のスタートラインさ
日々のスピードの中、全部忘れてしまうのかな
僕のスピードはまだ君に追いつけないみたいだ
もう少し待ってて、あと少し待ってて


「君のスカートの中」の時点で気が付いた。先日発売されたあるコミックスの単行本が契機になっていたのだ。ジャンプ+で連載中の「マリッジトキシン」。原作者である静脈先生が昔新都社で連載されていた、露出狂が主人公の漫画を思い出していた。

 ここから新都社の昔話が始まる。

※記憶だけに基づいて書いているので、作品の掲載時期などにずれがあるかもしれません。静脈先生の当該作品は既に削除されているので、具体的な作品名と内容についての細かい言及は避けておきます。
 
 新都社を知ったのは2008年頃。勤めていたゲームセンターが閉店して、日雇い仕事に行ったり何週間も家に籠もったりしていた、人生どん底期のことだった。真夜中にWEB漫画を読み漁っている最中に「オーシャンまなぶ」と出会い、その作品は個人のHPではなく、元々は新都社というWEB漫画と小説のサイトに連載されていることを知った。大元の新都社から他の漫画にも触れるようになり、後に商業デビュー、アニメ化などもされる「ピーチボーイリバーサイド」「平穏世代の韋駄天達」などにもどっぷりはまっていった。「ワンパンマン」はそれらよりは後の話になる。

 それまでは「話題になっているWEB漫画」くらいにしか触れていなかった私が、新都社で新連載作品をすぐさまチェックしたり、万人受けするわけではないが自分好みの作品を積極的に読んでいくようになった。時間がある時期だったから自分も漫画を描いてみようか、などと思いたち、ペンタブレットを購入してみたが、一ヶ月後に売り払った。
 やはり自分の本分は小説書きであることを思い出し、当時他にも小説投稿サイトはあったが、そこでの人気作品が自分の好みに全く合わないこともあり、新都社で連載形式で小説を書いてみよう、と思い立つ。当時読んだ麻雀漫画に影響された、超常者たちによる麻雀トーナメント小説「食いタンのみのタモツ」を「点数計算の出来ない吉田」というペンネームで連載を始めてみた。一瞬の思いつきからひらめいた話であり、案の定途中で頓挫したが、FAや挿絵をいただいたり、と幸福な触れ合いをいただいたりもした。

 その後「底辺の辺りをゴロゴロしている」という感じで「泥辺五郎」とひっそりと改名し、いつまでも小説を書き始めない作家志望者を主人公とした「小説を書きたかった猿」の連載を始め、なんやかんやあって今にいたる。

 そんな頃、私が静脈先生の作品を積極的に推していたのは、常人ではない発想力の持ち主であるこの若者が、今後何かがあって筆を折ってしまったり、尖った長所を丸くして数に埋もれてしまったりして欲しくはなかったからだった。その後彼は新都社から離れがちになる。Twitterで描いた漫画がバズったり、漫画塾的なところで講評を頂いたりしている様子を横目で見ながら、彼が創作に関わり続けているのを見て安心してもいた。

あれからしばらく経つけれど
どうにかこうにか生きています
毎日毎日、ネクタイで
首が締まって死にそうです


 どん底状態からいつの間にか脱出して結婚したり子どもが出来たりしていた私は、毎日ネクタイを締めて出勤したことなんてなかったけれど、この曲を聴きながら、こみ上げてくる叫びのような歌声に同調して声を上げることもあった。
「食いタンのみのタモツ」連載開始時期が2009年4月、静脈先生の作品との出会いがその少し前くらい。十三年以上の月日がいつの間にか流れていた。それぞれの場所でそれぞれの生を生きて、それぞれの道で創作を続けながら、年月は着々といつの間にか積み重なっていた。先程読み終えた絲山秋子の小説「離陸」にこんな一節があった。長年行方不明になっていた元同僚からの長いメールの後の、主人公の感慨である。


 須藤くんのメールはぼくに、忘れていた連続性を思い出させてくれた。
 忘れていても、棚上げしていても、物事は連続しているのだ。


 連載形式は、物語を連続させる装置として有意義に働く。しかし素人には報酬も具体的な締め切りもないから、平気で投げ出してしまえる。煮詰まった連載を中断して新連載を始めることも出来る。
 静脈先生がジャンプ連載経験もある作画の依田瑞稀という方と組み、ジャンプ+にて読み切りが掲載された時、あっという間に伸びていく閲覧数と高評価を眺めながら、自分のことのように喜びもした。一番嬉しかったのは、角を削ることなく尖り続けていた先生の感性が、びんびんに伝わってきたことだった。もちろんその裏には血反吐の出るような日々が隠れているのだろうけれど。


東京に星は無いけれど不思議と街は明るくて
東京に君はいるはずなのに
姿はどこにも見当たらなくて
この街で君に会う確率は
商店街の福引きよりも
10円ガムの当たりよりも
宝くじの3億より、低い


 日々新人は発掘されて、既に活躍中の誰彼も日々新作を発表していく。目立って売れる何かの影で、売れることのない作品が中断されたまま忘れられていく。いつの間にかいなくなっていた人を誰かがふと思い出しても、もう何もかも遅かったりする。星の数ほどいる創作者のうち、多くの人に認知される確率は、宝くじよりもきっと低い。ネット上の古くからの知り合いが世間に認められ、多数の読者を得て注目されていても、そのことは実は、自分には直接関係しない。Twitter上では創作仲間でなくとも、気軽に芥川賞作家と絡むことも出来る。成功者を身近に感じても、自分までがそうだと錯覚してはいけない。
 それでも、知り合いのデビューも成功も、嬉しいのだ。出来ることなら胸を張って「あと少し待ってて」と言いたいところでもあるのだ。

 多数の競争者と連載形式で争うような書き方ではなく、マイペースで自分の書きたいことを書きたいように書くやり方を私はずっと続けてきた。良し悪しは分からない。毎週更新される「マリッジトキシン」を読みながら、「積み重ねられていくなあ」と思う。連載が重なれば単行本となる。多くの読者が、編集者始め出版社の方が、単行本を作るために出版関係の方が、関わっていく、という事柄が積み重ねられていく。

 十三年前、新都社で出会った才能が今も輝いている。自分はどうか。ステイゴールドしているか? 自分で決めた安易なゴールにステイしているだけではないか? 言葉遊びの果ての空虚に立ち止まる。

 職場が盆休みに入った。自宅で子どもたちがタブレットでゲームをしている横でこれを書く。いよいよ支払い切れなくなった諸々の金の算段もしなければならないのに、あいも変わらず書き物を優先させるのは十年来変わっていない。

 少しずつでも着実に歩いていくだけの脚力が自分には残っているのか。腰も痛いし金玉の裏も痒い。昨晩、布団を敷く際にANTHRAX「Indians」を流していた。ザクザクしたギターリフを、娘のココが姿見の前でエアギターで演奏していた。激しくジャカジャカ上下させる右手と違い、エアーネックを握った左手は全く動いていなかった。エアギターは同じ音だけを延々と鳴らしていたわけだ。
 ふと自分の書き物も、ココのエアギターのようなものだったのではないか、と思う。演奏出来ていないだけではなく、そもそも楽器を持ってすらいなかった、という。

 いやそんなことはないだろう。第一よく意味が分からない。こじつけにすぎない。「あと少し待ってて」は一年後なのか百年後なのか。
 それでも少し、ステイゴールドとゴールをステイ、の言葉遊びが気に入ってしまっている。

(了)
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